便り 善住寺-静岡県浜松市天竜区 ・善住寺 曹洞宗 静岡県浜松市天竜区水窪町地頭方357-1往古考えるに遠江国周智郡奥山郷と曰う地名あり山中に就観世音菩薩を安置する庵室(俗に言う尼寺)あり元応元亨の頃後醍醐天皇の太子妙法院「行義親王」の宮 落人とならせ玉ひし時此庵室に永年御滞在有之種々宝物残あり其後八十年余りを経て応永元申戌年此奥山郷の地方を?開依て地頭と曰 人民自ら地頭の方とよぶ (リンク先より) << 戻る 2018.10.04 便り
便り 清見寺-静岡県静岡市清水区 ・清見寺 臨済宗妙心寺派 静岡県静岡市清水区興津清見寺町418-1白鳳年間(7世紀後半)、天武天皇朝の頃のことです。東北の蝦夷に備えてこの地に関所が設けられ、清見関と呼ばれていました。そして、其の傍らに関所の鎮護として仏堂が建立されました。この仏堂を以って清見寺の始めと伝えています。平安時代には天台宗の寺院であったと思われます。(リンク先より) << 戻る 2018.10.03 便り
便り 大運寺-静岡県富士市 ・大運寺 浄土宗 静岡県富士市中央町3-6-21(旧アドレス:)本尊 阿弥陀如来 創建 永徳元年あるいは応永20年 開山 乗蓮社大譽上人了善大和尚 << 戻る 2018.10.03 便り
便り 東國寺-静岡県藤枝市 ・東國寺 臨済宗妙心寺派 静岡県藤枝市堀之内199私たちの心は、もとより清浄な「ほとけ」であるにも関わらず、他の存在と自分とを違えて、対象化しながら距離と境界を築き、自らの都合や立場を守ろうとする我欲によって、曇りを生じさせてしまいます。(リンク先より) << 戻る 2018.10.03 便り
便り 金剛寺-静岡県磐田市 ・金剛寺 曹洞宗 静岡県磐田市見付2749-1静岡県磐田市見付にある曹洞宗のお寺です。 すっきり地蔵が有名です。 毎月坐禅会をやってます。 永代供養承っています。相談のできるお寺。 << 戻る 2018.09.11 便り
便り 龍音寺-静岡県沼津市 ・龍音寺 曹洞宗 静岡県沼津市大平2852日本印度学仏教学会第69回学術大会(於東洋大学)において、当山副住職の舘隆志(国際禅学研究所研究員・東洋大学東洋学研究所客員研究員)が「中世禅林における重陽の喫茶文化―茱萸茶・菊花茶をめぐって」と題して発表してまいりました。 (リンク先より) << 戻る 2018.09.10 便り
便り 国分寺-静岡県磐田市 ・国分寺 新義真言宗 静岡県磐田市見付3047・三河 ⇒ 東海道 遠江 国分寺 ⇒ 駿河聖武天皇の天平13年(741年)の詔によって全国に建立された国分寺の1つである遠江国分寺は、詔からほどなく現在確認されている国分寺史跡地に建立されました。「類聚国史」によれば、弘仁10年(819年)に焼失しました。再建されましたが室町時代以降は次第に衰えました。江戸時代末には、天台宗東叡山寛永寺の末寺となっていましたが、明治時代の廃仏毀釈により無住の廃寺となっていました。村人によりその内の薬師堂のみが守られていましたが、大正12年に内務省告示により史蹟に指定されたことから、参慶山普賢延命院国分寺(本尊・薬師... 2016.06.03 便り
便り 国分寺-静岡県静岡市葵区 ・国分寺 真言宗醍醐派 静岡県静岡市葵区長谷町10・遠江 ⇒ 東海道 駿河 国分寺 ⇒ 伊豆駿河国国分寺の創建当時における所在地は確定されてませんが、その後継寺院といわれています。<< 戻る 2016.06.03 便り
便り 金龍寺-静岡県浜松市北区 ・金龍寺 臨済宗妙心寺派 浜松市北区細江町気賀9614昭和2~3年頃、当山は無住の寺でした。当時、病気治療の為この細江の地に身を寄せていた青年僧の山田無文が、当山の看護(留守番)を進んで引き受け、約2年ほど当山で過ごされた。その間、本堂の外縁で夜座(坐禅)をし、無の境地、不二の世界を味わいっていた。その時に詠まれた言葉の一つが境内の歌碑として建立されている。(リンク先より)※昭和2 - 1927年 << 戻る 1927.01.01 便り年表
便り 法雲寺-静岡県浜松市西区 ・法雲寺 臨済宗妙心寺派 静岡県浜松市西区雄踏町宇布見5332-1明治43年安寧寺末の小庵、正法庵・耕雲庵が合併し、両庵の法と雲をとり法雲寺となりました。正法庵・耕雲庵ともに記録が残っておらず、開創年代・開山禅師の略歴などは不明とされています。(リンク先より)※明治43年 1910年 << 戻る 1910.01.01 便り年表
便り 法眼寺-静岡県賀茂郡 ・法眼寺 臨済宗建長寺派 静岡県賀茂郡西伊豆町仁科860-1かつては仁科の安城山麓にあった法眼庵という小さな庵でしたが、海濤により大破、荒廃しました。 享保年間にこの地を修行で通りかかった僧・幽厳が法眼庵と堂ヶ島の走嶋山長平寺の荒廃を嘆き、二院を合併して正島山法眼寺としました。(リンク先より)※享保年間 1716年から1736年 << 戻る 1716.01.01 便り年表
便り 西願寺-静岡県駿東郡 ・西願寺 黄檗宗 静岡県駿東郡長泉町下長窪3861654年に来日された中国僧隠元禅師によって創建された黄檗山萬福寺(京都府宇治市)を本山とする。名僧の一人「一切経」の木版を苦作された鉄眼禅師の兄弟子で、治山治水に功績を残された鉄牛禅師を開山とする。貞享3年(1686)12月鉄牛禅師の法嗣香州禅師がその志を継ぎ、愛鷹山麓の台地にあって長久保城跡と百沢渓谷を距てて相対する形勝の地に当寺を創建された。(リンク先より) << 戻る 1686.01.01 便り年表
便り 永福寺-静岡県浜松市西区 ・永福寺 臨済宗妙心寺派 静岡県浜松市西区大平台4-34-1入野郷田端を往来する雄踏街道北側に於いて不却徳公禅師開山以来、入野郷本所龍雲寺の末寺の法脈を伝える。当山の開創の年代は不詳である。過去帳には慶安三年(1650)年の戒名が記載され、第二世槐翁西堂和尚が元禄七年(1694)9月6日入寂している。(リンク先より) << 戻る 1650.01.01 便り年表
便り 玉雲寺-静岡県島田市 ・玉雲寺 曹洞宗 静岡県島田市伊太584玉雲寺には寺伝もなく開創当初の事やその後の寺歴も伝わらないため、詳しいことは不明ですが、郷士歴や「山西洞家明細鑑」(大房暁著 昭和38年)では、寛永年間の開創とされています。最初は現在の場所より1キロほど北の山中、田代という地に建立され、正保年間(1644~1648年)に現在の地に移転したと伝えられています。(リンク先より)※寛永年間は1624年から1645年 << 戻る 1624.01.01 便り年表
便り 吉祥寺-静岡県静岡市駿河区 ・吉祥寺 曹洞宗 静岡県静岡市駿河区中田本町26-8慶長10年(1605)に千手観世音菩薩尊を御本尊として沓谷長源院第七世在川見昨大和尚により開山されました。大和尚は、夢枕に毘沙門天を見られ、そのお姿を自ら彫刻されました。(リンク先より) << 戻る 1605.01.01 便り年表
便り 正蓮寺-静岡県伊豆の国市 ・正蓮寺 真宗大谷派 静岡県伊豆の国市南江間930法栄山正蓮寺は、1603年開山より400年間法灯を繋ぎ、宗祖親鸞聖人が感動された念仏のみ教えを、現代の世情に合った形で伝えていく寺院です。(リンク先より) << 戻る 1603.01.01 便り年表
便り 海龍寺-静岡県浜松市南区 ・海龍寺 臨済宗妙心寺派 静岡県浜松市南区中田島町272静岡県浜松市の中田島砂丘近くにある海龍寺は禅宗、臨済宗妙心寺派のお寺です。開創は関ヶ原の戦いの一六〇〇年頃と伝わっており(リンク先より) << 戻る 1600.01.01 便り年表
便り 瑞應寺-静岡県浜松市浜北区 ・瑞應寺 臨済宗方広寺派 静岡県浜松市浜北区新原2339-1今から四百十年前、元繩三年十二月末、三方原合戦の際、武田方の武将、新原弥左右衛門尉村一は、当地に以前よりあった岩水寺系の澗泉寺を本陣として、此の地に止まり浜松城へ対陣したが、戦い不利と悟り、徳川家康と和睦し、家康公より此の地を賜わり、自らの姓をとって新原村とした。 村作りの終った文禄二年(一五九四)、麁玉郡奉行新原弥左右衛門尉村一は、甲州より開山巌岫長老を招じて、澗泉寺北西(現地)に十一面観世音菩薩を本尊として寺を建立す。澗泉寺を廃して、臨済宗無文派に改宗し、澗泉山瑞応寺と云う。(リンク先より)<< 戻る 1594.01.01 便り年表
便り 玉泉寺-静岡県下田市 ・玉泉寺 曹洞宗 静岡県下田市柿崎31-6真言宗の草庵であったのを、天正の初め(1580年代)開山一嶺俊栄大和尚の来錫によって曹洞宗に改宗され、現在に及ぶこと440年の歴史を有する古刹であります。嘉永7年(1854年)3月、日米和親条約の締結、同年5月の付録13ヶ条の締結により、当寺は米国黒船乗員の休息所・埋葬所に指定されました。その2年後、安政3年(1856年)タウンゼンド・ハリス総領事、通訳官ヒュースケンが下田に着任し、同年8月玉泉寺を日本最初の米国総領事館として開設しました。境内に星条旗が掲揚され、以来2年10カ月、玉泉寺は幕末開国史の中心舞台となりました。又、それ以前は日露和親条約の交... 1580.01.01 便り年表
便り 東泉寺-静岡県御前崎市 ・東泉寺 曹洞宗 静岡県御前崎市池新田25-1天正八年(1580年)、笠原村龍巣院の住職能天春藝が、この洞仙寺跡に堂宇を建てて、弟子たちと共に移り住みました。時はちょうど、本能寺の変の2年前に当たります。翌九年に笠原村龍巣院末寺「東泉寺」として開創し、ここで寺の基礎を築きました。その頃の当地はまだ住むも少なく、信徒の数も開祖当初はわずかに13戸程度と聞きます。開祖能天春藝は、ここで13年間住職として勤めた後、求められて龍巣院の住職に戻りました。(リンク先より) << 戻る 1580.01.01 便り年表
便り 龍泉寺-静岡県浜松市東区 ・龍泉寺 曹洞宗 静岡県浜松市東区半田山4-18-5開創は不詳。奈良時代、現在の地域に大きな集落があり祈願所が設けられていたことで、およそその頃の開創と推測される。元亀3年(1572年)12月、三方原合戦に敗れた徳川家康公が境内の阿弥陀堂に身を隠し難を逃れたという記録から、それより以前から堂宇が存在していたと思われる。(リンク先より) << 戻る 1572.01.01 便り年表
便り 宝津院-静岡県静岡市葵区 ・宝津院 臨済宗妙心寺派 静岡県静岡市葵区津渡野328春陽意公(永禄九年四月十九日寂)が開基と現在も墓地に ありますが、来歴は正確には分かりません。 しかも、室町時代後期の型式といわれている五輪塔があります。 他にも何基かその頃の作造と思われる石塔があり、 その昔は真言宗の寺院であったかと思われます。(リンク先より)※永禄九年 1566年 << 戻る 1566.04.19 便り年表
便り 瑞龍寺-静岡県静岡市葵区 ・瑞龍寺 曹洞宗 静岡県静岡市葵区井ノ宮町48戦国時代の永禄3年(1560年)、能屋梵藝(のうおくぼんげい)和尚によって開創された曹洞宗の寺です。 能屋梵藝和尚は、現在の静岡市内の沓谷にありました「長源院」の四世・梵梅和尚(ぼんばいおしょう)の法嗣でもありました。(リンク先より) << 戻る 1560.01.01 便り年表
便り 宝福寺-静岡県下田市 ・宝福寺 浄土真宗本願寺派 静岡県下田市下田1-18-26永禄2年(1559)11月、信長の圧迫をのがれ、本願寺第11代顕如並に法孫釈了善、真言を改め開基。文久3年1月16日、宝福寺に滞在中の山内容堂に勝海舟が来山し、坂本龍馬の脱藩の罪の許しを乞い、許される。当日、龍馬は町の旅館にあって、その朗報を待っていた。(リンク先より) << 戻る 1559.01.01 便り年表
便り 報恩寺-静岡県浜松市浜北区 ・報恩寺 臨済宗妙心寺派 静岡県浜松市浜北区宮口1344-1天文23年(1554)開創の寺院。山門は醤油屋長屋門を移設したもの。<< 戻る 1554.01.01 便り年表
便り 香勝寺-静岡県周智郡 ・香勝寺 曹洞宗 静岡県周智郡森町草ケ谷968天文14年(1545)2月18日、一ノ宮領主、武藤刑部守氏定公が寺領を寄付。崇信寺八世全忠大和尚を歓請し開山。札所本尊白龍頭観世音菩薩は、大正時代の中頃、草ヶ谷の観音坂をある行者が通りかかった時に、「この土中には観音さまが埋まっておられるので、すみやかに掘り出して供養なされるがよい」と申された。(リンク先より) << 戻る 1545.01.01 便り年表
便り 慶雲寺-静岡県静岡県清水区 ・慶雲寺 臨済宗妙心寺派 静岡県静岡市清水区上清水町5-28当寺の由緒は、孤峰山福泉寺と号し、武田氏等の兵火に逢い、ただ小堂と五輪の石碑のみ存していた。当時、寺の東側近くは波打ち際であった。たまたま、開山月桂禅師が一宿し、翌朝、諷経後、緑端に座して伊豆の山岳と駿河湾の風光を眺望していると、 堂前に大小二つの雲気が現れ、是れ有縁の霊地なりと深く感じて遂に三宇(本堂・庫裡・書院)を創建した。 この因縁により大小山慶雲寺と改称、時に天文元年(西暦1532年)4月11日のことであった。(リンク先より) << 戻る 1532.04.11 便り年表
便り 秘在寺-静岡県静岡市葵区 ・秘在寺 臨済宗妙心寺派 静岡県静岡市葵区郷島506創建は記録によると、450年程前の天文年間(1532~1554)です。開山様は寶珠護国禅師(1496~1555)で、またの名を臨済寺二世大原崇孚(たいげんすうふ)雪齋長老といいます。軍学に長じ今川義元を補佐し、徳川家康幼少時の勉学の師でした。(リンク先より) << 戻る 1532.01.01 便り年表
便り 一乗寺-静岡県静岡市清水区 ・一乗寺 曹洞宗 静岡県静岡市清水区庵原町1937今よりさかのぼる事およそ600余年前(室町時代以前)、この地の領主であった庵原氏の創建した「善念(然)寺」という真言密教のお寺が、一乗寺の原点と言えます。その後創建された、当寺の前身となる「禅林寺」を、庵原家ゆかりの太原崇孚(たいげんすうふ)和尚が天文年間(1532~1554年)に再建し、現在の「一乗寺」が生まれました。(リンク先より) << 戻る 1532.01.01 便り年表
便り 養命寺-静岡県藤枝市 ・養命寺 浄土宗 静岡県藤枝市本町3-6-35大永三年( 1523年 )に 小田 市郎兵衛という在家の信者が、財や土地を布施し、小田家先祖の供養の為に建立したのが始まりと言われています開山上人 : 長蓮社春譽上人文公)大和尚(リンク先より) << 戻る 1523.01.01 便り年表
便り 宝台院-静岡県静岡市葵区 ・宝台院 浄土宗 静岡県静岡市葵区常磐町2-13-2永正4年(1507)、大本山鎌倉光明寺九世観誉祐崇上人により開創されました。上人は常紫衣沙門の始まりの人で、浄土宗のお十夜法要をはじめて行なった方です。(リンク先より) << 戻る 1507.01.01 便り年表