西国三十三所

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西国三十三所 ネット巡礼

西国三十三所 第一番 那智山青岸渡寺から第二番札所へ順番に進めます。また、逆順に第三十三番札所へ進むことが出来ます。
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総持寺-大阪府茨木市

・総持寺 高野山真言宗 大阪府茨木市総持寺1-6-1・第二十一番 ⇒ 西国三十三所 第二十二番 補陀洛山 総持寺 ⇒ 第二十三番<< 戻る
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観音正寺-滋賀県近江八幡市

・観音正寺 天台宗 滋賀県近江八幡市安土町石寺2・第三十一番 ⇒ 西国三十三所 第三十二番 繖山 観音正寺 ​⇒ 第三十三番当山は1400年前、聖徳太子が繖山の山上にて千手観音を彫み、寺を開かれました。爾来この「お山」は仏教、そして観世音菩薩の聖地として脈々と法灯が受け継がれてまいりました。また1300年前には日本の巡礼信仰の基礎ともなった西国三十三所観音霊場の札所寺院として、現在までに多くの仏教徒の拠り所とされ、現在でも全国から多くの巡礼者が当山へお参りされております。(リンク先より) << 戻る
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中山寺-兵庫県宝塚市

・中山寺 真言宗中山寺派 兵庫県宝塚市中山寺2-11-1・第二十三番 ⇒ 西国三十三所 第二十四番 紫雲山 中山寺 ⇒ 第二十五番北摂の地に、紫雲たなびくと言われる中山寺は、聖徳太子の創建によると伝えられる我が国最初の観音霊場です。(リンク先より) << 戻る
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圓教寺-兵庫県姫路市

・圓教寺 天台宗 兵庫県姫路市書写2968・第二十六番 ⇒ 西国三十三所 第二十七番 書寫山 圓教寺 ⇒ 第二十八番天台宗別格本山 書寫山圓教寺(リンク先より) << 戻る
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清水寺-京都府京都市東山区

・清水寺 北法相宗 京都府京都市東山区清水1丁目294・第十五番 ⇒ 西国三十三所 第十六番 音羽山 清水寺 ⇒ 第十七番清水寺の始まりを記した書物『続群書類従』によると、奈良で修行を積んだ僧、賢心(けんしん)※の夢に白衣の老翁があらわれ「北へ清泉を求めて行け」とお告げをしたことが清水寺の始まりです。 賢心は霊夢に従って北へと歩き、やがて京都の音羽山で清らかな水が湧出する瀧を見つけます。そして、この瀧のほとりで草庵をむすび修行をする老仙人、行叡居士(ぎょうえいこじ)と出会ったのです。行叡居士は賢心に観音力を込めたという霊木を授け「あなたが来るのを待ち続けていた。どうかこの霊木で千手観音像を彫刻...
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醍醐寺-京都府京都市伏見区

・醍醐寺 真言宗醍醐派 京都府京都市伏見区醍醐伽藍町1・第十番 ⇒ 西国三十三所 第十一番 深雪山 上醍醐 准胝堂 (醍醐寺) ⇒ 第十二番平安時代の初期、聖宝理源大師は、自刻の准胝・如意輪両観世音菩薩を開眼供養し、醍醐寺開創の第一歩を上醍醐に標し、以来、醍醐天皇、穏子皇后の帰依のもと、上醍醐に薬師堂を建立、薬師三尊を奉安、鎮護国家のために五大堂を建て、五大明王を奉られました。(リンク先より) << 戻る
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青岸渡寺-和歌山県東牟婁郡

・和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山8番地・第三十三番 ⇒ 西国三十三所 第一番 那智山 青岸渡寺 ⇒ 第二番開基は裸形上人。本尊は如意輪観世音菩薩。那智山は熊野三山の一つ。熊野信仰の霊場として長い歴史がある。もともと那智の滝を中心にした神仏習合の一大修験道場だったが、明治初期に青岸渡寺と那智大社に分離した。今も寺と神社は隣接していて、双方を参拝する人が多い。<< 戻る
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施福寺-大阪府和泉市

・施福寺 天台宗 大阪府和泉市槙尾山町136・第三番 ⇒ 西国三十三所 第四番 槇尾山 施福寺 (槇尾寺) ⇒ 第五番施福寺は槙尾山にあり、南に岩湧山、東に金剛山、北に大阪湾が眺望でき、春は桜、秋は紅葉が楽しめます。<< 戻る
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観音寺-京都府京都市東山区

・観音寺 真言宗泉涌寺派 京都府京都市東山区泉涌寺山内町32・第十四番 ⇒ 西国三十三所 第十五番 新那智山 今熊野観音寺 (観音寺) ⇒ 第十六番<< 戻る
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頂法寺(六角堂)-京都府京都市中京区

・頂法寺(六角堂) 単立 京都府京都市中京区六角通東洞院西入堂ノ前町248・第十七番 ⇒ 西国三十三所 第十八番 紫雲山 六角堂 頂法寺 ⇒ 第十九番<< 戻る
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行願寺-京都府京都市中京区

・行願寺 天台宗 京都府京都市中京区寺町通竹屋町上る行願寺門前町17・第十八番 ⇒ 西国三十三所 第十九番 霊麀山 革堂 行願寺 ⇒ 第二十番<< 戻る
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穴太寺-京都府亀岡市

・穴太寺 天台宗 京都府亀岡市曽我部町穴太東ノ辻46・第二十番 ⇒ 西国三十三所 第二十一番 菩提山 穴太寺 ⇒ 第二十二番<< 戻る
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播州清水寺-兵庫県加東市

・播州清水寺 天台宗 兵庫県加東市平木1194・第二十四番 ⇒ 西国三十三所 第二十五番 御嶽山 播州清水寺 ⇒ 第二十六番<< 戻る
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一乗寺-兵庫県加西市

・一乗寺 天台宗 兵庫県加西市坂本町821-17・第二十五番 ⇒ 西国三十三所 第二十六番 法華山 一乗寺 ⇒ 第二十七番<< 戻る
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長命寺-滋賀県近江八幡市

・長命寺 単立 滋賀県近江八幡市長命寺町157・第三十番 ⇒ 西国三十三所 第三十一番 姨綺耶山 長命寺 ​⇒ 第三十二番<< 戻る
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善峯寺-京都府京都市西京区

・善峯寺 天台宗 京都府京都市西京区大原野小塩町1372・第十九番 ⇒ 西国三十三所 第二十番 西山 善峯寺 ⇒ 第二十一番善峯寺は平安中期の長元2年(1029)源算上人により開かれました。源算上人は比叡山横川の恵心僧都(源信)に師事して、47歳で当山に入り、小堂に御自作の千手観音を本尊として奉安されます。 長元7年(1034)後一条天皇より鎮護国家の勅願所と定められ、「良峯寺」の寺号が下賜されます。長久3年(1042)後朱雀天皇勅命により、洛東鷲尾寺の仁弘法師御作千手観音を当山に遷して本尊とされて、先の観音像を別に祀られました。建久3年(1192)後鳥羽天皇より現在の「善峯寺」の宸額が下賜さ...
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六波羅蜜寺-京都府京都市東山区

・六波羅蜜寺 真言宗智山派 京都府京都市東山区松原通大和大路東入二丁目轆轤町・第十六番 ⇒ 西国三十三所 第十七番 補陀洛山 六波羅蜜寺 ⇒ 第十八番六波羅蜜寺は、天暦5年(951)醍醐天皇第二皇子光勝空也上人により開創された西国第17番の札所である。 当時京都に流行した悪疫退散のため、上人自ら十一面観音像を刻み、御仏を車に安置して市中を曵き回り、青竹を八葉の蓮片の如く割り茶を立て、中へ小梅干と結昆布を入れ仏前に献じた茶を病者に授け、歓喜踊躍しつつ念仏を唱えてついに病魔を鎮められたという。(現在も皇服茶として伝わり、正月三日間授与している)現存する空也上人の祈願文によると、応和3年8月(963...
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華厳寺-岐阜県揖斐郡

・華厳寺 天台宗 岐阜県揖斐郡揖斐川町谷汲徳積23・第三十二番 ⇒ 西国三十三所 第三十三番 谷汲山 華厳寺 ​⇒ 第一番「谷汲さん」の愛称で親しまれる当山は、山号が「谷汲山(たにぐみさん)」、寺号が「華厳寺(けごんじ)」といいます。寺の草創は桓武天皇(737-806)の延暦十七年(798)で開祖は豊然上人、本願は大口大領です。(リンク先より) << 戻る
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三室戸寺-京都府宇治市

・三室戸寺 本山修験宗 京都府宇治市菟道滋賀谷21・第九番 ⇒ 西国三十三所 第十番 明星山 三室戸寺 ⇒ 第十一番宝亀元年(西暦770年)のこと、光仁天皇が宮中に毎夜金色の霊光がさし込むのを御覧になって、この奇瑞を大変お喜びになり、右少弁犬養に勅して、霊光の源を尋ねさせられた。 犬養は都に立ち帰り事の始終を天皇に奏上申し上げると、天皇の叡感殊の外深く、早速宮中に尊像をおむかえになつたが、その後、行表禅師を招き、御室をこの地に移して、この尊像を本尊として安置して御室戸寺と称するよう勅されたのである。(リンク先より)<< 戻る
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粉河寺-和歌山県紀の川市

・粉河寺 粉河観音宗 和歌山県紀の川市粉河2787・第二番 ⇒ 西国三十三所 第三番 風猛山 粉河寺 ⇒ 第四番奈良時代末 宝亀元年(770)の開創。当時、紀伊国那賀郡に住む 猟師大伴孔子古は、いつも幽谷の樹幹に足場を定めて、夜ごと猪や 鹿を狙っていたが、ある晩、光明輝く地を発見、発心してその場所に柴の庵を建てた。(リンク先より) << 戻る
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紀三井寺-和歌山県和歌山市

・紀三井寺 救世観音宗 和歌山県和歌山市紀三井寺1201・第一番 ⇒ 西国三十三所 第二番 紀三井山 金剛宝寺 (紀三井寺)⇒ 第三番奈良朝時代、光仁天皇の宝亀元年(AD770)、唐僧・為光上人によって開基された霊刹です。為光上人は、伝教の志篤く、身の危険もいとわず、波荒き東シナ海を渡って中国(当時の唐国)より到来されました。 そして諸国を巡り、観音様の慈悲の光によって、人々の苦悩を救わんがため、仏法を弘められました。行脚の途次、たまたまこの地に至り、夜半名草山山頂あたりに霊光を観じられて翌日登山され、そこに千手観音様の尊像をご感得になりました。上人は、この地こそ観音慈悲の霊場、仏法弘通の勝地...
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石山寺-滋賀県大津市

・石山寺 東寺真言宗 滋賀県大津市石山寺1-1-1・第十二番 ⇒ 西国三十三所 第十三番 石光山 石山寺 ⇒ 第十四番天平19年(747)、石山寺は聖武天皇の勅願により、良弁僧正が建てられた寺院と伝えられます。良弁僧正は聖武天皇から、東大寺の大仏建立にあたって黄金が不足しているので、黄金の産出を祈願するようにと命じられました。はじめは吉野の金峯山で祈願していた良弁僧正ですが、蔵王権現の夢告を受けて、この石山の地にたどりつきます。そして岩の上に、聖武天皇から預かった聖徳太子の念持仏を祀って祈願したところ、陸奥国で黄金が発見されました。祈願が達成されたため、念持仏を移動させようとしましたが、岩から...
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岡寺-奈良県高市郡

・岡寺 真言宗豊山派 奈良県高市郡明日香村岡806・第六番 ⇒ 西国三十三所 第七番 東光山 岡寺 (龍蓋寺) ⇒ 第八番岡寺の創建は寺伝によるとおよそ1300年前、天智天皇の勅願によって義淵僧正が建立されました。開祖の義淵僧正とは伝説にみちた人で、生年不明(?~728)。(リンク先より) << 戻る
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勝尾寺-大阪府箕面市

・勝尾寺 高野山真言宗 大阪府箕面市粟生間谷2914-1・第二十二番 ⇒ 西国三十三所 第二十三番 応頂山 勝尾寺 ⇒ 第二十四番創建は神亀四年(727)、善仲、善算の双子兄弟が草庵を構え修業されたことに始まる。そののち天平神護元年(765)、光仁天皇の皇子開成が二師出逢い止住し、宝亀六年(775)七月十三日般若台に大般若経六百巻を理経して一寺を建て、彌勒寺と号し、開山に至る。(リンク先より) 開山堂には、善仲、善算と開成皇子の木像が安置され、毎年十月二十九日は宮内庁と本寺で御正辰祭が勤められる。また彌勒寺当時、本堂のあった場所は、いま彌勒菩薩の大仏が大阪平野を見下ろし鎮座されている。宝亀十一...
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葛井寺-大阪府藤井寺市

・葛井寺 真言宗御室派 大阪府藤井寺市藤井寺1-16-21・第四番 ⇒ 西国三十三所 第五番 紫雲山 葛井寺 ⇒ 第六番725年(神亀2年)、聖武天皇の勅願によって、稽文會(け もんえ)・稽主勲(け しゅくん)の親子2代に渡り制作され、行基菩薩により開眼せられたと伝えられる。 堂々とした体躯は奈良時代に流行した脱活乾漆造という技法で造られている。粘土で造った像の原形に麻布を張り漆で固め、漆と木屑を混ぜたもので細かく造形し、粘土を抜き取る。木造や金銅仏に比べて保存が極めて難しく、現存する脱活乾漆仏は大変貴重である。(リンク先より) << 戻る
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宝厳寺-滋賀県長浜市

・宝厳寺 真言宗豊山派 滋賀県長浜市早崎町1664・第二十九番 ⇒ 西国三十三所 第三十番 竹生島 宝厳寺 ​⇒ 第三十一番竹生島宝厳寺は、神亀元年聖武天皇が、夢枕に立った天照皇大神より江州の湖中に小島がある。その島は弁才天の聖地であるから、寺院を建立せよ。すれば、国家泰平、五穀豊穣、万民豊楽となるであろう。というお告げを受け、僧行基を勅使として遣わし、堂塔を開基させたのが始まりです。(リンク先より)※神亀元年 724年 << 戻る
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正法寺-滋賀県大津市

・正法寺 真言宗醍醐派 滋賀県大津市石山内畑町82・第十一番 ⇒ 西国三十三所 第十二番 岩間山 正法寺 (岩間寺) ⇒ 第十三番西国三十三所第十二番、ぼけ封じ近畿十楽 観音霊場第四番札所、びわ湖百八霊場湖西二十七古刹第二番。養老六年(722年)、加賀白山を開いた泰澄大師が元正天皇の33歳の大厄の病を法力により治した褒美として建立したことに始まる元正天皇の勅願寺院である。(リンク先より) << 戻る
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松尾寺-京都府舞鶴市

・松尾寺 真言宗醍醐派 京都府舞鶴市松尾532・第二十八番 ⇒ 西国三十三所 第二十九番 青葉山 松尾寺 ​⇒ 第三十番慶雲年中、唐の僧、威光上人が当山の二つの峰を望んで、中国に山容の似た馬耳山という霊験のある山があったことを想起された。登山したところ、果せるかな松の大樹の下に馬頭観音を感得し、草庵をを結ばれたのが、和銅元年(七〇八年)と伝えられる。(リンク先より) << 戻る
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成相寺-京都府宮津市

・成相寺 橋立真言宗 京都府宮津市成相寺339・第二十七番 ⇒ 西国三十三所 第二十八番 成相山 成相寺 ⇒ 第二十九番成相寺(なりあいじ)は日本三景天橋立を眼下に望む景勝地にあり、元々は日本古来の山岳宗教の修験場で、日本全国にある五つの「聖の住む所」の一つとして信仰を集めてまいりました。慶雲元年(704)に文武天皇の勅願寺として真応上人が創建したと伝えられ、本尊は身代わり観音、美人観音として名高い聖観世音菩薩です。(リンク先より) << 戻る
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壷阪寺-奈良県高市郡

・壷阪寺 真言宗 奈良県高市郡高取町壷阪3・第五番 ⇒ 西国三十三所 第六番 壺阪山 南法華寺 (壺阪寺) ⇒ 第七番創建は寺蔵の『南法花寺古老伝』によると、大宝3年(703)年に元興寺の僧、弁基上人がこの山で修行していたところ、愛用の水晶の壺を坂の上の庵に納め、感得した観音像を刻んでまつったのが始まりと言われる(リンク先より) << 戻る
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長谷寺-奈良県桜井市

・長谷寺 真言宗豊山派 奈良県桜井市初瀬731-1・第七番 ⇒ 西国三十三所 第八番 豊山 長谷寺 ⇒ 第九番当山は山号を豊山(ぶさん)と称し、寺号を長谷寺(はせでら)と言い、正式には豊山神楽院長谷寺と申します。 「隠国(こもりく)の泊瀬(はつせ)」と万葉集にうたわれていますように、この地を昔は豊初瀬(とよはつせ)、泊瀬など美しい名でよばれていたので、初瀬寺、泊瀬寺、豊山寺とも言われていました。朱鳥元年(六八六)道明上人は、天武天皇の銅板法華説相図(千仏多宝仏塔)を西の岡に安置、のち神亀四年(七二七)徳道上人は、聖武天皇の勅を奉じて、衆生のために東の岡に近江高島から流れ出でた霊木を使い、十一面...