臨済宗妙心寺派

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清谷寺-福岡県糟屋郡

・清谷寺 臨済宗妙心寺派 福岡県糟屋郡久山町山田651記録によると清谷寺の開山は大説和尚、中興開山は玉林和尚になります。享禄2年(1529年)博多の安国山 聖福寺の東部寺院として末寺になりました。(リンク先より) << 戻る
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永正寺-愛知県江南市

・【公式】江南 永正寺 臨済宗妙心寺派 愛知県江南市高屋町中屋舗46永正寺(高屋山永正寺・こうおくさんえいしょうじ)は、永正元年(1504年)に開創された、臨済宗妙心寺派の寺院です。所在地・江南市は、愛知県北県境を流れる木曽川の南に位置します。(リンク先より) << 戻る
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長勝寺-大分県大分市

・長勝寺 臨済宗妙心寺派 大分県大分市三川下2-6-23文亀元(1502)年に、喜峰禅悦という和尚様をご開山にお迎えして、亀王の地(現在の西公園付近)に大友統(のり)清(きよ)公によって創建されました。本尊は地蔵菩薩さまです。創建当初は建長寺派であったと伝えられています。(リンク先より) << 戻る
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泰岳寺-愛知県春日井市

・寶雲山泰岳寺 臨済宗妙心寺派 愛知県春日井市上条町10-198泰岳寺の開創は室町時代の文明18年(1486年)で、開山仁済禅師の五十二歳の時でした。当時は上条村とよばれていた現在の泰岳寺の地に、林彦右衛門尉重緒氏が子孫の繁栄を願って、仁済宗恕禅師を招請して泰岳寺を開創しました。(リンク先より) << 戻る
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瑞雲院-岐阜県岐阜市

・瑞雲院 臨済宗妙心寺派 岐阜県岐阜市寺町19開山は天縦宗受(てんしょうそうじゅ)大和尚。金寶山瑞龍寺は1468年(応仁2年)後土御門天皇の御代にときの守護代斉藤妙椿(みょうちん)が主君の美濃守護、土岐成頼の菩提所として建立、悟渓宗頓(ごけいそうとん)国師を迎えて開山とした(瑞龍寺誌)。(リンク先より) << 戻る
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瑞龍寺-岐阜県岐阜市

・瑞龍寺 臨済宗妙心寺派 岐阜県岐阜市寺町19応仁二年(一四六八)美濃の国守斉藤利藤公(妙椿大居士)が、主君・土岐成頼公菩提の為当時大徳とあおがれた、悟渓宗頓禅師を迎え開いた。古く飛鳥時代より中林寺、厚見寺などと称した天台宗の寺が在り、その後廃寺となっていた由緒のあるところであった。妙心寺四派中の東海派の祖、悟渓宗頓禅師は荒廃していた寺域を修し、文明二年(一四七〇)に七堂伽藍を完成した。(リンク先より) << 戻る
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長慶寺-山梨県都留市

・長慶寺 臨済宗妙心寺派 山梨県都留市夏狩240当山は最初、寛正三年、(西暦一四六二)天台宗の行者、大淵阿闍梨様により開かれ、長慶庵という小さな寺でした。 その後元亀元年、(西暦一五七〇)鎌倉建長寺の僧、五峯東源禅師が堂宇を造営し庵を寺と改め天台宗を臨済宗に改宗して出来たのが現在の長慶禅寺です。(リンク先より) << 戻る
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安國寺-沖縄県那覇市

・安國寺 臨済宗妙心寺派 沖縄県那覇市首里寒川町1-2文永年間の頃何国の僧とは不相知、禅鑑と申僧小船より那覇へ漂着いたし寺を浦添間切に創建、極楽寺と名付侯由、是寺の始めの由御座候。(琉球一件帳〈仏寺ノ初〉雍正拾五年〔西暦一七三二年〕読み下し文)より、この文章が沖縄仏教の始まりであり(英祖六年〔西暦一二六五年〕)これより二百年の後に太平山安國寺は首里の地に創建(天順元年〔西暦一四五七年〕)(リンク先より) << 戻る
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退蔵院-京都府京都市右京区

・退蔵院 臨済宗妙心寺派 京都府京都市右京区花園妙心寺町35(1404年)、室町時代の応永年間に当時の京洛に居を構えた波多野出雲守重通が高徳のきこえ高い妙心寺第3世をつとめる無因宗因禅師への深い帰依によって、無因宗因禅師を開山として建立されました。これが退蔵院のはじまりです。(リンク先より) << 戻る
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圓福寺-秋田県潟上市

・圓福寺 臨済宗妙心寺派 秋田県潟上市昭和大久保槐川端22-1寺伝によれば、応永年中(1394-1427)、現在の阿弥陀堂地区の肝煎伊兵衛により阿弥陀如来の金銅仏を土中から発掘し、草庵を建て安置したのが開創の端緒である。文禄年中(1592-95)大久保村に移転、壽峰宗寿和尚を開山として、祿壽山圓福寺と称した。 本尊仏は華厳釈迦三尊佛 (釈迦、文殊、普賢)で、藤原成長作と伝えられている。(リンク先より) << 戻る
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崇福寺-岐阜県岐阜市

・崇福寺 臨済宗妙心寺派 岐阜県岐阜市長良福光2403-1太白真玄の『峨眉鴉臭集』の一文により、明徳元年(1390)春に、壇越土岐満康が 太清宗渭たいしんそうい (京都・相国寺 塔頭たっちゅう 雲頂院開祖)の直弟、 竜潭宗濬りゅうたんそうえい を住持に詔請した。しかし、多忙のため、その師弟太白真玄にその地位を譲ったため、 太白真玄が赴任し開山となり、大寿山崇福寺が整備されていったことがわかる。(リンク先より) << 戻る
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西福寺-静岡県浜松市浜北区

・西福寺 臨済宗妙心寺派 静岡県浜松市浜北区平口523至徳二年1385年の棟札が有ったことから、その頃にはこの地に開かれていたと思われます。その後文安元年1444年 浜松市北区、大本山方廣寺開山 無文元選禅師円明大師を開山に請じ現在に至ります。(リンク先より) << 戻る
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長昌寺-長野県上田市

・長昌寺 臨済宗妙心寺派 長野県上田市長瀬2604永和三年、佐久市安原安養寺中興正眼智鑑禅師大歇勇建和尚の開創と伝わる。その後、250年以上の永きに渡り住持するものがなく堂宇頽廃す。正保元年(1644)に鎌倉建長寺より雲峰和尚が現在の地に再興し、當寺第一世となる。元禄二年(1689)に第三世國全和尚が遷化したのち、再び無住となり荒廃す。この間、佐久安養寺に属し、享保九年(1724)妙心寺派となる。 江戸牛込の済松寺より洪勳成満禅師頑石慧堅和尚が来て當寺第四世伝法開山となって後は寺門も興隆し、現在に至る。(リンク先より)※永和三年 1377年<< 戻る
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禅源寺-愛知県稲沢市

・禅源寺 臨済宗妙心寺派 愛知県稲沢市稲葉1-6-2永和2(1376)年、南禅寺四十七世、太清禅師の建立と伝えられます。室町時代中期、京都の相国寺鹿苑院の蔭涼軒主による公用日記「蔭涼軒日録」に寺名が記されるなど、いにしえより人々の心の拠り所として知られる場に。(リンク先より) << 戻る
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平林寺-埼玉県新座市

・平林寺 公式サイト 臨済宗妙心寺派 埼玉県新座市野火止3-1-1金鳳山平林寺(きんぽうざんへいりんじ)は、永和元年(1375)、今からおよそ650年ほど前の南北朝時代、武蔵国(むさしのくに)埼玉郡、現在のさいたま市岩槻区に創建されました。開基は、禅に深く帰依していた大田備州守春桂蘊沢居士(おおたびっちゅうのかみしゅんけいうんたくこじ)、開山には鎌倉建長寺住持で、書や偈頌(げじゅ)に優れていた当代の高僧、石室善玖(せきしつぜんきゅう)禅師が迎えられました。(リンク先より) << 戻る
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大徳寺-滋賀県東近江市

・大徳寺 臨済宗妙心寺派 滋賀県東近江市能登川町378応安2年(1369)に、臨済宗東福寺派の禅寺として創建された。開山は、京都五山の東福寺第五十世として住持した禅僧、大方源用禅師(1314~1390)である。創建後大徳寺は、室町期を通して五山派の禅寺として発展する。応永33年(1426)には室町幕府四代将軍の足利義持から公事臨時課役免除をうけており、その御教書は、今に大徳寺に蔵されている。(リンク先より) << 戻る
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光明寺-栃木県足利市

・光明寺 臨済宗妙心寺派 栃木県足利市田島町1717光明寺は仏満禅師大喜法忻大和尚を開山として建立されたお寺です。建立の正確な年代は不明ですが、仏満禅師示寂の年が西暦1368年と伝わることから創建はその後10年を超えない間では無いかと考えられます。(リンク先より) << 戻る
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龍興寺-大分県大分市

・龍興寺 臨済宗妙心寺派 大分県大分市徳島1丁目7−27創建は延文3年(1358)7代大友氏泰が大野川を遡った川添の聚楽に建立し、高獄禅師を開山に招いた祈願寺でした、しかし宗麟の代に重臣吉岡宗歓が鶴崎に居城を構え、城下の整備に着手したとき龍興寺を近くの三軒町に移転。(リンク先より) << 戻る
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法雲寺-静岡県富士市

・法雲寺 臨済宗妙心寺派 静岡県富士市今泉5-6-48創建は室町時代初期の文和2年(西暦1353年)、鎌倉 建長寺の僧 用堂和尚がこの地を訪れた際、岩石が重畳し清水が湧き希に見る素晴らしい景観であったことに魅せられ、錫を留めて寺を建て、法雲寺と称したとされています。その後、この地を治めていた戦国武将の今川家・徳川家の庇護を受け、寺運は盛んとなりました。(リンク先より) << 戻る
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報恩寺-千葉県佐倉市

・報恩寺だるま寺 臨済宗妙心寺派 千葉県佐倉市下志津841創建は14世紀前半(1350年頃)で、以降この下志津の地と共に歴史を重ねてきております。本堂には4000体以上のだるまさん、本堂の西側には竹林、緑豊かな境内です。(リンク先より) << 戻る
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宝珠寺-静岡県磐田市

・宝珠寺 臨済宗妙心寺派 静岡県磐田市豊島668創立は観応元年(一三五〇)。初めは鎌倉の円覚寺派に属していましたが、江戸時代初期に妙心寺派となりました。天正十八年十二月二十三日太閤秀吉公より寺領三十二石九斗五升御配分御判物を賜ります。 (リンク先より) << 戻る
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掲諦寺-大分県速見郡

・掲諦寺 臨済宗妙心寺派 大分県速見郡日出町大字豊岡3460室町時代初頭の1346年に建立され、ご本尊さまは、『オン コロコロ センダリマトウギソワカ』の御真言で有名な薬師瑠璃光如来(お薬師さん)であります。羯諦寺の開山さまは、豊後国太田村出身の南溟殊鵬和尚です。南溟殊鵬和尚は 天皇陛下から諡として佛照大光禅師を頂いております。(リンク先より) << 戻る
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洞泉寺-岐阜県山県市

・洞泉寺 臨済宗妙心寺派 岐阜県山県市高富688延元四年(一三三九)、南朝の後醍醐天皇朝臣杉山義祐が根尾城にて戦死した。(リンク先より) << 戻る
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圓光寺-山梨県山梨市

・圓光寺 臨済宗妙心寺派 山梨県山梨市牧丘町杣口1092開創は暦應年中(1338年頃)。当山は、七朝帝師夢窓疎石によって開創される。開基は足利尊氏。本尊は十一面観世音菩薩、鎮守は富士浅間大菩薩。(リンク先より) << 戻る
仏教を本気で学ぶ

妙心寺派(本山妙心寺(京都))の開派

南朝:延元2・北朝:建武4(1337)年、関山恵玄禅師により始まる。末寺3400ケ寺を持つ臨済宗最大の宗派。臨済宗妙心寺派(楊岐派の禅)。<< 戻る
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清白寺-山梨県山梨市

・清白寺 臨済宗妙心寺派 山梨県山梨市三ケ所620清白寺は、寺蔵の「仏殿沿革調査書」(明治39年〔1906〕)によると、足利尊氏が開基し、夢窓国師(疎石)を開山として、正慶2年(1333)に創立されたと伝わる臨済宗の寺院です。(リンク先より) << 戻る
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妙光寺-愛知県一宮市

・妙光寺 臨済宗妙心寺派 愛知県一宮市大字笹野字宮西1260正慶元年(1332年)義海和尚が鎌倉の円覚寺より来て、一山を開いたことが始まりです。橘康武氏が永和四年(1378年)、寺の所領として田畑を寄進しました。それにより、萬松山と号し、寺号を妙光寺としました。永正元年(1504年)に、京都妙心寺の蘭室和尚の弟子の笑溪和尚が住職となり、以降五百年に渡り臨済禅の法燈を脈々と受け継いでまいりました。(リンク先より) << 戻る
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法泉寺-山梨県甲府市

・法泉寺 臨済宗妙心寺派 山梨県甲府市和田町2595後醍醐天皇の元徳2(1330)年、当時甲斐国主であった武田家第七代の信武公が、夢窓国師の高弟であった月舟禅師を招いて創建しました。従って、本来ならば月舟禅師が初祖となる訳ですが、禅師は自ら二世を称して、恩師の夢窓国師を開山としました。 開山後は夢窓国師を中心とする五山派の官寺となり、室町幕府の保護を受けていたものと思われますが、応仁の乱以後幕府の勢力が衰えると共に、五山派も著しく衰微し、以後武田信玄公が甲斐国主となるまでの約200年間の当山の歴史は明らかではありません。(リンク先より)<< 戻る
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保寧寺-埼玉県加須市

・保寧寺ホームページ 臨済宗妙心寺派 埼玉県加須市日出安1286当寺は東安山と号し、本尊に釈迦如来像を奉安する。元徳2年(1330年)に玉山徳旋によって、禅寺として開山されたという。天正19年(1591年)には、時の騎西城主松平康重から田畑一町歩の寄進を受けている。これは当寺の中興開山である南雄和尚に帰依してのことで、後に歴代徳川将軍から寺領十石の御朱印を賜っている。(リンク先より) << 戻る
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恵林寺-山梨県甲州市

・恵林寺 臨済宗妙心寺派 山梨県甲州市塩山小屋敷2280元徳2年(1330)に、甲斐牧ノ庄(かいまきのしょう)の地頭職(じとうしょく:領主)をつとめていた二階堂出羽守貞藤(にかいどうでわのかみさだふじ:道号は道蘊 どううん)が、夢窓国師を招き、自邸を禅院とし創建しました。(リンク先より) << 戻る
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高源寺-兵庫県丹波市

・高源寺 臨済宗妙心寺派 兵庫県丹波市青垣町檜倉514高源寺は、1325年(鎌倉時代)に遠渓祖雄(えんけいそゆう)禅師によって開創された、臨済宗中峰派(りんざいしゅうちゅうほうは)(幻住派(げんじゅうは)とも)の本山です。甲斐(山梨)の栖雲寺(せいうんじ)が東天目と呼ぶのに対して、高源寺は西天目(にしてんもく)と呼ばれ、丹波屈指の名刹として知られています。(リンク先より) << 戻る
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善応寺-栃木県河内郡

・善応寺 臨済宗妙心寺派 栃木県河内郡上三川町上三川50991320年(元応2年)、上三川城主横田貞朝が、上三川城内に善應寺を建立し、菩提寺とする。1379年(康暦元年)、横田家累代の墓(町指定文化財)の宝篋印塔が作られる。(リンク先より) << 戻る