臨済宗妙心寺派

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蔭凉寺-岡山県岡山市北区

・蔭凉寺 臨済宗妙心寺派 岡山県岡山市北区中央町10-28大樹山蔭凉寺(だいじゅざん いんりょうじ)は寛永9年創建の禅宗寺院で、臨済宗妙心寺派に属します。葬儀中心の仏教に留まらず「今を、どう生きるか」をテーマに、音楽やアートによる「豊かな心」創りに取り組んでおり、安心(あんじん)への方便として、様々な文化活動を行っています。(リンク先より)※寛永9年 1632年 << 戻る
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金龍寺-広島県広島市中区

・金龍寺 臨済宗妙心寺派 広島県広島市中区小町9-37元和5年(1619)紀州の国より、浅野長晟公が安芸の国の国主として入国され、以後、治世13年目の寛永9年(1632) 浅野長晟公に藩政を委ねるにあたり、物故家老今中将藍光相の功績を忍び、その菩提を弔うため、紀州の国の名刹、金龍寺を移設、寺領を旧国泰寺東に定め、ここに堂塔を建立し〈寳珠山金龍禪寺〉と号しました。(リンク先より) << 戻る
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天竜院-東京都台東区

天竜院 臨済宗妙心寺派 東京都台東区谷中4-4-33寛永7年(1630)に梅嵓(ばいがん)が創建しました。江戸時代には正月に梅の花を幕府に献上していた寺院です。蘭法医の伊藤玄朴(いとうげんぱく)の墓などがあります。天龍院とも表記。 << 戻る
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常高寺-福井県小浜市

・常高寺 臨済宗妙心寺派 福井県小浜市浅間1常高寺は、江戸時代初期の小浜藩主京極高次の妻、常高院(お初の方、信長の妹お市の方の次女)の発願によって建立された寺であります。寛永七年(1630年)に建設に着手し、小浜出身の槐堂周虎(かいどうしゅうこ)禅師を迎えて開山しました。(リンク先より) << 戻る
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丈六寺-大分県豊後大野市

・丈六寺 臨済宗妙心寺派 大分県豊後大野市三重町秋葉1274・古くは極楽寺と称し、一丈六尺の阿弥陀如来を安置していたことから、後に丈六寺になったといわれている。・天正年間の薩摩軍の侵攻により丈六仏と共に消失。・約40年後の寛永5年(1628年)実傳受眞が創建。(リンク先より) << 戻る
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法泉寺-岩手県盛岡市

・法泉寺 臨済宗妙心寺派 岩手県盛岡市北山2-16-8盛岡の法泉寺は、江戸時代前期(1624年~44年)、東禅寺の住職・東岩和尚によって開かれました。それから数十年を経て寛文十一年(1671年)、南部第二十九代重信公が、第三十代行信公の母堂の菩提のために建立(再興)して、法泉寺と称したとされます。(リンク先より) << 戻る
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林昌寺-愛知県春日井市

・薬師山 林昌寺 臨済宗妙心寺派 愛知県春日井市林島町105約400年続く文化的資産として地域に根差し、ご縁ある皆さまとのつながりを大切にしていきます。設立日 元和5年(西暦1619年)(リンク先より) << 戻る
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慈眼院-沖縄県那覇市

・慈眼院 臨済宗妙心寺派 沖縄県那覇市首里山川町3-1寺院の創立縁起は、琉球王朝時代、佐敷王子(のち尚豊王)が人質として薩摩に連れて行かれた際、父・尚久王は息子が無事帰国できたら首里の地に「観音堂」(観音様をお祀るお堂)を建てることを誓願されました。その後、無事帰郷したので、1618年、首里の萬歳嶺という丘(高台)に観音堂を建て、その南に、慈眼院を建立しました。(リンク先より) << 戻る
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清昌寺-岐阜県多治見市

・清昌寺 臨済宗妙心寺派 岐阜県多治見市笠原町3546清昌寺の創建は、元和二年(1616年)と伝えられています。開基である笠原の陶祖、加藤治郎太夫は、窯業の繁栄と子孫の幸せを願って、虎渓山永保寺より白嶺清公禅師をお招きして小庵を建て「白雲山清昌寺」と称し、念持仏であった十一面観世音菩薩をお祀りして祈願せられました。(リンク先より) << 戻る
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傑山寺-宮城県白石市

・傑山寺 臨済宗妙心寺派 宮城県白石市南町2-7-20山号 常英山(じょうえいざん)寺号 傑山寺(けっさんじ)宗派 臨済宗妙心寺派開基 初代片倉小十郎景綱公 元和元年(1615)10月14日没第四世住職 泰巌宗哦和尚禅師 戒名 「傑山常英大禅定門」諡(おくりな)「傑山寺殿俊翁常英大居士」開山 臨済宗妙心寺派 天心智寛大和尚 慶長13年(1608年)本尊 拈華釈迦如来立像脇本尊 迦葉尊者(本尊に向かって右側)阿難尊者(本尊に向かって左側)四天王 東方に持国天 南方に増長天 西方に広目天 北方に多聞天(毘沙門天)(リンク先より) << 戻る
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桂蔵寺-宮城県黒川郡

・桂蔵寺 臨済宗妙心寺派 宮城県黒川郡大郷町川内字下堰場12桂蔵寺は、慶長19年(1614)瑞巌寺の前身円福寺80世廣天青(こうてんせい)和尚が天台宗の寺院であった当寺を臨済宗として小規模ながら再建いたしました。その由縁から廣天青和尚を開創としています。また、その時無住であった本堂に桂の木でできた地蔵菩薩が本尊としてまつられていたため、桂蔵寺と寺号を称し、鎮守として日光菩薩、月光菩薩をお祀りしていたことから山号を「日月山」としました。(リンク先より) << 戻る
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万松院-沖縄県那覇市

・万松院 臨済宗妙心寺派 沖縄県那覇市首里当蔵町3-4-11613年(万歴ばんれき41年)琉球王家第二尚氏の菩提寺である円覚寺(首里)。その円覚寺の住職・カ翁周航禅師は住職を引退してから、現在の万松院付近に『岩頂山万松院』というお寺を建てて、隠居寺としてそこに住んだ。(リンク先より) << 戻る
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禅台寺-岐阜県可児市

・禅台寺 臨済宗妙心寺派 岐阜県可児市下惠士2838-1禅台寺は法源寺である真禅寺の開山、純庵和尚が約700年前に草庵を建てたのが始まりとされる後に慶長13年(1608)徳野に封ぜられた平岡石見守が開基して菩提寺とした。その後久しく荒廃するが、元禄2年(1689)真禅寺第10世南栄和尚を招き、元禄7年(1694)哲叟和尚が諸堂を再建する。(リンク先より) << 戻る
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大雄院-京都府京都市右京区

・大雄院 臨済宗妙心寺派 京都府京都市右京区花園妙心寺町52大雄院(だいおういん)は、大本山妙心寺山内の北に位置し、慶長八年(1603年)石河紀伊守光元(竜野城主)の長子石河市正光忠(のちの尾張藩名古屋城代 太郎八当時9歳)により父光元公の菩提を弔うために菩提所として創建されたもので、慧南玄譲を開祖とする。慧南玄譲は光忠の叔父にあたり、石河氏の菩提寺美濃乙津寺、二世蘭叔玄秀の法孫であって、慧南は蘭叔玄秀を当院の歓請開山としています。(リンク先より) << 戻る
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光陽寺-愛知県犬山市

・瑞林山 光陽寺 臨済宗妙心寺派 愛知県犬山市大字今井字寺ノ前6当寺の最初の起源については不明ですが、村自体が平家の落人部落と伝承されており、実際は相当古いと思われます。正式には慶長七年(1602)、当時尾張に勢力を振るっていた犬山瑞泉寺の住職を初代に迎え臨済宗寺院となったのを開創としております。(リンク先より) << 戻る
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多福寺-大分県臼杵市

・多福寺 臨済宗妙心寺派 大分県臼杵市大字二王座191多福寺は、慶長6年(1601)臼杵第2代藩主稲葉典通公が、駿府(静岡)臨済寺鐵山宗鈍禅師の法嗣、了室宗密禅師を開祖に請うて創建した禅寺です。鐵山禅師は天文元年、甲斐国上条(甲府市)武田信玄の臣窪田氏の子で、幼くして恵林寺で出家しましたが、天文18年臨済寺の太原崇孚に参じ、太原寂の後更に同寺の東谷宗杲に随侍し印可を受けた人です。(リンク先より) << 戻る
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禅源寺-茨城県北茨城市

・禅源寺 臨済宗妙心寺派 茨城県北茨城市関本町富士ケ丘1463禅源寺の由緒として正式な文書は失われてしまいましたが、1600年代の創建より400余年の年月を経た臨済宗妙心寺派の寺院です。(リンク先より) << 戻る
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海龍寺-静岡県浜松市南区

・海龍寺 臨済宗妙心寺派 静岡県浜松市南区中田島町272静岡県浜松市の中田島砂丘近くにある海龍寺は禅宗、臨済宗妙心寺派のお寺です。開創は関ヶ原の戦いの一六〇〇年頃と伝わっており(リンク先より) << 戻る
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珠泉院-岐阜県岐阜市

・珠泉院 臨済宗妙心寺派 岐阜県岐阜市三田洞東3-25-1慶長年間(1596~1615)に淳岩和尚によって粟野の地に創建される。昭和48年現在の三田洞東の地に移設される。(リンク先より) << 戻る
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松岩寺-埼玉県熊谷市

・松岩寺 臨済宗妙心寺派 埼玉県熊谷市本石1-102松岩寺は慶長元年(1596年)に喜庵西堂和尚によって開創された、 臨済宗妙心寺派の禅寺です。開創以来いくたびかの火災にあい、詳しい寺史は明かではありません。(リンク先より) << 戻る
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徳源寺-愛知県名古屋市東区

・蓬莱山 徳源寺 臨済宗妙心寺派 愛知県名古屋市東区新出来1-1-19(1592)織田信長の次男信雄が、熱田に忠嶽(ちゅうがく)和尚を請じて、 徳源寺の前身である「清涼山宝泉寺」を開創したのが始まりである。寛文2年(1662)に昭和区石仏へ移り、「蓬莱山徳源寺」と改称した。(リンク先より) << 戻る
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長徳禅寺-兵庫県明石市

・長徳禅寺 臨済宗妙心寺派 兵庫県明石市二見町東二見1695長徳禅寺は安土桃山時代・天正十一年(1583年)創建である。江戸末期頃に無住時代があり、古文書等がなく、寺の歴史の詳細は不明である。山門は、享保四年(1719年)建立である。 本尊は、釈迦牟尼仏で、脇侍に阿難尊者と迦葉尊者の三尊仏を配す。(リンク先より) << 戻る
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實相寺-香川県高松市

・實相寺 臨済宗妙心寺派 香川県高松市三谷町1811-1ご本尊は聖観世音菩薩をお祀りしています。創建は不明で、かつては天台宗で香川郡浅野村にありましたが、16世紀後半の天正年間に戦火にて焼失。その後、17世紀前半の寛永年間に讃岐十八万石四代藩主、生駒高俊公によって高松三番丁に移転再興され、浄土宗に改宗、寺号を法昌寺と改めたようです。(リンク先より)※天正年間 1573年から1593年 << 戻る
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善勝寺-埼玉県鴻巣市

・善勝寺 臨済宗妙心寺派 埼玉県鴻巣市境147善勝寺は山号を東光山と称し、天正年間(1573~1592)豊臣秀吉の時代に創建された禅寺で、開山は清庵祖銀禅師(~1595)です。臨済宗妙心寺派に属し、本山は京都花園妙心寺です。お釈迦様の正法を相承(うけつ)がれた初祖達磨大師、宗祖臨済禅師、さらに妙心開山無相大師に及ぶ一流の禅を宗旨および教義とします。(リンク先より) << 戻る
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宝津院-静岡県静岡市葵区

・宝津院 臨済宗妙心寺派 静岡県静岡市葵区津渡野328春陽意公(永禄九年四月十九日寂)が開基と現在も墓地に ありますが、来歴は正確には分かりません。 しかも、室町時代後期の型式といわれている五輪塔があります。 他にも何基かその頃の作造と思われる石塔があり、 その昔は真言宗の寺院であったかと思われます。(リンク先より)※永禄九年 1566年 << 戻る
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紫雲寺-愛知県豊橋市

・高足山 紫雲寺 臨済宗妙心寺派 愛知県豊橋市高師本郷町字榎48-1当寺過去帳歴代住持の部に「当庵中興用岳玄公首座」の方名を筆頭に記してある点からみて、それ以前荒廃していたものを玄公首座が再興、東観音寺末としたものとされる。玄公首座は永禄7年(1564年)示寂。(リンク先より) << 戻る
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龍福寺-岐阜県加茂郡

・龍福寺 臨済宗妙心寺派 岐阜県加茂郡富加町加治田135-1加治田城主佐藤紀伊守の母が、弘治三年(一五五八)、龍福庵を開いたことを始めとしている。その後紀伊守は永禄九年(一五六六)、母を、堂洞城合戦、関合戦で娘、息子を亡くし菩提を弔うために庵を拡張して龍福寺を建立する。天猷玄晃を創建開山に、その師蘭畹玄秀を勧請開山とする。(リンク先より) << 戻る
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報恩寺-静岡県浜松市浜北区

・報恩寺 臨済宗妙心寺派 静岡県浜松市浜北区宮口1344-1天文23年(1554)開創の寺院。山門は醤油屋長屋門を移設したもの。<< 戻る
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太寧寺-山梨県甲斐市

・太寧寺 臨済宗妙心寺派 山梨県甲斐市吉沢215開基 役の行者・神変菩薩 年限未詳開山 勅謚大法禅師竺仙梵僊大和尚1550年頃 再開基 武田信玄の将・馬場美濃守(法号 乾叟自元大居士)天正元年(1573年)頃、鎌倉建長寺の末寺から離脱し、京都花園妙心寺の末寺となる。(リンク先より) << 戻る
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永弘院-愛知県名古屋市千種区

・永弘院 臨済宗妙心寺派 愛知県名古屋市千種区上野1-4-18戦国時代の天文7年(1538年)に、信州小笠原家の後裔である下方氏一族の下方貞清が義雲祖嚴を開山とし、居城である上野城の北東にある藥師堂に祀られていた薬師如来を本尊として寺院を建立した。貞清は、戦乱の世が進み戦場を駆け巡る日々が多くなると、武運長久と一族の安穏を祈願する為に信仰していた勝軍地蔵菩薩を祀るための堂を寄進し、寺を心の拠り所とした。(リンク先より) << 戻る
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慶雲寺-静岡県静岡県清水区

・慶雲寺 臨済宗妙心寺派 静岡県静岡市清水区上清水町5-28当寺の由緒は、孤峰山福泉寺と号し、武田氏等の兵火に逢い、ただ小堂と五輪の石碑のみ存していた。当時、寺の東側近くは波打ち際であった。たまたま、開山月桂禅師が一宿し、翌朝、諷経後、緑端に座して伊豆の山岳と駿河湾の風光を眺望していると、 堂前に大小二つの雲気が現れ、是れ有縁の霊地なりと深く感じて遂に三宇(本堂・庫裡・書院)を創建した。 この因縁により大小山慶雲寺と改称、時に天文元年(西暦1532年)4月11日のことであった。(リンク先より) << 戻る
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秘在寺-静岡県静岡市葵区

・秘在寺 臨済宗妙心寺派 静岡県静岡市葵区郷島506創建は記録によると、450年程前の天文年間(1532~1554)です。開山様は寶珠護国禅師(1496~1555)で、またの名を臨済寺二世大原崇孚(たいげんすうふ)雪齋長老といいます。軍学に長じ今川義元を補佐し、徳川家康幼少時の勉学の師でした。(リンク先より) << 戻る