「 江戸時代 」 一覧

年表

寺院センターが情報収集した寺院など仏教年表をまとめています。宗派、出来事と時代のタグで分け、投稿日を出来事に合わせていますが、月日が分からない多くの場合で「1月1日」に設定しています。大正時代, 天台 ...

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戊辰戦争

1868年、西郷隆盛と幕府の勝海舟との話し合いによって、江戸は戦火から守られたが、徳川慶喜に対する朝廷の処置に不満をもった旧幕府側の大名や武士たちは、薩長を中心とする新政府と対立し、各地で反抗した。鳥 ...

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江戸城開城

1868年、江戸城開城。 << 戻る

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五箇条の御誓文

1868年、五箇条の御誓文が発せられる。新政府の政治の方針。天皇が神に誓うというかたちで発表された。同時に民衆に対し、五榜の掲示。 << 戻る

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王政復古の大号令

1867年、王政復古の大号令 << 戻る

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大政奉還

1867年、前土佐藩主の山内豊信は、坂本竜馬らの意見をとり入れ、15代将軍徳川慶喜に政権を朝廷に返すようすすめた。慶喜はこれを受け入れ、大政奉還を申し出た。これによって約260年続いた江戸幕府はたおれ ...

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徳川慶喜が第15代将軍となる

1866年、家持が死去し、徳川慶喜が第15代将軍となる。 << 戻る

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薩長連合

1866年、薩摩藩と長州藩が連合する(薩長連合)。土佐藩出身の坂本竜馬のなかだちで、薩摩藩代表の西郷隆盛・大久保利通、長州藩の木戸孝允らがひそかに軍事同盟を結び、岩倉具視ら京都の公家らも加わり、幕府を ...

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福沢諭吉「西洋事情」

1866年、福沢諭吉が「西洋事情」を著す。 << 戻る

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物価が上がり、各地で打ちこわしが起こる

1865年、物価が上がり、各地で打ちこわしが起こる。 << 戻る

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長州征伐(第二次)

1865年、幕府は、尊王攘夷論の中心であった長州藩をたおそうと2度にわたって出兵し、1度目は降伏させたが2度目は失敗に終わった。 << 戻る

禁門の変(蛤御門の戦い)による戦火に巻き込まれる

1864(元治元)年7月、禁門の変(蛤御門の戦い)による戦火のため、東本願寺両堂以下諸堂焼失。 << 戻る

弘源寺

本堂は客殿形式で寛永年代の造営です。正面中央には本尊観世音菩薩、右側に開山である玉岫禅師木像、左側に開基である細川右京太夫持之公の位牌を祀っています。 柱に残る刀傷は、京都御所蛤御門の変(1864)に ...

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長州征伐(第一次)

1864年、長州征伐(第一次)。 << 戻る

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下関事件

1864年、アメリカ、イギリスなど4か国の艦船が下関を砲撃、占領する。 << 戻る

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蛤御門の変

1864年、長州藩士が京都御所を襲う(蛤御門の変)。 << 戻る

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薩英戦争

1863年、生麦事件への報復として、イギリスが鹿児島湾を砲撃する。 << 戻る

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公武合体運動

1862年、孝明天皇の妹・和宮が将軍家持と結婚し、公武合体運動がすすめられる。公武合体の動きに対して、薩摩藩と長州藩では尊王攘夷論がますます強まった。 << 戻る

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生麦事件

1862年、横浜近くの生麦村で、薩摩藩士がイギリス人を殺傷。 << 戻る

法光寺

明治10年以前の、法光寺に関する史実については、詳細の資料がないので明らかではないが、当地方の巡教は、道仙和尚によって行われたと思われる。この地方の曹洞宗は、えりも岬に説教所のようなものが文久時代(1 ...

清正公寺-東京都中央区

  清正公寺 日蓮宗 東京都中央区日本橋浜町2-59-2 この場所は江戸時代には細川藩の下屋敷があったところで、文久元年(1861年)、細川斎護が熊本の日蓮宗本妙寺から勧請して創建しました。 ...

龍澤寺

龍澤寺は、幕末安政の頃、記録には文久元年(西暦1861年)に函館市高龍寺第十八世住職大光海雲大和尚を勧請開山し開闢開山(初代住職)に萩原泰能師(後に古潭神社神主)を迎え、開基様(龍澤寺建立発願者)であ ...

西光寺の創建

万延元年(1860)、関白九條兼実から直筆の「石田殿」の額を下賜されてから、それまでは「石田山 西光寺」としていた名称を「石田殿 西光寺」としました。寺院としては全国で唯一の殿号で呼ばれる寺院となりま ...

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安政の大獄

1859年、安政の大獄。大老井伊直弼は、朝廷の許しを得ずに通商条約を結び、それを批判した諸大名や数多くの志士(吉田松陰・橋本左内など)をとらえて死刑や島流しにした。 << 戻る

京都大火により東本願寺両堂消失

1858(安政五)6月、京都大火により東本願寺両堂消失。 << 戻る

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井伊直弼が大老になり、アメリカ・ロシア・イギリス・フランスと修好通商条約を結ぶ

1858年、井伊直弼が大老になり、アメリカ・ロシア・イギリス・フランスと修好通商条約を結ぶ。神奈川・長崎・函館・兵庫・新潟の5港を開く。 << 戻る

函館別院

広如上人は寺院建立の公許を得るために、たびたび交渉せしめ、遂に安政4年(1857)10月24日、公許を得る。 この日を本願寺派の北海道開教の日とする。(リンク先より) ・本願寺函館別院 Ὂ ...

全修寺

全修寺は、北海道岩内町において、安政4年(1857)年に開教した曹洞宗の寺院です。写真を織り交ぜまして、全修寺や身替地蔵尊、三十三観音像などをご紹介しております。 どうぞごゆっくりご覧ください。(リン ...

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アメリカの総領事ハリスが下田に着任

1856年、アメリカの総領事ハリスが下田に着任する。 << 戻る

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吉田松陰が松下村塾を開く

1856年、吉田松陰が松下村塾を開く。 << 戻る

西方寺

記録によれば、安政元年六月十四日夜、西方寺の本堂は大地震によって倒壊いたしました。しかし、安政四年三月には見事に完成を見て、荘厳なる殿堂が再建されております。(リンク先より) ※安政元年 1855年 ...

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日米和親条約を結ぶ

1854年、ペリーが再び来航し、日米和親条約(神奈川条約)を結ぶ。下田・函館の2港を開いて、アメリカ船に食料や燃料を与える約束をした。ついで、ロシア・イギリス・オランダとも和親条約を結んだ。鎖国の終了 ...



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