日蓮宗

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了源寺-神奈川県川崎市幸区

・了源寺 日蓮宗 神奈川県川崎市幸区北加瀬1-13-1日頂聖人の開山による加瀬山妙法寺に由来し、その後、天文法難(1536)にあい寺門は荒廃したが、当山開山本成院日啓聖人(杉田妙法寺第12世、木月妙海寺第4世)が、元和元年(1615)当地に巡説のおり、北加瀬住人名主工藤小右衛門重則(当山起立大檀那)が日啓聖人に帰依し、現寺地を寄進、小泉太郎左衛門・藤田源太左衛門等と協力して旧寺を現地に移し、一寺を建立して頂龍山了源寺と改めた。(リンク先より) << 戻る
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本照寺-神奈川県厚木市

・常栄山本照寺 日蓮宗 神奈川県厚木市下古沢1301482年(文明14年)からその歴史を刻み続ける―本照寺は行学院日朝上人の開山であります。上人は身延山久遠寺・第11代の山首であり、身延山中興の祖と仰がれています。また、眼病守護の神として有名であったのは上人の徳化の一端を示すものであり、当時の人々が「今・日蓮」との称をもって上人を呼ばれたいわれも納得せられるでありましょう。(リンク先より) << 戻る
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常真寺-神奈川県横浜市港北区

・ 朗栄山 常真寺 日蓮宗 神奈川県横浜市港北区新吉田町3240※掲載内容の再確認をしたところ表示できなかったためリンクを外しています(2019年12月)。 << 戻る
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本興寺-神奈川県横浜市泉区

・法華山 本興寺 日蓮宗 神奈川県横浜市泉区上飯田町3624本興寺ははじめ、日蓮聖人の直弟子・天目上人が鎌倉に開創した寺で、聖人が辻説法の途中、休息された地というので、『休息山本興寺』と称していました。天目上人は、法華経二十八品のうち、前半十四品の迹門と後半十四品の本門では説相が異なると「迹門不読説」を主張。天目上人の弟子たちもこれを唱えたが、日什門流の開祖・日什大正師の教化にふれ改派、『法華山本興寺』と改称し、弘和二年(1382年)これをもって日什上人を当山の事実上の開祖とされています。(リンク先より) << 戻る
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妙蓮寺-神奈川県横浜市港北区

・長光山 妙蓮寺 日蓮宗 神奈川県横浜市港北区菊名2-1-5当山は、日蓮宗大本山池上本門寺の末寺で長光山 妙蓮寺と申します。お祀りする日蓮聖人のご尊像は、池上本門寺第二祖日朗上人の九鳳(優れた弟子)のお一人、日像上人の作です。当山は、観応元年(一三五〇年)今の横浜市神奈川区神明町にあり大経院妙仙寺と称しました。(リンク先より) << 戻る
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妙輪寺-神奈川県中郡

・福聚山 妙輪寺 日蓮宗 神奈川県中郡大磯町大磯1582延文元年(一三五六年)この地の真言寺主は、鎌倉比ヶ谷妙本寺・池上本門寺、両山の三世である大経阿闍梨日輪聖人(日蓮聖人池上入滅の際、兄日像と共に稚児として仕えた亀王丸)と大いに宗義を論じたがついに信順して宗を改め寺を聖人に献上した。(リンク先より) << 戻る
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久遠寺-神奈川県横浜市南区

・久遠寺 公式サイト 日蓮正宗 神奈川県横浜市南区三春台157明治40年、横浜教会所の設立を濫觴とする霊松山久遠寺は、以来110年に渡り歴代住職の指導のもとに信徒が一致団結し、宗祖日蓮大聖人の教えを横浜の地にて伝持・流布する法城として発展してまいりました。(リンク先より) << 戻る
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龍口寺-神奈川県藤沢市

・寂光山龍口寺 公式ホームページ 日蓮宗 神奈川県藤沢市片瀬3-13-37日蓮聖人(1222~1282)がご入滅(死去)された後、直弟子の日法聖人が、延元二年(1337)に「龍ノ口法難の霊跡」として、一堂を建立し、自作の日蓮聖人像と、首の座の敷皮石を安置したのが、寂光山龍口寺の始まりです。日蓮聖人の四大法難(松葉谷・伊豆・小松原・龍ノ口)の中でも、屈指の霊跡とされる龍口寺は、篤信者であった島村采女が慶長6年(1601)に土地を寄進され、諸堂・境内地が整い、現在まで連綿と法灯を継承しています。(リンク先より) << 戻る
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善龍寺-東京都八王子市

・興栄山 善龍寺 日蓮宗 東京都八王子市元本郷町1-1-9当山の開基はいまから530年ほど前、室町時代の長享元年(1487)に遡ります。北条早雲が小田原城を手に入れるなど、戦国大名たちが群雄割拠する戦乱の時代でした。この年に、池上本門寺・比企谷妙本寺両山第8世の大運阿闍梨日調上人(1428~1501)が、関東武州八王子において巡錫を行いました。その時に、八王子滝山城下にあった真言寺の住職と法論となり、数日間の論争の末に日調上人の教説の高さと人徳に感服した住職は、すすんで日蓮宗に改宗したのです。この住職が、当山の開基となった本妙院日英上人で、当時77歳の高齢でした。日英上人はさっそくに寺号を改め...
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長耀寺-東京都港区

・常住山 長耀寺 日蓮宗 東京都港区六本木6-7-20慶安3年(1650)の創立、三代家光将軍の代。開山本雄院日瑞上人。開基浄性院日養上人。身延山直末。明治維新後、廃仏毀釈が盛んとなり明治末期には廃寺同然となるも、第32世大牙院日豊上人が修法加被力を持って麻布鬼子母神として数多くの信者を得た。(リンク先より) << 戻る
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實相寺-東京都大田区

・池上實相寺 日蓮宗 東京都大田区池上2-10-17天文19年(1550) 江戸馬喰町に開創。明暦3年(1657) 明暦の大火の後、浅草新寺町に替地を拝領して移転。寛保3年(1743) 呉服商「大丸」の店主の帰依を受け大丸寺とよばれた。(リンク先より) << 戻る
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題経寺-東京都葛飾区 – 柴又帝釈天

・柴又帝釈天公式サイト 日蓮宗 東京都葛飾区柴又7-10-3当山は経栄山題経寺(日蓮宗)と言い、寛永年間(1629)に開基され、開山上人を下総中山法華経寺第十九世禅那院日忠(ぜんないんにっちゅう)上人とし、その弟子の第二代題経院日栄(だいきょういんにちえい)上人が実際の開基である。(リンク先より) << 戻る
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延寿寺-東京都台東区

・足病守護の寺・日荷堂 延寿寺 日蓮宗 東京都台東区谷中1-7-36時は明暦二(1656)年、第四代将軍徳川家綱の時代。延壽寺は覚性院日勤(かくしょういんにちごん)上人によって開かれました。開創当初は大乗山延壽院と呼ばれ、同じく谷中にある瑞輪寺との本末関係にありましたが、それもその後解消され、宝永年間(1704~1710)に身延山久遠寺の直末となります。(リンク先より) << 戻る
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常圓寺-東京都新宿区

・福聚山常圓寺 日蓮宗 東京都新宿区西新宿7-12-5開創年月は不詳ですが、渋谷区幡ケ谷辺より天正13(1585)年9月13日に中道院日立上人によって現在地に移転をし、その時「成子」あるいは「鳴子」という当地名の由来にもなりました田中源左ヱ門重俊氏が当山を起立したという記録があり、今から430年前に遡ります。移転以前の幡ケ谷には180年間堂宇があったという記録もあるので、合わせると600年の歴史を有することになります。(リンク先より) << 戻る
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立源寺-東京都目黒区

・長昌山 立源寺 日蓮宗 東京都目黒区中根2-21-17山号を長昌山(ちょうしょうざん)と号し寺号を立源寺(りゅうげんじ)と称す。寛永元年(一六二四)碑文谷法華寺住僧、遠聲院日運の開基によるもので、新編武蔵風土記稿によると『この寺も古くは、法華寺の末なりしが、後本寺を改めらる 本尊三宝は長二尺の像なり 是はもと法華寺にありしを当山起立の時より此処にすえたり云々』とあるが、実際は元禄十一年十一月不受不施法難の直后、法華寺改宗の際この三宝尊を当山へ移されたのが事実である。(リンク先より) << 戻る
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信養寺-東京都葛飾区

・浄行山 信養寺 日蓮宗 東京都葛飾区東金町4-39-9当山は先代住職の小林文榮、清光院日進上人が昭和30年に日蓮宗清正教会を当地に建立し、布教活動の拠点として開堂され、本年は建立より55年を迎える年と成りました。 その間、昭和45年3月に中山妙宗「信養寺」の寺号を、時の中山法華経寺貫首宇都宮日網猊下より拝命継承され、日蓮宗清正教会より信養寺住職の任に就かれ、その後、昭和49年に日蓮宗と中山妙宗の復帰合同に伴い日蓮宗「信養寺」住職となり、檀信徒の教化育成に精魂を尽くされました。(リンク先より) << 戻る
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妙善寺-東京都港区

・妙善寺 日蓮宗 東京都港区西麻布3-2-13当山は日蓮宗日通山妙善寺と号し、今を去る三百六十有余年前、徳川三代将軍家光公の寛永四年(1627)に、紀州藩御附家老三浦長門守為春公が大本山小湊誕生寺第20世興善院日為上人を開山として創立された寺であります。(リンク先より) << 戻る
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妙経寺-東京都八王子市

・寳傳山妙経寺 日蓮宗 東京都八王子市寺町1寳傳山妙経寺の歴史は、草創以来650余年になるが、寺が八王子市に移転した経緯につき、先代住職・積善院日甫上人の口伝によって記述してみよう。のちに当寺の中興開基法尼になられた小島妙静尼は、明治20年の頃、現在地に「鬼子母神堂」を建てて信仰の人となった。不幸にしてこのお堂は、明治30年4月22日に突如として起こった「八王子の大火」で消失してしまった。(リンク先より) << 戻る
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本立寺-東京都八王子市

・本立寺 日蓮宗 東京都八王子市上野町11-1寺伝には後に身延山久遠寺第17世となる江戸谷中瑞輪寺の住職であった慈雲院日新上人が身延に上られる途上八王子に草鞋を脱ぎ、当地に勢力を持っていた真言宗の寺の住職と激烈なる法論をたたかわせ、最後に釈尊の説かれた『法華経』とそれを身に読み、『立正安国論』等の数々の諌言をもって国の曲がった政治を諌めようと身体を張って国や人々のために殉じた日蓮聖人こそ従うべき師であると説き、その僧を寺ごと日蓮宗に改宗させたのが始まりとされている。真言僧はその時名を本立院日建と改め、本立寺を開創した。(リンク先より) << 戻る
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宝清寺-東京都あきる野市

・宝清寺(ほうせいじ)ホームページ 日蓮宗 東京都あきる野市小川101身延山久遠寺の末寺で、開山は法清院日億上人、開基は青木勘左衛門(武田勝頼の縁者)です。青木勘左衛門は、甲州武田勝頼公滅亡後、関東に入国した徳川家康に見出され、このあきる野市小川の地を賜り、戦国時代に滅んだ武士達の霊を弔うために出家し、元和年間(1615~1624)甲斐国雨利郷(山梨県韮崎市旭町付近)にあった東照山教林寺をこの地に移し東照山法清寺と号し創立しました。(リンク先より) << 戻る
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慈宏寺-東京都杉並区

・慈宏寺 日蓮宗 東京都杉並区宮前3-1-3慈宏寺は山号を井口山といいます。 これは、江戸幕府四代将軍・徳川家綱代の寛文十三年(1673)、当寺のある大宮前新田を含む札野新田開発を行った関村(現・練馬区)名主・井口八郎右衛門信忠の嗣子(しし)であり、大宮前新田名主・井口杢右衛門義重が一宇を創し、妙福寺(現・練馬区)十九世慈宏院日賢上人を招じて慈宏寺を開山したことに由来します。 (リンク先より) << 戻る
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感應寺-東京都江戸川区

・江久山 感應寺(かんのうじ) 日蓮宗 東京都江戸川区一之江7-23-11当山は、元久2年(1205年)真言宗の僧、空念によって開山されたと伝えられています。正応元年(1288年)三位公日進上人が、当地巡錫の砌、法論を決して日蓮宗に改宗。かつては塔中に蓮明坊・是林坊の二院を擁し、中本寺として重きをなしていました。(リンク先より) << 戻る
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幸国寺-東京都新宿区

・正定山幸國寺(こうこくじ) 日蓮宗 東京都新宿区原町2-20寛永七年(一六三〇)に当寺は創建されました。人心が疲弊した時代が終焉を迎え、人々の平和への願いが、「幸せに暮らすことが出来る国の寺」という名に込められています。当寺を開いたのは、加藤清正公です。清正公は戦国武将随一の国づくりの才を持ち、土木の才に長け、人々の生活の向上に尽力しました。清正公は、日蓮大聖人の「立正安国(正しい教えを信じ、平和・平安を実現する)」の志の体現者だったのです。(リンク先より) << 戻る
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大仙寺-東京都小平市

・大仙寺 日蓮宗 東京都小平市上水南町2-11-20東京都小平市の日蓮宗 中将山 大仙寺は、『出世寺』で知られ、悠久400年余の名刹です。(リンク先より) << 戻る
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妙勝寺-東京都江戸川区

・本覚山妙勝寺 日蓮宗 東京都江戸川区江戸川6-7-15弘安7年4月(1284)下総国堀江の浦に漂着した難船にのこされていた童子を、当村二之江村漁師の五郎が救い上げて育てたところ、童子は後に中山法華経寺2世、日高上人の弟子となり、成就院日尚と号して当村古川べりの妙見社のそばに草庵をいとなみ、一寺を建立した。即ち開山の日尚上人で時は徳治2年(1307)春3月のことであった。(リンク先より) << 戻る
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弘法寺-青森県北津軽郡

・弘法寺 日蓮宗 青森県北津軽郡中泊町中里字亀山785慶長十年(1605)、県内最古の日蓮宗寺院、弘前法立寺の第七世実成院日光上人が、薄市村(現在の中泊町大字薄市)に実成寺を創立したのが最初です。その後、中里村(現在の中泊町大字中里)に信徒が多数あったため廷宝元年(1672)四世日禅上人が、現在地に移転、寺号を実成寺より弘法寺に改称し、廷宝三年(1675)に本堂・庫裡が完成しました。(リンク先より) << 戻る
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蓮華寺-青森県青森市

・蓮華寺 日蓮宗 青森県青森市本町1-5-12蓮華寺の開基は、日蓮聖人の高弟の1人であった日持上人。日持上人は恩師の十三回忌を済ませたあと海外布教を目指し、北海道に渡るために善知鳥村に立ち寄ったが、あいにくの風波が激しく船を出せず、留まること数ヶ月に及び、ここにひとつの草庵(あん)を結んだ(永仁2年)。これが現在の『蓮華寺』であります。(リンク先より) << 戻る
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久城寺-秋田県秋田市

・久城寺 日蓮宗 秋田県秋田市旭北寺町1-32秋田県に最初に日蓮の教えが伝播されたのは、室町時代・文亀2年(1502)土崎湊に京都本満寺塔中・玉持院の久遠院日尋上人が法華寺を創建したことにはじまる。3年後の永正2年(1505)やはり土崎湊に顕乗山久城寺が権大僧都・日有上人により創建された。(リンク先より) << 戻る
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本住寺-秋田県秋田市

・本住寺 日蓮宗 秋田県秋田市土崎港中央3-2-15慶長元年(1596年)秋田市伝法寺五世 本住院日慈が開創。土崎湊に最も近いので湊圓山と号し、寺号は日慈の本住院をそのまま用いた。(リンク先より) << 戻る
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妙教寺-秋田県仙北市

・妙教寺 日蓮宗 秋田県仙北市角館町雲然荒屋敷176当山は、雲然船場地内の沼に祀られていた辨財天を、明治時代の神佛分離・廃仏毀釈の折に阿部留治氏が自宅に勧請し、其の辨財天の霊示を受けた娘の当山開基一乗院妙教日徳法尼が、身延山七面山三十七丁目のお滝に参篭し、寒水に身を浴し七年間難行苦行の苦修錬行(くしゅうれんぎょう)を成し遂げ、行を終えた昭和十一年に身延山第一世総務真章院日雄上人を師事し出家得度、山之坊の一室より総本山へ日参登詣し常随給仕(じょうずいきゅうじ)の至誠を尽くされた。(リンク先より) << 戻る
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本増寺-岩手県大船渡市

・本増寺 日蓮宗 岩手県大船渡市大船渡町北笹崎暦応元年(1338年)、房州安房の国(現千葉県)に創立された東京・池上本門寺の末寺である。南北朝の動乱や戦国時代の風潮に遭遇するなかで、幾度も焼失や荒廃に見舞われてきた。(リンク先より) << 戻る
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大宝寺-山形県山形市

・大宝寺 日蓮宗 山形県山形市七日町5-10-49山形城主の鳥居忠政の父、彦右衛門尉元忠は法華経に帰依し、下総森士に大教院日理上人を開山とする堂宇を建立、その後忠政の山形転封により山形城三の丸に同寺を移築、さらに延宝五年九世日耀上人の代、現在地に移った。当寺は大本山池上本門寺の直末の寺であり、当地方の蝕頭としての寺格がある。(リンク先より) << 戻る