広島県

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青蓮寺-広島県呉市

・青蓮寺 浄土真宗本願寺派 広島県呉市伏原1-13-16明治28年(1895)初代住職 釈 徹明が開基。布教道場「洗心堂」を据え、常説教、仏教婦人会、日曜学校の活動をする大正期頃(1915)成町(現・伏原)に本堂を建立する(リンク先より) << 戻る
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一華寺-広島県呉市

・一華寺 臨済宗佛通寺派 広島県呉市西中央5-7-1明治28年、自宅医院に隣接した土地に小庵を建て、寛量和尚の常宿ともし、そこで毎月参禅会も開いた。小さな標札には『仏通寺事務所』とあった。(リンク先より)※明治28年 1895年 << 戻る
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正法寺-広島県三原市

・正法寺 真言宗御室派 広島県三原市本町3丁目4-1亀甲山延命尊院正法寺は、長谷町鶴ヶ巣に大規模な七堂伽藍があったと伝えられていますが、天正年間築城に際し、館町に移されました。ところが福島正則の代に城の鬼門にあたる中之町に移し、侍屋敷を増築して東の街道を固め戦に備えました。そして、明治23年(1890年)末寺4ヶ寺を合併して大徳院跡であった現在の地へ移転しました。この寺は城主の祈願所として、江戸時代三原4ヶ寺のひとつとして、法燈継承しています。備後西国8番霊場(リンク先より)・正法寺 しょうぼうじ
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善徳寺-広島県広島市南区

・善徳寺 浄土真宗本願寺派 広島県広島市南区宇品神田4-11-8明治19年に宇品築港でやって来た上蒲刈島大浦出身の浄土真宗門徒たちが、宇品海岸3丁目の旧運輸部跡に真宗宇品説教所を開設し、主管に東広島市河内町宇山教念寺副住職の友國順信師を迎えた。淳信師のご往生後に寺基は転々としたが、昭和12年に後継者の友國善量が寺を宇品神田5丁目に移して再建し、昭和22年4月に本願寺より「善徳寺」の寺号の公認をうけた。(リンク先より)※明治19年 1886年 << 戻る
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済法寺-広島県尾道市

・済法寺 曹洞宗 広島県尾道市栗原東1-15-6宝暦三年(1753) 広島国泰寺十一世笑堂行契和尚〔宝暦十三年(1763)八月十五日遷 化〕が広島藩より扶持を得て木ノ庄町木門田に隠居し三原宗光寺の末寺の西宝寺に住していた。宝暦六年(1756)三月十七日、宗光寺十三世眞猊行達和尚〔天明二年(1782)二月六日遷化〕より寺号を譲られ末寺を離れ、同八年(1758)に下総國葛飾郡幸手領下野村瑞光寺開山 穏之道顯和尚が笑堂行契和尚が本師となるため同寺の末寺となった。栗原村樋口屋又兵衛の寄進をうけ、同九年(1759)閏七月十三日免許を得て現在地に移転し、旧本堂を建立す。笑堂行契大和尚を開山と仰ぎ、広島藩五...
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源光寺-広島県三次市

・源光寺 浄土真宗本願寺派 広島県三次市西酒屋甲156毛利元就家臣・福間源左衛門正成が、我が子の討死などを縁として世の無常を観じ、本願寺・顕如上人に法謁の後、得度。法名を覚栄と授かり、高田郡に寺院を建立。西酒屋村に移住した後、原村へ寺基を移転するにあたり、二世覚証の弟・慈教を酒屋に残す。承応3年春、源光寺が両酒屋の総講寺として建立された。(リンク先より)※承応3年 1654年 << 戻る
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金龍寺-広島県広島市中区

・金龍寺 臨済宗妙心寺派 広島県広島市中区小町9-37元和5年(1619)紀州の国より、浅野長晟公が安芸の国の国主として入国され、以後、治世13年目の寛永9年(1632) 浅野長晟公に藩政を委ねるにあたり、物故家老今中将藍光相の功績を忍び、その菩提を弔うため、紀州の国の名刹、金龍寺を移設、寺領を旧国泰寺東に定め、ここに堂塔を建立し〈寳珠山金龍禪寺〉と号しました。(リンク先より) << 戻る
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観音寺-広島県広島市佐伯区

・観音寺 臨済宗 広島県広島市佐伯区坪井町736観音寺は佐伯区坪井町観音寺と南区元宇品町観音寺から成り立っています。元和四年(1618年)浅野氏入封の際に一緒に来られた桂雲禅師が中興され、広島新四国第五十一番の霊場であります。ご本尊十一面観世音菩薩は大同年中(806~810)常勝将軍と言われた坂上田村麻呂公の守本尊で、身丈僅か一寸八分の秘仏であります。(リンク先より) << 戻る
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品秀寺-広島県広島市安芸区

・品秀寺 浄土真宗本願寺派 広島県広島市安芸区畑賀2-2-16ご本尊は阿弥陀如来さま。慶長7年(1604)に浄土真宗の寺と再興された時のご本尊は、 蓮如上人直筆の『六字名号』(軸)でしたが、本堂が再建されてからは、阿弥陀如来さまのお木像です。 内陣修復として、ご本尊が安置される宮殿(くうでん)ならびに柱回りは、彩色が完全な形で仕上げられました。(リンク先より) << 戻る
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隨泉寺-広島県広島市安芸区

・隨泉寺 浄土真宗本願寺派 広島県広島市安芸区中野東7-27-30慶長9年(1604年)今からほぼ400年前、僧恵閑(えかん)なる人により開基されました。恵閑師は、賀茂郡熊野跡村(現・広島市安芸区阿戸町)の薬師堂におられ、隨泉寺の前身湯原山法専寺に入寺されました。湯原山法専寺は 真言宗の道場であり、場所は現在の井原地区変電所の付近にあったと言い伝えられています。(リンク先より) << 戻る
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正覚寺-広島県呉市

・正覚寺 浄土宗 広島県呉市寺本町2-1正覚寺の始まりは約400年前の慶長年間で、もとは大阪府泉北郡湊村にありました。(リンク先より)※慶長年間  1596年から1615年 << 戻る
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誓願寺-広島県広島市西区

・誓願寺 浄土宗西山深草派 広島県広島市西区三滝本町1-17-1誓願寺は紫雲山、光照院と号し、天正18年(1590)10月15日に策伝上人の意向を受けた毛利輝元公が材木町・現在の平和公園の地に開基した。開山の恵空上人は京都本山誓願寺より天智天皇御宸筆を賜り寺号を誓願寺とし、毛利家の菩提寺と成った。 (リンク先より) << 戻る
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真福寺-広島県呉市

・真福寺 浄土宗 広島県呉市川尻町久俊2-5-33真福寺は、往古より禅宗であったと伝えられるが、開基年代、由来等は、天正三年(1575)火災のため旧記等を焼失し詳細を知ることが出来ない。(リンク先より) << 戻る
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正念寺-広島県尾道市

・正念寺 時宗 広島県尾道市西久保町1-5山号: 来迎山(らいごうさん)院号: 引接院(いんじょういん)開基:天正二年 遊行三十一世・同念上人(リンク先より) << 戻る
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浄国寺-広島県広島市中区

・浄国寺 浄土宗 広島県広島市中区土橋町2-4浄国寺は山号を無衰山、院号を古今院といい、善導大師の晨朝礼讃(じんちょうらいさん)の「浄国無衰変、一立古今然」から採られています。開山は真蓮社短誉文慶大和尚で、天正年間に高田郡吉田村に一寺を建て浄国寺と称していましたが(吉田町)慶長年間福島正則公のすすめにより広島に移住し、現在地を賜り浄国寺を建立し、山号・院号・寺名ともに吉田時代のものを踏襲したといわれています。(リンク先より)※天正年間 1573年から1593年 << 戻る
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戒善寺-広島県広島市中区

・戒善寺 浄土宗 広島県広島市中区小町2-35永禄元年(1558年)高田郡吉田村城山(現在の広島県安芸高田市吉田町)の麓に源蓮社性譽宝山上人(のちの浄土宗大本山黒谷金戒光明寺二十一世の法主)がお開きになられました。 市史によれば慶長年間(1596〜1615年)広島城築城に伴い、広島西魚屋町に移転したとされています。(リンク先より) << 戻る
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善徳寺-広島県広島市安佐北区

・善徳寺 浄土真宗本願寺派 広島県広島市安佐北区深川2-19-28天文21年(1552)超印法師の開基によるもので、念仏道場として、善徳寺御門徒、有縁の方々により護られてきたお寺です。『高陽町史』によると「武田氏の末流山村平兵衛が、享禄年中桜尾城で討死後、一子は出家して超印と称し、佐伯郡石内村の慶蔵坊の弟子となり、下深川へ来て真言宗教徳坊の寺跡を真宗に改め、善徳寺の開基となった」とあります。(リンク先より) << 戻る
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光徳寺-広島県三原市

・光徳寺 浄土真宗本願寺派 広島県三原市久井町和草970神辺の城主山名式部少輔美政の次男善宗は戦の明け暮れに生命を失っていく戦国の世に無常を感じ、明応五年に現在の地に草庵を結び、出家して好晴と名のりました。   そして、大永六年四月九日光徳寺を創立し、天文十年十月十五日に往生の素懐を遂げました。(リンク先より)※大永六年 1526年 << 戻る
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寿髙院光明寺-広島県大竹市

・寿髙院光明寺 浄土真宗本願寺派 広島県大竹市元町2-13-71508年(永正5年) 初代住職 釈清順(俗名 日野左エ門三郎秀慶)が光明寺を開く。現在の山口県岩国市美和町にて開山したと伝えられる。(リンク先より) << 戻る
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最禅寺-広島県廿日市市

・最禅寺 浄土真宗本願寺派 広島県廿日市市峠1099明応10(1501)年、最禅寺と名付ける。寛永10(1633)年、本願寺末属となる。元禄7(1694)年、久保田の地より現在の位置に到る。(リンク先より) << 戻る
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龍仙寺-広島県安芸郡

・龍仙寺 浄土真宗本願寺派 広島県安芸郡府中町山田1-2-53十五世紀後期(明応年中1492~1501)、現在地の東北、江本寺(石井城二丁目)に蓮華寺(瀬野川町畑賀)の末寺として僧深澄によって建立された。当初は真言宗だったが、大永三年(1523)に浄土真宗に改宗。第八代住職釈了安が、現在地に移転。寛永十三(1636)年五月十八日付けで本山本願寺より阿弥陀如来木像が下附、正式に本願寺末寺として寺号認許となった。(リンク先より) << 戻る
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弘法寺-広島県呉市

・弘法寺 高野山真言宗 広島県呉市安浦町大字中畑132野路山 伊音城・弘法寺は弘法大師空海が御年19歳49歳と2度に渡り登山され、岩屋で修業に専念された地として伝えられる霊山です。伝えられるところによると『川尻海上に漁人あり、毎夜野路山上に火光を認め、奇異の思いをなして登り見れば弘法大師の像と梵鐘の破片散乱せり』中切地区の住民が相はかりて岩窟に堂を建て弘法大師を祀り毎月21日の大使の命日に御影供養の法要をするようになり、現在に連綿として続けられおる地区の伝統祭事です。大師堂の堂字の起源は、明應年間(1492年~1500年)と思われ、村民2名が燈明供養する古例があり、その後 度々の補修・再建・改...
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光圓寺-広島県広島市中区

・光圓寺 浄土真宗本願寺派 広島県広島市中区寺町5-43光圓寺は、佛護寺十二坊の一つで、往古から川の内衆であって、安藝郡牛田村風呂の谷に所在し、宗旨は眞言宗であったが「願了」の代に、京都本願寺蓮如上人の弟子となり文明年間(室町時代1470年ごろ)浄土真宗に改宗し、初めは本願寺と号したが、本願寺派になった後東林坊と改めたと言われる。(リンク先より) << 戻る
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西教寺-広島県呉市

・西教寺 浄土真宗本願寺派 広島県呉市下長ノ木町16-10西教寺は、その昔は「華峰山光浄院と号」した真言宗の小刹(小さなお寺)であったと申します。その創立は不明でありますが、寛正(1460~1464)の頃より諦念阿闍梨が住して、当地方一帯を教化されましたが、1531(享禄4)年春遷化せられたのであります。そこで空き寺となったのであります(リンク先より) << 戻る
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西楽寺-広島県庄原市

・西楽寺 浄土真宗本願寺派 広島県庄原市中本町一丁目10‐101444年(文安元年) 芸藩通史には「戸郷村にあり、文安元年、僧存如、開基」とある寛文年代 三日市勝光寺文書に戸郷村西楽寺の記載有り。(リンク先より) << 戻る
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嶺宿山専徳寺-広島県呉市

・嶺宿山専徳寺 浄土真宗本願寺派 広島県呉市広長浜3-13-211429年(応永27年)臨済宗仏通寺派を開いた愚中禅師が、この地を見て気に入り、寺院建立をすすめているとき、本郷沼田城主 小早川熈平が戦死者の冥福を祈ると共に、支配の及ぶ拠点として、この地に「嶺宿山専徳院」を建立。(現在の観音堂付近)(リンク先より) << 戻る
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海蔵寺-広島県広島市西区

・海蔵寺 曹洞宗 広島県広島市西区田方1-1-13応永年間(1394~1427年)中国の僧慈眼禅師が創建し、永正元年(1504年)曹洞宗に改宗したと言われている。ご本尊は十一面観音で応永時代の創建当時にお迎えしたらしく、仏師集団である印派(いんぱ)に属する仏師により造像されたと思われる。(リンク先より) << 戻る
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康徳寺-広島県世羅郡

・康徳寺 臨済宗佛通寺派 広島県世羅郡世羅町寺町1386白鳳時代(672-)と言われています。大田庄の豪族によって建立され、当時の宗旨は、法相宗(奈良・薬師寺)か華厳宗(奈良・東大寺)あるいは天台宗(比叡山延暦寺)とも伝えられていますが定かではありません。記録に現れるのは宗旨を臨済宗に改め、名僧石室善玖和尚を開山として迎えた文和二年(1353年)ごろからです。(リンク先より) << 戻る
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海徳寺-広島県尾道市

・海徳寺 時宗 広島県尾道市東久保町19-14当山は鎌倉時代末、全国を津々浦々遊行し、念仏の大切さを説いて回られた一遍上人が弘安十年(1287年)、尾道に滞在し念仏勧進された道場が起源と伝えられているお寺で、現住職で五十四代目です。(リンク先より) << 戻る
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光行寺-広島県福山市

・光行寺 浄土真宗本願寺派 広島県福山市神辺町川北764当山開基勝尊上人は親鸞聖人の直弟子、明光上人の従者(三大老)の一人として安貞元年(1227年)沼隈山南に一寺を建立し東光坊と称す。その後山南に在りし寺を中条(西中条深水)に移し、更に神辺古城に移す。 元和年中、水野勝成福山に城を築くに当たり四方の道俗居を福山に移す。その時寺を城東に移し(現在東町光善寺)、神辺の旧地に一寺を建立して覚圓寺光行寺と号す。ここに第十世祐教の弟、祐尊をして継がしむ(1624年)。その後神辺大火にあい古城に在りし寺を川北領家(現在地)に移し今日に及ぶ。(リンク先より)<< 戻る
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高松寺-広島県福山市

・高松寺 臨済宗佛通寺派 広島県福山市加茂町北山1603承久2年(1220年)現在地に宗海覺樹という人によって、高松院(こうしょういん)として建立されました。当時は天台宗であったと言われています。その後文安4年(1447年)臨済宗佛通寺派高松寺(こうしょうじ)となり、現在に至っています。(リンク先より) << 戻る
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信行寺-広島県尾道市

・信行寺 facebook 浄土宗 広島県尾道市東土堂町11-36信行寺は正式には得生山(とくしょうざん)(山号) 信行寺(寺号)といい、南無阿弥陀仏を一心に唱える 専修念仏の教えを広められた法然上人を宗祖とする浄土宗の寺院である。歴史は古く鎌倉時代の建保2年(1214)に浄土宗第二祖の聖光上人が開創された寺である。もとは、聖光上人が京都と鎮西を往来の折り、向島の三ツ石に一草庵を結んで住まわれたのが始まりである。その後、慶長年中(1596-1614)に称住がこの草庵で四十八昼夜念仏修行をしたとき、その満願の暁方、阿弥陀如来のご来迎に逢い、結集と共に入水往生したが、結集の中の一人は現世に残ってこ...