岩手県

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岩手県の寺院情報

この欄の タグ にある市区町村や(  )内の宗派名を選んで寺院情報を確認出来ます。寺院情報を宗派別に掲載。住所等を参考にしてご利用ください。盛岡市 | 宮古市 | 大船渡市 | 花巻市 | 北上市 | 久慈市 | 遠野市 | 一関市 | 陸前高田市 | 釜石市 | 二戸市 | 八幡平市 | 奥州市 | 滝沢市 | 岩手郡 | 紫波郡 | 和賀郡 | 胆沢郡 | 西磐井郡 | 気仙郡 | 上閉伊郡 | 下閉伊郡 | 九戸郡 | 二戸郡岩手県の各種法要、戒名授与、祈願や厄除け、魂入れ(開眼)、魂抜き(閉眼)、墓地、霊園、納骨堂、樹木葬、坐禅、拝観などで寺院所在地が知りたい場合等の確認にご利用くださ...
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仙寿院-岩手県釜石市

・仙寿院 日蓮宗 岩手県釜石市大只越町2-9-1当院は文明19年(1487年)に仙寿院日瑞上人によって、現千葉県佐倉市に開かれた日蓮宗の寺です。明治25年(1892年)千葉県茂原市にある本山藻原寺貫主荒居養壽師が、釜石の法華信者から招聘されて現釜石市浜町に布教所を開設いたしました。(リンク先より) << 戻る
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永昌寺-岩手県北上市

・永昌寺 曹洞宗 岩手県北上市更木33-105曹洞宗永昌寺の副住職 スキーではデモンストレーター、インラインではカリスマと呼ばれ、 江戸から岩手に移住し、岩手スポーツ界の活性化と仏道布教にあけくれる! << 戻る
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祇陀寺-岩手県盛岡市

・祇陀寺 曹洞宗 岩手県盛岡市大慈寺町3-16全ての生きとし生けるものが幸せでありますように 祇陀寺 住職 吉田大信 合掌(リンク先より)(旧アドレス:) << 戻る
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本増寺-岩手県大船渡市

・本増寺 日蓮宗 岩手県大船渡市大船渡町北笹崎暦応元年(1338年)、房州安房の国(現千葉県)に創立された東京・池上本門寺の末寺である。南北朝の動乱や戦国時代の風潮に遭遇するなかで、幾度も焼失や荒廃に見舞われてきた。(リンク先より) << 戻る
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光蓮寺-岩手県盛岡市

・光蓮寺 浄土真宗 岩手県盛岡市繋字塗沢29宗教感の希薄化、檀家離れ、核家族化による承継制度の限界、など従来の形式だけでは解決できない問題が多く存在しています。これまでの葬儀は親戚や近隣住民を呼び盛大で華美に行われてきました。(リンク先より) << 戻る
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正徳寺-岩手県陸前高田市

・正徳寺 真宗大谷派 岩手県陸前高田市小友町両替69真宗大谷派正徳寺住職。東日本大震災時に5か月避難所として運営。 保護犬たび、迷い猫ポッキー、震災時の野良猫ノラ(お亡くなり)について良く書いています。 ゲーマー、遊んでいるゲームは@天クラ(オレ達アサミーズ所属)、アズレン(サモア鯖スチームパンカー所属)など。活動としては、仏教徒は天国使わない運動を実施中。 << 戻る
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円徳寺-岩手県花巻市

・円徳寺-facebook 真宗大谷派 岩手県花巻市轟木10-129岩手県花巻市にある真宗大谷派「円徳寺」のFB公式HPです。お寺の行事のほか、ヨガ体験会・子ども会・ファミリータッチ・食育講座・保養事業などの情報を載せています。(リンク先より) << 戻る
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知勝院-岩手県一関市

・知勝院 臨済宗妙心寺派 岩手県一関市萩荘字栃倉73-1932009年1月、この地区は「にほんの里100選」(萩荘・厳美の農村部)に選ばれました。(リンク先より) << 戻る
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江岸寺-岩手県上閉伊郡

・江岸寺 曹洞宗 岩手県上閉伊郡大槌町末広町10-11江岸寺の開山は、盛岡市にある法恩寺第三世幸岳東慶大和尚ですが、元文元年(一七三六)以来、再三の火災により本堂、講堂、什宝物、過去帳、古文書等、ほとんど焼失しているため由来を知ることが困難です(リンク先より) << 戻る
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祥雲寺-岩手県一関市

・祥雲寺 臨済宗妙心寺派 岩手県一関市台町48-2大慈山祥雲寺というお寺の名前は、1682年に定められ、一関藩を治めていた大名家、田村家の菩提樹です。開基は、仙台藩二代当主の伊達忠宗公(仙台藩初代、伊達政宗公の嫡子、次男)の側室であった房姫です。開山和尚は、松島にある瑞巌寺の大機円応禅師であったといわれています。(リンク先より) << 戻る
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喜雲寺-岩手県盛岡市

・喜雲寺 曹洞宗 岩手県盛岡市玉山区下田宇生出袋54喜雲寺は、江戸時代前期(1661~73年)、下田城主の下田弥三郎秀祐を開基に、報恩寺(盛岡市)10世・天山宝尭和尚を請して開山しました。下田(もと石亀)氏は南部氏の家臣で、三戸から同行した人物でもありました。さらに歴史をさかのぼると、初代盛岡城主の26代南部信直公が、子が病死した地である北上川べりに堂を建立したのが喜雲寺の起こりとも言われています。(リンク先より) << 戻る
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久昌寺-岩手県盛岡市

・久昌寺 曹洞宗 岩手県盛岡市大慈寺町1-5久昌寺は創建当初「久昌庵」という庵寺であって、十一屋某者(現盛岡市下ノ橋十一屋の先祖)が祇陀寺の奇山快秀和尚の為に造った閑居でありました。 快秀和尚は十一屋三代の当主高橋祐吉と相談し、周囲の谷地を求め伽藍を建立し、布教・法要を執り行う道場とし、明暦二年(1656年)開山導師として、報恩寺九世蘭翁嫩芝大和尚を勧請し、自ら二世大和尚として住職になられ、その時から「奕葉山・久昌寺」と公称するようになりました。ご本尊は釈迦年尼佛、脇侍は文殊菩薩・普賢菩薩であります。(リンク先より)<< 戻る
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宮澤寺-岩手県盛岡市

・宮澤寺 曹洞宗 岩手県盛岡市本宮宮沢90宮澤寺は、江戸時代前期(1632年)、東顕寺六世・崇岳善寿大和尚によって開創されました。当初、地名にちなむ「本野山」の山号でしたが、いつのころか、今のように改めています。(リンク先より) << 戻る
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法泉寺-岩手県盛岡市

・法泉寺 臨済宗妙心寺派 岩手県盛岡市北山2-16-8盛岡の法泉寺は、江戸時代前期(1624年~44年)、東禅寺の住職・東岩和尚によって開かれました。それから数十年を経て寛文十一年(1671年)、南部第二十九代重信公が、第三十代行信公の母堂の菩提のために建立(再興)して、法泉寺と称したとされます。(リンク先より) << 戻る
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徳玄寺-岩手県盛岡市

・徳玄寺 真宗大谷派 岩手県盛岡市名須川町15-8徳玄寺は室町時代から戦国時代に代わる頃、青森県五戸で開山しました。それから南部氏が三戸から盛岡に移るにおよび、江戸時代前期(1624~1644年)玄海の時に現在地に移転しました。(リンク先より) << 戻る
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正光寺-岩手県一関市

・正光寺 浄土真宗本願寺派 岩手県一関市台町117-3文禄 2年(1593) 開基釈宗悟紫波郡不動村大字室岡の地に一字創建正徳 5年(1715) 宗悟曽孫釈宗専本願寺第十五世住如宗主に請うて寺号正光寺賜る(リンク先より) << 戻る
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泰養寺-岩手県胆沢郡

・泰養寺 曹洞宗 岩手県胆沢郡金ヶ崎町西根字南町62宝暦13年(1763)と安永5年(1776)の『西根村風土記』によれば、「泰養寺」は今から約450年前の永禄元年(1558)鶴庵全賀大和尚により開山された寺である。鶴庵大和尚は泰養寺を開山した後、養雲寺四世住職に移られたので、養雲寺を本寺にしたと言われる。(リンク先より) << 戻る
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普門寺-岩手県陸前高田市

・普門寺 曹洞宗 岩手県陸前高田市米崎町字地竹沢1812006年に開山500年を迎えた、岩手県陸前高田市にある曹洞宗の寺院です。 境内には岩手県指定文化財である三重塔、木造伝聖観音像、絹本著色愛染明王画像などがあり、東日本大震災の後奉納された沢山の仏像が本堂や境内各所にまつられております。(リンク先より)※2006年-500年=1506 << 戻る
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長蓮寺-岩手県奥州市

・長蓮寺 真宗大谷派 岩手県奥州市前沢区前野66室町時代の応永11(1404)年、長順和尚の開基と寺伝にあり、前沢では2番目に古く600年の歴史を有りしている。開祖親鸞が興した浄土真宗の念仏の教えは、東日本にも教勢をのばし、高弟二十四輩の一人、和賀の是信房が長蓮寺を開いたという別の伝えもある。白鳥では唯一のお寺で、一関市厳美の中世の農村集落骨寺村遺跡との関わりも深い。(リンク先より) << 戻る
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願成寺-岩手県一関市

・願成寺 曹洞宗 岩手県一関市釣山31山号は「白馬山」寺号は「願成寺」。正法寺二世月泉大和尚九番目の弟子、梅栄元香大和尚によって至徳二年(1385)四月八日に開山されました。はじめは前渓山と号し、寺領十石、享保九年(1724)に現在の白馬山と改められました。(リンク先より) << 戻る
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東顕寺-岩手県盛岡市

・東顕寺 曹洞宗 岩手県盛岡市名須川町2-1松峰山東顕寺は至徳元年(1384)古山 良空 大和尚によって開創された寺院です。開基は、福士五郎政長 公です。福士氏は南部氏が盛岡に築城する以前から、この一帯の警備を任せられていた武士でした。(リンク先より) << 戻る
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正法寺-岩手県奥州市水沢区

・正法寺 曹洞宗 岩手県奥州市水沢区黒石町字正法寺129大梅拈華山圓通正法寺は、南北朝時代の貞和4年(1348)、無底良韶禪師によって開かれました。無底禪師は能登国の出身で、大本山總持寺二祖峨山韶碩禪師の高弟でした。峨山禪師には25人の優れた弟子(峨山禪師二十五哲)がおりましたが、無底禪師はその第一番に列せられています。無底禪師発心前の19歳の時、熊野本宮大社(和歌山県)に参篭したところ、「もし出家修行するならば佛法純熟せん」との夢告があり、霊石一箇を授けられたと伝えられております。(リンク先より) << 戻る
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慶昌寺-岩手県北上市

・慶昌寺 曹洞宗 岩手県北上市和賀町煤孫18-208鎌倉時代後期の建武年間(1334~1336)の頃、鎌倉にある建長寺の法幢山泰嶺(ほうどうたいれい)大和尚が退院(隠居)したのち、全国を行脚しながらこの地にやってきました。泰嶺大和尚は和賀氏の本城だった二子(ふたご)城(別名・飛勢(とばせ)城を訪ねました。やがて泰嶺大和尚は流俗を嫌って、この地に留まることを決め、煤孫の長出の庄(現在地付近)に小庵を結びました。泰嶺大和尚は(法幢庵)と号して住まいしたといいます。(リンク先より) << 戻る
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光林寺-岩手県花巻市

・光林寺 時宗 岩手県花巻市石鳥谷町中寺林12-54光林寺の創立は、鎌倉時代末期の弘安三年(1280)にまでさかのぼります。開基は、奥州稗貫郡の領主で寺林城主だった河野太郎通重の嫡子「河野通次」です。父親の河野太郎通重は伊予の領主・河野太郎通信の長男通俊の二男にあたります。河野通次は弘安二年の初夏、京都在番の折り、時宗開祖の一遍上人(1239~1289)に帰依し、発心して弟子になったと伝えられています。(リンク先より) << 戻る
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聖壽寺-岩手県盛岡市

・聖壽寺 臨済宗妙心寺派 岩手県盛岡市北山2-12-15「聖寿寺」は建長六年(1254)、南部家第二代南部実光公により初代光行公の菩提を弔うため、現在の青森県三戸郡南部町に創建されたことに始まる。開山は三光国師( 孤峰覚妙 1271~1361)、本尊は釈迦如来。かつてその一帯は南部氏の居城になっており本三戸城(もとさんのへじょう)と呼ばれていたが、後世になって聖寿寺館(しょうじゅじだて)とも呼ばれるようになった。(リンク先より) << 戻る
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慈光寺-岩手県久慈市

・慈光寺 時宗 岩手県久慈市大川目町22-62過去数度の火災や戦乱により、当山の歴史を証明する資料を失っておりますが、次のような縁起・由来が今に伝わっております。当山は仁安3年(1168)に、もともとは天台宗として開山します。その後、時宗の二祖上人である真教上人の勧めにより、時宗に転宗しました。(リンク先より) << 戻る
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毛越寺-岩手県西磐井郡

・毛越寺 天台宗 岩手県西磐井郡平泉町平泉字大沢58寺伝によると嘉祥3年(850)慈覚大師が東北巡遊のおり、この地にさしかかると、一面霧に覆われ、一歩も前に進めなくなりました。ふと足元を見ると、地面に点々と白鹿の毛が落ちておりました。 大師は不思議に思いその毛をたどると、前方に白鹿がうずくまっておりました。大師が近づくと、白鹿は姿をかき消し、やがてどこからともなく、一人の白髪の老人が現われ、この地に堂宇を建立して霊場にせよと告げました。大師は、この老人こそ薬師如来の化身と感じ、一宇の堂を建立し、嘉祥寺と号しました。これが毛越寺の起こりとされます。(リンク先より)<< 戻る
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中尊寺-岩手県西磐井郡

・中尊寺 天台宗 岩手県西磐井郡平泉町平泉字衣関202中尊寺は嘉祥3年(850)、比叡山の高僧慈覚大師円仁によって開山されたといわれています。慈覚大師は天台宗第三代座主で、世界三大旅行記のひとつ『入唐求法巡礼行記』の著者としても知られています。大師の開山は「勧請開山」と言って、師の法を汲む人々がその徳を偲んで開山として仰いだものです。(リンク先より) << 戻る
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霊桃寺-岩手県奥州市

・霊桃寺 臨済宗妙心寺派 岩手県奥州市前沢区前沢字山下72平安時代、東北地方に仏教の伝播を図った慈覚大師円仁に由来します。承和5年(838)に、壇ヶ森と云う地に『北長谷漆寺』と云う天台宗の寺院が建立されました。このお寺には、慈覚大師円仁が一刀三礼(ノミを一回入れる度に三拝をすること)して彫ったと伝わる、像高129cmの十一面観世音菩薩木仏立像が安置されました。(リンク先より) << 戻る
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蟠龍寺-岩手県紫波郡

・蟠龍寺 曹洞宗 岩手県紫波郡紫波町高水寺向畑97承和元年(834)に、もと高水寺第五代の伝法子法宥阿闍梨が祝融山(後改めて和融山と称す)をこの地に創立、文治の頃(1185~1190)兵火に遭い荒廃しました。(リンク先より) << 戻る
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清水寺-岩手県花巻市

・清水寺 天台寺門宗 岩手県花巻市太田21-10当寺は、大同2年(807年)に征夷大将軍坂上田村麻呂公の勧請により創建されたと伝えられ、古くからその名を知られた古刹で,日本三清水の一つとも言われています。奥州三十三所観音霊場の一つであり、また、当国三十三所観音霊場(南部藩の和賀、稗貫、紫波三郡)の第一番札所でもあります。(リンク先より) << 戻る