岐阜県

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善徳寺-岐阜県岐阜市

・善徳寺 浄土真宗本願寺派 岐阜県岐阜市加納柳町33もとは岐阜市西川手の地に発祥しましたが、 関ヶ原の戦いによって徳川家康の覇権が確立した慶長5(1600)年の翌年、慶長6(1601)年に加納藩の創設にともなって加納城と城下町の建設が開始されると、元和元年(1615年)に旧中山道沿いの現在地(岐阜市加納)に寺基が移されました。加納の城下町が中山道加納宿として栄えた江戸時代の間、当寺は宿場町の東番所手前の寺として親しまれていたようです。(リンク先より) << 戻る
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禅台寺-岐阜県可児市

・禅台寺 臨済宗妙心寺派 岐阜県可児市下惠士2838-1禅台寺は法源寺である真禅寺の開山、純庵和尚が約700年前に草庵を建てたのが始まりとされる後に慶長13年(1608)徳野に封ぜられた平岡石見守が開基して菩提寺とした。その後久しく荒廃するが、元禄2年(1689)真禅寺第10世南栄和尚を招き、元禄7年(1694)哲叟和尚が諸堂を再建する。(リンク先より) << 戻る
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開闡寺-岐阜県大垣市

・開闡寺 真宗大谷派 岐阜県大垣市伝馬町11慶長けいちょう7年(1602)、本願寺ほんがんじの東西分派とうざいぶんぱのおり、安八郡三塚の真徳寺しんとくじ(現大垣市・西派)栄寿は、不破郡平尾に真徳寺を別立して東派に属した。その後、栄寿は大垣城主石川忠総から寺地を寄進され、大垣市中町に掛所かけしょを創建そうけんした。これが大垣別院の始まりである。 寛永かんえい元年(1624)3月、大垣藩主岡部長盛が大垣の町割りを再編するのに伴い、替地三反を得て真徳寺掛所は伝馬町に移った。(リンク先より)<< 戻る
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珠泉院-岐阜県岐阜市

・珠泉院 臨済宗妙心寺派 岐阜県岐阜市三田洞東3-25-1慶長年間(1596~1615)に淳岩和尚によって粟野の地に創建される。昭和48年現在の三田洞東の地に移設される。(リンク先より) << 戻る
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専養寺-岐阜県羽島郡

・専養寺 西山浄土宗 岐阜県羽島郡笠松町円城寺594文禄4年(1595)に、この地の豪族、野々垣源兵衛が施主となり建立し、喜運和尚を開山として壇越*となりました。壇越・・布施をする檀家・信者(リンク先より) << 戻る
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桂昌寺-岐阜県郡上市

・桂昌寺 曹洞宗 岐阜県郡上市美並町大原5791.創建  天正5(1577)年2.開山  久山是桂大和尚(リンク先より) << 戻る
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本覚寺-岐阜県羽島市

・本覚寺 曹洞宗 岐阜県羽島市竹鼻町2434-1寺伝によると当寺は天台宗の寺院であったという。永禄元年(1558)、正眼寺より玄沢祖栄を創建開山として招請、天台宗を曹洞宗に改宗。その後、戦乱が続き、寺はしばらく衰微した。(リンク先より) << 戻る
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龍福寺-岐阜県加茂郡

・龍福寺 臨済宗妙心寺派 岐阜県加茂郡富加町加治田135-1加治田城主佐藤紀伊守の母が、弘治三年(一五五八)、龍福庵を開いたことを始めとしている。その後紀伊守は永禄九年(一五六六)、母を、堂洞城合戦、関合戦で娘、息子を亡くし菩提を弔うために庵を拡張して龍福寺を建立する。天猷玄晃を創建開山に、その師蘭畹玄秀を勧請開山とする。(リンク先より) << 戻る
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長円寺-岐阜県大垣市

・長円寺 真宗大谷派 岐阜県大垣市荒尾町1183もとは、天台宗、専好坊という名前のお寺。天台宗時代、最後の住職の名前は、現龍院殿慶存法印。1494年没。  ①1540年頃、 長円寺開基(初代)住職・行弥が改宗。②1620年頃、 2代目住職・西円の時 現在の木仏本尊を頂き、寺号「長円寺」が許可される。(リンク先より) << 戻る
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明応寺-岐阜県美濃加茂市

・明応寺 浄土真宗本願寺派 岐阜県美濃加茂市加茂野町木野1164明応年間(1492~1501)に、三河(現在の岡崎市上佐々木町)の上宮寺様より分かれて、この地に布教の場を求めて、やって参りました。もともと、天台宗の空き寺に初代、佐々木大弐が入寺し、浄土真宗のお念仏のみ教えを地域の人々と共に慶びつつ、爾来、500年以上に亘って相続されて来ました。(リンク先より) << 戻る
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弘誓寺-岐阜県関市

・弘誓寺 浄土真宗本願寺派 岐阜県関市鋳物師屋6丁目3−11神石山 弘誓寺は明応元年(1492)に、足利直義(室町幕府初代将軍、足利尊氏の同母弟)の後裔で、現在の関市鋳物師屋地域で代々庄屋をつとめていた早川家より、阿弥陀法を信じ後に本願寺九世 実如法王に弟子入りし遁世出家した早川直政が興したと伝えられる寺院です。(リンク先より) << 戻る
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善行寺-岐阜県不破郡

・善行寺 真宗大谷派 岐阜県不破郡垂井町表佐1908当寺の開基・正善の俗姓は、人皇56代清和天皇の後胤・源三位頼政の末裔・服部源五左衛門の三男源兵衛なり。延徳元年(1489)本願寺8代・蓮如上人が山科本願寺にご在住の砌に帰依し弟子となり、名を正善と給わり、一宇の道場を建立する。(リンク先より) << 戻る
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浄勝寺-岐阜県大垣市

・浄勝寺 真宗大谷派 岐阜県大垣市東町1-431室町末期、長亨3年(1489年)年に草庵を開き、慶長年間に当地(岐阜県大垣市東町)に移転、元和9年(1623年)に「浄勝寺」公称となり、現在の本堂は大正13年(1924年)に建築されました。(リンク先より) << 戻る
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覚成寺-岐阜県安八郡

・覚成寺 浄土真宗本願寺派 岐阜県安八郡安八町西結701本尊は行基作と伝える阿弥陀如来(※1)。寺伝によると、初め天台宗であったが文明12年(1480)願了のとき真宗に改宗という。蓮如は宗祖親鸞の旧跡を巡拝した際に当寺に立ち寄り宿泊した。(リンク先より) << 戻る
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瑞雲院-岐阜県岐阜市

・瑞雲院 臨済宗妙心寺派 岐阜県岐阜市寺町19開山は天縦宗受(てんしょうそうじゅ)大和尚。金寶山瑞龍寺は1468年(応仁2年)後土御門天皇の御代にときの守護代斉藤妙椿(みょうちん)が主君の美濃守護、土岐成頼の菩提所として建立、悟渓宗頓(ごけいそうとん)国師を迎えて開山とした(瑞龍寺誌)。(リンク先より) << 戻る
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瑞龍寺-岐阜県岐阜市

・瑞龍寺 臨済宗妙心寺派 岐阜県岐阜市寺町19応仁二年(一四六八)美濃の国守斉藤利藤公(妙椿大居士)が、主君・土岐成頼公菩提の為当時大徳とあおがれた、悟渓宗頓禅師を迎え開いた。古く飛鳥時代より中林寺、厚見寺などと称した天台宗の寺が在り、その後廃寺となっていた由緒のあるところであった。妙心寺四派中の東海派の祖、悟渓宗頓禅師は荒廃していた寺域を修し、文明二年(一四七〇)に七堂伽藍を完成した。(リンク先より) << 戻る
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光受寺-岐阜県大垣市

・光受寺 真宗大谷派 岐阜県大垣市墨俣町墨俣211光受寺は元濃州安八郡柴間郷二ツ木圧、 天台宗法蔵寺として義兼(泉 智庵)によって創建される。その後、法弟正圓が法蔵寺を継ぎ、正龍、正善に至る。寛永年間(室町1460年~1465年頃)正善は、天台宗から浄土真宗に改宗。深く蓮如上人に帰依し、寺号を廣受寺と改める。(リンク先より) << 戻る
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龍泰寺-岐阜県関市

・龍泰寺 曹洞宗 岐阜県関市下有知5055-1応永14年(1407)第1祖無極慧徹(むごくえてつ)禅師によって開創され、第2祖月江正文大和尚、第3祖開山華叟正萼(かそうしょうがく)大和尚に受け継がれた。(リンク先より) << 戻る
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崇福寺-岐阜県岐阜市

・崇福寺 臨済宗妙心寺派 岐阜県岐阜市長良福光2403-1太白真玄の『峨眉鴉臭集』の一文により、明徳元年(1390)春に、壇越土岐満康が 太清宗渭たいしんそうい (京都・相国寺 塔頭たっちゅう 雲頂院開祖)の直弟、 竜潭宗濬りゅうたんそうえい を住持に詔請した。しかし、多忙のため、その師弟太白真玄にその地位を譲ったため、 太白真玄が赴任し開山となり、大寿山崇福寺が整備されていったことがわかる。(リンク先より) << 戻る
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善教寺-岐阜県加茂郡

・善教寺 浄土真宗本願寺派 岐阜県加茂郡川辺町比久見344-1住職はまだまだ未熟ですが、温かいご門徒さんたちに支えられながら、心安らぐお寺、人の悩みに応えられるお寺を目指しております。地域に開かれた催しも行っていきますので、お気軽にお参りください。 創建正平2年(1347)、改宗(天台から真宗へ)慶長2年(1597)、現本堂慶應2年(1866)建立 << 戻る
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洞泉寺-岐阜県山県市

・洞泉寺 臨済宗妙心寺派 岐阜県山県市高富688延元四年(一三三九)、南朝の後醍醐天皇朝臣杉山義祐が根尾城にて戦死した。(リンク先より) << 戻る
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永保寺-岐阜県多治見市

・永保寺 臨済宗南禅寺派 岐阜県多治見市虎渓山町1-40山号は虎渓山。虎渓の名称は景色が中国廬山の虎渓に似ていることによるといわれています。  1313年(正和2年)土岐氏の招きをうけた夢窓疎石が長瀬山の幽境に庵居しこの禅寺を開創されましたが、 1317年(文保1年)夢窓は同門の元翁本元(仏徳禅師)に寺の後事を託して上京されました。(リンク先より) << 戻る
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龍門寺-岐阜県加茂郡

・龍門寺 臨済宗妙心寺派 岐阜県加茂郡七宗町神渕44311308年、岐阜長良に輪番制の寺として、福光山龍門寺が創建されました。戦国時代に兵火により焼失しましたが、創建後150年ほど後に、当地に移転されました。(リンク先より) << 戻る
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温泉寺-岐阜県下呂市

・温泉寺 臨済宗妙心寺派 岐阜県下呂市下呂町湯ノ島680「天歴年中この地の山中に、はじめて温泉湧出せり。地名を湯ガ峰という。」『飛州志』『斐太後風土記』ともに湯ガ峰の温泉湧出を天暦年間(947~957年)と記していることから、下呂温泉は一千年以上の歴史を持つといわれている。 しかし文永二年(1265年)突然温泉の湧出が止まってしまう。その翌年、毎日の飛騨川の河原に舞い降りる一羽の白鷺に村人が気付く。不思議に思った村人がその場へ行ってみると、温泉が湧いていた。空高く舞い上がった白鷺は、中根山の中腹の松に止まり、その松の下には光り輝く一体の薬師如来が鎮座していた・・・。これが下呂に伝わる白鷺伝説で...
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蓮教寺-岐阜県本巣市

・蓮教寺 浄土真宗本願寺派 岐阜県本巣市浅木120康和5年(1102)年の創設と伝えられます。開基は、清和天皇の末裔で貞純親王の孫にあたります重實で、浅木村(現在の本巣市浅木)に一宇を建立し、釈浄忍となりました。当時は天台宗の寺院で、蓮教院と称しました。 その後、文明年間に美濃の国は、蓮如上人の教化をいただき、「念仏を称え浄土に生まれて仏になる」浄土真宗に帰依をする人々が多くなりました。浅木の蓮教院も、1469年第16代釈宗善のとき、蓮如上人に帰依をし、浄土真宗の寺院となり、寺号を蓮教寺としました。(リンク先より)<< 戻る
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満福寺-岐阜県大垣市

・満福寺 真宗大谷派 岐阜県大垣市墨俣町墨俣131寛和の頃(986年)天台宗の伽藍として創建されたが、熊谷蓮生房の猶子、小太郎直照・祐照法師が浄土真宗の宗祖親鸞聖人に帰依してより、嘉禎元年(1235年)葉栗郡門間の庄足近に金足山・満福寺と号した。(リンク先より) << 戻る
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専精寺-岐阜県不破郡

・専精寺 浄土真宗本願寺派 岐阜県不破郡垂井町1349西暦858年(天安2年)慈覚大師が専精寺の前身である「天台宗 普門山善相院」を創建されました。その後、西暦1328年(元享3年)本願寺3世覚如上人が関東へ御下向の途中当院へお立ち寄りになった際、当寺住職は、覚如上人の教えに賛同し、天台宗より浄土真宗に改宗しました。(リンク先より) << 戻る
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正覺寺-岐阜県安八郡

・正覺寺 浄土真宗本願寺派 岐阜県安八郡神戸町北一色寺伝によれば、弘仁八年(817年)に、天台宗を開かれた伝教大師最澄が、神戸町の日吉神社を創建の折、この地にとどまり、朽ち果てた御堂のなかの聖徳太子の御木像を感得(発見)したことにより、寺院を建てたとあります。 その後は、四百有余年の間、「寂静山 妙行院」として、天台宗の一宇としてありました。承久三年(1221年)、後に法然上人のお弟子となる「東 胤頼」の嫡男、東氏二代「東 重胤」が、承久の乱の際、東海道軍として北条泰時氏に属し、宇治川の戦いで負傷。鎌倉への帰国の最中容態が悪化したため、この寺にて、療養していました。その際、一念発起し、出家。当...
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円鏡寺-岐阜県本巣郡

・円鏡寺 高野山真言宗 岐阜県本巣郡北方町北方1345-1当山は弘仁2年(811年)嵯峨天皇の勅願により「弘法大師」が、創建せられた真言宗の古刹である。(リンク先より) << 戻る
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正尊寺-岐阜県本巣市

・正尊寺 浄土真宗本願寺派 岐阜県本巣市曽井中島1592天台宗横蔵寺(801年伝教大師最澄創設)の末寺として創建された。しかし、室町時代に入り横蔵寺の衰退と共に正尊寺も無住の廃寺同然になっていたと伝えられている。 その当時は現在の中島の地から北西に1㎞くらい離れた向野の南に建っていた。そこへ、文明5年(1473)福井県吉崎御坊の蓮如上人から遣わされた了光坊が、浄土真宗に改宗し本巣町・大野町・谷汲村・糸貫町・網代西郷の門徒と共に荒れ寺を浄土真宗の道場として正尊寺を再建した。(リンク先より)<< 戻る
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華厳寺-岐阜県揖斐郡

・華厳寺 天台宗 岐阜県揖斐郡揖斐川町谷汲徳積23・第三十二番 ⇒ 西国三十三所 第三十三番 谷汲山 華厳寺 ​⇒ 第一番「谷汲さん」の愛称で親しまれる当山は、山号が「谷汲山(たにぐみさん)」、寺号が「華厳寺(けごんじ)」といいます。寺の草創は桓武天皇(737-806)の延暦十七年(798)で開祖は豊然上人、本願は大口大領です。(リンク先より) << 戻る
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林陽寺-岐阜県岐阜市

・林陽寺 曹洞宗 岐阜県岐阜市岩田西3-402弘法大師の草創で大師が全国行脚途中、数年ここに留まったといわれている。 岩田の羽場西遇に村社「八幡神社」(現 伊波乃西神社)がある。大師はその南に、堂宇を建立し、自ら薬師如来の尊像を作って本尊佛としその背後に曼荼羅を添えた。その下に大師23歳の「延暦15年(796)、伊波西乃僧院八幡の境林陽寺僧 空海書」とある。さらに、弘仁5年(814)大師41歳のとき、当寺に再来し、7日間薬師如来の護摩を修し、続いて、芥見大洞願成寺においても大日如来を刻み、灌頂の法を行ったと伝えられている。(リンク先より) << 戻る