便り 瑞相寺-山口県岩国市 ・瑞相寺 浄土宗 山口県岩国市岩国1-14-21現在の8間4面総けやきの本堂は、天和2年(1682年)に建立、安政6年(1859年)に改修されました。御本尊は恵心作と伝わる阿弥陀如来です。阿弥陀如来の向かって右側は慈悲を司る観音菩薩、左側は智慧を司る勢至菩薩です。(リンク先より) << 戻る 1682.01.01 便り年表
便り 祥雲寺-山口県周南市 ・祥雲寺 曹洞宗 山口県周南市平野2-7-26正保2年(1645)平野村内の志願により十一面観音菩薩をまつる一庵を建立し、享保2年(1717)山口県周南市土井建咲院五代目住職祖椿大和尚の時代に曹洞宗寺院となり「祥雲庵」なりました。(リンク先より) << 戻る 1645.01.01 便り年表
便り 専徳寺-山口県岩国市 ・専徳寺 浄土真宗本願寺派 山口県岩国市通津2764厳島合戦に勝利した毛利元就は一族の吉川広家を、弘中氏(当時の岩国城主)に代わって岩国地方を領有させた。広家公は、16年の間岩国の領主となったが、元和2年(1616)に家督を嫡男広正公に譲ると、次男彦次郎君を帯同して、玖珂郡通津村本呂尾に隠居所を構えた。当時、高照山にあった常福寺という真言宗の寺院を改宗し、広正公に対して浄土真宗の一寺建立を願い出た。開基に高森正蓮寺開基了善法師(弘中氏の血統)の3男善超師を迎え、寛永元年(1624)年、光照寺(のち専徳寺)が誕生した。(リンク先より) << 戻る 1624.01.01 便り年表
便り 浄蓮寺-山口県下松市 ・浄蓮寺 浄土真宗本願寺派 山口県下松市美里町2-12-1寺伝によると開基は、大内弘世四代の孫、勝屋左門重治で、父は勝屋右馬允興久と云い陶氏方の武将であった。 興久は徳山・須々万の殿浴山城主であったが、弘治三年(1557)毛利元就との戦いに敗れ、城も落ちて勝屋一族は滅亡する。その際、重治は幼少であったので一命を助けられ、家臣の沼新左衛門・安達藤九郎に伴われて末武荘まで落ちのび、民間に成長した。しかし重治は頼る者もないので、父興久や討たれた家臣の菩提を弔うため発心して出家となり、名を蓮甫と改めた。その後、蓮甫は大島村(徳山・大島)の教西(福間源六広明)と名のる出家と語らって、共に上京し、浄土真宗... 1610.10.17 便り年表
便り 三光寺-山口県宇部市 ・三光寺 浄土真宗本願寺派 山口県宇部市大字東岐波456-1町・戦国時代に西国随一の大名として全盛を迎えた大内氏の菩提寺であり、宗派は天台宗、寺号は「菩提寺」でした。『日野山南麓に、旧寺敷、古墳、鎮守あり』との伝承があることから、寺地は、現在の「門前」と言われる地区にあったと伝わっています。「門前」は、寺の門前にあった故の呼称でしょう。大内氏滅亡の後、当世の住職であった道圓の代に至って一時廃寺となりましたが、その後天正17(1589)年、諸国を遊歴していた道圓は、当時の第11世本願寺門主、顕如上人の弟子となり、法名も了西と改め帰国、天正19(1591)年3月12日、現在の岐波の地に寺地を移して... 1591.03.12 便り年表
便り 大日院光明寺-山口県美祢市 ・大日院光明寺 西山浄土宗 山口県美祢市西厚保町原1266寺伝によると現光明寺の開基は真言時代の旧光明寺焼失からおよそ180年後の天正8年(1580年)であったという。かつてのご本尊大日如来が鎮座する草庵(大日堂)のそばに浄土教寺院として開かれたのである。(リンク先より) << 戻る 1580.01.01 便り年表
便り 酉谷寺-山口県下関市 ・酉谷寺 浄土宗 山口県下関市南部町6-11酉谷寺(ゆうこくじ)は浄土宗(総本山知恩院)の法流にて開山。安土桃山時代、天正四年(1576)に創建された寺です。(リンク先より) << 戻る 1576.01.01 便り年表
便り 満行寺-山口県萩市 ・満行寺 浄土真宗本願寺派 山口県萩市平安古町東区3-268上殿という古い寺のあった地を毛利輝元から下され、天正年間(1573~91)に一宇を建立した。自身の諱をもって寺号とし、土地の名を山号{後年、現在の山号(浄殿)に改める}とした。毛利輝元が広島へ移ったので寺を嫡子祐善に譲り、次男玄徳と共に広島へ移り小庵(現在、広島市東白島町万行寺)を結んだ。防長移封のとき祐伝・祐善は萩に移り、慶長十年(1605)今の地に建立したのが萩満行寺の始まりである。(リンク先より) << 戻る 1573.01.01 便り年表
便り 善教寺-山口県岩国市 ・善教寺 浄土真宗本願寺派 山口県岩国市錦町広瀬6682天正年間に平原に建立。寛永の大火により類焼し、現在の地に再建。(リンク先より)※天正年間 1573年から1593年 << 戻る 1573.01.01 便り年表
便り 誓教寺-山口県下松市 ・誓教寺 浄土真宗本願寺派 山口県下松市切山3471562年の創立以来、ずっと西本願寺の浄土真宗で法灯を継いできました。江戸時代以前は地方寺院の設立規定はそれほど厳しくありませんでした。信者と僧侶で何とか維持できれば、掘立小屋のような寺でも勝手に運営すればよし、という程度のものだったようです。(リンク先より) << 戻る 1562.01.01 便り年表
便り 妙蓮寺-山口県下関市 ・妙蓮寺 浄土真宗本願寺派 山口県下関市蒲生野町415大内義隆の家臣に原田右衛門之尉道信が大永三(一五二三)年仲秋京に上り本願寺九代實如上人に竭し剃髪して法名釋道信を賜り、實如上真筆六字の尊号を頂き、この蒲生野の地に一字を創草する。(リンク先より) << 戻る 1523.01.01 便り年表
便り 光明寺-山口県下関市 ・光明寺 浄土真宗本願寺派 山口県下関市細江町1-7-10 延徳年中(1489~92)に、京都 本願寺の八代目 蓮如上人の弟子となった、常陸の国の釈正善が、長門国に下って、大永年間(1521~28)に豊浦郡西市に堂を建てたことに始まるとされています。(リンク先より) << 戻る 1521.01.01 便り年表
便り 大泉寺-山口県熊毛郡 ・大泉寺 曹洞宗 山口県熊毛郡田布施町別府579大泉寺は1490年代、玄光石白が開基となり真言宗千峰山妙相寺の末寺として創建され、1690~1710年代に天桂寒龍大和尚(龍泉寺三世)によって曹洞宗として再興。現在に至る。(リンク先より) << 戻る 1490.01.01 便り年表
便り 常栄寺-山口県山口市 ・常栄寺 臨済宗東福寺派 山口県山口市宮野下2001-1常栄寺 雪舟庭は大内政弘(おおうちまさひろ)が別邸として建てたもので、庭は雪舟に命じて築庭させたといわれています。康正元年(1455)、政弘の母、妙喜寺殿宗岡妙正大姉(みょうきじでんそうこうみょうしょうだいし)の菩提を弔(とむら)うために別邸を寺とし「妙喜寺(みょうきじ)」としました。一方、常栄寺は毛利元就(もとなり)が長男隆元(たかもと)の菩提を弔うために永禄6年(1563)、高僧竺雲彗心(じくうんえしん)を開山として、安芸(広島)吉田の郡山(こおりやま)城内に建てられました。洞春寺(とうしゅんじ)も妙寿寺(みょうじゅじ)も郡山城内に建... 1455.01.01 便り年表
便り 大寧寺-山口県長門市 ・大寧寺 曹洞宗 山口県長門市深川湯本1074開創 室 町 時 代 応永十七年(1410年)開山:石屋真梁(せきおくしんりょう)禅師開基:長門守護代 鷲頭弘忠(わしのうずひろただ)公(リンク先より) << 戻る 1410.01.01 便り年表
便り 海潮寺-山口県萩市 ・海潮寺(なるほど法話 海潮音) 曹洞宗 山口県萩市北古萩50開創は応永15年(1408)、開山は不見明見。もと石見国温泉津(現、島根県邇摩郡温泉津町)に湯津山海蔵寺が建立されたことに始まる。のち毛利輝元の防長移封に際し、慶長12年(1607)、第12世大佐のとき萩に移り、山号・寺号を現在のものに改めた。(リンク先より) << 戻る 1408.01.01 便り年表
便り 漢陽寺-山口県周南市 ・漢陽寺 臨済宗南禅寺派 山口県周南市鹿野上2872鹿苑山漢陽寺は応安7年(1374)、中国地方を一手に掌握していた大内氏の祈願所として建立され、現在は大本山・南禅寺の別格地として山口県屈指の名刹となっている。 開基は左京大夫であった26代当主・大内盛見公であるが、父の弘世公の治世に庵を建て鹿苑庵としたのが当寺の起こりである。開山は室町時代の高僧・用堂明機禅師。(リンク先より)<< 戻る 1374.01.01 便り年表
便り 永興寺-山口県岩国市 ・永興寺 臨済宗天龍寺派 山口県岩国市横山1-10-27永興寺(ようこうじ)は鎌倉末期の延慶二(1309)年、禅の高僧仏国国師を開山に、大内弘幸によって創建されました。(リンク先より) << 戻る 1309.01.01 便り年表
便り 真照院-山口県山口市 ・真照院 真言宗御室派 山口県山口市秋穂二島5106当山は、寛平8年(896年)近江国石山寺観賢僧正の開創と伝えられています。朝日山正観寺千光院と号し、七堂伽藍整った真言秘密伝法灌頂の道場でした。ところが天正14年(1586年)火災に遭い堂宇消失し、天正16年(1588年)真善坊に合併されました。(リンク先より)・真照院 0896.01.01 便り年表
便り 地蔵院-山口県山口市 ・地蔵院 高野山真言宗 山口県山口市名田島3483天平19年、(747)地蔵院は行基菩薩により創建されました。この地には最初、毎夜霊光が現れるということで、臨済宗の「長安寺」という名でお寺が創建されましたが、その後衰退し明治初年に防府の国分寺の塔中であった「地蔵院」を今の地「岩屋」に移し「岩屋山」と山号を改め真言宗の「岩屋山 地蔵院」となりました。ご本尊様は延命地蔵(リンク先より) << 戻る 0747.01.01 便り年表
便り 国分寺-山口県防府市 ・国分寺 高野山真言宗 山口県防府市国分寺町2-67・安芸 ⇒ 山陽道 周防 国分寺 ⇒ 長門国分寺は、天平13年(741)聖武天皇の勅願(詔)によって諸国に68ケ寺建立された官立の寺院です。その詔の中に『国泰らかに人楽しみ、災除き福至る』と国民の幸せを祈念され、当時流行っていた、疫病・戦乱から国民を守り、五穀の豊作の世となるようにと諸国に建立されました。創建当初の国分寺は、寺域2町四方、その中に、南大門・中門・回廊・金堂・講堂・七重塔などの七堂伽藍がありました。また、本尊は、丈六の釈迦如来でした。国分寺の正式名称は、金光明四天王護国の寺といいます。(リンク先より)<< 戻る 0741.01.01 便り年表
便り 修禅寺-山口県下関市 天平13年(西暦741年)には東大寺建立の四聖の一人である「行基菩薩」が、当山で修行したといわれ、奥の院(聖観音堂)には行基菩薩の御作と伝えられる「聖観世音菩薩」が安置されています。(リンク先より)・修禅寺<< 戻る 0741.01.01 便り年表
便り 浄福寺-山口県山口市 ・浄福寺 高野山真言宗 山口県山口市嘉川265青龍山浄福寺といいます。大宝元年(701)年に役小角により開山された寺で、大内家の祈願寺として栄えた近郷最古の高野山真言宗の寺院です。(リンク先より) << 戻る 0701.01.01 便り年表
便り 龍蔵寺-山口県山口市 ・龍蔵寺 真言宗御室派 山口県山口市吉敷1750文武二年(六九八)神変大菩薩と崇められた僧役小角が、豊後国彦山から掛錫し、奥之院の岩窟に熊野権現を観請し、秘法の護摩供を厳修され「龍の蔵」と名付けられたことに始まる。次いで天平十三年(七四一)行基菩薩がこの霊域に溜まり、自ら千手観音を彫り、寺を建て奉安し「龍蔵寺」と名付けられました。(リンク先より) 0698.01.01 便り年表
便り 廣福寺-山口県宇部市 ・廣福寺 真言宗御室派 山口県宇部市中山80明王山廣福寺と称す。この寺の開基は役の行者(えんのぎょうじゃ)と伝えられる。前諸国遍歴の役の行者は中山の里に紫雲棚引くを見て、この地は仏の住する地なり里人に仏の教えを広めんとして延命地蔵菩薩像を彫刻し小さな庵を建ててこれを祀り里人に仏の教えを説きかたわら十王倶生神 五道の冥官 三途の河の老婆 我造罪刹鬼悪是等を彫刻し地蔵菩薩像と共に安置した(695頃)その後四十五代聖武天皇(724 即位)はこの地蔵尊の霊験殊勝なるを知りて勅願寺とされて天平13年(741)堂宇を建立し当時聖武帝の教僧行基(ぎょうき)に落慶法要の導師を命ぜられた。勅命をうけた行基は堂の... 0695.01.01 便り年表
便り 洞玄寺-山口県山陽小野田市 ・洞玄寺 曹洞宗 山口県山陽小野田市郡1896江戸時代の長州藩の公的文書「寺社由来」によると、西暦635年、物部守屋の三男で厚東氏の祖となった辰孤連(たつこのむらじ)が長門守に任ぜられ、この地に推古天皇の持尊仏(一光三尊阿弥陀仏)をまつり新善光寺を創建したと伝えられている。裏山には、4世紀後半の前方後円墳で長門国の初代長官の墓と言われている有名な長光寺山古墳が眠っている。(リンク先より) 0635.01.01 便り年表
便り 願成寺-山口県美祢市 ・願成寺 曹洞宗 山口県美祢市美東町大田5684615年。百済の国の聖明王の第三皇子であった淋聖太子が推古天皇の御世に、聖徳太子に教えを請おうと渡来された折りに、航海の安全守護の為に供奉されたとの伝えがあります。淋聖太子は、西国第一の守護大名であった大内氏の祖先だと言われている方で、佐波郡多々良浜(現在の防府市)に上陸され、同郡高倉の地に瀬戸内の守護神として祀られ、沖を通る船はよくよく礼を尽くすように伝えられました。(リンク先より) 0615.01.01 便り年表