大阪府

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法界寺-大阪府大阪市北区

・法界寺 浄土宗 大阪府大阪市北区兎我野町15-2法界寺は、文禄2年(1593)に欣西ごんさい法師により開創されました浄土宗寺院であります。豊臣秀吉の大阪城築城による市街地整理の一環として、当時市内に点在していたお寺を6ヶ所に集めたものと言われております。当寺も、その時に天満西寺町の一角に建立されたと考えられております。(リンク先より) << 戻る
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法蔵院-大阪府大阪市天王寺区

・法蔵院 浄土宗 大阪府大阪市天王寺区城南寺町7-4「慈光山 法藏院 徧照寺(じこうざん ほうぞういん へんじょうじ)」と号し、天正5年(1577年)3月15日に「常蓮社住譽慶公和尚(じょうれんじゃじゅうよけいこうかしょう)」によって開山させました。(リンク先より) << 戻る
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玉圓寺-大阪府堺市堺区

・玉圓寺 浄土宗 大阪府堺市堺区甲斐町東5-2-10玉圓寺は、天正四年(1576年)に馨蓮社光譽臺現祐德上人の開基であります。祐德上人は俗名を眞田八郎と称し、第二世涼譽清久上人に至り開基祐德と清久の各一字を取って山号を德清山と称しました。(リンク先より) << 戻る
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宝城庵-大阪府三島郡

・宝城庵 臨済宗大徳寺派 大阪府三島郡島本町桜井3-11-1臨済宗 大徳寺派 補陀山と号す。本尊 聖観世音菩薩 創立年月不詳。往古天台宗応塔寺(小字応堂寺山が現存)の寮舎であったが、天文年間(1532~54)兵火にかかり全焼したとされます。当時の住職宗安僧正の徒弟明宕は、再興の志を継ぎ、禅門に入って修学し、元亀(げんき)2(1571)年、現在地に庵室を立て宝城庵と称し、禅宗に改めました。(リンク先より)・宝城庵-山崎観光案内所
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乗蓮寺-大阪府東大阪市

・乗蓮寺 真宗大谷派 大阪府東大阪市永和2-6-4「乗蓮寺(旧字:乘蓮寺)は、本山本願寺と織田信長、秀吉との戦いである石山合戦(1570~1580年)の頃には、既に存在しており、ご門徒方は炊き出し等の手伝いをされていた」と故 松平博 元大阪府議会 議員(乗蓮寺門徒)は、生前、住職に語られていました。(リンク先より) << 戻る
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浄國寺-大阪府大阪市天王寺区

・浄國寺 浄土宗 大阪府大阪市天王寺区下寺町1-2-36無衰山浄國寺は永禄3年(1560)寂蓮社円誉上人が創建。約450年の歴史ある寺院です。大阪の名所旧跡・時事・風俗などを記した『浪華百事談』に「順慶町通りより御堂筋の西を浄國寺町と呼べり」とあり、もとは西区新町、浄國寺町と呼ばれた所に在したお寺で、創建よりほどなくして現在の松屋町沿いの下寺町にうつりました。(リンク先より) << 戻る
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西王寺-大阪府高槻市

・西王寺 浄土宗 大阪府高槻市成合東の町6-1永禄3年(1560年)の創建で、元禄2年に現在地に再建。山間に抱かれるようにして建つ。現在の本堂と庫裏は、平成7年に建て替えられた。本尊は阿弥陀如来立像で、観音菩薩・勢至菩薩を脇士とする弥陀三尊形式。鎌倉時代後期の作と伝えられている。また珍しい釈迦誕生時の様子の「摩耶夫人像(木造 32センチ 立像)があり、江戸末期の作と伝えられている。(リンク先より)・西王寺<さいおうじ><< 戻る
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光松寺-大阪府高槻市

・光松寺 西山浄土宗 大阪府高槻市大手町2-47伝え書きによると“元良元ノ結ビシ草庵ナリト言フモ記録詳ナラズ”とあるのですが、年号表を調べても不明です。ただ、永禄年間(1558年~)、高山右近の高槻城築城の歳に今の地を“代地”として賜り移転、とも記されております。その折りに、総本山光明寺の法主猊下・顕空登順上人を開山上人として迎え、西山浄土宗の寺院として教義を喧傳(宣傳?)されたということです。(リンク先より) << 戻る
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大蓮寺-大阪府大阪市天王寺区

・如意珠應山極楽院 大蓮寺 浄土宗 大阪府大阪市天王寺区下寺町1-1-30天文19年(1550年)3月5日、時の将軍足利義晴の三男坊・晴誉上人によって、足利家の大坂祈願所として創建されました。正式な山号は「浄土宗如意珠應山極楽院大蓮寺」。当時5千坪を有りしたと言われる大蓮寺は、その頃から大阪屈指の寺院として名高く、近世には徳川家の祈願所として愛護され、浄土宗別格寺院としての威容を誇りました。境内は東西五町南北四町、塔頭8ヶ寺、直末75ヶ寺を有りしたといわれます。(リンク先より) << 戻る
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桂林寺-大阪府豊能郡

・瑞雲山桂林寺 曹洞宗 大阪府豊能郡能勢町宿野264正式には、瑞雲山 桂林寺 と申します。この寺は、天文十七年(1548年)2月、本寺 洞雲寺五世方外雲珠和尚がこの地に桂林庵を結んだことにより同和尚を開祖とし、以後寺運に恵まれ隆盛をきわめました。(リンク先より) << 戻る
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黄梅寺-大阪府門真市

・黄梅寺 曹洞宗 大阪府門真市堂山町11-3「寺伝」によれば、黄梅寺は天文十五年(一五四六)に十三代将軍・足利義輝が創建したと言われています。一方、『門真市史』の「西嶋家譜」によれば、明応二年(一四九三)に自刃した室町幕府管領・畠山政長の次男久俊が、母と共に黄梅寺に身を寄せたと記されています。諸説あるものの、創建は十五世紀末から十六世紀初めと思われます。(リンク先より) << 戻る
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光徳寺-大阪府吹田市

・光徳寺 浄土真宗本願寺派 大阪府吹田市内本町1-4-7寺伝によると、土地の住人道清が1542年(天文11;日本史の授業風にいうと鉄砲伝来の前年)に開基したといわれています。当時、浄土真宗の道場は開基の俗名または法名を以って名づけるのがならわしであったので、この道場は道清と呼ばれたようです。良くも悪くも有名な太閤検地-1594年(文録3年)の摂津国太田郡吹田村検地帳には「はまのとう屋敷三畝道せい」と記されています。後に寺号が許されて「善正寺」といい、1659年(万治3年)の宗旨帳の表にも「善正寺」と見えます。(リンク先より) << 戻る
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光乗寺-大阪府堺市堺区

・光乗寺 浄土真宗本願寺派 大阪府堺市堺区少林寺町西2-1-19当院は、堺市の中心部にあります、浄土真宗のお寺です。延徳(1490年)に道光聖人によって開基され、創立から529年を数えます。(リンク先より) << 戻る
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本願寺堺別院-大阪府堺市堺区

・本願寺堺別院 浄土真宗本願寺派 大阪府堺市堺区神明町東3-1-10蓮如上人は遣明船が帰港した翌年、文明2年6月に堺南庄の紺屋道場円浄に寿像(蓮如上人の肖像)を授けられ、同年10月には堺北庄の山口中町の樫木屋道場道顕に親鸞聖人御絵伝を、さらに文明8年(1476年)には同じく道顕に対して開基道祐の影像を、それぞれ免許されました。(リンク先より)※文明2年 1470年 << 戻る
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称名寺-大阪府茨木市

・称名寺 浄土真宗本願寺派 大阪府茨木市主原町5-37文明年間(1469~1486)に称名寺開基祐西が、蓮如上人に帰依し、念仏道場より始まった寺院で、永正17年(1520)に本願寺より方便法身尊像を授かる歴史の長い寺院です。(リンク先より) << 戻る
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蓮乗寺-大阪府大阪市城東区

・蓮乗寺 真宗大谷派 大阪府大阪市城東区永田4-4-7応仁2年(1468年)に蓮如上人が叡福寺(南河内郡太子町)に参詣する途中、永田村の宮木久兵衛方に立ち寄り、その庭先の石に腰掛けて村人に説法されました。その後、上人の説法が数年に及び、信者の願いによって草庵を建立したのが蓮乗寺のはじまりとのことです。縁起によれば蓮如上人が説法されるとき、池の蛙が鳴くのをやめて上人の教えに聞き入ったとされています。今でも、かえるが鳴くのをやめたという不鳴池(なかずのいけ)や、上人が腰を掛けたという腰掛け石など、当時をしのばせるものが残っています。<< 戻る
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持経寺-大阪府豊能郡

・持経寺のホームページ 法華宗(真門流) 大阪府豊能郡能勢町地黄618-1当寺は、はじめ永持庵、又は智海坊とも称し永享8年(1436)頃に創立されたものと伝えられているが、何時頃か不詳である。 而して天正元年(1573)頃に、多田満仲の末裔、能勢長左衛門頼高が現在の地に移転再興し、開山に総本山開祖日真の弟子智願 院日がんを招せり。(リンク先より) << 戻る
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家原寺-大阪府堺市西区

・家原寺 高野山真言宗 大阪府堺市西区家原寺町1-8-22「智恵の文殊さん」として知られ、別名「落書き寺」としても有名。行基菩薩が誕生した所で、行基37歳の時(慶雲元年)「もとの生家を掃き清めて仏閣となす」と「行基年譜」に記される。行基建立寺院の第一号であるが、いわゆる行基建立四十九院には含まれず、特別扱いされている。叡尊が寛元三年(1245)再興し、行覚が正和五年(1316)菅原寺(大和)の本記をもとに「行基菩薩行状絵伝」(絹本着色、三幅、重要文化財)を描かせて行基を顕彰し行基信仰を推進した。(リンク先より) << 戻る
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一心寺-大阪府大阪市天王寺区

・一心寺 トップページ 浄土宗 大阪府大阪市天王寺区逢坂2-8-69山号:坂松山  院号:高岳院開基:文治元年(1185年)法然上人(リンク先より) << 戻る
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海泉寺-大阪府大阪市浪速区

・海泉寺 浄土宗 大阪府大阪市浪速区恵美須西1-6-15昔この当地がまだ海岸であった頃、作太夫(のちの海泉房)が1184年に海から引き上げた洒落木が観音像であったことがきっかけで剃髪した。1185年に法然上人が四天王寺を参詣された時、新別所と名付けられた今の一心寺のあたりにて念仏を唱えられた。その時に海泉房がお袈裟と阿弥陀三尊来迎図を法然上人より授かり念仏修行をしていた草庵が海泉寺の始まり、といわれています。(リンク先より) << 戻る
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大念佛寺-大阪府大阪市平野区

・大念佛寺の公式サイト 融通念仏宗 大阪府大阪市平野区平野上町1-7-261127年、聖徳太子信仰の厚かった良忍上人が四天王寺に立ち寄った際、太子から夢のお告げを受け、鳥羽上皇の勅願により平野に根本道場として創建したのが始まり。(リンク先より) 平安末期以降広まった念仏信仰の先駆けとなり、国産念仏門の最初の宗派で日本最初の念仏道場と言われる。その後、火災などで荒廃するが、元禄期(1700年頃)に本山として体裁が整い、現在に至る。融通念佛宗の総本山。(リンク先より)<< 戻る
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七宝瀧寺-大阪府泉佐野市

・犬鳴山七宝瀧寺 真言宗犬鳴派 大阪府泉佐野市大木8淳和天皇(824〜834)の時、天下大早魃があり、そこで淳和天皇は諸国の霊山、神社仏閣に祈雨の祈願をさせ、当山でも住侶が本尊不動明王に祈雨の大法を修しました。すると霊験空しからず、泉州一円は慈雨に恵まれることができました。そこで淳和天皇は、犬鳴山中にある著名な七瀑を金銀などの七宝に因んで、 七宝瀧寺と命名しました。(リンク先より) << 戻る
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天鷲寺-大阪府大阪市天王寺区

・天鷲寺公式ホームページ 天台宗 大阪府大阪市天王寺区六万体町3-18平安時代延暦24年(805年)7月に天台宗宗祖『傳教大師最澄』によって開創されたこのお寺は『傳教大師入唐求法帰朝記念のお寺』としてその由緒と格式を現在に伝えている。(リンク先より) << 戻る
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教應寺-大阪府大阪市東淀川区

・教應寺 真宗大谷派 大阪府大阪市東淀川区豊里3-13-16教応寺のある東淀川区豊里地域は、かつて聖徳太子が度々足を運ばれ、四天王寺建立の候補地と考えられていた地であります。その地に、唐から帰られた伝教大師最澄が立ち寄られ「法上寺」(805年頃草創)を建てられます。それが教応寺のはじまりと伝えられています。その後、永正14(1517)年真宗に改宗し、天和3(1683)年、寺号を「敎應寺」と改めております。(リンク先より) << 戻る
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自敬寺-大阪府大阪市淀川区

・自敬寺のホームページ 黄檗宗 大阪府大阪市淀川区西三国2-12-43749年~759年 奈良時代(天平勝宝年間)行基菩薩によって「仏生山金光寺」として創建されました。 1576年 天正4年(室町時代中期)現在のご本尊である「十一面観世音菩薩」が作られました。(リンク先より) << 戻る
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往生院六萬寺-大阪府東大阪市

・往生院六萬寺 単立 大阪府東大阪市六万寺町1-22-36天平17年(745年)、行基菩薩49院建立の折に、聖武天皇の勅願により、桜井寺荒廃の跡へ、六萬寺を再建し、薬師如来を本尊としていたことが伝わっています。それ以前も文武天皇の時、役小角(修験道の開祖)が来山し、背後の岩瀧山にこもり、修験錬行の地としていたことも伝えられています。(リンク先より) << 戻る
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三津寺-大阪府大阪市中央区

・七宝山大福院 三津寺 真言宗御室派 大阪府大阪市中央区心斎橋筋2-7-12七宝山 大福院 三津寺(しっぽうざん だいふくいん みつてら)は、応神天皇を葬り奉った御墓所として、奈良時代の名僧・行基菩薩が楠を植えたのを始まりとし、のちに聖武天皇の勅命によって天平16年(744年)に行基菩薩が十一面観世音菩薩を安置した本堂を創建したことをもって開山とされています。また、七宝山という山号は、小松宮さまがお寺をご訪問された際に下賜されたものであります。(リンク先より) << 戻る
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常光円満寺-大阪府吹田市

・常光円満寺 高野山真言宗 大阪府吹田市元町28-13常光円満寺は735年、行基という僧によって開山された由緒あるお寺です。最盛期は数万坪という広大な寺領荘園をもち足利将軍や名将吹田氏が自らの菩提寺として深く信仰されていたとのことですが、応仁の乱の兵火によって全焼。寺領荘園の全てを失ってしまうのです。(リンク先より) << 戻る
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東光院-大阪府豊中市

・仏日山吉祥林 東光院 萩の寺 曹洞宗 大阪府豊中市南桜塚1-12-7東光院萩の寺は、天平7年(735)行基開創による曹洞宗別格地寺院です。もとは大坂豊崎の里(摂津国西成郡豊崎村下三番、現在の北区中津)にあって、境内に萩多く、通称「萩の寺」として親しまれ、「南の四天王寺、北の東光院」と並び称された格式ある古刹でした。大正3年(1914)、阪急電車敷設により現在地に移転しました。(リンク先より) << 戻る
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興徳寺-大阪府大阪市天王寺区

・興徳寺 高野山真言宗 大阪府大阪市天王寺区餌差町2-17聖徳太子存世中に今の法円坂付近に「薬師院」として創建され、天平年間(729~749)に行基菩薩によって再建された畿内49ケ院のひとつと言われていますが、第二次世界大戦の大阪大空襲にて現在の山門以外の諸堂を焼失したため詳細は不明です。(リンク先より) << 戻る
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勝尾寺-大阪府箕面市

・勝尾寺 高野山真言宗 大阪府箕面市粟生間谷2914-1・第二十二番 ⇒ 西国三十三所 第二十三番 応頂山 勝尾寺 ⇒ 第二十四番創建は神亀四年(727)、善仲、善算の双子兄弟が草庵を構え修業されたことに始まる。そののち天平神護元年(765)、光仁天皇の皇子開成が二師出逢い止住し、宝亀六年(775)七月十三日般若台に大般若経六百巻を理経して一寺を建て、彌勒寺と号し、開山に至る。(リンク先より) 開山堂には、善仲、善算と開成皇子の木像が安置され、毎年十月二十九日は宮内庁と本寺で御正辰祭が勤められる。また彌勒寺当時、本堂のあった場所は、いま彌勒菩薩の大仏が大阪平野を見下ろし鎮座されている。宝亀十一...
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慈恩寺-大阪府池田市

・慈恩寺 曹洞宗 大阪府池田市吉田町485草創は725年(神亀2年)聖武天皇の勅(民の平安を図る)を受け、京へ通ず街道の要路「長尾山山頂」に往来安全・人民安泰祈願道場として毘沙門天・大黒天・弁財天を奉安しお堂を創建したのが甫まりです。その後は弘法大師により中興され慈薗寺として法灯が受け継がれ、1721年吉田町に創建された禅道場『陽松庵』が、その外護者の大半が細河住民であったこともあり、 同寺に庇護されるところとなって「慈恩寺」と生まれ変わることになりました。人の往来が谷筋に変わった事もあり、明治20年(1887)10月現在地に移転されて今日に至ります。(リンク先より) << 戻る