便り 正法寺-岐阜県岐阜市 ・正法寺 黄檗宗 岐阜県岐阜市大仏町8金鳳山正法寺は、京都宇治黄檗山万福寺の末寺である。第十一代惟中和尚は、歴代の大地震および大飢饉の災霊の祈願をたて、奈良東大寺大仏の聖徳を敬って、ここに大釈迦如来像の建立をはかりました。(リンク先より) << 戻る 2018.10.04 便り
便り 日本寺-千葉県安房郡 ・鋸山 日本寺 公式サイト 曹洞宗 千葉県安房郡鋸南町元名184-4日本寺は約1300年前、聖武天皇の勅詔を受けて、行基菩薩によって開かれた関東最古の勅願所です。鋸山(のこぎりやま)の南側斜面10万坪余りを境内としており、豊かな自然の中を散策しながら、大仏様(薬師瑠璃光如来)、百尺観音像、千五百羅漢石像群などをお参りすることが出来ます。(リンク先より) << 戻る 2018.09.14 便り
便り 高徳院-神奈川県鎌倉市 – 鎌倉大仏 ・高徳院 浄土宗 神奈川県鎌倉市長谷4-2-28高徳院(詳名: 大異山高徳院清浄泉寺)は、法然上人(1133 ~ 1212 年)を開祖とする浄土宗の仏教寺院です。法然上人は、善悪、男女、年齢、身分などの別なく、万人の救済を本願とされる西方極楽浄土の教主、阿弥陀如来に帰依されました。(リンク先より) << 戻る 2018.09.12 便り
便り 金毘羅密寺-北海道札幌市西区 ・金毘羅密寺 高野山真言宗 北海道札幌市西区宮の沢1条5丁目23−21昭和63年、北海道十三佛霊場第三番札所として、御本尊文殊菩薩さまをお迎えするに当たり、四国八十八ケ所に準ずる霊場寺院として、参拝者をお迎えする態勢を整える事を目標とし大佛さまの造顕を計画、15年の歳月を費やし、由肥正雄・林瑞朋両佛師によって札幌大佛さまが具現されました。(リンク先より) << 戻る 1988.01.01 便り年表
便り 清大寺(越前大仏)-福井県勝山市 ・清大寺(越前大仏) 臨済宗妙心寺派 福井県勝山市片瀬50字1-1昭和62年5月28日に落慶した清大寺は、大実業家である多田清翁の一大願心で建立されました。広大な境内には緒伽藍が整然と配置されさらに大小多数の仏像が安置されております。 平成14年末に宗教法人として認証され、21世紀以降に向けて歴史を刻むべく大きく歩みだした寺院です。過去の歴史に縛り付けられていない無限の可能性を秘めた寺院といえるでしょう。(リンク先より)※昭和62年 1987年<< 戻る 1987.05.28 便り年表
便り 青龍寺-青森県青森市 ・青龍寺 単立 青森県青森市桑原字山崎45-2開山織田隆弘師は仏法興隆への篤い思いと「伽藍が無言の説法をする」との揺るぎない信念から、自然豊かな桑原の地に一大霊場を開くことを決意されました。 昭和57年、高野山東京別院旧書院を譲り受け移築復元し、昭和59年には隆弘師の大願が結実し、稲山中腹に日本最大の青銅座像仏、昭和大仏造立が成り、平成4年には金堂建立と大事業を続けざまに成満されました。(リンク先より)<< 戻る 1982.01.01 便り年表
便り 光照寺-福井県福井市 ・光照寺 天台宗 福井県福井市花月1-1-261)旧本尊(開創時~一乗谷時代)阿弥陀如来像2)本 尊(手違いの阿弥陀如来立像)3)足引きの釈迦如来4)聖観世音菩薩5)福井大仏観音(昭和31年開眼)*西山光照寺の福井移転は慶長11年(1606年) (リンク先より) << 戻る 1606.01.01 便り年表
便り 願成寺-福島県喜多方市 ・願成寺 浄土宗 福島県喜多方市上三宮町上三宮字籬山833叶山 三寳院 願成寺と申します。嘉禄三年(1227年)、法然上人の高弟 隆寛律師 御開山、開基はその弟子 實成房上人。大施主は、時の領主であり、頼朝の供奉員 佐原十郎義連公。(リンク先より) << 戻る 1227.01.01 便り年表
便り 能福寺-兵庫県神戸市兵庫区 ・能福寺 天台宗 兵庫県神戸市兵庫区北逆瀬川町1-39延暦24年(805年)伝教大師の開基から1200年以上の年月が経過。神戸の民衆に支えられ、戦争、火事、地震など様々な困難を乗り越え、灯火を御守りしております。(リンク先より) << 戻る 0805.01.01 便り年表
便り 東大寺-奈良県奈良市 ・東大寺 華厳宗 奈良県奈良市雑司町406-1・対馬 ⇒ 畿内 大和 総国分寺(東大寺) ⇒ 山城天平13年(741)に、国分寺・国分尼寺(金光明寺・法華寺)建立の詔が発せられたのに伴い、この金鍾山寺が昇格して大和金光明四天王護国之寺となり、これが東大寺の前身寺院とされる。(リンク先より) << 戻る 0741.01.01 便り年表
便り 壷阪寺-奈良県高市郡 ・壷阪寺 真言宗 奈良県高市郡高取町壷阪3・第五番 ⇒ 西国三十三所 第六番 壺阪山 南法華寺 (壺阪寺) ⇒ 第七番創建は寺蔵の『南法花寺古老伝』によると、大宝3年(703)年に元興寺の僧、弁基上人がこの山で修行していたところ、愛用の水晶の壺を坂の上の庵に納め、感得した観音像を刻んでまつったのが始まりと言われる(リンク先より) << 戻る 0703.01.01 便り年表