京都府

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六道珍皇寺-京都府京都市東山区

・六道珍皇寺 臨済宗建仁寺派 京都府京都市東山区大和大路通四条下る四丁目小松町595当寺の開基は、奈良の大安寺の住持で弘法大師の師にあたる慶俊僧都(きょうしゅんそうず)で、平安前期の延暦年間(782年〜805年)の開創である。当寺は、古くは愛宕寺(おたぎでら)とも呼ばれた。 しかし当寺の建立には、諸説があり空海説(「叡山記録」ほか)や小野篁説(伊呂波字類抄・今昔物語集)をはじめ、一説には宝皇寺(ほうこうじ)の後身説もある。宝皇寺とは、東山阿弥陀ヶ峰(あみだがみね)(鳥辺山)山麓一帯に住んでいた鳥部氏が建立した寺で鳥部寺とも呼ばれていたが、今はその遺址(いし)も明らかでない。(リンク先より)<<...
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神護寺-京都府京都市右京区

・高雄山神護寺 高野山真言宗 京都府京都市右京区梅ヶ畑高雄町5平安遷都の提唱者であり、また新都市造営の推進者として知られる和気清麻呂は、天応元年(781)、国家安泰を祈願し河内に神願寺を、またほぼ同じ時期に、山城に私寺として高雄山寺を建立している。 神願寺が実際どこにあったのか、確かな資料が残っていないため、いまだ確認されていないが、その発願は和気清麻呂がかねて宇佐八幡大紳の神託を請うた時「一切経を写し、仏像を作り、最勝王経を読誦して一伽藍を建て,万代安寧を祈願せよ」というお告げを受け,その心願を成就するためと伝えられ、寺名もそこに由来している。また、私寺として建てられた高雄山寺は、海抜900...
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鞍馬寺-京都府京都市左京区

・鞍馬寺 鞍馬弘教 京都府京都市左京区鞍馬本町1074『鞍馬蓋寺縁起』によれば、奈良時代末期の宝亀元年(770) 奈良・唐招提寺の鑑真和上(688~763年)の高弟・鑑禎上人は、正月4日寅の夜の夢告と白馬の導きで鞍馬山に登山、鬼女に襲われたところを毘沙門天に助けられ、毘沙門天を祀る草庵を結びました。 桓武天皇が長岡京から平安京に遷都してから2年後の延暦15年 (796) 造東寺長官、藤原伊勢人が観世音を奉安する一宇の建立を念願し、夢告と白馬の援けを得て登った鞍馬山には、鑑禎上人の草庵があって毘沙門天が安置されていました。そこで、「毘沙門天も観世音も根本は一体のものである」という夢告が再びあった...
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三室戸寺-京都府宇治市

・三室戸寺 本山修験宗 京都府宇治市菟道滋賀谷21・第九番 ⇒ 西国三十三所 第十番 明星山 三室戸寺 ⇒ 第十一番宝亀元年(西暦770年)のこと、光仁天皇が宮中に毎夜金色の霊光がさし込むのを御覧になって、この奇瑞を大変お喜びになり、右少弁犬養に勅して、霊光の源を尋ねさせられた。 犬養は都に立ち帰り事の始終を天皇に奏上申し上げると、天皇の叡感殊の外深く、早速宮中に尊像をおむかえになつたが、その後、行表禅師を招き、御室をこの地に移して、この尊像を本尊として安置して御室戸寺と称するよう勅されたのである。(リンク先より)<< 戻る
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愛宕念仏寺-京都府京都市右京区

・愛宕念仏寺 天台宗 京都府京都市右京区嵯峨鳥居本深谷町2-5奈良時代・天平神護二年(766)に、聖武天皇の娘の称徳天皇によって現在の東山松原通の地に寺が建立されます。 当時はこの地を、山城国愛宕郡(おたぎごうり)と言いましたが、この寺も愛宕の地に最初に建てられたので愛宕寺と名付けられました。(リンク先より) << 戻る
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海住山寺-京都府木津川市

・海住山寺 真言宗智山派 京都府木津川市加茂町例幣海住山20海住山の中腹、幽邃の地に、当海住山寺が創建されたのは、恭仁京造宮にさきだつ六年前、天平七年(735)のことと伝えられております。大盧舎那仏造立を発願あそばれた聖武天皇が、その工事の平安を祈るため、良弁僧正に勅して一宇を建てさせ、十一面観音菩薩を安置して、藤尾山観音寺と名づけたのに始まるということです。(リンク先より) << 戻る
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岩船寺-京都府木津川市

・岩船寺 真言律宗 京都府木津川市大字岩船小字上ノ門43岩船寺は、729年に聖武天皇が行基に阿弥陀堂を建立させたことに始まります。。<< 戻る
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松尾寺-京都府舞鶴市

・松尾寺 真言宗醍醐派 京都府舞鶴市松尾532・第二十八番 ⇒ 西国三十三所 第二十九番 青葉山 松尾寺 ​⇒ 第三十番慶雲年中、唐の僧、威光上人が当山の二つの峰を望んで、中国に山容の似た馬耳山という霊験のある山があったことを想起された。登山したところ、果せるかな松の大樹の下に馬頭観音を感得し、草庵をを結ばれたのが、和銅元年(七〇八年)と伝えられる。(リンク先より) << 戻る
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成相寺-京都府宮津市

・成相寺 橋立真言宗 京都府宮津市成相寺339・第二十七番 ⇒ 西国三十三所 第二十八番 成相山 成相寺 ⇒ 第二十九番成相寺(なりあいじ)は日本三景天橋立を眼下に望む景勝地にあり、元々は日本古来の山岳宗教の修験場で、日本全国にある五つの「聖の住む所」の一つとして信仰を集めてまいりました。慶雲元年(704)に文武天皇の勅願寺として真応上人が創建したと伝えられ、本尊は身代わり観音、美人観音として名高い聖観世音菩薩です。(リンク先より) << 戻る
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毘沙門堂-京都府京都市山科区

・毘沙門堂 天台宗 京都府京都市山科区朱稲荷山町18毘沙門堂は天台宗五箇室門跡のひとつで、高い寺格と鄙びた山寺の風情を伝える古刹である。ご本尊に京の七福神のひとつ毘沙門天を祀ることからこの名がある。 創建は大宝三年(703)文武天皇の勅願で僧行基によって開かれた。当初は出雲路(上京区・御所の北方)にあったことから護法山出雲寺といった。その後、たび重なる戦乱から苦難の道をたどり、寛文五年(1665)、山科安朱の地に再建。後西天皇の皇子公弁法親王が入寺してより門跡寺院となった。伝教大師が唐より将来された鎮将夜叉法という行法は、天台五箇大法のひとつとして当門跡だけに伝わる秘法である。(リンク先より)...
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誓願寺-京都府京都市中京区

・誓願寺 浄土宗西山深草派 京都府京都市中京区新京極三条下る桜之町453誓願寺は飛鳥時代、天智天皇6年(667)、天皇の勅願により創建されました。もともとは奈良にあったのですが、鎌倉初期に京都の一条小川(現在の上京区元誓願寺通小川西入る)に移転し、その後、天正19年(1591)に豊臣秀吉の寺町整備に際して現在の三条寺町の地に移されました。(リンク先より) << 戻る
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寂光院-京都府京都市左京区

・寂光院 天台宗 京都府京都市左京区大原草生町676寂光院は天台宗の尼寺で、山号を玉泉寺といい、推古2(594)年に聖徳太子が父・用明天皇の菩提を弔うために建立されたと伝えられる。当初の本尊は、聖徳太子御作と伝えられる六万体地蔵尊であったが現存しない。(リンク先より) << 戻る