便り 西光寺-静岡県磐田市 ・西光寺 時宗 静岡県磐田市見付3353-1文永2年(1265)4月8日に、真言宗の傾木和尚が、この地にお堂を建立されました。その後、12年の年月を経てようやく寺院の形が整い、ご本尊の開眼を迎えるだけになりました。傾木和尚は、ご本尊の開眼を当時一切衆生の済度を志し、全国を遊行されている一遍上人にお願いしたいとお考えになりました。(リンク先より) << 戻る 1265.04.08 便り年表
便り 禅興寺-宮城県黒川郡 ・禅興寺 臨済宗妙心寺派 宮城県黒川郡大和町吉田字長福寺1禪興寺は文永2 年(1265)松島円福寺一世法心性西(ほっしんしょうさい) 禅師によって開創され、寺号を長福寺と称しました。 現在、禪興寺周辺の地域を長福寺囲いと呼んでいますが、往時の寺号に由来するものです。(リンク先より) << 戻る 1265.01.01 便り年表
便り 妙高寺-新潟県小千谷市 ・妙高寺 曹洞宗 新潟県小千谷市川井114妙高寺は740年余り前の鎌倉時代、1265年(文永2年)内ケ巻城主(現在の小千谷市川井内ケ巻)で新田氏の一族 田中大炊介源義房(たなかおおいのすけみなもとのよしふさ)により創建された曹洞宗の寺院です。(リンク先より) << 戻る 1265.01.01 便り年表
便り 称名寺-奈良県奈良市 ・称名寺 西山浄土宗 奈良県奈良市菖蒲池町7称名寺は、南都興福寺の学僧であった専英、琳英の兄弟が、法相学を修めた後、弥陀本願の法に触れ念佛の教えを乞うた京都西山三鈷寺の澄忍上人と力をあわせて建立した常行念佛の道場を創始とし、その創建は、文永2年(1265・鎌倉時代)と伝えられる。当初は興福寺の北に位置していた為、興北寺とも呼ばれていたが、室町時代に現在の地に移転された。(リンク先より) << 戻る 1265.01.01 便り年表
便り 大正寺-山梨県富士吉田市 ・大正寺 浄土真宗本願寺派 山梨県富士吉田市新倉621当山は今を去ること約750年前(文永年間)に祖門六老僧の随一源誓上人に創設され、宗祖親鸞聖人御真筆の無碍光如来の画像を安置した草庵が当所字宮の下にありました。 文安年間(1440年代)に本願寺中興の祖の第8世蓮如上人が当地を御巡錫した際、藤原氏の末裔であった当国城山(本郡福地村字新屋の南にあり)の城主の遠山伊豆守重正が蓮如上人に帰依し法名乗欽を賜りました。(リンク先より)※文永年間 1264年から1275年<< 戻る 1264.01.01 便り年表
便り 妙喜寺-愛知県西尾市 ・願王山妙喜寺 曹洞宗 愛知県西尾市江原町屋敷16人皇90代亀山天皇の御宇、文永元年(1264)江原城城主江原丹波守により開創され、開山は天桂膳薫大和尚である。本尊地蔵願王菩薩木座像(体内仏を治め厨子入)の像裏に『永正9年7月24日刀始』と記載され、当寺開創当時のものと推定されるが作者は不明である。(リンク先より) << 戻る 1264.01.01 便り年表
便り 弘長寺-新潟県南魚沼市 ・弘長寺 時宗 新潟県南魚沼市六日町2303弘長寺は、元々は天台宗延暦寺の末寺であり、弘長元年(1261年頃)、六日町大柳の地に金城山弘長庵として開山しました。そして、正応2年(1289年)5月(鎌倉時代後期)に時宗二祖真教上人とその弟子長真がこの地に足を止めて、天台宗の寺院から時宗の寺院へと改宗しました。この年を時宗寺院として弘長寺の開基と致します。(リンク先より) << 戻る 1261.01.01 便り年表
便り 金胎寺-富山県射水市 ・金胎寺 高野山真言宗 富山県射水市戸破3315護国山金胎寺は文応元年(1260)頃、高野山大楽院信顕阿闍梨が北陸巡業の折、越中に滞在し、当地に金剛界・胎蔵界の両曼荼羅を安置し、加茂社の神宮寺として草創されました。本堂の天井中央には、周囲に菊華紋をあしらった、墨絵の竜眼図が描かれています。この寺は北陸で一番最初に前田利家の兄である前田安勝公により西国三十三観音に習い越中一国三十三観音の十五番札所(本尊秘仏千手千眼観音菩薩像)に定められた寺でもあります。(リンク先より) << 戻る 1260.01.01 便り年表
便り 安住寺-大分県杵築市 ・安住寺 臨済宗南禅寺派 大分県杵築市大字南杵築379正元元年(1259)鎌倉時代、木付初代親重公の創始により、2月18日洛東の東福寺より、聖一国師・円爾弁円大和尚を勧請し開山の式を挙げ、安住寺の「開祖」とした。また安岐郷の金胎興竜蜜寺、仏山正眼和尚を住持とした。(リンク先より) << 戻る 1259.01.01 便り年表
便り 建長寺-神奈川県鎌倉市 ・大本山 建長寺の公式ページ 臨済宗建長寺派 神奈川県鎌倉市山ノ内8建長7年(1255)2月に造られた梵鐘(国宝)に「建長禅寺」とあるように、当寺は我が国で最初に”禅寺”と称した中国宋朝風の臨済禅だけを修行する専門道場である。およそ、中世を通じての寺院は、1か寺で天台宗と真言宗・浄土宗などを兼ねている例が多かったから、建長寺のような1寺1宗という浄刹はたいへん珍しかったといえる。しかし、寺が建てられる前の寺域は、地獄谷とよばれた罪人の処刑場になっていたと伝えられていた。この谷に地蔵菩薩を本尊とする伽羅陀山心平寺という仏堂が建っていたが、建長寺を開創するにさいし、時頼によって堂は巨福呂坂に移され... 1255.02.01 便り年表
便り 聖壽寺-岩手県盛岡市 ・聖壽寺 臨済宗妙心寺派 岩手県盛岡市北山2-12-15「聖寿寺」は建長六年(1254)、南部家第二代南部実光公により初代光行公の菩提を弔うため、現在の青森県三戸郡南部町に創建されたことに始まる。開山は三光国師( 孤峰覚妙 1271~1361)、本尊は釈迦如来。かつてその一帯は南部氏の居城になっており本三戸城(もとさんのへじょう)と呼ばれていたが、後世になって聖寿寺館(しょうじゅじだて)とも呼ばれるようになった。(リンク先より) << 戻る 1254.01.01 便り年表
便り 龍泉院-千葉県柏市 ・龍泉院 曹洞宗 千葉県柏市泉81開創 建長五年(1253年)、相馬氏によるといわれております。道元禅師が54歳で入寂された年です。ご開山 木更津の眞如寺第六世量指長英大和尚(1555年寂)をお迎えして曹洞宗として開山(リンク先より) << 戻る 1253.01.01 便り年表
便り 玉川寺-山形県鶴岡市 ・玉川寺 曹洞宗 山形県鶴岡市羽黒町玉川字玉川35玉川寺は、今から凡そ7百有余年前の鎌倉時代(1251年)に開かれた曹洞宗(禅宗)の寺院です。この寺を開いた了然法明禅師は、朝鮮高麗国の生まれで中国の径山寺で修行され、日本に渡来し、この地に留まり禅を広めました。大本山永平寺開祖道元禅師の高弟でもありました。(リンク先より) << 戻る 1251.01.01 便り年表
便り 圓福寺-愛知県岡崎市 ・圓福寺 浄土宗西山深草派 愛知県岡崎市岩津町字檀之上85円福寺(えんぷくじ)の歴史は、建長三年(一二五一)浄土宗の西山深草派祖(せいざんふかくさはそ)円空(えんぐう)上人が京都深草の里に真宗院(しんじゅいん)を建立したことに始まります。円空上人は、浄土宗を開いた法然(ほうねん)上人の孫弟子に当たり、師匠西山(せいざん)上人から法然上人の教えを正しく受け継いだ方です。(リンク先より) << 戻る 1251.01.01 便り年表
便り 法通寺-愛知県常滑市 ・法通寺 真宗大谷派 愛知県常滑市港町5-21鎌倉時代、当山は内海の庄にあり1250年(建長2年)開基釋明了の時に浄土真宗に改宗する。それより成岩の庄、榎戸の地に移転する。(リンク先より) << 戻る 1250.01.01 便り年表
便り 善永寺-東京都大田区 ・善永寺 浄土真宗本願寺派 東京都大田区萩中1-11-24創 建 建長年間(1249-1256年)武蔵の国 品川 高輪台に創建された当初は浄土宗鎮西派だった。開 基 慈信房善鸞(親鸞聖人の長男)(リンク先より) << 戻る 1249.01.01 便り年表
便り 道仙寺-岡山県美作市 ・道仙寺 真言宗醍醐派 岡山県美作市後山59岡山県下一の高峰、奈良の大峯山と並ぶ修験道の行場として知られる霊山後山。7世紀頃、修験道の開祖とされる役行者(えんのぎょうじゃ、役の小角)が後山に入り、修験道の道を開いたとする説が残されています。建長年間(1249~1255年)に僧徹雲法印が延命山道仙寺を建立すると、霊山後山の修験道は次第に発展していき、15世紀になると多くの山伏が修行に訪れるようになりました。(リンク先より) << 戻る 1249.01.01 便り年表
便り 西方寺-愛知県碧南市 ・西方寺 真宗大谷派 愛知県碧南市浜寺町2-19棚尾村に、光照寺(光正寺との文書もある)と称する天台宗の寺があった。僧念雅(宝治2年・1248年没)の代に親鸞に帰依して、真宗に改宗したという。蓮如が三河地方をめぐり、真宗興隆の時代を迎えて、十五代念法は、明応5年(1496)に現在の大浜の地に寺を移し、名を西方寺と改めた。(リンク先より) << 戻る 1248.01.01 便り年表
便り 普願寺-長野県須坂市 ・普願寺 浄土真宗本願寺派 長野県須坂市南原町353普願寺は、1247年(宝治元年)に初代賢阿房信性が秩父大岩の里に一宇を建立したのが始まりです。寺号は、1314年本願寺の覚如上人より奉受したものです。当初は、武州秩父の大岩の郷にあったことから、大岩山『普願寺』と称しております。1351年に須坂の日滝の地に移住し、更にその後1555年、現在の須坂市南原の地に移転して今日に至っております。(リンク先より) << 戻る 1247.01.01 便り年表
便り 家原寺-大阪府堺市西区 ・家原寺 高野山真言宗 大阪府堺市西区家原寺町1-8-22「智恵の文殊さん」として知られ、別名「落書き寺」としても有名。行基菩薩が誕生した所で、行基37歳の時(慶雲元年)「もとの生家を掃き清めて仏閣となす」と「行基年譜」に記される。行基建立寺院の第一号であるが、いわゆる行基建立四十九院には含まれず、特別扱いされている。叡尊が寛元三年(1245)再興し、行覚が正和五年(1316)菅原寺(大和)の本記をもとに「行基菩薩行状絵伝」(絹本着色、三幅、重要文化財)を描かせて行基を顕彰し行基信仰を推進した。(リンク先より) << 戻る 1245.01.01 便り年表
便り 大興善寺-福岡県北九州市小倉南区 ・大興善寺 曹洞宗 福岡県北九州市小倉南区蒲生2-8-6大興善寺は北九州市小倉南区蒲生のわしみね山の麓にあり、山号を鷲峰山と称します。「鷲峰山縁起」によると奈良西大寺の興正菩薩睿尊を請開山として寛元3年(1245)に建立された 律宗の寺院でしたが現在は現在は禅宗のひとつである曹洞宗の寺院です。(リンク先より) << 戻る 1245.01.01 便り年表
便り 養寿院-埼玉県川越市 ・青龍山養寿院 曹洞宗 埼玉県川越市元町2-11-2養寿院は、寛元二年(1244年)、河越太郎重頼の曾孫にあたる経重が開基となり、大阿闍梨圓慶法印が開いたお寺です。天文四年(1535年)時の住職隆専上人、曹洞宗太源派下扇叟守慶和尚の道風を慕い寺を付属。江戸時代に御朱印十石を賜るなど、歴代川越城主の信仰も篤く多いに栄え、近年まで曹洞宗専門僧堂(修行道場)として多くの人材を輩出してきた曹洞宗の古刹です。(リンク先より) << 戻る 1244.01.01 便り年表
便り 浄教寺-奈良県奈良市 ・浄教寺 浄土真宗本願寺派 奈良県奈良市上三条町18浄教寺は寛元二年(1244)、行延法師によって開基され、今日に至っております。行延法師(1206‐1280)は、河内国八尾の庄司真野行延(まの ゆきのぶ)といい、智勇兼備の武士であったが、浄土真宗、開祖親鸞聖人の直弟子となり、寛元二年三月出家して、法名を行延(ぎょうえん)と賜う。と浄教寺由緒略記に記されている。(リンク先より) << 戻る 1244.01.01 便り年表
便り 永平寺-福井県吉田郡 ・永平寺 曹洞宗 福井県吉田郡永平寺町志比5-15道元さまが四十三歳の頃、俗弟子であった波多野義重公の招きにより、越前の地に赴きます。翌年、道元さまは大仏寺を開き、二年後に「永平寺」と改称します。永平寺では、如浄禅師の教えに従い、たとえ一人でも、正しいみ仏の教えを伝え行ずる者を育てようと身心を尽くされました。(リンク先より)※創建は寛元2年(1244年)、山号を吉祥山と称し、開山は道元、本尊は釈迦如来・弥勒仏・阿弥陀如来の三世仏。 << 戻る 1244.01.01 便り年表
便り 金光寺-三重県鈴鹿市 ・金光寺 曹洞宗 三重県鈴鹿市東庄内町853宝暦二年(1752)に書かれた「勢州鈴鹿郡原之庄階下無量林金光寺興廃旧記」によれば、応治二年(1241)、天台僧円海による開基とされます。貞治元年(1362)には管領斯波氏頼が金光寺で僧侶となり大寺とされました。一四七〇年には、応仁の乱を避け後花園院の皇女も金光寺に入寺したと伝えられます。(リンク先より) << 戻る 1241.01.01 便り年表
便り 明圓寺-茨城県石岡市 ・明圓寺 浄土真宗本願寺派 茨城県石岡市真家1055大澤山おおさわさん 常陽院じょうよういん 明圓寺みょうえんじ は、親鸞聖人しんらんしょうにんから明法みょうぼうという名を授かった弟子・弁円べんねんが、仁治元年(1240年)真家村(現在の茨城県石岡市真家)に隠居の為に建立した浄土真宗のお寺です。明法の「明」とかつての名、弁円の「圓」の字をとって明圓寺と号されました。(リンク先より) << 戻る 1240.01.01 便り年表
便り 阿弥陀寺-愛知県稲沢市 ・阿弥陀寺 真宗大谷派 愛知県稲沢市下津町東下町66阿弥陀寺は1239(延応元)年に真言宗の寺院として創建され、戦国時代初期の文明年間(1469~87年)に蓮如上人が訪れたのを契機として浄土真宗に改宗しました。(リンク先より) << 戻る 1239.01.01 便り年表
便り 興聖寺-滋賀県高島市 ・興聖寺 曹洞宗 滋賀県高島市朽木岩瀬374四条天皇の嘉禎3年(西暦1237年)近江源氏(宇多源氏)近江守護佐々木信綱が京都で宋から帰洛された曹洞宗開祖 道元禅師に謁し、承久の乱で戦死した一族の供養をお願いし、朽木の里に拝請、このとき禅師は付近の山野の風景が伏見深草の興聖寺に似て、絶景だと喜ばれ一寺の創建を奨められ、山号を高巌山興聖寺とするよう勧奨されました。それから三年仁治元年、七堂伽藍が完成し、遷仏式には永平二世孤雲懐奘禅師の拝請を賜り、盛大に挙行され、それ以来当山が曹洞宗第三の古道場といわれました。(リンク先より) << 戻る 1237.01.01 便り年表
便り 東福寺-京都府京都市東山区 ・東福寺 臨済宗東福寺派 京都府京都市東山区本町15-778摂政九條道家が,奈良における最大の寺院である東大寺に比べ,また奈良で最も盛大を極めた興福寺になぞらえようとの念願で,「東」と「福」の字を取り,京都最大の大伽藍を造営したのが慧日(えにち)山東福寺です。嘉禎2年 (1236年)より建長7年(1255年)まで実に19年を費やして完成しました。(リンク先より) << 戻る 1236.01.01 便り年表
便り 泉福寺-福岡県宗像市 ・泉福寺 西山浄土宗 福岡県宗像市鐘崎469泉福寺開山の歴史は古く、西山浄土宗総本山光明寺第三世幸阿上人が九州行脚中に上八村で錫杖を止め、天福元年(1233)四月念仏教化の庵を結びました。五年前の安貞二年(1228)二月突如叡山の暴徒から、浄土宗開祖法然上人の眠る墓堂の襲撃破壊を被ったので幸阿上人は遺骸を光明寺で荼毘に付し遺骨は庵室の塗り籠めにして鎮西に赴いたとと伝えられています。(リンク先より) << 戻る 1233.04.01 便り年表
便り 大覚寺-兵庫県姫路市 ・大覚寺 浄土宗西山禅林寺派 兵庫県姫路市綱干区興浜151『鶴立山 大覚寺』は、天福元年(1233)定翁隆禅上人の開基である。隆禅上人はもと天台宗比叡山の僧であったが、念仏一筋に生きる決心をし山を下り諸国を歩くうち、現在の大覚寺より3キロほど北の砂山という地に「釈迦堂」があり、ここに入って残りの生涯を念仏に明け暮れたと伝えられています。この「釈迦堂」は、後に『鶴林山 光接院』と改称して真言宗に属していたのですが、これら開基以来の歴史を正しく伝える史料は残念ながら多くありません。(リンク先より) << 戻る 1233.01.01 便り年表