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永泉寺-北海道石狩市

・永泉寺 真宗大谷派 北海道石狩市花川南三条5-20東本願寺北海道開教百年史によると、大正14年12月稲月正雪氏により、北海道幌延町問寒別に大誓寺説教所として開かれたところから始まります。その後、永泉寺の開基住職である光川永昭が更送し、昭和23年7月14日寺号公称いたしました。(リンク先より) << 戻る
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金剛福寺-兵庫県神戸市灘区

・金剛福寺 高野山真言宗 兵庫県神戸市灘区原田通3-5-18古義真言宗の碩学髙見寛應僧正の高弟・髙見寛恂上人は大正14年葺合区若菜通に「葺合高野山」を創建。本堂・庫裏も竣工し、近代産業都市神戸の発展と共に多くの檀信徒が加入し寺門の隆盛をみましたが、昭和20年6月神戸大空襲の戦災に遭い堂宇の消失等甚大な被害を蒙りました。(リンク先より) << 戻る
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唯称寺-東京都品川区

・唯称寺ホームページ 浄土真宗本願寺派 東京都品川区小山4-9-151924(大正13)年 現在地に、新作行正が布教所 「小山教会」 を設立1935(昭和10)年 本堂・庫裡建立1945(昭和20)年4月15日 空襲のため本堂・庫裡焼失1970(昭和45)年 本堂再建(リンク先より)<< 戻る
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明見寺-長崎県佐世保市

・明見寺 真言宗醍醐派 長崎県佐世保市横尾町1801明見寺は大正13年(西暦1924年)、開山大僧都 田中盛忍阿闍梨によって建立されました。盛忍阿闍梨についての詳しい記録は既に失われているため、彼がどのような人物であったのかは詳しく伝えられておりませんがどうやらはじめから僧侶ではなかったようで、もともとは現在の明見寺檀家総代の祖父の弟だったようです。盛忍阿闍梨が僧侶になったいきさつは不明ですが、どうやら彼は同じ佐世保にある『東嶽山 西光寺』という寺院で修行して僧侶になったそうです。僧侶となった彼ははじめ、現在の佐世保市折橋町辺りに『折橋山 明見院』という小さな庵を設け、そこで祈願・祈祷などを行...
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大宥寺-北海道札幌市中央区

・大宥寺 曹洞宗 北海道札幌市中央区南11条西13-1-11忍法山大宥寺は大正12年に曹洞宗山鼻説教所として設立され、以来山鼻地区の発展と共に、檀信徒の皆様の篤い御法愛に支えられ、禅風の宣揚に勤めて参りました。(リンク先より)※大正12年 1923年 << 戻る
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孝勝寺-北海道石狩郡

・孝勝寺 法華宗(真門流) 北海道石狩郡当別町太美町16法栄山 孝勝寺は大正11年(西暦1922年)に夕張市で開山いたしました。夕張市は明治以降、 多くの炭鉱が拓かれ 国内有数の炭鉱町として栄えた町です。その町で孝勝寺は炭鉱業に従事する方々の信仰の拠り所として永きに渡り活動してまいりました。(リンク先より) << 戻る
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安泰寺-兵庫県美方郡

・安泰寺 曹洞宗 兵庫県美方郡新温泉町久斗山字中ノ平106安泰寺は曹洞宗に属しております。 大正10年丘宗潭により宗学研究の学堂として、 京都洛北の玄琢に開創されました。 多くの学匠を輩出し、近代の伝統宗学はこの学堂によって継承発展してきました。第二次世界大戦中には一時期荒廃していましたが、 昭和24年澤木興道と内山興正の師弟が、 只管打坐を純粋に行持する寺として再興されました。(リンク先より)※大正10年 1921年 << 戻る
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北大寺-北海道札幌市北区

・北大寺 曹洞宗 北海道札幌市北区北十二条西3北大寺は中央寺住職三沢松偃師が、大正7年12月19日、北区北8条西1丁目に中央寺法務所を開設したのをその淵源とする。開設時の主任に任命された開創二世道円和尚は、19年間、熱意あふれる布教活動により多数の檀信徒を擁するに至った。(リンク先より)※大正7年 1918年 << 戻る
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高野寺-福岡県朝倉市

・高野寺 高野山真言宗 福岡県朝倉市菩提寺588御本尊、弘法大師は紀州高野山より大正七年にお受けした由緒ある仏様です。以来宗派にこだわらない開かれたお寺として今日まで続いております。(リンク先より) << 戻る
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宝光寺-北海道斜里郡

・宝光寺 真言宗智山派 北海道斜里郡斜里町本町15-7大正7年、 初代住職である中川隆潮師が5月9日98坪の土地に教会所として本堂と庫裡を 建立する。昭和6年、 宝光寺創立の許可を北海道庁長官より得る。昭和7年、 創立完了。寺号公称して正式に「宝光寺」となる。(リンク先より) << 戻る
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順信寺-北海道枝幸郡

・順信寺 真宗大谷派 北海道枝幸郡枝幸町歌登西町120大正6(1917)年    大谷派布教所設置大正15(1926)年   「順信寺」寺号公称(リンク先より) << 戻る
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慈光寺-北海道札幌市西区

・慈光寺 真宗木辺派 北海道札幌市西区八軒七条東3-4-1大正4(1915)年、慈光寺の前身である真宗木辺派錦織寺札幌説教所として開教し、その後、寺号公称(寺院として独立すること)によって慈光寺となりました。(リンク先より) << 戻る
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日泰寺-北海道札幌市中央区

・日泰寺 法華宗(真門流) 北海道札幌市中央区南六条西10-1017明治44年(1912)札幌市・北3条東4丁目の借家を布教活動の拠点とする。大正4年(1915)3月18日、現在地(南6条西10丁目)760坪を三笠トヨセ様より寄進される。その折、山号名を三笠トヨセ様に因み、『美豊山』と称した。 大正9年(1920)4月28日 本堂・庫裡を建立する。(リンク先より) << 戻る
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總持寺-神奈川県横浜市鶴見区

・諸嶽山總持寺 曹洞宗 神奈川県横浜市鶴見区鶴見2丁目1−1元亨元年(1321)4月18日の晩のこと、律師の夢枕に、僧形の観音様が現れ、「酒井の永光寺に瑩山という徳の高い僧がおる。すぐ呼んで、この寺を禅師に譲るべし」と告げて、姿を消されたというのです。(中略)律師は霊夢によって一山を寄進し、禅師は快く拝受し、「感夢によって總持寺と号するはこの意なり」と述べられておられます。 明治31年(1898)4月13日夜、本堂の一部より出火、フェーン現象の余波を受け瞬時にして猛火は全山に拡がり、慈雲閣・伝燈院を残し、伽藍の多くを焼失してしまいました。現在の總持寺は横浜市の郊外、前に東京湾と房総半島を望み、...
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法雲寺-静岡県浜松市西区

・法雲寺 臨済宗妙心寺派 静岡県浜松市西区雄踏町宇布見5332-1明治43年安寧寺末の小庵、正法庵・耕雲庵が合併し、両庵の法と雲をとり法雲寺となりました。正法庵・耕雲庵ともに記録が残っておらず、開創年代・開山禅師の略歴などは不明とされています。(リンク先より)※明治43年 1910年 << 戻る
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安楽寺-広島県呉市

・安楽寺 浄土真宗本願寺派 広島県呉市上山田町2-28明治40年頃 山口、小串の安楽寺より来呉。清水通から宮原通りにかかるところの民 家を聞法道場とした。大正 末期 現在の伏原に本堂を建立する。昭和 2年 前勇哲入寺(第一世)(リンク先より)※明治40年 1907年 << 戻る
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極楽寺-北海道千歳市

・極楽寺 真宗大谷派 北海道千歳市泉郷480明治39年(1906年)に寺号公称が許可になり、同年の10月23日に極楽寺が誕生しました。そして明治40年に今の本堂が完成。(リンク先より) << 戻る
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照願寺-鹿児島県曽於市

・照願寺 真宗木辺派 鹿児島県曽於市大隅町中之内4674照願寺は、明治38年(1905)隠れ念仏の川床よりこの地に真宗大谷派笠木説教所として創建、昭和22年真宗木辺派照願寺を公称する。(リンク先より) << 戻る
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大然寺-北海道帯広市

大然寺は明治37年6月に布教所が創立され、大正5年5月12日に寺院公称が認められ大然寺となりました。本尊の阿弥陀如来は鎌倉時代初期の作と伝えられています。また平成18年3月に観音勢至の両菩薩をお迎えし、浄土宗の弥陀三尊を御安置することとなりました。初代・加藤玄静上人、二代・江川立然上人、三代・稲垣得忍上人、四代・玉山玄重上人、五代・大高源照上人。<< 戻る
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日泰寺-愛知県名古屋市千種区

・覚王山日泰寺 単立 愛知県名古屋市千種区法王町1-1釈尊(お釈迦さま)のご真骨をタイ国(当時シャム国)より拝受し、仏教各宗代表が協議し奉安する為に1904年(明治37年)に建立された。釈尊を表す「覺王」を山号とし、日本とシャム(暹羅)国の友好を象徴して覺王山 日暹寺にっせんじとして創建された。その後、昭和14年(1939年)シャム国のタイ王国への改名に合わせて、昭和17年(1942年)日泰寺に改名された。(リンク先より) << 戻る
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浄願寺-千葉県千葉市中央区

・浄願寺 真宗大谷派 千葉県千葉市中央区星久喜町929-1医専の学生の方々が、教授をしておられた井上善次郎博士の別宅を借りて準備をしてくださり、明治36年5月3日千葉町旭町(現千葉市中央区本町1丁目)に千葉教院・浄願寺の礎が開かれました。(リンク先より)※明治36年 1903年 << 戻る
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専徳寺-広島県呉市

・専徳寺 浄土真宗本願寺派 広島県呉市中通2-6-18呉市中通の専徳寺は、明治36年頃(呉市制スタートの頃)に、順道和上が皆さまの支えによってつくられた説教所を濫觴といたします。(その前のことは、長浜専徳寺のホームページもご覧ください。)(リンク先より)※明治36年 1903年 << 戻る
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隆光寺-北海道札幌市中央区

・隆光寺 高野山真言宗 北海道札幌市中央区円山西町2-22-1隆光寺は、明治35年に開山された高野山真言宗の寺院です。「大日如来」を御本尊とします。昭和36年に、「高野山北海道別院隆光寺」の称号を認可され、現在に至っています。(リンク先より) << 戻る
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永祥寺-北海道帯広市

・永祥寺 曹洞宗 北海道帯広市西3条南2丁目永祥寺の開創は明治33年(西暦1900年)と伝わっています。初代住職は明治7年、愛知県額田郡福岡町に織田利造の六男として生を受けた織田活道。(リンク先より) << 戻る
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千正寺-北海道千歳市

・千正寺 浄土真宗本願寺派 北海道千歳市清水町1-14千正寺は富山県針原村(現富山市)妙教寺の三男として生まれた團正法師(当山開基住職)が25歳で開教のため渡道し明治33年に千歳のネシコシ地区に説教所を設立したのが始まりです。その2年後現在地近くの造り酒屋を改造して「千歳説教所」を開設。明治42年「千正寺」として寺号公称が認可される。(リンク先より)※明治33年 1900年 << 戻る
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東川寺-北海道上川郡

・東川寺 曹洞宗 北海道上川郡東川町北町4丁目1番3号抑も天真山東川寺は明治三十二年の時、真宗大谷派に属する信者山崎才一郎氏なる者あって禅宗信者なる川本万吉、日比野堅次郎の両氏に諮り、僧の耆宿たる東京市芝区白金台町高幢寺前住職牧玄道師を請し開教の任に當らしめ、假布教所、忠別原野西六号南一番地川本万吉氏の納屋の一隅を以て、之が教所に當て、大いに曹洞宗の旨趣を布演するの途を開きぬ。(リンク先より)※明治三十二年 1899年 << 戻る
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廣徳寺-北海道虻田郡

・廣徳寺 真宗大谷派 北海道虻田郡京極町字京極615明治43年に「廣徳寺創立願」が北海道庁に提出され、この添付書類の由緒という一項に、「明治31年5月より布教に着手、同36年に説教所認可。」という内容の記述があり、第一世江隈圓導の署名のある「明細表」には「京極農場への移住者のために布教を始め、京極家の特志もあって明治45年に廣徳寺となった」という内容が記されている。(リンク先より)※明治31年 1898年 << 戻る
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密厳寺-北海道余市郡

・密厳寺 真言宗豊山派 北海道余市郡余市町大川町10-17明治三十一年開山、米沢から来道し庵を結ぶ普及所となる。 昭和十一年に本堂を再建し、寺号公称する。総本山は長谷寺。ご本尊は十一面観音、秘佛歓喜天、大日如来、脇には大聖不動明王。(リンク先より) << 戻る
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大師之寺-三重県四日市市

・大師之寺 高野山真言宗 三重県四日市市南納屋町6-11明治三十年(1897)、隆道和尚がこの地に立ち寄られた際、小堂を建立して弘法大師をお祀りされ、大師信仰の説教所として開山されました。太平洋戦争が勃発すると、四日市周辺の空襲によって、御堂は悉く焼失してしまいましたが、幸いにも本尊である弘法大師様は、その難を免れることが出来ました。(リンク先より) << 戻る
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本光寺-北海道室蘭市

・本光寺 浄土真宗本願寺派 北海道室蘭市本輪西町3-33-7寺号 蘭北山 本光寺開基 明治29年12月19日(リンク先より)※明治29年 1896年 << 戻る
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徳念寺-福岡県北九州市門司区

・徳念寺 浄土真宗本願寺派 福岡県北九州市門司区風師4-3-25明治29年豊後真玉の地より龍眼師、門司に来る。龍眼師の住す所、豊後寺とも称される。念佛の声、高らかに有り。近隣諸辺の人々に徳望高く、敬慕、帰依する人々数多くして忽ちに一宇を建立するに至る。(リンク先より)※明治29年 1896年 << 戻る
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青蓮寺-広島県呉市

・青蓮寺 浄土真宗本願寺派 広島県呉市伏原1-13-16明治28年(1895)初代住職 釈 徹明が開基。布教道場「洗心堂」を据え、常説教、仏教婦人会、日曜学校の活動をする大正期頃(1915)成町(現・伏原)に本堂を建立する(リンク先より) << 戻る