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今月28日のお護摩祈祷会のお知らせです(大覚寺)

今月28日のお護摩祈祷会のお知らせです。護摩祈祷は常の如く11時から執行しますが、新型コロナウイルス感染拡大防止の為堂内への出入りをご遠慮していただくことになりました。(リンク先より)・今月28日のお護摩祈祷会のお知らせです(大覚寺)
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圓流山 善光寺ぜんこうじ 浄土真宗本願寺派 ZENKOUJI TEMPLE

『筑前國続風土記拾遺』巻之34 遠賀郡 利 永犬丸えいぬまるの項に下記の記載がある。岩淵に在。真宗豊前國小倉法輪寺に属せり。 慶長年中1596-1615寺号木佛を許さる。(リンク先より)・圓流山 善光寺ぜんこうじ 浄土真宗本願寺派 ZENKOUJI TEMPLE-お寺めぐりの友
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甘露寺-和歌山県紀の川市

・甘露寺 浄土宗 和歌山県紀の川市貴志川町長原693・和歌山・甘露寺に「鬼滅の刃」ファン 紀の川市が更衣室や撮影用背景など用意(和歌山経済新聞) << 戻る
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クシナガラ涅槃苑(曹洞宗 正伝の仏法)

お師匠(水野梅秀)さんは1970年前後にインドの仏跡を巡拝して大変感動したと何度も語っていました。それ以来、30人から100人の人たちを連れて毎年インドに行くようになったのですが、何故、そんな多くの人たちを連れていけたのかというと、曹洞宗の観光協会を運営していた一人だったからです。(リンク先より)・クシナガラ涅槃苑(曹洞宗 正伝の仏法)
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明治44年(1911年)11月5日 曹洞宗大本山總持寺御移転(曹洞宗 正伝の仏法)

明治44年(1911年)11月5日に曹洞宗大本山總持寺が能登の總持寺祖院から神奈川県横浜市の鶴見に移転した時の中心人物の一人として總持寺監院を務めた黒田鉄巌師が挙げられる。大本山總持寺は能登にあって古くから人々の信仰を集めてきたが、明治31年(1898年)、不慮の火災により伽藍の大部分が焼失したのを契機として、時代の推移と宗門の発展を願い神奈川県横浜市鶴見に移転することになった。遷祖式当日の記録には次のようにある。(リンク先より)・明治44年(1911年)11月5日 曹洞宗大本山總持寺御移転(曹洞宗 正伝の仏法)
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総持寺監院黒田鉄巌黄衣特許ノ件(曹洞宗 正伝の仏法)

宗報の法規令達の総目録総持寺監院黒田鉄巌黄衣特許ノ件 昭和3年9月17日(リンク先より)・総持寺監院黒田鉄巌黄衣特許ノ件(曹洞宗 正伝の仏法)
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感謝を忘れず真人になる(曹洞宗 正伝の仏法)

曹洞宗大本山總持寺教育機関である総持学園の90周年を記念する冊子「感謝を忘れず真人になる」には、その歴史が記載されています。関東大震災の翌年の大13(1924)年に、大本山總持寺御開山瑩山禅師600回大遠忌を記念して、光華女学校として発足したこと、校主・新井石禅禅師、初代校長・中根環堂先生、6人の教職員、16人の生徒という形態で始まったことなどが書かれ、歴代の理事長も列記されていますが、第2代理事長には黒田鉄巌師が就任(昭和3〜昭和9)したことも書かれています。(リンク先より)・感謝を忘れず真人になる(曹洞宗 正伝の仏法)
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食べていることが自分のいのちの歩み(曹洞宗 正伝の仏法)

1日に朝・昼・晩の3食を食事の機会とするのが日本の定番です。料理をしたり、食べに行ったり、1日に3回は食べるために動いている人が多いはずです。1食でも食べずにいるとお腹が減ってしまい、人は食べなければ生きていけないと感じてしまうわけですが、そういうことを考えると誰もが身体を維持する為に栄養が必要だからだとか、食べる楽しみがあった方が良いからだとかいう話をします。(リンク先より)・食べていることが自分のいのちの歩み(曹洞宗 正伝の仏法)
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第三分科会「平和・人権・憲法」講演(2005年)(曹洞宗 正伝の仏法)

晩年のお師匠さんの講演内容をまとめた文章を掲載します。第三分科会「平和・人権・憲法」講演(2005年)資料より何回かに分けて記事にしましたが、一覧にしておいたので、興味があるところから読んでみてください。講演会は時間が限られたものですが、折に触れて話していた内容が思い出される内容となっています。(リンク先より)・第三分科会「平和・人権・憲法」講演(2005年)
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子どもの人権を奪っています(曹洞宗 正伝の仏法)

物乞いは、若干減ったかと思われます。日本人の観光客がいくところは大都会であり、観光地です。日本人が行く所はちゃんと情報が入っていますから、並んでお金をせびったりして稼いでいます。今おっしゃったように、子どもを使う悪い大人がいます。子どもの人権を奪っています。どうしたらいいのか、私も心痛みます。(リンク先より)・子どもの人権を奪っています
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「ただのところがいい」と言っても、そういう学校に行かなくなる(曹洞宗 正伝の仏法)

公立学校は授業料がただで、そこへは自由に入れるんですが、村に1校しか作らないんですね。そうすると生徒は遠隔の地からも通わなくてはいけない。先生も、校長先生ひとりと1年生、2年生、3年生、4年生、5年生までで、教える先生がひとり、なかには校長先生一人のところもあります。先生が不足しています。だから、「ただのところがいい」と言っても、そういう学校に行かなくなる。(リンク先より)・「ただのところがいい」と言っても、そういう学校に行かなくなくなる
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どんな人でも教育を受ける権利がある(曹洞宗 正伝の仏法)

もうひとつ、ボランティア活動でも、戦争、災害などに対する救援活動は目立つんです。税金も出しやすい。しかし、教育というのは緊急性がなくても必要なんです。そういうところには政府もあまりお金を出しません。民間も同じです。そういうのを、我々NGOがやっている、国際貢献、国際援助なんですね。(リンク先より)・どんな人でも教育を受ける権利がある
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旅行中、バスで見るのは幹線道路からの景色で、表面しか見えません(曹洞宗 正伝の仏法)

当時の学校の建物はわらぶき屋根でした。6月、7月は大雨なんです。勉強なんか出来ません。5月、6月は猛暑です。このようなことで勉強を中断させたくない。まず、校舎を作らなければいけないと思ったんです。旅行中、バスで見るのは幹線道路からの景色で、表面しか見えませんが、幹線道路から離れて集落に入っていきますと、たくさんの集落があって何百、何千という子どもたちがいます。(リンク先より)・旅行中、バスで見るのは幹線道路からの景色で、表面しか見えません
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この子たちにもっと良いものをあげよう。それは教育だ(曹洞宗 正伝の仏法)

インドの人に、「インドにカーストはありますか」と聞くと、必ず「昔、あったけれども今はありません。田舎には残っています」という答えが返ってきます。しかし、現在でもカースト制によって職業が決められています。職業によって階級差別がありますが、我々外国人はそれにはあまり触れられません。(リンク先より)・この子たちにもっと良いものをあげよう。それは教育だ
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人間の幸せはどこにあるか。貧困だから不幸せだとは思えません(曹洞宗 正伝の仏法)

インドというと、金持ちと貧困者が多い国だと思われるでしょうが、私はインドで金持ちに接する機会がありません。特に農村においては貧困な家庭がいっぱいありますが、子どもたちの顔をみていると決して不幸な顔をしておりません。生き生きしています。(リンク先より)・人間の幸せはどこにあるか。貧困だから不幸せだとは思えません
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苦しい者が立ち上がってこそ、平等、差別がなくなる(曹洞宗 正伝の仏法)

私は11歳から禅寺に弟子入りをして、そこで師匠から教えられたこと、そしてインドに何回も行き、会報に書いた通り、釈尊に対して何か恩返しをしなくてはいけないということで始めたのがこのインドマイトリの会です。(リンク先より)・苦しい者が立ち上がってこそ、平等、差別がなくなる
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ご恩を釈尊の聖地の子どもたちにお返しできないかと始めた活動(曹洞宗 正伝の仏法)

私もまもなく80才で、兵庫県へ来てから40年たっております。この服装はあまり日本の坊さんは着ていませんが、東南アジアなどでは、お坊さんはキャーシャ色という、こういう色(だいだい色)の袈裟を着ています。私もインドに行く時はいつもこの服装でいきます。これを作ったのは、今から37年前、初めてインドに行った時です。5年前に足を骨折して、最近は行っておりませんが、以前は毎年2回から3回は行っておりました。(リンク先より)・ご恩を釈尊の聖地の子どもたちにお返しできないかと始めた活動
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去来のまま(曹洞宗 正伝の仏法)

『去来のまま』(余語翠巌著)をヤフオクで購入。まだ届いていませんが。「きょらいのまま」と読みます。刊行年は昭和57年ということで本は古くとも中身は新鮮です。本の内容を生かすも殺すも読者次第ということでしょう。(リンク先より)・去来のまま
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随聞記(曹洞宗 正伝の仏法)

内弟子生活をしている時は毎朝休みなく朝課(朝のお経)を水野梅秀師匠と2人で行っていました。大本山の總持寺や永平寺では5時や6時に始まるような行事ですが、境内は住宅地から程近いということもあり、7時開始です。お経を始める前に、整理整頓をしてロウソクに点火、その火で線香を決まった本数つけて香炉に決まった本数を立てていく。(リンク先より)・随聞記
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大師匠の本を集め出すの段(曹洞宗 正伝の仏法)

大師匠である余語翠巌老子の本は内弟子時代から副住職時代までは、当たり前のように本棚に全て並んでいて、なんなら贈呈用の本までストックされていたものだから、贅沢なことながらいつでも読めた。一般向けの法話を本にしたようなものは読みやすいけれど、難しい本もある。内弟子生活をしていた当時は分かったような気分になっていたけれど、今となって改めて読み返してみたいなと思うようになったが・・・、手元にない・・・。(リンク先より)・大師匠の本を集め出すの段
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鏡餅と寿餅と献餅と(曹洞宗 正伝の仏法)

子どもの頃は年末に家で機械を使いお餅つきをするのが楽しみでした。餅つきをする前の日から大きな入れ物にもち米と水を入れて準備しておき、翌日に機械で何度も餅をついていきます。白い丸餅、餡子を入れた餅、角餅、そして、仏壇用の鏡餅。(リンク先より)・鏡餅と寿餅と献餅と
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年末年始(曹洞宗 正伝の仏法)

お寺の年末年始というのはとても忙しくお師匠さん(水野梅秀)曰く「お寺の大晦日は12月30日」とよく言っていました。もちろん、大晦日は12月31日ですが、30日までに新年を迎える準備をしておいて、お寺に住んでいる者は30日に年越し気分を味わい、31日の大晦日と新年になった元旦は忙しく過ごすということのようでした。(リンク先より)・年末年始(曹洞宗 正伝の仏法)
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慈照院-岡山県玉野市

・慈照院 真言宗醍醐派 岡山県玉野市田井5-44-1お大師さま(弘法大師)が現れ「この杖で人々を助けよ」と1本の杖を授かったそうです。その杖でたくさんの病人を治し、いつしか「お清大師」と呼ばれるようになりました。その噂は岡山藩主池田公にまで届き、お清大師が病弱だった奥様を杖でご祈念したところ、無事平癒なされたそうです。(リンク先より) << 戻る
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照安寺-福岡県福岡市南区

・照安寺 浄土真宗本願寺派 福岡県福岡市南区柏原4-16-3 << 戻る
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大真寺-東京都中央区

・大真寺 曹洞宗 東京都中央区日本橋人形町2-11-2曹洞宗の公式情報でも確認したのであるはずですが、地図上では確認出来ませんでした。 << 戻る
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九段道場-東京都千代田区

・九段道場 日本山妙法寺 東京都千代田区九段北3-2-23 << 戻る
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釈尊法苑-東京都千代田区

・釈尊法苑 単立 東京都千代田区神田神保町2-2 << 戻る
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甘露寺-栃木県栃木市

・甘露寺 曹洞宗 栃木県栃木市西方町本城1526 << 戻る
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甘露寺-京都府亀岡市

・甘露寺 曹洞宗 京都府亀岡市東別院町南掛寺の前10甘露寺は南北朝時代(1336-1392年)に法相宗の寺院として創建されたと伝わります。明和三年(1766年)の墨書がある血脈版木(けちみゃくはんぎ)が残されていることから、その頃には曹洞宗の寺院だったと考えられます。また、血脈版木は駒澤大学禅文化歴史博物館に所蔵されています。本尊の十一面観音坐像は9世紀末から10世紀初頭の作で、亀岡市では最も古い仏像と言われています。甘露寺の名前の由来は北朝第一代天皇の光厳天皇がまだ即位される前に甘露寺を訪れ、住職が差し出した甘柿をいたく気に入られ、この号を授けられたとされています。 << 戻る
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甘露寺-滋賀県彦根市

・甘露寺 曹洞宗 滋賀県彦根市稲里町1646 << 戻る
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正蓮寺-群馬県渋川市

正蓮寺 真宗大谷派 群馬県渋川市寄居町2160 << 戻る
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日本橋道場-東京都中央区

・日本橋道場 日本山妙法寺 東京都中央区東日本橋2-17-9竹林精舎でお釈迦様が説法されている姿がビルの正面に描かれています。 << 戻る