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蓮如(れんにょ)

蓮如とは、室町時代の浄土真宗の僧です。浄土真宗本願寺派第8世宗主・真宗大谷派第8代門首を務めました。大谷本願寺住職でもあります。諱は兼壽で、院号は信證院です。法印権大僧都、本願寺中興の祖とも呼ばれます。また、本願寺蓮如とも呼ばれます。浄土真宗では、蓮如上人と尊称されています。1882年に、明治天皇より慧燈大師の諡号を追贈されました。蓮如は、応永22年(1415)に本願寺第七世・存如の長男として京都に生まれました。母は蓮如が6歳の時に事情があって本願寺を去りました。その時の形見として持っていったのが『 鹿子の御影』(かのこのみえい)です。永享3年(1431)、蓮如は天台宗門跡寺院の青蓮院において...
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バスコ・ダ・ガマがインド航路を発見

1498年、バスコ・ダ・ガマがインド航路を発見。<< 戻る
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金勝寺-兵庫県神戸市西区

・金勝寺 浄土真宗本願寺派 兵庫県神戸市西区玉津町上池190金勝寺縁起によると開基は1497年(明応6年)己3月とあります。かつて、金勝寺十代浄玄が大本堂で開いていた寺子屋は、1873年(明治6年)5月新政府の学制発布令公布に先駆け、寺子の子孫たちが池野村立濫觴小学校として新たに創立しました。また、金勝寺のある玉津町では歴史的価値のある多くの古墳や遺跡などが見つかっています。(リンク先より) << 戻る
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金剛頂寺-神奈川県平塚市

・金剛頂寺 公式サイト 東寺真言宗 神奈川県平塚市岡崎3152本尊は大日如来、相模薬師第十九番札所弘安年間(鎌倉時代)東寺の僧 融仙が、関東来錫の砌、現在地(岡崎)に開創1496年(明応5年3月13日卒)開山賢秀(リンク先より) << 戻る
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宗隆寺-神奈川県川崎市高津区

宗隆寺 日蓮宗 神奈川県川崎市高津区溝口2-29-1宗隆寺はかつては「天台宗本立寺」であったが、明応5年(1496年)に日蓮宗に改宗された。(リンク先より) << 戻る
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林泉寺-山形県米沢市

・林泉寺 曹洞宗 山形県米沢市林泉寺1-2-3明応5年(1496年)に越後国高田(今の新潟県上越市)の蜂ヶ峯の麓に一宇が建立されました。曹洞宗開祖道元禅師から下って11代にあたる勅特賜 宗猷大光禅師 曇英慧應大和尚(しゅうゆうたいこうぜんじ どんえいえのう)が、本師である一州正伊大和尚(いっしゅうしょうい)を勧請し、開山されました。(リンク先より) << 戻る
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常福寺-石川県七尾市

・常福寺 真宗大谷派 石川県七尾市相生町91本願寺9世実如上人(1458^1525)より下付された方便法身尊像(ご本尊)とその裏書が今ものこっていますが、その裏書によると、常福寺の草創は、明応5年(1496年)に七尾城山の麓、鹿島郡矢田郷府中おいて開かれた真宗道場のようです。(リンク先より) << 戻る
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光福寺-兵庫県川西市

・光福寺 真宗大谷派 兵庫県川西市笹部2-16-16・光福寺寿徳山光福寺の歴史は、明応二年に開基されて五百年を超えています。東谷地区で初めての内科医でもあった慧廣法師が中興開基しました真宗大谷派の末寺です。(リンク先より)※明応二年 1493年 << 戻る
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浄泉寺-埼玉県比企郡

・浄泉寺 浄土真宗本願寺派 埼玉県比企郡吉見町長谷1678-6浄土真宗本願寺派浄泉寺のルーツは、富山県中新川郡上市町の浄泉寺、そしてそのルーツである福泉坊にさかのぼることが出来ます。浄泉寺の礎を築いた僧、福泉坊は寺伝によれば1493(明応2)年、蓮如上人より南無阿弥陀仏の六字名号を下附され、続いて一貫代の大きさの阿弥陀如来の絵像本尊(冥加金一貫で求められるご絵像)が下附されたことが記録に残されています。ここに、本願寺の末道場、福泉坊が誕生したと考えられます。福泉坊という坊号は僧侶個人の名前であると同時に、後年、浄泉寺と名乗る前の道場の名称でもありました。そして、浄泉寺の開基仏は現在も残されてい...
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蓮光寺-京都府京都市下京区

・蓮光寺 浄土宗 京都府京都市下京区富小路通六条上る本塩竃町534明応元年(1492年)に天台宗真盛派開祖の真盛上人を開基とし、高野山の苅萱堂を模して下京区新町高辻に草庵を結んだことから、当初「萱堂」と称し、天台宗に属していた。天正19年(1591年)豊臣秀吉の命により現在の富小路通り六条に移り、真盛上人の弟子、玉譽光順上人が浄土宗に改め、二世順譽蓮光上人のとき寺号を蓮光寺と改称した。(リンク先より) また、境内には土佐の大名である長宗我部盛親のお墓があります。盛親公は長曾我部家の再起を期して、京洛の地に大岩祐夢と号して寺子屋を営んでいました。この間に当山の住職、蓮光上人と親交があったといいま...
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明応寺-岐阜県美濃加茂市

・明応寺 浄土真宗本願寺派 岐阜県美濃加茂市加茂野町木野1164明応年間(1492~1501)に、三河(現在の岡崎市上佐々木町)の上宮寺様より分かれて、この地に布教の場を求めて、やって参りました。もともと、天台宗の空き寺に初代、佐々木大弐が入寺し、浄土真宗のお念仏のみ教えを地域の人々と共に慶びつつ、爾来、500年以上に亘って相続されて来ました。(リンク先より) << 戻る
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弘誓寺-岐阜県関市

・弘誓寺 浄土真宗本願寺派 岐阜県関市鋳物師屋6丁目3−11神石山 弘誓寺は明応元年(1492)に、足利直義(室町幕府初代将軍、足利尊氏の同母弟)の後裔で、現在の関市鋳物師屋地域で代々庄屋をつとめていた早川家より、阿弥陀法を信じ後に本願寺九世 実如法王に弟子入りし遁世出家した早川直政が興したと伝えられる寺院です。(リンク先より) << 戻る
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徳誓寺-新潟県三条市

・徳誓寺 真宗仏光寺派 新潟県三条市八幡5-15明応年中(1492~1500)、摂津国豊島郡萱場村(現在の大阪府北西部)にて創建される。寛永年間(1621~1642)ごろ、信濃松本在時代を経て、三條町八幡小路にて寺基固まり、現在に至る。(リンク先より) << 戻る
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清立寺-香川県坂出市

・清立寺 浄土真宗本願寺派 香川県坂出市神谷町572明応年中(1492~1500)旧青海村(現・青海町)に開基の僧・正本が「青立寺」(せいりゅうじ)を建立しました。第3世住職・正品は天正13年1585)豊臣秀吉の四国征伐で落城した天霧城城主・香川信景の嫡子と伝えられています。(リンク先より) << 戻る
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龍仙寺-広島県安芸郡

・龍仙寺 浄土真宗本願寺派 広島県安芸郡府中町山田1-2-53十五世紀後期(明応年中1492~1501)、現在地の東北、江本寺(石井城二丁目)に蓮華寺(瀬野川町畑賀)の末寺として僧深澄によって建立された。当初は真言宗だったが、大永三年(1523)に浄土真宗に改宗。第八代住職釈了安が、現在地に移転。寛永十三(1636)年五月十八日付けで本山本願寺より阿弥陀如来木像が下附、正式に本願寺末寺として寺号認許となった。(リンク先より) << 戻る
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弘法寺-広島県呉市

・弘法寺 高野山真言宗 広島県呉市安浦町大字中畑132野路山 伊音城・弘法寺は弘法大師空海が御年19歳49歳と2度に渡り登山され、岩屋で修業に専念された地として伝えられる霊山です。伝えられるところによると『川尻海上に漁人あり、毎夜野路山上に火光を認め、奇異の思いをなして登り見れば弘法大師の像と梵鐘の破片散乱せり』中切地区の住民が相はかりて岩窟に堂を建て弘法大師を祀り毎月21日の大使の命日に御影供養の法要をするようになり、現在に連綿として続けられおる地区の伝統祭事です。大師堂の堂字の起源は、明應年間(1492年~1500年)と思われ、村民2名が燈明供養する古例があり、その後 度々の補修・再建・改...
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浄應寺-秋田県大館市

・浄應寺 真宗大谷派 秋田県大館市大館5戦国時代(1467-1568年)、河内国(大阪)に生まれて京都御所の守護に当った誉田大内記が、戦国の世の無常を感じ、本願寺八世蓮如上人の弟子となって、道願の法名を受けた。道願は、他力本願の慈悲法悦を体得して、諸国巡教を上人に願い出たところ、上人は非常に喜ばれ、三方阿弥陀如来像の軸を下さった。道願は、信者の河内屋嘉兵衛を供として秋田に下向し、寺内将軍野に草庵を結んで人々を教化したが、のち大館の片杭村(大館二ツ山)に来て一寺を建立した。明応年間(1492-1501年)の開基である。<< 戻る
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コロンブスが新大陸を発見

1492年、コロンブスが新大陸を発見。<< 戻る
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智満寺-静岡県榛原郡

・智満寺 曹洞宗 静岡県榛原郡川根本町上長尾332平安時代(藤原後期)に草創され千手観音菩薩像を御本尊とし、山号を千葉山と云い、寺号を智満寺と称した。一説には、島田市の智満寺の末寺として奥大井に天台教学の拠点として開かれたとの口伝がある。その後、延徳3年(1491)に駿河国・洞慶院より回夫慶文禅師を迎え曹洞宗に改宗開山された。(リンク先より) << 戻る
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光乗寺-大阪府堺市堺区

・光乗寺 浄土真宗本願寺派 大阪府堺市堺区少林寺町西2-1-19当院は、堺市の中心部にあります、浄土真宗のお寺です。延徳(1490年)に道光聖人によって開基され、創立から529年を数えます。(リンク先より) << 戻る
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善行寺-埼玉県川口市

・善行寺 浄土真宗本願寺派 埼玉県川口市戸塚5丁目6-6善行寺々伝 ( 善行寺精舎觴諸大望紀 / 善行寺寺院明細帳 / 善行寺過去帳 ) によると、室町時代の延徳2年(1490年)、美濃国(現在の岐阜県)領主、土岐氏の家臣であった吉井甚之丞が、本願寺 第八代宗主・蓮如上人に帰依し得度の後( 法名・浄観 )、六字名号のご染筆、蓮如上人木像等を賜る。(リンク先より) << 戻る
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大泉寺-山口県熊毛郡

・大泉寺 曹洞宗 山口県熊毛郡田布施町別府579大泉寺は1490年代、玄光石白が開基となり真言宗千峰山妙相寺の末寺として創建され、1690~1710年代に天桂寒龍大和尚(龍泉寺三世)によって曹洞宗として再興。現在に至る。(リンク先より) << 戻る
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教善寺-岡山県倉敷市

・教善寺 浄土真宗本願寺派 岡山県倉敷市船倉町1604寺伝によれば後土御門天皇の御代京都守護の管領千葉左衛門督忠氏が、本願寺蓮如上人に帰依し家督を長子忠輝に譲り佛門に入り租師聖人の徳を恭い、家臣豊田平兵衛・平山全長両名と共に文明年中より諸国行脚を志し、各地巡遊の末、当国に来りて此の地に錫杖を留め山頭に一宇の坊舎を創建す。時に延徳二年(1490)なり。(リンク先より) << 戻る
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善行寺-岐阜県不破郡

・善行寺 真宗大谷派 岐阜県不破郡垂井町表佐1908当寺の開基・正善の俗姓は、人皇56代清和天皇の後胤・源三位頼政の末裔・服部源五左衛門の三男源兵衛なり。延徳元年(1489)本願寺8代・蓮如上人が山科本願寺にご在住の砌に帰依し弟子となり、名を正善と給わり、一宇の道場を建立する。(リンク先より) << 戻る
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満福寺-埼玉県幸手市

・幸手観音満福寺 真言宗智山派 埼玉県幸手市中4-14-34戦国時代末期、この地を治めていた一色氏の祈願所として秀栄和尚により観世音菩薩を奉遷し開基されたと伝えられています。1489年(延徳元年)の供養塔がありますので開山はその頃かとも推察されます。(リンク先より) << 戻る
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浄勝寺-岐阜県大垣市

・浄勝寺 真宗大谷派 岐阜県大垣市東町1-431室町末期、長亨3年(1489年)年に草庵を開き、慶長年間に当地(岐阜県大垣市東町)に移転、元和9年(1623年)に「浄勝寺」公称となり、現在の本堂は大正13年(1924年)に建築されました。(リンク先より) << 戻る
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高照寺-千葉県南房総市

・太嶺山 高照寺 公式サイト 曹洞宗 千葉県南房総市山田1162山号を太嶺山と称し、百三代後土御門天皇の時代、長享3年(1489年)頃に川名家初代が高照寺建立を発願、開創され里見家兵法指南役川名藤七郎氏により、永禄年間(1558~1569年)頃に建立された曹洞宗のお寺です。本尊さまは地蔵菩薩であります。安房国百八箇所地蔵の二十九番札所地蔵でもあり、また堂内には平群二十一箇所弘法大師の二十一番札所大師など(リンク先より) << 戻る
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西照寺-兵庫県神戸市西区

・西照寺 浄土真宗本願寺派 兵庫県神戸市西区神出町南1001489(延徳元)年、谷川権太夫が剃髪して仏門に入り正保と名乗り、一宇堂舎を建てたのが開基である。山号は称名山西照寺。<< 戻る
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慈照寺(銀閣寺)-京都府京都市左京区

・慈照寺(銀閣寺) 臨済宗相国寺派 京都府京都市左京区銀閣寺町21489年、足利義政が京都東山に銀閣寺を建てる。東山文化。 << 戻る
人物

富樫政親(とがしまさちか)- 加賀一向一揆

富樫政親とは、室町時代後期の武将・守護大名。富樫氏21代当主。加賀国守護。長禄2年(1458年)、加賀北半国守護に任じられた赤松政則から加賀北部を取り戻すため、富樫政親は家臣団に擁されて奪回に尽力しました。応仁元年(1467年)、応仁の乱が勃発すると細川勝元方の東軍につきました。ところが、弟・幸千代が山名宗全方である西軍について敵対したため、政親は家督をめぐって弟と争うことになります。文明5年(1473年)、真宗高田派門徒や甲斐敏光と結んだ弟・幸千代に富樫政親は敗れて加賀を追われます。しかし、浄土真宗本願寺派門徒などの援助・加賀国内における武士団の支持を得て、弟・幸千代を加賀から追い出し再び当...
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慈光山専明寺-奈良県葛城市

・慈光山専明寺 真宗興正派 奈良県葛城市笛堂597専明寺は長享2年(1488)3月15日に布施城主布施掃部の弟布施道順が創建した。同年5月10日本山より慈光山専明寺と寺号を下賜される。この境内は烈士の殉死せる城跡(布施城の砦)であり今なお、小字として城山(じやま)の地名を残している。(リンク先より) << 戻る
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本隆寺-京都府京都市上京区

・本隆寺 法華宗(真門流) 京都府京都市上京区智恵光院通五辻上る紋屋町330本隆寺は法華宗(真門流)の総本山で京都西陣の地にあり、慧光無量山本妙興隆寺(えこうむりょうさんほんみょうこうりゅうじ)と号し、略して慧光山本隆寺といいます。開祖日真大和尚(にちしんだいかしょう)は、長享2年(1488)に妙顕寺を出て、四条大宮に本隆寺を開創しました。(リンク先より) << 戻る