便り 安泰寺-愛知県西尾市 ・安泰寺 曹洞宗 愛知県西尾市西幡豆町講伏14当寺は山号を吉谷山、寺号を安泰寺と称する。欠村城主小笠原摂津守長重公により幡豆小笠原公の菩提寺として創建されました。(永正10年西暦1513年室町時代戦国期)祥山恵禎和尚により、田原の長興寺四世模外惟俊和尚を開山と仰ぎこの地に創建されました。(リンク先より) << 戻る 1513.01.01 便り年表
便り 白雲山安松院 清光寺せいこうじ [地蔵尊] 浄土宗 清光寺の歴史は、永正10年1513、安松良盛入道(乗誉安三良盛居士)により開基(創建)されたことに始まる。 境内にある安松一門の墓にはと刻まれた天然石の墓標がある。 また、一説には、天文1532-1555の頃、安松弥兵衛という人が創建、あるいは寺運が傾いた時に復興を計ったとも伝えられている。 開基が安松良盛入道であるため、姓を寺の院号としてと称する。開山は行明観阿弥である。(リンク先より)・白雲山安松院 清光寺せいこうじ 浄土宗 1513.01.01 便り年表
便り 順正寺-愛知県半田市 ・坂田山 順正寺 真宗大谷派 愛知県半田市堀崎町1-58はじまりは、1513年!それって、いつ?この地にお寺が出来たのは、およそ500年前のようだ。なぜ、そんなことが分かるのかというと、おそらくこの土地にする人々がお金を出し合って本願寺にお寺を造れるよう働きかけたのだろう。現在順正寺には、それによって本願寺からいただいた「阿弥陀如来絵像」が宝物として伝えられている。幅64センチ長さ160センチほどの掛け軸となった阿弥陀如来像だ。(リンク先より) << 戻る 1513.01.01 便り年表
便り 高家寺-兵庫県明石市 ・高家寺 天台宗 兵庫県明石市太寺2-10-35太山寺文書の中には、室町時代の永正6年(1509年)9月、高家寺の住僧が明石郡内の天台宗寺院の僧と共に、京都祇園の神殿新築に当って上京し、 法華経千部を読誦したという記載があり、この時期には高家寺という寺院が既に建立されており、隆盛を誇っていたことがわかっています。(リンク先より) << 戻る 1509.09.01 便り年表
便り 立法寺-三重県四日市市 ・立法寺 真宗高田派 三重県四日市市楠町南五味塚903番地正式な創建時期は不詳ですが、「おおよそ800年前(平安時代末期~鎌倉時代初期)、元々は真言宗系の道場としてはじまった」と代々申し伝えられています。尚、開基 上人を信光院と申し、その後、永正6(1509)年、當山 第12世 俊良上人の時、高田派法燈 第10世 中興 眞慧上人に帰依し奉り、真宗高田派へ転派させて頂きました。(リンク先より) << 戻る 1509.01.01 便り年表
便り 長泉寺-岡山県岡山市北区 ・長泉寺 真言宗御室派 岡山県岡山市北区南方3-10-40永正6年(1509年)7月に開創。その頃、当山の周辺には備前国営の薬草園が広がっていたと伝えられ、岡山の先進医学の発祥の地とされます。薬園山と言う山号の由来です。(リンク先より) << 戻る 1509.01.01 便り年表
便り 福生寺-佐賀県武雄市 ・福生寺 真言宗大覚寺派 佐賀県武雄市武内町大字梅野乙14726本尊は聖観世音菩薩であり、開基については黒髪大権現を勧請した神社(黒髪神社)の棟札に《永正六年、 大檀主藤原千代童丸助成松尾道久、住持福生寺法印快憲》と記されたものがあり、 寺伝では永正六年(1509年)に快憲法印によって中興されたとなっている。(リンク先より) << 戻る 1509.01.01 便り年表
人物 尋尊(じんそん) 尋尊とは、室町時代中期から戦国時代にかけての奈良興福寺の僧。父は一条兼良。母は中御門宣俊の娘。興福寺180世別当。大乗院第20代門跡。奈良長谷寺・橘寺・薬師寺の別当をも兼任した。応仁の乱(1467年-1477年)では父兼良の日記『藤河ノ記』を兵火から守った(『群書類従』所収)。また、大乗院に伝わる日記類を編纂し、大乗院日記目録を作成した。「尋尊大僧正記」は興福寺に関することだけではなく、この時代を知る上での必須の資料である。この日記と後に門跡を務めた政覚・経尋の日記をあわせて『大乗院寺社雑事記』と呼び、室町時代研究の根本史料の一つとなっている。生誕 永享2年8月7日(1430年8月25日)命日... 1508.05.02 人物年表
便り 寿髙院光明寺-広島県大竹市 ・寿髙院光明寺 浄土真宗本願寺派 広島県大竹市元町2-13-71508年(永正5年) 初代住職 釈清順(俗名 日野左エ門三郎秀慶)が光明寺を開く。現在の山口県岩国市美和町にて開山したと伝えられる。(リンク先より) << 戻る 1508.01.01 便り年表
便り 金竜寺-福岡県糸島市 ・金竜寺 曹洞宗 福岡県糸島市高祖1289永正5年(1508)高祖城城主原田興種公は、父原田弘種公菩提の為に現在の糸島市高祖に金龍寺を建立しました。御開山様(初代住職)には山口県瑠璃光寺の三世 桃嶽瑞見大和尚をお迎えいたしました。境内地は高祖城主原田家の菩提所の跡地であると伝えられており、また土塁の上であることから国の史跡に指定されております。(リンク先より) << 戻る 1508.01.01 便り年表
便り 玄忠寺-鳥取県鳥取市 ・玄忠寺 浄土宗 鳥取県鳥取市新品治町176永正5(1508)年に、鳥取城下、湯所町高浜地(現在の鳥取北中学校付近)に草庵を築いたのではないかと伝えられています。その後城郭整備により矢野地(材木町)へ、さらに城郭整備により中の島(現在の玄好町公園)へと移転しました。玄好町という町名は玄忠寺の寺号がもとになっています(『因幡誌』)。またこの頃に浄土宗寺院としての体裁が整ってきたものと考えられます。(リンク先より) << 戻る 1508.01.01 便り年表
便り 宝台院-静岡県静岡市葵区 ・宝台院 浄土宗 静岡県静岡市葵区常磐町2-13-2永正4年(1507)、大本山鎌倉光明寺九世観誉祐崇上人により開創されました。上人は常紫衣沙門の始まりの人で、浄土宗のお十夜法要をはじめて行なった方です。(リンク先より) << 戻る 1507.01.01 便り年表
便り 普門寺-岩手県陸前高田市 ・普門寺 曹洞宗 岩手県陸前高田市米崎町字地竹沢1812006年に開山500年を迎えた、岩手県陸前高田市にある曹洞宗の寺院です。 境内には岩手県指定文化財である三重塔、木造伝聖観音像、絹本著色愛染明王画像などがあり、東日本大震災の後奉納された沢山の仏像が本堂や境内各所にまつられております。(リンク先より)※2006年-500年=1506 << 戻る 1506.01.01 便り年表
便り 彰見寺-三重県津市 ・彰見寺 真宗高田派 三重県津市大谷町1当寺開基/教専坊釈恵光(1417〜1505) 教義/阿弥陀仏の浄土へ往生することを究極の目的としながら、本願念仏の教えによって、苦悩の現世を強く明るく生き抜く拠り所とする。(リンク先より) << 戻る 1505.01.01 便り年表
便り 曹源寺-愛知県豊明市 ・豊明曹源寺公式ホームページ 曹洞宗 愛知県豊明市栄町内山45鎌倉時代(700年程前)天台宗として開闢されたと伝えられており、現在の宗派である曹洞宗に改宗され開創されたのは後柏原帝の御代永正2年(1505)実田以耘和尚の時である。連綿と歴史は重ねられ現在の住職は二十六世である。二世快翁龍喜和尚のとき、永禄3年(1560)5月19日史上に有名な“桶狭間の戦い”が起こり今川義元公は戦死、多数の死傷者が戦場一帯に放置されていたのを塔頭寺院の明窓宗印和尚に命じ、村人を指揮して戦傷者を収容し戦死者は各所に葬り代表的な場所として戦人塚を選定し引導焼香した。(リンク先より) << 戻る 1505.01.01 便り年表
便り 永昌院-山梨県山梨市 ・永昌院 曹洞宗 山梨県山梨市矢坪1088寺記によると、この寺の前身は真言宗でした。曹洞宗、龍石山永昌院としての開基は、甲斐守護職、武田信昌(文安4年(1447)〜永正2年(1505))とされ、現山梨県笛吹市一宮町の中山廣厳院開山、雲岫宗竜(うんしゅうそうりゅう)の高弟、同院二世一華文英(いっけぶんえい)を開山(初代住職)に迎え、開創されました。(リンク先より) << 戻る 1505.01.01 便り年表
便り 長徳寺-神奈川県横浜市都筑区 ・長徳寺のホームページ 浄土真宗本願寺派 神奈川県横浜市都筑区牛久保西3-9-1山号及び寺号 弘願山 長徳寺御本尊 阿弥陀如来開山 永正年間 今から約500年位前の開山(リンク先より)※永正年間 1504年から1521年 << 戻る 1504.01.01 便り年表
便り 普廣寺-新潟県柏崎市 ・普廣寺 曹洞宗 新潟県柏崎市山室726-1文亀四年(1504)当村深沢城主村山安芸守の開基、曇英和尚(群馬県群馬郡白井双林寺三世宝光隻包悍巨)の開山である。また一書に、明応二(1493)上杉定正開基とある。始め家近に建立、後現地に移した。また。一書に、元亀年間北条城主毛利家中興と記されている。(リンク先より) << 戻る 1504.01.01 便り年表
便り 永正寺-愛知県江南市 ・【公式】江南 永正寺 臨済宗妙心寺派 愛知県江南市高屋町中屋舗46永正寺(高屋山永正寺・こうおくさんえいしょうじ)は、永正元年(1504年)に開創された、臨済宗妙心寺派の寺院です。所在地・江南市は、愛知県北県境を流れる木曽川の南に位置します。(リンク先より) << 戻る 1504.01.01 便り年表
便り 本念寺-香川県綾歌郡 ・本念寺 真宗大谷派 香川県綾歌郡綾川町山田上甲256永正年間 念西坊建立(全讃史) 伝承によると松下本念 伝教大師の弟子となり台密を修得し帰郷の途次 阿波国海部郡由岐村に茅舎を結ぶ。二代良源に至って万松院弘道院本念寺と称した。(リンク先より)※永正年間 1504年から1521年 << 戻る 1504.01.01 便り年表
便り 西蓮寺-富山県砺波市 ・西蓮寺 浄土真宗本願寺派 富山県砺波市庄川町庄3804永正甲子元年《一五〇四年、五〇三年前》天台宗金剛寺教誓法師が浄土真宗本願寺九代の実如上人に帰依し西蓮寺と改称されました。当時該寺院は一の谷山に位置し、修行道場を始め伽藍も整い、周辺に存在する幾多の寺坊を圧したる主坊であったと伝えられています。後に現在地に遷居するに際し、金剛寺の寺号を今の村名に残されましたが、天和元年《一六八一年》加州候検地の際、雄神庄村と合併して庄金剛寺となったと旧記されています。(リンク先より) << 戻る 1504.01.01 便り年表
便り 玉泉寺-新潟県阿賀野市 ・玉泉寺 曹洞宗 新潟県阿賀野市分田1043玉應山玉泉寺(ぎょくおうざんぎょくせんじ)は、その昔、真言宗の寺であった。 福聚山無量院(ふくじゅざんむりょういん)と称し、20世代まで続いた。開基は分田七郎俊長で彼の戦勝祈願の寺として建立され、俊長の墓が寺の脇の墓地にある。その後、永正元年(1504年)阿賀野市(旧水原町)にある西福寺の末寺として、雲山派天(うんざんはてん)大和尚によって禅宗の1つである曹洞宗に改宗され、開山された。(リンク先より) << 戻る 1504.01.01 便り年表
便り 長昌寺-栃木県足利市 ・長昌寺 曹洞宗 栃木県足利市高松町450長昌寺の開創は今から500年前の文亀3年(1503年)と伝えられています。それは足利将軍家の世継ぎ問題で、11年も続いた『大仁の乱』がやっと終わり、足利幕府の権威が徐々に失われつつある時代でした。そのような時に、臨済宗の僧侶、玄甫蔵主によって開創されました。(リンク先より) << 戻る 1503.01.01 便り年表
便り 松岩寺-神奈川県平塚市 ・萬年山松岩寺ホームページ 曹洞宗 神奈川県平塚市下吉沢614この地の地頭、布施三河守康貞は小田原北条時代の文亀2年(1502年)に同郷(山城国)の僧である如幻宗悟を請じ、曹洞宗大本山總持寺直末の寺院として、萬年山と号し開山した。開山の如幻宗悟の族性は菅原氏で、同じ神奈川県内では1503年に徳翁寺(横浜市戸塚区)、1519年に寶泉寺(藤沢市)の開山となっている。宗悟は享禄3年(1530年)11月20日に没したが、興山舜養・月松宗尖・陽始誾甫などの弟子を輩出し、相模国・武蔵国にその法を広めた。(リンク先より) << 戻る 1502.01.01 便り年表
便り 教深寺-愛媛県伊予郡 ・教深寺 真言宗豊山派 愛媛県伊予郡松前町大間330開基、由来については、諸説があって確定し難い。文亀二年(一五〇二)金蓮寺七末寺の一寺として建立されたとも伝えられ、また明治初年の「寺院取調」によると、延宝七年(一六七九)仁良和尚の開山とも記され、当寺に伝わる「萬記録」によれば、享保一〇年(一七二五)開基とも記録されている。(リンク先より) << 戻る 1502.01.01 便り年表
便り 長勝寺-大分県大分市 ・長勝寺 臨済宗妙心寺派 大分県大分市三川下2-6-23文亀元(1502)年に、喜峰禅悦という和尚様をご開山にお迎えして、亀王の地(現在の西公園付近)に大友統(のり)清(きよ)公によって創建されました。本尊は地蔵菩薩さまです。創建当初は建長寺派であったと伝えられています。(リンク先より) << 戻る 1502.01.01 便り年表
便り 最禅寺-広島県廿日市市 ・最禅寺 浄土真宗本願寺派 広島県廿日市市峠1099明応10(1501)年、最禅寺と名付ける。寛永10(1633)年、本願寺末属となる。元禄7(1694)年、久保田の地より現在の位置に到る。(リンク先より) << 戻る 1501.01.01 便り年表
便り 洞福寺-宮城県石巻市 ・洞福寺 曹洞宗 宮城県石巻市谷川浜字中井道7洞福寺のホームページをご覧いただきありがとうございます。洞福寺は石巻市十八成浜の陽山寺を本寺として文亀元年(1501)に開山したと伝えられる曹洞宗の寺院です。(リンク先より) << 戻る 1501.01.01 便り年表
便り 一心寺-愛知県愛西市 ・一心寺 曹洞宗 愛知県愛西市赤目中屋敷154山号を国音山と称する。本尊は釈迦如来坐像で、文殊、普賢菩薩を脇侍としている。明応9年(1500)横井時永によって元赤目村に創建、萬福寺と称した。度々の水害により傾頽衰微したが、寛永17年(1640)横井時安が此の地に再建造営し寺領50石を寄進。(リンク先より) << 戻る 1500.01.01 便り年表
便り 観音寺-群馬県沼田市 ・観音寺 曹洞宗 群馬県沼田市下発知町332石尊山観音寺は明応9年(1500年)天山見亮禅師により開創され、以来戦後争乱の中を生き抜き永い星霜を累ねてきました。御開山天山見亮禅師は御本寺迦葉山龍華院3世であり、群馬成孝院2世、永福寺2世、福島清光寺2世、茨城鱗勝寺3世と各地の住職を務めた高徳です。(リンク先より) << 戻る 1500.01.01 便り年表