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羽柴秀吉が関白となる。五奉行をおく

1585年、羽柴秀吉が関白となる。五奉行をおく。<< 戻る
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豊臣秀吉の高野山を焼き討ちは中止される

天正十三年(1585年)、織田信長の基盤を継いだ豊臣秀吉も高野山を焼き討ちしようとするが、高野山の客僧だった応其上人の働きで中止される。高野山の寺領が解放され、秀吉はその後、金堂や大塔を再建するなど、高野山の復興を援助することになる。 << 戻る
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知恩院に寺領百九十石

1585年(天正13年)、豊臣秀吉、知恩院に寺領百九十石の朱印状を付す。<< 戻る
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長福寺-大分県日田市

・長福寺 真宗大谷派 大分県日田市大字豆田町5-13照雲山長福寺は、日田市豆田町(伝統的建造物群保存地区)の中央に位置する真宗大谷派(本山=東本願寺)の寺院です。天正12年(1584年)、宗榮によって開山されています。(リンク先より) << 戻る
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西願寺-滋賀県近江八幡市

・西願寺 浄土宗 滋賀県近江八幡市船木町1246天正12年に八幡城城主 豊臣秀次公を開基とする寺院です。屋根は地元特産のヨシを葺いた葦葺(よしぶ)きで、往時の姿を留めて立つ姿は威風堂々とし、登録有形文化財(平成17年)、重要文化的景観第一号(平成18年)に指定されました。(リンク先より)※天正12年 1584年 << 戻る
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長遠寺-山形県長井市

・長遠寺 真言宗豊山派 山形県長井市館町北10-49-12彌陀三尊懸佛 室町時代末期に作られたもので、直径二十八センチ青銅の懸佛で、中央の蓮華座に阿彌陀如来と左右に観音菩薩とが浮き彫りになっている。裏には、天正十二年輝宗と刻記されている。(リンク先より)※天正十二年 1584年 << 戻る
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広福寺-新潟県西蒲原郡

・広福寺 真宗仏光寺派 新潟県西蒲原郡弥彦村大字麓6590当寺の開基、延定坊祐善は能登国柏原(珠洲市)の人。戦禍を避け天正年間に信徒七人と共に海路を越前間瀬浜に上陸。法義弘通に勤める中、道西法師に師事した。道西は宗祖親鸞聖人に帰依し常随給仕していた安達左衛門尉兼道の孫。兼道より伝来の祖師聖人御染筆の阿弥陀如来尊像は、道西老境に至り祐善に授与された。祐善は愈々宿縁を喜び、尊像を恭敬し弥彦の麓を往返し、本願念仏の布教に励む中、この地の同行と共に天正十二年(1584)当寺を建立し、尊像を奉安した。(リンク先より) << 戻る
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城興寺-栃木県芳賀郡

・城興寺 天台宗 栃木県芳賀郡芳賀町下延生1641当山は古来より霊場名刹として、殊に安産・子育の地蔵尊として近県に聞えて居ります。天正十二年(一五八四年)堂塔伽藍全焼し、その折に記録も消失、開基・造立も詳かでないが、その昔何帝の御宇にか(後鳥羽・土御門・順徳の頃か)その寵愛せし后妃解任するも月に臨みて産気なく、御門の心痛一方ならず諸寺諸山の大徳安産の祈禱も空しく、ある夜夢枕に御僧立れ曰く「女人の安産は地蔵菩薩十種の大願の第一なれば、此の菩薩を信仰給わば御安産疑いなし」と消え失せたり。(リンク先より) << 戻る
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順正寺-福岡県福岡市博多区

・順正寺 浄土真宗本願寺派 福岡県福岡市博多区祇園町4-55袖湊山順正寺は、天正11年の創建であり、空寂上人により開基、時来約430年の歴史ある古刹です。現在の順正寺本堂の様式は、本来、入母屋、流れ向拝付、本瓦葺の優雅な曲線で威風堂々たる構えであり歴史的文化財としての維持が期待されています。(リンク先より)※天正11年 1583年 << 戻る
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平等寺-石川県鳳珠郡

・平等寺 高野山真言宗 石川県鳳珠郡能登町字寺分2字116和住山平等寺は、十世紀の中頃荘園の宮寺として創建され、以後千年余り法燈が守られてきた高野山真言宗のお寺です。武士の台頭により、荘園の衰退と共に平等寺は和住の本郷(能登町字上町)を追われ、天正十一年(1583)に応清法印が現在地に再興されました。(リンク先より) << 戻る
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大蓮寺-石川県金沢市

・大蓮寺 浄土宗 石川県金沢市野町2-1-14天正十一年(一五八三)加賀藩祖前田利家公荒子七人衆の一人、小塚淡路守秀正が利家公に従って金沢城入城後に、七尾の浄土宗西光寺住職であった衍蓮社広誉怒白上人を招請し、御馬屋町(現、柿木畠)に建立されたが、後に当地が御用地になった為、野町に替地を拝領して現在に至る。(リンク先より) << 戻る
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長徳禅寺-兵庫県明石市

・長徳禅寺 臨済宗妙心寺派 兵庫県明石市二見町東二見1695長徳禅寺は安土桃山時代・天正十一年(1583年)創建である。江戸末期頃に無住時代があり、古文書等がなく、寺の歴史の詳細は不明である。山門は、享保四年(1719年)建立である。 本尊は、釈迦牟尼仏で、脇侍に阿難尊者と迦葉尊者の三尊仏を配す。(リンク先より) << 戻る
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光台寺-茨城県水戸市

・光台寺 浄土宗 茨城県水戸市上水戸町3-1-39天正11年(1583年)に佐竹義宣公の開基により雲雪上人が開山されました。最初は水戸城西新本町(現在の栄町)にありましたが、寛文年中(1661~1673年)に徳川光圀の命により現在の場所(上水戸)に移されました。(リンク先より) << 戻る
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大阪城を築く

1583年、羽柴秀吉が大阪城を築く。<< 戻る
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光善寺-東京都港区

・光善寺 浄土真宗本願寺派 東京都港区元麻布1-7-4天正11年(1583年)、本願寺11代門主顕如上人のご教導により僧、明藝(みょうげい)、武蔵国世田ヶ谷上宿に一宇を建立し、松本山光善寺と号す。(公式ページより) << 戻る
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本能寺の変

天正10年6月2日(1582年6月21日)、本能寺の変。織田信長が京都の本能寺で明智光秀におそわれ、自刃。<< 戻る
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願正寺-大分県日田市

・願正寺 真宗大谷派 大分県日田市隈2-8-29天正9年(1582年)、西心和南により、現在地(隈町)に圓庵が結ばれました。以来、宗誓禅師、祐心律師、祐圓前大徳、釋永知と法灯は受け継がれています。 寛永12年(1636年)、初代住職となる大心庵釋祐心の願いにより、大谷本願寺13代宣如より「親鸞聖人御影」が下付されて、真宗寺院としての形が完成しました。(リンク先より) << 戻る
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長延寺-神奈川県横浜市緑区

・命帰山 長延寺 浄土真宗本願寺派 神奈川県横浜市緑区三保町2440開基玄栄法師は、武蔵国都築群小机城の領主笠原越前守信為の嫡子で、童名を竹丸という。天正10年(1582年)顕如上人、織田信長との和睦後故郷都築群吉田村(現在の港北区新吉田町)に帰り、一宇を建立する。上阪しその旨、顕如上人へ報告、方便法身の尊形および蓮如上人御真筆の六字名号と併せて、寺号長延寺、法名玄栄を下附され開基となる。(リンク先より) << 戻る
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安楽寺-東京都港区

・安楽寺 浄土真宗本願寺派 東京都港区芝1-12-181582年(天正10年) 安楽寺創建 ※「本能寺の変」の年1639年(寛永18年) 開基(一世)釋良信往生1923年(大正12年) 関東大震災の延焼により本堂消失1929年(昭和4年) 本堂再建(リンク先より) << 戻る
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長源寺-島根県松江市

・長源寺 臨済宗南禅寺派 島根県松江市東津田町1030長源寺が建てられたのは天正10年と伝えられており、開山は立翁廣本禅師大和尚(りゅうおうこうほんぜんじだいおしょう)です。同じく松江市にある南禅寺派宝亀山安国寺の中興です。中興とは、いったん盛んになったものが、また再び盛んになることをいいます。(リンク先より)※天正10年 1582年 << 戻る
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大用寺-神奈川県秦野市

・井宮山大用寺のホームページ 曹洞宗 神奈川県秦野市曽屋2-1-8大用寺は山号を井宮山(セイキュウザン)、寺号を大用寺とする曹洞宗の寺院です。御開山は、天正十年(1582年)、真翁宗達大和尚によるが、織豊時代の天正十九年(1591年)宗達遷化、と記録にある(リンク先より) << 戻る
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大友・有馬・大村ら九州のキリシタン大名が少年使節をローマに送る

1582年、大友・有馬・大村ら九州のキリシタン大名が少年使節をローマに送る。<< 戻る
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山城(京都府)で検地を行う

1582年、羽柴秀吉が山城(京都府)で検地を行う。<< 戻る
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山崎の戦い

1582年、山崎の戦い。羽柴秀吉が明智光秀をやぶる。<< 戻る
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勝覚寺-香川県東かがわ市

・勝覚寺 真宗興正派 香川県東かがわ市三本松426天正四年三好氏落城のとき、その家臣板西城主赤澤信濃守は中富川の合戦において討ち死にし、天正十年(1582)赤澤信濃守の一子正本法師が菩提を弔うため、大坂天満興正寺で証秀上人につき得度し、丹生の郷小砂村に小砂坊を開基したのが勝覚寺の始めとされている。(公式ページより) << 戻る
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浄恩寺-和歌山県田辺市

・浄恩寺 浄土宗 和歌山県田辺市元町273開山は天正九年に光誉岌山上人により御所谷(現在地より西に500m)に創建され、後に慶長13年、秀誉良山上人により現在地に移転されます。(リンク先より)※天正九年 1581年<< 戻る
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宝円寺-石川県金沢市

・宝円寺 曹洞宗 石川県金沢市宝町6-14天正9年(1581年)、利家公が能登国所口(今の石川県七尾市)に移られた際、同和尚を越前から招き入れ、一寺を創建されるがこれを「宝円寺」と名付けられた。 尚、同11年(1583年)、利家公が金沢城主となられるに及び、再び大透和尚を金沢へ招き、「護国山宝円寺」を建立し開祖とされた。(リンク先より) << 戻る
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聞乗寺-埼玉県上尾市

・雲龍山 「聞乗寺」 浄土真宗本願寺派 埼玉県上尾市原市290聞乗寺は現在埼玉県上尾市に本堂(聞法道場)と御堂内墓地(納骨堂)を有りしていますが、元来は富山県氷見市に寺籍を有する寺院です。その歴史は古く天正9年(1581)真言宗石動山天平寺の僧慶専により開基創建、後年本願寺第十二代准如宗主(1577~1630)のとき御本尊を本願寺より拝受し浄土真宗に改宗しました。現本堂は大正元年(1911)の建立、鐘楼堂は江戸時代の建立でしたが、平成21年修復いたしました。(リンク先より) << 戻る
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円乗寺-東京都文京区 – 八百屋於七墓所

・円乗寺 八百屋於七墓所 天台宗 東京都文京区白山1-34-6圓乗寺は天正9年(1581年)、圓栄法印が本郷に密蔵院として創建したと伝えられており、元和6年(1620年)に實仙法師が圓乗寺と寺号を改めました。本尊は釈迦牟尼如来と、江戸三十三観音第11番札所の聖観世音菩薩です。(リンク先より)八百屋於七墓所。 << 戻る
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織田信長、高野攻め

天正九年(1581年)、織田信長、高野攻め。高野山は比叡山と同じように、独自の武力を蓄えていた。寺領は17万石以上あり、3万6千の兵を養っていたと記されている。高野山が織田信長を裏切った荒木村重の残党を匿ったり、足利義昭と通じるなど、信長と敵対する動きを見せる。『信長公記』によれば、信長は使者十数人を差し向けたが、高野山が使者を全て殺害した。一方、『高野春秋』では前年8月に高野山宗徒と荒木村重の残党が組織する「高野大衆一揆」の関係の有無を問いかける書状を松井友閑を通じて送り付け、続いて9月21日に一揆に加わった高野聖らを捕縛し入牢あるいは殺害した。このため天正9年(1581年)1月、根来寺と協...
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石山合戦終わる

1580(天正八)年3月、本願寺、織田信長と和睦(石山合戦終わる)。8月、教如、本願寺を退く。大坂本願寺焼ける。<< 戻る
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大日院光明寺-山口県美祢市

・大日院光明寺 西山浄土宗 山口県美祢市西厚保町原1266寺伝によると現光明寺の開基は真言時代の旧光明寺焼失からおよそ180年後の天正8年(1580年)であったという。かつてのご本尊大日如来が鎮座する草庵(大日堂)のそばに浄土教寺院として開かれたのである。(リンク先より) << 戻る