年表

便り

善徳寺-岐阜県岐阜市

・善徳寺 浄土真宗本願寺派 岐阜県岐阜市加納柳町33もとは岐阜市西川手の地に発祥しましたが、 関ヶ原の戦いによって徳川家康の覇権が確立した慶長5(1600)年の翌年、慶長6(1601)年に加納藩の創設にともなって加納城と城下町の建設が開始されると、元和元年(1615年)に旧中山道沿いの現在地(岐阜市加納)に寺基が移されました。加納の城下町が中山道加納宿として栄えた江戸時代の間、当寺は宿場町の東番所手前の寺として親しまれていたようです。(リンク先より) << 戻る
年表

徳川幕府が武家諸法度・禁中並公家諸法度を定める

1615年、徳川幕府が武家諸法度・禁中並公家諸法度を定める。<< 戻る
便り

徳念寺-東京都葛飾区

・徳念寺 真宗大谷派 東京都葛飾区立石7-11-32林光山徳念寺は、芝金杉の東本願寺抱地に元和元年(1615)創建しました。<< 戻る
年表

大阪夏の陣

1615年、大阪夏の陣。豊臣氏が徳川氏に滅ぼされる。<< 戻る
便り

大安寺-青森県むつ市

・大安寺 曹洞宗 青森県むつ市大畑町本町80慶長19年(1614)本町坪家出身の禅達という僧が、大安寺道に庵を結び、曹洞宗の教義を布教したのが発祥とされている。寛永11年(1634)禅達が入寂し、しばらく無住であったところに一東異寅(いっとう いいん)が入庵して新寺造立に尽くし開山の僧となった。(リンク先より) << 戻る
便り

桂蔵寺-宮城県黒川郡

・桂蔵寺 臨済宗妙心寺派 宮城県黒川郡大郷町川内字下堰場12桂蔵寺は、慶長19年(1614)瑞巌寺の前身円福寺80世廣天青(こうてんせい)和尚が天台宗の寺院であった当寺を臨済宗として小規模ながら再建いたしました。その由縁から廣天青和尚を開創としています。また、その時無住であった本堂に桂の木でできた地蔵菩薩が本尊としてまつられていたため、桂蔵寺と寺号を称し、鎮守として日光菩薩、月光菩薩をお祀りしていたことから山号を「日月山」としました。(リンク先より) << 戻る
便り

應典院-大阪府大阪市天王寺区

・應典院 浄土宗 大阪府大阪市天王寺区下寺町1-1-27應典院は、大蓮寺三世誓誉在慶の隠棲所として1614年に創建された大蓮寺の塔頭寺院です。1997年に再建される際、一般的な仏事ではなく、かつてお寺が持っていた地域の教育文化の振興に関する活動に特化した寺院として計画され、〈気づき、学び、遊び〉をコンセプトとした地域ネットワーク型寺院として生まれ変わりました。(リンク先より) << 戻る
便り

東光寺-埼玉県所沢市

曹洞宗寺院の東光寺は、醫王山と号します。東光寺は、永源寺七世孝山大舜(慶長19年1614年寂)が開山となり創建したといいます。(リンク先より)・東光寺-埼玉県所沢市
便り

釣船寺-茨城県稲敷市

・釣船寺 曹洞宗 茨城県稲敷市浮島3583寺伝によれば、慶長19年(1614年)9月に美浦村(茨城県稲敷郡)の永厳寺十七世安芝門泰大和尚のご開山と伝わり、木原永巌寺の末寺でした。(リンク先より) << 戻る
年表

大阪冬の陣

1614年、大阪冬の陣。徳川家康が大阪城の豊臣秀頼を攻める。<< 戻る
便り

円寿寺-福島県郡山市

・円寿寺 浄土真宗本願寺派 福島県郡山市小原田1-9-14圓壽寺の開基は、慶長18年(1613)7月25日で、新國西念が創建して以来代々法灯を継承して現在に至っている。寺祖新國西念は岩瀬郡長沼城主(福島県岩瀬郡長沼町)新國上総介頼基(貞通)の嫡孫として出生、幼名を竹丸といった。(リンク先より) << 戻る
便り

長命寺-東京都練馬区

・東高野山 長命寺 真言宗豊山派 東京都練馬区高野台3-10-3当寺院は、慶長18年(1613年) に後北条氏の一族である増島重明(北条早雲のひ孫にあたる。のちに出家して慶算阿闍梨になる)によって弘法大師像を祀る庵を作ったのが始まりといわれている。その後寛永17年(1640年) 奈良・長谷寺の小池坊秀算により十一面観音像が作られ、「長命寺」の称号を得る。(リンク先より) << 戻る
便り

保安寺-埼玉県熊谷市

・箕甲山 保安寺 曹洞宗 埼玉県熊谷市箕輪180慶長18年(1613)江戸時代に開創される。開山 浄空院第四世仲山春的大和尚(1625年示寂)安永8年(1779)第九世照山禅亮大和尚が現在の本堂を建立する。天明6年(1786)頃土蔵・山門が建立される。(リンク先より) << 戻る
便り

安楽寺-宮崎県宮崎市

・安楽寺 浄土真宗本願寺派 宮崎県宮崎市橘通東1-7-251613年(慶長18年) 滋賀県大津市の僧:聞解により、西都市穂北の地に開基1871年(明治4年) 念仏弾圧等により隣寺に吸収合併1885年(明治18年) 篤信者:水間嘉之助氏の尽力により、光源寺より寺号と本尊を譲り受け、現在地の南西(今の宮崎市役所前噴水付近)に寺基を再興(リンク先より) << 戻る
便り

生蓮寺-山口県美祢市

・生蓮寺 浄土真宗本願寺派 山口県美祢市東厚保町山中6401613 慶長18年 真言宗光臻庵を求む(リンク先より) << 戻る
便り

万松院-沖縄県那覇市

・万松院 臨済宗妙心寺派 沖縄県那覇市首里当蔵町3-4-11613年(万歴ばんれき41年)琉球王家第二尚氏の菩提寺である円覚寺(首里)。その円覚寺の住職・カ翁周航禅師は住職を引退してから、現在の万松院付近に『岩頂山万松院』というお寺を建てて、隠居寺としてそこに住んだ。(リンク先より) << 戻る
年表

徳川幕府が禁教令を全国に広げる

1613年、徳川幕府が禁教令を全国に広げる。<< 戻る
年表

伊達政宗が支倉常長をヨーロッパに派遣

1613年、伊達政宗が支倉常長をヨーロッパに派遣する。<< 戻る
便り

浄心寺-東京都文京区

・江戸札所十番 浄心寺 浄土宗 東京都文京区向丘2-17-4浄心寺は、元和2年(1612年、徳川2代将軍秀忠の頃)に畔柳助九郎氏が大旦那となり、還蓮社到誉文喬和尚を開山上人とし、湯島妻恋坂付近に創建されました。その後、八百屋お七の振り袖火事として知られる江戸の大火により焼失し、現在の地に移転しました。(リンク先より) << 戻る
便り

泉岳寺-東京都港区

・曹洞宗 江戸三ヶ寺 萬松山 泉岳寺 曹洞宗 東京都港区高輪2-11-1泉岳寺は慶長17年(1612年)に門庵宗関(もんなんそうかん)和尚(今川義元の孫)を拝請して徳川家康が外桜田に創立した寺院です。(現在の警視庁の近く)しかしながら寛永18年(1641年)の寛永の大火によって焼失。そして現在の高輪の地に移転してきました。時の将軍家光が高輪泉岳寺の復興がままならない様子を見て、毛利・浅野・朽木・丹羽・水谷の五大名に命じ、高輪に移転した泉岳寺はできあがったのです。(リンク先より) << 戻る
便り

福田寺-千葉県鴨川市

・福田寺 浄土真宗本願寺派 千葉県鴨川市貝渚3076慶長十七年(1612)の創建と伝えられ開基は了周。縁起不詳。残っている奉加帳によると、寛政年中(1789~)九世普観の代に本堂が焼失し、以来六十有余年仮本堂で過ごす。(リンク先より) << 戻る
年表

徳川幕府が直轄領に禁教令を出す

1612年、徳川幕府が直轄領に禁教令を出す。<< 戻る
便り

雲光院-東京都江東区

雲光院 浄土宗 東京都江東区三好2-17-14徳川家康公の側室阿茶局の菩提寺として、慶長十六年(1611年)阿茶局自らの発願により、増上寺の高僧であった潮呑上人を開山上人(初代住職)として仰ぎ開創されました。阿茶局の法号「雲光院」がそのまま寺の名称になりました。 開創地は中央区馬喰町付近でありましたが、明暦三年(1657年)の大火に被災し、神田岩井町に替地となり、天和二年(1682年)現在の深川の地に再び替地となりました。(リンク先より) << 戻る
便り

瑞泉寺-京都府京都市中京区

・慈舟山 瑞泉寺 浄土宗西山禅林寺派 京都府京都市中京区木屋町通三条下る石屋町114慶長16年(1611年)。時の豪商角倉了以翁は運河として高瀬川を開削する工事をおこなっていました。その途中三条辺りにさしかかったとき、「塚」が荒廃している様子を発見。秀次公とそのご一族に以前から深く同情していた了以翁は、浄土宗西山派の僧「立空桂叔和尚」(後に瑞泉寺の開山上人)と計り、荒廃した墓域を整理すると共に、ご一族の菩提を弔う寺をその場所に建立することとしました。山号は、高瀬川を往来する船に因んで「慈舟山」。寺名は、京極誓願寺の中興教山上人が新たに秀次公に贈った法名「瑞泉寺殿高巌一峰道意」からとって「瑞泉寺...
便り

本行寺-岡山県岡山市北区

・本行寺 顕本法華宗 岡山県岡山市北区蕃山町3-5慶長16年(1611年)に、一音院日円上人が、姫路城主で備前国(岡山)を兼ねて領していた池田輝政公の外護により、以前の岡山市野田屋町の地に日蓮宗妙満寺派(現在・顕本法華宗)の寺院として創建された。(リンク先より) << 戻る
便り

浄蓮寺-山口県下松市

・浄蓮寺 浄土真宗本願寺派 山口県下松市美里町2-12-1寺伝によると開基は、大内弘世四代の孫、勝屋左門重治で、父は勝屋右馬允興久と云い陶氏方の武将であった。 興久は徳山・須々万の殿浴山城主であったが、弘治三年(1557)毛利元就との戦いに敗れ、城も落ちて勝屋一族は滅亡する。その際、重治は幼少であったので一命を助けられ、家臣の沼新左衛門・安達藤九郎に伴われて末武荘まで落ちのび、民間に成長した。しかし重治は頼る者もないので、父興久や討たれた家臣の菩提を弔うため発心して出家となり、名を蓮甫と改めた。その後、蓮甫は大島村(徳山・大島)の教西(福間源六広明)と名のる出家と語らって、共に上京し、浄土真宗...
便り

桐岳寺-島根県松江市

・桐岳寺 曹洞宗 島根県松江市奥谷町279雲州大守堀尾忠氏公の次男小次郎君(吉晴公の孫)が慶長14年(1609)8月6日夭折し、忠氏公の後室御母長松院殿がその菩提を弔うために、翌慶長15年(1610)8月能義郡広瀬富田郷桜崎に一宇を建立し、戒名に因み「桐岳寺」と称し、御開山(初代住職)に伯耆国倉吉、定光寺8世龍岳道門大和尚を勧請したのが始まりです。(リンク先より) << 戻る
便り

楽運寺-愛知県名古屋市中区

・楽運寺 真宗大谷派 愛知県名古屋市中区大須4-10-23慶長十五年、三河上宮寺第十五世教祐師(1586~1663)により三河上宮寺を本寺として江戸四ツ谷に「龍善寺」を、紀州に「専養寺」を、そして尾張名古屋の八重町(現在、中区栄錦三丁目)に通所として「祐西坊」を開かれました。 この「祐西坊」がのちの楽運寺であります。 当寺の山号を太子山と申すのは、本寺上宮寺より将来された聖徳太子御自作と伝える「聖徳太子二歳木立像」に因むとみられます。 (リンク先より)※慶長十五年 1610年 << 戻る
便り

等覺寺-新潟県村上市

・等覺寺 真宗大谷派 新潟県村上市細工町1-15山号を六角山とし慶長15年、今から約400年前に今の姫路市から開基釋了法が開山した寺です。江戸時代の初期、開基釋了法は播磨国六角村に生を受け、姫路市の本徳寺で僧門に入り、後、御本尊阿弥陀如来立像と両御脇掛(親鸞、蓮如)に共をして、この地で開山しました。(リンク先より)※慶長15年 1610年 << 戻る
便り

正源寺-埼玉県川口市

・正源寺 公式ホームページ 真言宗智山派 埼玉県川口市大字新堀934天命山 正源寺は慶長15年(1610)2月、法印宥慶開創で中興開山は源雅と伝わっております。 本堂は間口7間、奥行き6間の木造のお堂で平成7年に建てかえられたものであります。(リンク先より) << 戻る
便り

三光寺-愛知県豊田市

・金谷庚申三光寺 真言宗醍醐派 愛知県豊田市金谷町5-63弘法大師作と伝へる梵天帝釈青面金剛王を本尊とし、真言宗 醍醐派準別格本山金谷山三光寺松鷹坊といい、京都醍醐総本山三宝院末である。貞享元年(1684)7月に庚申別当跡次院政長の著した縁起書に「金谷村郷土近藤弥右衛門信種が日頃に崇っていた尊像を村中の鎮守として慶長15年(1610)に一宇を創設した」とあるが、それ以前に碧海郡上野郷天當庵から移された庚申堂があり、伊保城主丹羽勘助氏次も深く信仰していたという。(リンク先より) << 戻る
便り

実相寺-群馬県邑楽郡

・実相寺 真言宗豊山派 群馬県邑楽郡板倉町板倉甲1678慶長14年(1609年)徳川2代将軍秀忠公による伊奈良沼の白鳥鉄砲狩りの為、沼のほとりにある実相寺外農家18軒が移転した。これより遡る事11年、慶長3年あの栄華を極めた豊臣秀吉が五大老(徳川家康、前田利家、毛利輝元、上杉景勝、宇喜多秀家)に秀頼を託し死去。秀吉の願いとは裏腹に、死去して2年後の慶長5年に関ヶ原の役起こり、東軍(徳川方)は西軍(石田光成方・実質は秀頼方)を破る。(リンク先より) << 戻る