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永平寺別院長谷寺-東京都港区

・永平寺別院長谷寺 曹洞宗 東京都港区西麻布2-21-34かつて「渋谷が原」と呼ばれたこの地には、古くから観音堂が建ち、奈良の長谷寺の観音さまと同木で造られたという、小さな観音さまが祀られ、人々に親しまれていました。時流れて徳川家康公開府の後、この観音堂を基に補陀山長谷寺が開かれました。家康公の幼馴染みでもあった高僧、門庵宗関大和尚(もんなんそうかんだいおしょう)をご開山に2万余坪の寺領を賜ったと伝えられます。正徳6年(1716年)2丈6尺の大観音を建立。古仏は尊像の体内にお納めし、江戸屈指の観音霊場・江戸観音霊場第22番札所として尊崇(そんすう)を集めました。(リンク先より) << 戻る
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蓮華寺-兵庫県養父市

・蓮華寺 高野山真言宗 兵庫県養父市大屋町夏梅682帰命山安養寺とし開創。江戸時代の慶長~元和頃に藤堂高虎公栃尾谷城本居館跡地に重塔を移築改装し赤堂とする。栃尾山蓮華寺と名を改める。元禄年間に帰農した元高虎家臣の子息が津藩に仕官。それに伴い、山号抹消。享保年間に、西谷山 蓮華寺と再興す。(リンク先より)※享保年間 1716年から1736年 << 戻る
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法眼寺-静岡県賀茂郡

・法眼寺 臨済宗建長寺派 静岡県賀茂郡西伊豆町仁科860-1かつては仁科の安城山麓にあった法眼庵という小さな庵でしたが、海濤により大破、荒廃しました。 享保年間にこの地を修行で通りかかった僧・幽厳が法眼庵と堂ヶ島の走嶋山長平寺の荒廃を嘆き、二院を合併して正島山法眼寺としました。(リンク先より)※享保年間  1716年から1736年 << 戻る
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徳川吉宗が8代将軍となる

1716年、徳川吉宗が8代将軍となる。→享保の改革。<< 戻る
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木山寺-岡山県真庭市

・木山寺 高野山真言宗 岡山県真庭市木山1212木山寺、木山神社はもとは神仏習合で、木山宮(きやまぐう)として、多くの人々の信仰を集めてきましたが、明治時代の神仏分離政策によって、木山寺と木山神社に別れました。 ご本尊は、医王の霊薬をもってあらゆる衆生の病気や迷いを救われる薬師如来。鎮守神の木山牛頭天王は薬師如来の化身で、除災招福の大願を成就されています。善覺稲荷大明神は、ご本地十一面観音の化身で、正徳年間(1714年)京都伏見稲荷より勧請された明神様です、勧請し祀った僧が善覺という名僧で、その徳を称えて善覺稲荷と呼ぶようになりました。(リンク先より)<< 戻る
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仏心寺-岡山県岡山市中区

・仏心寺 単立 岡山県岡山市中区湊449正徳四年(1714年)年岡山藩主池田綱政の姉(一条右大臣教輔夫人)の発願による建立と伝えられる当寺院には、池田家縁のものが残されています。写真の門、鬼瓦にも池田家の家紋である蝶の紋が施されています。(リンク先より) << 戻る
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達身寺-兵庫県丹波市

・達身寺 曹洞宗 兵庫県丹波市氷上町清住259この寺は、行基菩薩によって開かれたと言われ、宗派は天台か真言系であっただろうと思われる。寺名は不明である。正徳二年(一七一二)に竹雲堤山和尚(ちくうんていざんおしょう)の発願により師である円通寺(氷上町御油)二十五世大庵清鑑和尚(だいあんせいかんおしょう)を開山とし、禅宗の中の曹洞宗として火を灯し現在に至っている。又、寺名についていは、十九山の達身堂(たるみどう)を本堂としてこの地に移した為、十九山達身寺(じゅうくさんたっしんじ)と名付けられたのである。(リンク先より) << 戻る
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西法寺-秋田県横手市

・西法寺 曹洞宗 秋田県横手市平鹿町上吉田吉田51正徳二年(1712年) 六世安山楚宅代に、安叟派(海蔵寺を本寺とする末・孫寺)に対して報恩山善福寺を門首と定め、本寺の代行を命ずる文書が届く。(リンク先より) << 戻る
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知恩院、「華頂山」の勅額

1710年(宝永7年)、霊元上皇宸翰「華頂山」の勅額を賜う。<< 戻る
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万行寺-長野県佐久市

・万行寺 浄土真宗本願寺派 長野県佐久市下平尾461-1寺院名 万行寺(まんぎょうじ)山号 聞宝山(もんぽうざん)聞了により宝永年間に開基されたことに由来 開基300年を機に付けられる由縁 現存する寺史によりますと、万行寺の始まりは、1709(宝永6)年10月15日、聞了により開基とされています。2009(平成21)年で開基300年になりました。(リンク先より) << 戻る
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新井白石の改革

1709年、新井白石の改革(正徳の治)。綱吉の死後、学者の新井白石が6代将軍家宣、7代将軍家継につかえて財政の立て直しを図ったが、効果はうすかった。<< 戻る
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了翁道覚(りょうおうどうかく)

江戸時代前期、教育文化、社会福祉、公共事業など各種の社会事業に貢献した黄檗宗の僧。出羽国雄勝郡八幡村生まれ。初め名を祖休といい、後に道覚とあらためた。号も初めは了然といい、後に了翁にあらためた。寛永20年(1643年)、了翁は陸奥国(後の陸中国)平泉の中尊寺(岩手県平泉町)を詣でたが、その際、多くの経典がすでに散逸してしまっていることを知った。特に藤原清衡奉納の宋版大蔵経の多くが失われていることを嘆き、近隣を探し回り、今日国宝の一部として知られる金銀交書(紺紙金銀交書大般若経)6巻を返納した。さらにこれ以後、散逸した経典や群書の蒐集と一切経蔵建立の運動に一生を捧げることを誓う。承応3年(165...
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西方寺-宮城県仙台市青葉区

・西方寺 浄土宗 宮城県仙台市青葉区大倉字上下11706年(宝永3年) 西方寺開山1832年(天保3年) 白髭大明神石碑を建立(貞能堂境内)(リンク先より) << 戻る
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吉祥院-埼玉県さいたま市北区

・雙樹山大恵寺吉祥院 真言宗智山派 埼玉県さいたま市北区宮原町4-29-4開山 正確には不詳。中興まで九世の返還有りという。中興開山 榮秀法印 寛永3年(1706)遷化(リンク先より) << 戻る
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称念寺-愛知県知立市

・称念寺 真宗大谷派 愛知県知立市新地町西新地65知立の中町はその名からしてまさに当時の中心地であり、そこに寺がありました。時に1705年(宝永2年)、本町桶屋喜右衛門裏家から失火し、池鯉鮒宿など計81軒を消失した大火によって寺にまで火がおよび、本尊や宝物なども多く焼失してしまいました。(リンク先より) << 戻る
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現在の大門が出来る

宝永二年(1705年)、現在の大門が出来る。<< 戻る
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観念寺-大阪府南河内郡

・観念寺 浄土真宗本願寺派 大阪府南河内郡河南町大字寛弘寺220観念寺は、江戸時代(元禄16年)に寛弘寺村の熱心な念仏信者たちによって、 京都の西本願寺から本尊阿弥陀如来の名号をもらい受け念仏道場として起こったと伝わっている。(リンク先より)※元禄16年 1703年 << 戻る
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近松門左衛門「曽根崎心中」

1703年、近松門左衛門が「曽根崎心中」を著す。<< 戻る
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上正寺-神奈川県茅ヶ崎市

・上正寺 浄土真宗本願寺派 神奈川県茅ヶ崎市小和田2-12-73元禄十五年(1702)僧 圓春 の記せし 境内太子堂縁起 によるに、圓融院 第四皇子 尊勝法親王 郡中寺尾郷(市内小出町)に一宇を建て、海圓院と号し、顕密兼学の道場とす。 文治年中(1185~1189)当村に移れり。 後、嘉禄年中(1225)住僧 了智坊道圓(佐々木四郎高綱公)親鸞聖人(浄土真宗の開祖 1173~1262) に国府津に謁し、其の宗法に帰依し今の宗派に改む。 因りて 了智坊 を宗の開祖とす。其の頃 親鸞聖人 寺号を 無上正覚寺 と名づく。  後、寺務を 智圓に譲り、信州松本に 正行寺 を建て、仁治二年(1241)二月...
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願正寺-佐賀県佐賀市

・願正寺 浄土真宗本願寺派 佐賀県佐賀市呉服元町6-5慶長5年(1600)関ヶ原合戦のとき、後の佐賀藩初代藩主鍋島勝茂は、西軍(豊臣方)に加わったが、敗北し進退に窮した。この謝罪について、西本願寺の准如上人などが中に入り、佐賀藩は事無きを得た。その恩顧に報いるため創立されたものである。それ以後、肥前領内の真宗寺院並びに門信徒は全て西本願寺派となり願正寺はその中心寺院として、肥前国総道場と称された。現本堂は1702年に建立。(リンク先より) << 戻る
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赤穂浪士があだ討ちをする

1702年、赤穂浪士があだ討ちをする。<< 戻る
人物

契沖(けいちゅう)

江戸時代中期の真言宗の僧であり、古典学者(国学者)。11歳で摂津国東成郡大今里村(現在の大阪市東成区大今里)の妙法寺の丯定(かいじょう)に学んだ後、高野山で東宝院快賢に師事し、五部灌頂を受け阿闍梨の位を得る。摂津国西成郡西高津村(現在の大阪市天王寺区生玉町)の曼陀羅院の住持となるが、高野山に戻り、円通寺の快円に菩薩戒を受け、和泉国和泉郡久井村(現在の和泉市久井町)の辻森吉行や同郡万町村(現在の和泉市万町)の伏屋重賢のもとで、仏典、漢籍や日本の古典を数多く読み、悉曇研究も行う。延宝5年(1677年)に延命寺・覚彦に安流灌頂を受ける。延宝7年(1679年)に妙法寺の住持となる。『万葉集』の解釈を進...
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禅林寺-東京都三鷹市

・霊泉山 禅林寺 公式ホームページ 黄檗宗 東京都三鷹市下連雀4-18-20元禄十二年(一六九九)八月台風のために建物が倒壊したので、松之坊は寺社再建不可能のために寺社地を村方へ返還した。 そこで村方一同は協議の末、江戸本所石原に在った黄檗宗賢洲元養禅師に寺社建立のことを懇請した。(リンク先より) << 戻る
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長建寺の起こり

元禄12(1699)、伏見奉行建部内匠頭政宇が中書島を開拓するにあたり、深草大亀谷即成就院の塔頭多門院を当地に移し、弁財天を祀ったのが当寺の起こりで、寺名は建部氏の長寿を願って名付けられた。<< 戻る
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覚苑寺-山口県下関市

・覚苑寺 黄檗宗 山口県下関市長府安養寺3-3-10当山は長府藩主第三代毛利綱元公が、元禄11年(1698年)、黄檗山万福寺の第七代住持であった中国僧、悦山道宗禅師を勧請開山として迎え創建した黄檗宗の寺院です。もともと、当山の前身は市内綾羅木にあった古刹元享山利済寺でしたが、それを現在地に移し、名を法輪山覚苑寺と改められました。(リンク先より) << 戻る
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円通寺-岡山県倉敷市

・円通寺 曹洞宗 岡山県倉敷市玉島柏島451現在の倉敷市玉島の地に行基菩薩によって星浦観音の霊場が開創され、 その後、元禄11年(1698年)徳翁良高禅師によって曹同宗寺院として開山されました。(リンク先より) << 戻る
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大年寺-宮城県仙台市太白区

・大年寺 黄檗宗 宮城県仙台市太白区門前町3-22元禄9年(1696)11月、第四代仙台藩主伊達綱村公が鍬入れの式を行って茂ケ崎の地を拓き、宮城郡若林にあった廃寺小蓬山仙英寺の遺址を此処に移して新たに堂塔を建設し、両足山大年寺と号しました。同10年(1697)、下総國向島弘福寺普應鐡牛和尚を請うて開山始祖とし、8月、落慶の祝典を挙げました。(リンク先より) << 戻る
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引接寺-茨城県那珂市

・引接寺 浄土宗 茨城県那珂市額田南郷429元禄9年(1696)に、水戸黄門で知られている徳川光圀公により、浄鑑院常福寺の末寺として建立されました。ご本尊阿弥陀如来・観音菩薩・勢至菩薩は、茨城県の指定文化財となっています。(リンク先より) << 戻る
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東光寺-山口県萩市

・東光寺 黄檗宗 山口県萩市椿東1647吉就は慧極のために寺を建てようとしたが、当時は新寺の建立が禁止されていたので、下関(厚狭郡松谷村)の廃寺であった東光寺(本尊薬師如来)を、家臣の別荘地であった萩松本の土地を買い取って移した。この東光寺創建は元禄四年(1691年)のことである。(リンク先より) << 戻る
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福満寺-愛知県豊田市

・福満寺 浄土宗 愛知県豊田市金谷町5-86元禄四年(1691年)、田地山福満寺が創建される。<< 戻る
人物

浅井了意(あさいりょうい)

江戸時代前期の浄土真宗の僧・仮名草子作家。父は東本願寺の末寺本照寺の住職。本名は不詳。号は松雲・瓢水子・羊岐斎。京都の出身。代表作品は「御伽婢子」(おとぎぼうこ)、「浮世物語」、「本朝女鑑」、「江戸名所記」、「東海道名所記」、「京雀」など。晩年に京都二条の本性寺の住職となり、昭儀坊了意と名乗った。生誕 命日 元禄4年1月1日(1691年1月29日)<< 戻る
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建福寺-福島県郡山市

・建福寺 臨済宗妙心寺派 福島県郡山市西田町木村字寺ノ前14当山は敕謚大光禅師覆庵宗己大和尚を歓請開山に頂き、開基は、慈雲意公首座和尚である。開創は定かではないが東北横断自動車道遺跡調査報告15(木村舘跡)によると、天正11年木村領主木村越中守が滅亡後、三春領家臣橋本刑部がこの地を治めた。その時、人心を治めるため福聚寺より首座和尚の慈雲意公和尚が錫を止めたのであろうと考えられる。元禄三年、二世中興是心悟公首座和尚が、東西七軒南北四軒三尺の本堂を建てた。(リンク先より)※元禄三年 1690年 << 戻る