インド・ニューデリーでの開催にあたって
死の体験旅行では自分の大切なものなどを付箋に1つずつ書き出し、物語の過程で選んで捨てるという作業があります。物語の内容によっては、「まだ捨てたくないけれど、物語に例えば仕事を辞めると出てくれば、捨てなくてはいけない」など、自分の意志ではないものも選ぶこともあります。
自分がいつ、どこで、どうやって死ぬかは分からないことです。死ではなくとも、様々な選択をする時に、その時になってみて、それは自分の選択かと問えば、その時にそういう条件がついているからということになります。自分で選んでいるようで、そうでないという見方もできる場合があるはずです。
死の体験旅行に共感できたのは、私は以前から同じようなことを考えていたからです。例えば、お寺や神社のお賽銭。お参りに行くと財布から小銭を取り出して木の箱などに「チャリンチャリン」「カランカラン」と入れるお賽銭です。これは色んな意味合いがあるかもしれませんが、自分の大切なものを捨てる練習だと思っています。
お金は色んな商品やサービスに換えられる生活に欠かせないものです。お賽銭の場合、お金を捨てるとは言いませんが、お金を納める場所がお寺や神社にあり、納めたければ納め、納めたくなければ納めない、そういうものがお賽銭です。
自分のものがたくさんあれば満たされる気持ちもあるかもしれません。しかし、それを守るために生きずらいこともあるかもしれません。今、必要なものを得るには、いつも満たされたパンパンのカバンでは入りません。カバンにも余裕が必要で、今、必要なものが分かった時に、すぐに手に入れられるようにしたいものです。
そのために選んで、捨てて、納めるものは納める、そんな捨てる練習が死の体験旅行でできると思います。