「 法話便り 」 一覧

今ここに居られるが如くにお世話をしてあげたらいいよ

中陰のお参りに伺った時、祭壇の横で呆然としていました。 「定年し、これから旅行に行こうと言っていたのに、悔しくて悔しくてどうにもならない」との事でした。毎週お参りに行くと、その都度、寂しくて、悔しくて ...

第5話 いのちの呼びかけ 内藤円亮(長崎県 光西寺)

「いのち」という言葉は、実に様々な意味で用いられています。これまで多くの方々が「いのち」という言葉を用いながら、宗祖親鸞聖人の教え、お念仏の教えを語られてきたと思います。(リンク先より) ・第5話 い ...

あるがままに受け入れ

あと一年の命と告知された男性が入院をしていました。彼は医師の告知に愕然とし、「一体自分の人生は何だったのか」と嘆き、医師や看護師のみならず周囲の患者やあらゆる人に当たり散らし、恨み、病院で持て余され、 ...

第4話 いのちを拝む 内藤円亮(長崎県 光西寺)

数年前、子どもたちの大会でそのご住職がお話をされたのですが、まず驚いたのは60人ぐらいの子どもたちを相手に1時間近くお話されたということです。私など、毎月一回の子ども会で数人の子どもの前に立ち、お話を ...

心がまっすぐになれば行いもまっすぐになる

私の今年の目標は「忙しくしない」です。 「忙しくしない」というのは、少し仕事を減らして遊びたいとか、自分の時間がもっとほしいとかそういうことではないんです。(リンク先より) ・心がまっすぐになれば行い ...

第3話 いのちをいただきます 内藤円亮(長崎県 光西寺)

ある書物を通して、「いただきます論争」なるものが雑誌や新聞で話題となっていたことを知らされました。ことの発端は2005年の秋頃に、あるラジオ番組で「給食費を払っているのだから、給食の時間にうちの子ども ...

自分の力ではどうにもならないもの

福井県の永平寺をお開きになりました道元禅師さまがお書きになった「正法眼蔵」という書物のなかにこのようなお言葉がでてまいります。 「生を明きらめ、死を明きらむるは仏家一大事の因縁なり」(リンク先より) ...

第2話 見えるいのち 見えないいのち 内藤円亮(長崎県 光西寺)

「生死するいのち」、「しょうじ」とは「生き死に」という字を書きますが、「生死するいのち」とは、わたしたちが疑いようもなく今まさに生きているということです。それを「見えるいのち」と言ってみたいと思います ...

共に生きる喜びを分かち合えるような世界

さて、今回はウサギ歳。昔、道内にはたくさんの野うさぎがいましたが、最近はめっきり見かけなくなりました。ウサギが減った理由は、棲家となる野原の減少であるとか、北キツネの増加、あるいは外来種のアライグマの ...

第1話 いのちとは何か 内藤円亮(長崎県 光西寺)

折に触れて「いのち」という言葉を耳にし、また、口にもしています。特に、私自身、子どもたちと共にお念仏することを大切な課題として、お寺の子ども会などで「いのちの尊さ」を語りかけているつもりでいました。( ...

第6話 「苦」のみなもと 藤原正寿(石川県 浄秀寺)

近代における親鸞教学の先駆けとなった人物でもある清沢先生が、次のような言葉を記しておられます。 依頼ハ苦痛ノ源ナリ 財貨を依頼めば財貨の為に苦めらる 人物を依頼めば人物の為に苦めらる 我身を依頼めば我 ...

朝のあいさつから一日が始まります

人を思いやり温かい言葉をかけることを「愛語」と言います。悲しんでいる人に声をかけてはげますとその人は元気になります。すると不思議にも自分自身も嬉しく幸せになります。でも、言葉をかけなくても他人に幸せを ...

第5話 生のみが我らにあらず 藤原正寿(石川県 浄秀寺)

確かに現代の私たちの社会は、本当は、いろいろなことを知るための大切な縁となるべき事実や苦悩と正面から向き合うことをできるだけ避け、生活の中から見えなくし、排除していく社会だと感じます。(リンク先より) ...

身を正しくして、ただ、ひたすら坐る

12月は、お釈迦様が長い修行の末、菩提樹の下に座り、七日間座り続けてお悟りを開かれたことから、曹洞宗の多くのお寺で、一日中、坐禅をする、摂心(せっしん)という坐禅会が行われています。(リンク先より) ...

第4話 本当の豊かさとは 藤原正寿(石川県 浄秀寺)

私たちが生きている現代という時代は、ある意味で非常に豊かな時代です。しかし、その豊かさという言葉の意味は、ほとんど経済的に満足するという豊かさということに置き換えても、あながち間違っているとはいえない ...

必ず目に見えた幸せをいただくのである

私達は、いつも幸せでありたいと願い、幸せを求めて生きています。 また、自分は幸福ではないと思い、幸福をどこまでも追い求め、他の人と比べていまだに不幸だと思って生きているのも私達の姿であると思います。( ...

第3話 真宗と生活 藤原正寿(石川県 浄秀寺)

明治から昭和を生きられ、真宗の教えを聞く道場を開かれ多くの生きた教学者、念仏者を生み出された安田理深という先生が、師として尊敬されてお られた、同じく近現代において真宗の教学の中心を担ってこられ、大谷 ...

生命は死んでもなお、輝いているものですね

ある時、父親が病に臥せていることを風の便りに聞くのですが、自分は父の死を聞かされても、きっと絵筆は離さないだろうと予想しておりました。それ程、母と自分を捨てて、自分勝手に生きてきた父親には強い憎しみを ...

第2話 空しく過ぎることのない人生 藤原正寿(石川県 浄秀寺)

親鸞聖人は、このような私たちの生き方、人生を「空過」つまり、空しく過ぎる人生であると、頷かれました。親鸞聖人が、75〜76歳頃にお作りになられた「高僧和讃」に、 本願力にあいぬれば むなしくすぐるひと ...

一人一人が心にゆとりと真心を持つ

先日、お寺の法要でトイレに行きますと、スリッパが脱ぎ散らかされていました。 揃えておりますと、年配の方が急いで用を足したい様子でしたが、スリッパが散らかっているのを見て、「この急いでいる時に」とかなり ...

第1話 御遠忌テーマから問われていること 藤原正寿(石川県 浄秀寺)

すこし前のことになりますが、1999年7月11日の朝日新聞日曜版「いわせてもらお」というコーナーに、次のような投稿が掲載されていました。静岡県沼津市のペンネーム「10年たったが2人は元気」という方の投 ...

あたり前のことが大切である

料理人は最高の条件で料理を味わってもらおうと、一所懸命に腕をふるって料理を作ります。それをタバコで舌や喉を変に刺激するとせっかくの料理が台無しになります。食事の時の喫煙は本来してはならないのです。(リ ...

第6話 無量寿を生きる 山口知丈(大阪府 昭徳寺 住職)

私たちが賜ったこの命を「無量寿」として頂き直して行こうとするとき、それには親鸞聖人が聞き取られたお念仏の教え、これを聞くこと、すなわち「聞法」、「教えに耳を傾けること」ですが、これが大切であることを第 ...

めぐりあいの不思議さに重い責任を感じていただきたい

私は、婚礼の席で挨拶を頼まれますと、「めぐりあいの不思議さに重い責任を感じていただきたい」とお話します。生まれや育った環境や性格も体質も夫々(それぞれ)違う二人がめぐりあい、(リンク先より) ・めぐり ...

第5話 無量寿を生きる 山口知丈(大阪府 昭徳寺 住職)

私たちは自分の姿に徹底的に暗いこと、すなわち根本煩悩である「無明」ですが、これに染め抜かれた存在で、そのため、親子、兄弟、夫婦、友達というかけがえのない関係を時には邪魔なもの、人生の障害物とさえ思い込 ...

人生の根本を大切に致しましょう

枝が広がっているだけちゃんと根も土の中で広がっている。木は根が命だといういかにも年輪を重ねた職人さんに、根の本(もと)と書く根本の大切さを教えられました。(リンク先より) ・人生の根本を大切に致しまし ...

第4話 無量寿を生きる 山口知丈(大阪府 昭徳寺 住職)

これは後に「須らく相対の理を観ずべし」と題された、清沢先生のたくさんのメモのひとつです。私たちが親子関係で躓くときの問題点を実によく教えてくださっています。清沢先生がおっしゃるように親というけれどもそ ...

感謝の気持ちを表す言葉が「ごちそうさま」

私達人間は人という文字の形が示しているように、多くの存在に支えられながら生きているのではないでしょうか。その一番身近なものが食事というものに表れていると思います。(リンク先より) ・感謝の気持ちを表す ...

第3話 無量寿を生きる 山口知丈(大阪府 昭徳寺 住職)

「私たちがこの世を生きるということは、決してたった一人で独立して生きているのではなく、いつも必ず他の人と関係し合い、支えあって生きているものなのです」ということを述べておられるのです。(リンク先より) ...

人生は行動である

永平寺の道元禅師は、「心と身体の関係」を「心」と「身体」は、分けて考えることのできない一つのものと言われ、行動することが心を育むとお考えになりました。(リンク先より) ・人生は行動である

第2話 無量寿を生きる 山口知丈(大阪府 昭徳寺 住職)

帰命の義もまたかくのごとし。しらざるときのいのちも、阿弥陀の御いのちなりけれども、いとけなきときは知らず、すこしこざかしく自力になりて、「我がいのち」とおもいたらんおり、善知識「もとの阿弥陀のいのちへ ...

生き方が真実そのままであれば、食もまた、真実そのままである

世界中には、未だに飢えと戦う人々が溢れています。WFP=国連世界食料計画によると、世界では飢餓やそれに関する病気のため、毎日二万五千人が命を落としています。(リンク先より) ・生き方が真実そのままであ ...



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