「 法話便り 」 一覧

第3話 今、いのちがあなたを生きている 黒萩昌(北海道 法誓寺)

最近特に感じますことは、世の中の人みんなが正しい答え、正しい意見を持ち、互いに非難し合い、論評し合い、ぶつかり合って、生活の場全体が、何かギスギスとした空気につつまれているように思われてなりません。( ...

学ばさせてもらったと思う謙虚さ

5月に入り、北海道各地に桜の便りが届く時節を迎えました。今年の桜は、それぞれがいろんな想いで観ていると思います。その想いは、昨年とは確実に違う何かを感じていることでしょう。(リンク先より) ・学ばさせ ...

第2話 今、いのちがあなたを生きている 黒萩昌(北海道 法誓寺)

あらためて申し上げるまでもなく、私たちの「命」には限りがあります。そして、いつの日か、自分の「命」は必ず終わっていく、必ず尽きていくということを、みんなが充分過ぎるほど良く知っているはずであります。( ...

毎日を仲良く幸せになるよう努力していこう

ある俳優がデビュー当時、「笑いながら怒る人」という奇妙な芸をしていました。顔はニコニコ笑顔なのですが、口から出てくるのは怒りの言葉なのです。そのテレビの画像を見て、表情と言葉のアンバランスさに妙な違和 ...

第1話 今、いのちがあなたを生きている 黒萩昌(北海道 法誓寺)

学校内でのいじめや、家庭内での虐待、そして、そこから起こってくる子どもたちの自殺や、親子間、友人間の殺人事件などが頻発する中で、「いのち」ということが今盛んに問題にされております。(リンク先より) ・ ...

身近な人に笑顔を差し上げること

私が副住職を勤めていますお寺は、戦後間もない頃、私のおじいちゃんとおばあちゃんが一緒に荒地を開墾し、立ち上げたお寺です。 おじいちゃんは、私が小学校一年生の頃に亡くなりましたので、当時の話を直接聞いた ...

第6話 今、いのちがあなたを生きている 人間といういのちの相(すがた) 佐野明弘(石川県 光闡坊)

無意識的に仏教をよいものとし真宗を素晴らしいものとして聞いていくとき、私たちははじめからよい教えを聴く者、善人になっております。そして、いつのまにか自分は仏法を聞いておるもの、少しはわかったもの、念仏 ...

人生は、限り有るもの

私の好きな禅語に日々是好日という言葉が御座います。字を見れば毎日が大安吉日と言う意味になりますが、残念乍ら大概は自分の都合に反して物事が進むことが多いように感じます。(リンク先より) ・人生は、限り有 ...

第5話 今、いのちがあなたを生きている 人間といういのちの相(すがた) 佐野明弘(石川県 光闡坊)

私のこれまでの人生の中で出会った大切な人のひとりに、アレン・ネルソンという方がいます。彼はベトナム戦争を経験した元米軍兵です。貧困の故に軍隊に入り、ベトナムの戦地で殺戮やあらゆる暴力を目の当たりにしま ...

無数の因縁により両親が私に命をくださった

私は、今から十年前、インドへ旅行に行きました。約十ヶ月の個人旅行で、社会との繋がりや培った人間関係を一時的に保留した、誰ひとり知人の居ない土地への長い旅行でした。(リンク先より) ・無数の因縁により両 ...

第4話 今、いのちがあなたを生きている 人間といういのちの相(すがた) 佐野明弘(石川県 光闡坊)

この衆生と見出されてあることにおいて私達はすでに阿弥陀如来の眼差しの中に受けとめられているのです。摂取の縁は成就しているのです。(リンク先より) ・第4話 今、いのちがあなたを生きている 人間というい ...

この苦しみを乗りこえて

今年は三月に入ってもなかなか暖かくならず、とても寒くて雪の降る日がとても多かったですね。冬が長い北海道に生活している私たちは、毎日のように「もう雪はいらない。早く春になってくれよ。」って愚痴をこぼした ...

第3話 今、いのちがあなたを生きている 人間といういのちの相(すがた) 佐野明弘(石川県 光闡坊)

阿弥陀如来から我が名を称えよ、と呼びかけられているところに、我々はすでに阿弥陀如来によって受けとめられているのです。このことを手偏に耳三つを書くおさめるという字と取ると言う字を書いて摂取といいあらわし ...

自分自身の行いと心を見つめなおし

さきごろ、大学入試で携帯電話を使用してのカンニング事件が起き、大騒ぎになりました。犯人とされた受験生は「授業料の安い京都大学に入って、母親を安心させたかった。」と供述していました。(リンク先より) ・ ...

第2話 今、いのちがあなたを生きている 人間といういのちの相(すがた) 佐野明弘(石川県 光闡坊)

http://www.higashihonganji.or.jp/sermon/radio/detail15_02.html

静かな心にて南無釈迦牟尼佛

日本曹洞宗の開祖は道元禅師様です。道元禅師様は、幼くして父母を亡くし、世の無常を感じ、十三歳の時出家されました。 道を求める心が、やがて禅師様を中国大陸に渡らせ、悟りを開かれる導線となったのです。(リ ...

第1話 今、いのちがあなたを生きている 人間といういのちの相(すがた) 佐野明弘(石川県 光闡坊)

一日でも人間として生きたといえる日があるでしょうか。いのちが人間といういのちの相(すがた)をとって生きているそれが私だと。人間というのは私のことだと、受けとったことがないのではないでしょうか。(リンク ...

仏様・ご先祖様と同じ気持ちになれるよう

「往ける者よ、往ける者よ、彼岸に往ける者よ、彼岸に全く往ける者よ、悟りよ、幸あれ。」 これは、仏教を代表するお経の『摩訶般若波羅蜜多心経』・『般若心経』の終わりのダラニ「羯諦、羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯 ...

第6話 今、いのちがあなたを生きている 平野喜之(石川県 浄専寺)

私はこの呼びかけによって、報恩講のとき頂いたお漬物やお茶のおいしかったこと、自らいのちを断った友人との思い出、病気をした時に感じたことなど、全てが「いのちの真実」を教えてくれることとしてよみがえってき ...

きちんと結ばれているからこそ安心していられる

最近、孤独死の増加、大切なはずの我が子を虐待する親、更に所在不明の高齢者が存在していたり、自分の親と何年も会っていないと平然と答える人がいたり、最悪は親の遺骸を放置したり隠していた人がいるという実態が ...

第5話 今、いのちがあなたを生きている 平野喜之(石川県 浄専寺)

今から3年前、私は浄専寺でお世話になった祖母がなくなった日に肺炎がひどくなり、緊急入院しました。私はお世話になった祖母のお葬式に出られないということや、その準備のお手伝いが出来ないということが気に懸か ...

愛語能く廻天の力あることを学すべきなり

「おかげさまで」「すみません」「ありがとうございます」など、殺伐とした世相であるほど、心を落ち着けて、言葉を考え直してみる必要があり、使い方によってはプラスにもマイナスにもなります。(リンク先より) ...

隋処に主となれ

今日は皆様に、私が日頃大事に思う言葉をご紹介したいと思います。 それは「隋処に主となれ」という言葉です。 隋(ずい)とは従う、まかせるという事。処(しょ)とはところ、場所の事です。隋処とは、いたる所、 ...

第4話 今、いのちがあなたを生きている 平野喜之(石川県 浄専寺)

今から14年前、たいへん親しくしていた友人が自らいのちを絶ちました。その結末を受け入れることはたいへんつらかったのですが、私にはそこに到るまでの様々な出来事とその友人の表情が今でもときどき浮かんできて ...

全てのものの命とつながって成り立っています

最近のニュースの中で自殺や殺人といった報道を聞かない日はありません。特に親が子を殺し子が親を殺すといった血縁の中での殺人が増えた事には驚くばかりです。(リンク先より) ・全てのものの命とつながって成り ...

第3話 今、いのちがあなたを生きている 平野喜之(石川県 浄専寺)

先日、浄専寺で報恩講を勤めさせていただきました。報恩講の最中は非常に忙しいのですが、その合間に出される食事、特にお漬物とお茶のおいしいかったこと。お漬物を食べながら、ふとある問いが心に浮かびました。( ...

「かぐらさんぼうず」の供養祭

私のお寺は、日本海沿岸の小平町の鬼鹿という集落にあります。昭和の三十年頃までニシン漁で栄えていましたが、今は、ニシン番屋のみが当時の栄華の名残を留めるだけです。(リンク先より) ・「かぐらさんぼうず」 ...

第2話 今、いのちがあなたを生きている 平野喜之(石川県 浄専寺)

私には「いのちの私」という表現を是とすれば「私のいのち」という表現が非となり、「私のいのち」という表現を是とすれば「いのちの私」という表現が非となる、つまりどちらかが間違っていてどちらかが正しいように ...

感謝の心をもつ

私は、昨年8月上旬、まさにお寺にとってはお盆が近い多忙な時期でしたが、静岡県・朝霧高原で開催されたボーイスカウト日本ジャンボリー大会のお手伝いをして参りました。(リンク先より) ・感謝の心をもつ

第1話 今、いのちがあなたを生きている 平野喜之(石川県 浄専寺)

先日、あるお寺の前を通りましたら、「どう活かす あなたのいのち」…この「いかす」は生活の「活」のほうですが…という掲示板の言葉が目に入りました。私にはこちらの方が、よく分かるテーマのような気がしました ...

普段気付かない何かに気付く

以前、あるお檀家のおばあちゃんとお話をする機会がありました。  「副住職さん、私は主人が亡くなってから長いことたつけど、毎日主人と私なりに会話しているんですよ」と言ってきたのです。  私は「どういう事 ...

第6話 涅槃するいのち 内藤円亮(長崎県 光西寺)

私は、2006年の夏、京都において、三重県桑名の池田勇諦先生とご一緒に勉強させていただくご縁をいただきました。私にとりまして初めての経験であ り、それこそ「わたしのいのち」となって、これからの私の学び ...



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