余計なものを貯えずに生きる

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『典座教訓』9、食べることも仏法を行じていること

せしゅいんにいって施主院に入ってざいをしゃしさいをもうけば、財を捨し斎を設けば、またまさにもろもろのちじまた当に諸の知事いっとうにしょうりょうすべし。一等に商量すべし。これそうりんのきゅうれいなり。是れ叢林の旧例なり。えもつひょうさんは、回物俵散は、おなじくともにしょうりょうせよ。同じく共に商量せよ。けんをおかししょくをみだすことを権を侵し職を乱す事をえざれ。さいしゅくにょほうに得ざれ。斎粥如法にべんじおわらば、あんじょうにあんちし、弁じ了らば、案上に安置し、てんぞけさをかけ、ざぐをのべ典座袈裟を搭け、坐具を展べまずそうどうをのぞんで、先ず僧堂を望んで、ふんこうきゅうはいし、焚香九拝し、はいし...
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『正法眼蔵随聞記』10、唐の太宗の時

示して云く、唐の太宗の時、異国より千里の馬を献ず。帝これを得て喜ばずして、自ら思わく、「たとひ千里の馬なりとも、独り騎って千里に行くとも、従う臣なくんばその詮なきなり。」と。ちなみに魏徴を召してこれを問う。「帝の心と同じ。」と。依って彼の馬に金帛を負せて還さしむ。今は云く、帝なお身の用ならぬ物をば持たずして是れを還す。況んや衲子は衣鉢の外の物、決定して無用なるか。無用の物、是れを貯えて何かせん。俗なお一道を専らにする者は、田苑荘園等を持する事を要とせず。ただ一切の国土の人を百姓眷属とす。地相法橋子息に遺嘱するに、「ただ道を専らに励むべし。」と云えり。況んや仏子は、万事を捨て、専ら一事をたしなむ...
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『正法眼蔵随聞記』30、学道の人、衣粮を煩わす事なかれ

示して云く、学道の人、衣粮を煩わす事なかれ。ただ仏制を守って、心を世事に出す事なかれ。仏言く、「衣服に糞掃衣あり、食に常乞食あり。」と。いづれの世にかこの二事尽くる事有らん。無常迅速なるを忘れて徒らに世事に煩ふ事なかれ。露命のしばらく存ぜる間、ただ仏道を思うて余事を事とする事なかれ。ある人問うて云く、「名利の二道は捨離し難しと云えども、行道の大なる礙なれば捨てずんばあるべからず。故に是れを捨つ。衣粮の二事は小縁なりと云えども、行者の大事なり。糞掃衣、常乞食、是れは上根の所行、また是れ西天の風流なり。神丹の叢林には常住物等あり。故にその労なし。我が国の寺院には常住物なし。乞食の儀も即ち絶えたり、...
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『正法眼蔵随聞記』41、故僧正云く、衆各用いる所の衣粮等

夜話に云く、故僧正云く、「衆各用いる所の衣粮等の事、予が与えると思う事なかれ。皆是れ諸天の供ずる所なり。我れは取り次ぎ人に当ったるばかりなり。また各一期の命分具足す。奔走する事なかれ。」と常にすすめられければ、是れ第一の美言と覚ゆるなり。また大宋宏智禅師の会下、天童は常住物千人の用途なり。然れば、堂中七百人、堂外三百人にて千人につもる常住物なるによりて、長老の住したる間、諸方の僧雲集して堂中千人なり。その外五、六百人ある間、知事、宏智に訴え申すに云く、「常住物は千人の分なり。衆僧多く集まって用途不足なり。まげてはなたれん。」と申ししかば、宏智云く、「人々皆口あり。汝が事に干らず、歎く事なかれ」...
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『正法眼蔵随聞記』85、学道の人は吾我のために仏法を学する事なかれ

示して云く、学道の人は吾我のために仏法を学する事なかれ。ただ仏法のために仏法を学すべきなり。その故実は、我が身心を一物ものこざず放下して、仏法の大海に廻向すべきなり。その後は一切の是非を管ずる事なく、我が心を存ずる事なく、成し難き事なりとも仏法につかわれて強いて是れをなし、我が心になしたき事なりとも、仏法の道理に為すべからざる事ならば放下すべきなり。あなかしこ、仏道修行の功をもて代わりに善果を得んと思う事なかれ。ただ一たび仏道に廻向しつる上は、二たび自己をかえりみず、仏法のおきてに任せて行じゆきて、私曲を存ずる事なかれ。先証皆是の如し。心に願いて求むる事なければ即ち大安楽なり。世間の人にまじわ...
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『正法眼蔵随聞記』38、唐の太宗の時

夜話に云く、唐の太宗の時、魏徴奏して云く、「土民、帝を謗ずる事あり。」帝の云く、「寡人仁あって人に謗ぜられば愁と為すべからず。仁無くして人に褒められばこれを愁うべし。」と。俗なお是の如し。僧はもっともこの心あるべし。慈悲あり、道心ありて愚癡人に謗ぜられそしらるるは苦しかるべからず、無道心にして人に有道と思われん、是れを能々慎むべし。また示して云く、隋の文帝の云く、「密々の徳を修してあぐるをまつ。」と。言う心は、よき道徳を修してあぐるをまちて民をいつくしうするとなり。僧なお及ばざらん、もっとも用心すべきなり。ただ内々に道業を修せば自然に道徳外に露るべし。自ら道心道徳外に露れ人に知られん事を期せず...
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『正法眼蔵随聞記』50、衲子の行履旧損の衲衣等を

示して云く、衲子の行履、旧損の衲衣等を綴り補うて捨てざれば物を貪惜するに似たり。旧きをすて、当たるに随ってすぐせば、新しきを貪惜する心あり。二つながら咎あり。いかん。問うて云く、畢竟じて如何が用心すべき。答えて云く、貪惜貪求の二つをだにも離るれば、両頭ともに失なからん。ただし、破れたるをつづりて久しからしめて、新しきを貪らずんば可なり。⇒ 続きを読む ⇒ 目次(はじめに戻る)※このページは学問的な正確性を追求するものではありません。前知識のない一般の方でも「読んでみよう!」と思ってもらえるよう、より分かりやすく読み進めるために編集しています。漢字をひらがなに、旧字体を新字体に、送り仮名を現代表...
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『正法眼蔵随聞記』37、故僧正建仁寺におはせし時

示して云く、故僧正建仁寺におはせし時、独りの貧人来って云く、「我が家貧にして絶煙数日におよぶ、夫婦子息両三人餓死しなんとす。慈悲をもて是れを救い給え。」と云う。その時、房中に都て衣食財物等無りき。思慮を巡らすに計略つきぬ。時に薬師の仏像を造らんとて、光の料に打ちのべたる銅少分ありき。是れを取って自ら打ち折って束円めて彼の貧客に与えて云く、「是れを以て食物をかへて、餓をふさぐべし。」と。彼の俗悦んで退出ぬ。門弟子等難じて云く、「正しく是れ仏像の光なり。以て俗人に与ふ、仏物己用の罪如何。」僧正答えて云く、「実に然るなり。但し、仏意を思うに、身肉手足を分って衆生に施すべし。現に餓死すべき衆生には、た...
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『正法眼蔵随聞記』61、学道の人は尤も貧なるべし

夜話に云く、学道の人は尤も貧なるべし。世人を見るに、財有る人は先ず嗔恚恥辱の二難定って来るなり。財有れば人是れを奪い取らんと欲う。我れは取られじとする時、嗔恚たちまちに起る。あるいは之れを論じて問注対決に及び、ついには闘諍合戦をいたす。是のごとくの間に、嗔恚起り恥辱来るなり。貧にしてしかも貪らざる時は、先ずこの難を免る。安楽自在なり。証拠眼前なり。教文を待つべからず。しかのみならず先人後賢之れをそしり、諸天仏祖皆之を恥じしむ。而るを、愚人と為財宝を貯わえ、嗔恚をいだき、愚人と成らん事、恥辱の中の恥辱なり。貧にして而も道を思う者は先賢後聖之仰ぐ所、仏祖冥道之喜ぶ所なり。仏法陵遅し行く事眼前に近し...
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『正法眼蔵随聞記』64、衲子の用心、仏祖の行履を守るべし

また云く、衲子の用心、仏祖の行履を守るべし。第一には財宝を貪るべからず。如来慈悲深重なる事、喩えを以て推量するに、彼の所為行履、皆是れ衆生の為なり。一微塵許も衆生利益の為ならずと云う事無し。その故は、仏は是れ輪王の太子にてまします。一天をも御意にまかせ給いつべし。財を以て弟子を哀み、所領を以て弟子をはごくむべくんば、何の故にか捨てて自ら乞食を行じ給うべき。決定末世の衆生の為にも、弟子行道の為にも、利益の因縁あるべきが故に、財宝を貯えず、乞食を行じおき給えり。然つしより以来、天竺漢土の祖師の由、また人にも知られしは、皆貧窮乞食せしなり。況んや我が門の祖々、皆財宝を蓄うべからずとのみ勧むるなり。教...
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『正法眼蔵随聞記』105、衣食の事兼ねてより思いあてがふ事なかれ

示して云く、衣食の事、兼ねてより思いあてがう事なかれ。もし失食絶煙の時、その処にして乞食せん、その人に用事云わんなんど思いたるも、即ち物をたくわえ、邪食にて有るなり。衲子は雲の如く定まれる住処もなく、水の如く流れてゆきてよる所もなきを、僧とは云うなり。たとひ衣食の外に一物も持たずとも、一人の檀那をもたのみ、一類の親族をも思いたらんは、即ち自他ともに結縛の事にて、不浄食にてあるなり。是くのごとき不浄食等をもてやしないもちたる身心にて、諸仏の清浄の大法を悟らん、心得んと思うとも、何にもかなうまじきなり。たとえば藍にそめたる物は青く、蘗にそめたる物は黄なるが如くに、邪命食をもてそめたる身心は即ち邪命...
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『正法眼蔵随聞記』23、昔、魯の仲連

夜話に云く、昔、魯の仲連と云う将軍ありて、平原君が国にあって能く朝敵を平らぐ。平原君賞して数多の金銀等を与えしかば、魯の仲連辞して云く、「ただ将軍の道なれば敵を討つ能を成すのみ。賞を得て物を取らんとにはあらず。」と謂って、敢て取らずと言う。魯仲連が廉直とて名誉の事なり。俗なお賢なるは、我れその人としてその道の能を成すばかりなり。代わりを得んと思わず。学人の用心も是のごとくなるべし。仏道に入りては仏法の為に諸事を行じて、代りに所得あらんと思うべからず。内外の諸教に、皆無所得なれとのみ進むるなり。心を取る。⇒ 続きを読む ⇒ 目次(はじめに戻る)※このページは学問的な正確性を追求するものではありま...
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『正法眼蔵随聞記』88、僧問うて云く、智者の無道心なると

一日僧問うて云く、「智者の無道心なると、無智の有道心なると、始終如何。」示して云く、無智の道心、始終退する事多し。智慧ある人、無道心なれどもついに道心をおこすなり。当世現証是れ多し。しかあれば、先ず道心の有無をいわず、学道勤労すべきなり。また云く、内外の書籍に、まずすして居所なく、あるいは滄浪の水にうかび、あるいは首陽の山にかくれ、あるいは樹下露地に端坐し、あるいは塚間深山に草庵する人もあり。また富貴にして財多く、朱漆をぬり、金玉をみがき、宮殿等をつくるもあり。倶に典籍にのせたりと云えども、褒めて後代をすすむるには皆貧にして無財なるを以て本とす。そしりて来業をいましむるには、財多きを驕奢のもの...
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『法句経』ダンマパダ【 第5章 愚かな人 】

60 眠れない人には夜は長く、疲れた人には一里の道は遠い。正しい真理を知らない愚かな者どもには、生死の道のりは長い。61 旅に出て、もしも自分よりもすぐれた者か、または自分に等しい者に出会わなかったら、むしろきっぱりと独りで行け。愚かな者を道伴れにしてはならぬ。62 「私には子がある。私には財がある」と思って愚かな者は悩む。しかしすでに自己が自分のものではない。ましてどうして子が自分のものであろうか。どうして財が自分のものであろうか。63 もしも愚者がみずから愚であると考えれば、すなわち賢者である。愚者でありながら、しかもみずから賢者だと思う者こそ、愚者だと言われる。64 愚かな者は生涯賢者に...
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スッタニパータ【第2 小なる章】7、バラモンに相応しいこと

わたしが聞いたところによると、あるとき尊き師(ブッダ)はサーヴァッティーのジェータ林にある孤独な人々に食を給する長者の園におられた。その時、コーサラ国に住む、多くの、大富豪であるバラモンたち(彼らは老いて、年長け、老いぼれて、年を重ね、老齢に達していたが)は、師のおられるところに近づいた。そうして師と会釈した。喜ばしい思い出に関する挨拶の言葉を交わしたのち、彼らは傍らに坐した。 そこで大富豪であるバラモンたちは師に言った、「ゴータマ(ブッダ)さま。そもそも今のバラモンは昔のバラモンたちの守っていたバラモンの定めに従っているでしょうか?」師は答えた、「バラモンたちよ。今のバラモンたちは昔のバラモ...
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スッタニパータ【第2 小なる章】13、正しい遍歴

359 「智慧ゆたかに、流れを渡り、彼岸に達し、完全な安らぎを得て、心安住した聖者におたずね致します。家から出て諸々の欲望を除いた修行者が、正しく世の中を遍歴するには、どのようにしたらよいのでしょうか。」360 師は言われた、「瑞兆の占い、天変地異の占い、夢占い、相の占いを完全にやめ、吉凶の判断をともに捨てた修行者は、正しく世の中を遍歴するであろう。361 修行者が、迷いの生活を超越し、理法を悟って、人間及び天界の諸々の享楽に対する貪欲を慎しむならば、彼は正しく世の中を遍歴するであろう。362 修行者が陰口をやめ、怒りと物惜しみとを捨てて、順逆の念を離れるならば、彼は正しく世の中を遍歴するであ...
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スッタニパータ【第3 大いなる章】4、スタンダリカ・バーラドヴァージャ

わたしが聞いたところによると、ある時、尊き師(ブッダ)はコーサラ国のスンダリカー河の岸に滞在しておられた。ちょうどその時に、バラモンであるスンダリカ・バーラドヴァージャは、スンダリカー河の岸辺で聖火をまつり、火の祀りを行なった。さてバラモンであるスンダリカ・バーラドヴァージャは、聖火をまつり、火の祀りを行なった後で、座から立ち、あまねく四方を眺めて言った、「この供物のおさがりを誰に食べさせようか。」 バラモンであるスンダリカ・バーラドヴァージャは、遠からぬところで尊き師(ブッダ)がある樹の根もとで頭まで衣をまとって坐っているのを見た。見終わってから、左手で供物のおさがりをもち、右手で水瓶をもっ...
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スッタニパータ【第3 大いなる章】5、マーガ

わたくしが聞いたところによると、ある時、尊き師(ブッダ) は、王舎城の鷲の峰という山におられた。その時、マーガ青年は師のおられるところに赴いた。そこに赴いて師に挨拶した。喜ばしい、思い出の挨拶の言葉を交したのち、彼らは傍らに坐した。そこでマーガ青年は師に言った、 「ゴータマ(ブッダ)さま。わたくしは実に、与える人、施主であり、寛仁にして、他人からの施しの求めに応じ、正しい法によって財を求めます。その後で、正しい法によって獲得して儲けた財物を、一人にも与え、二人にも与え、三人にも与え、四人にも与え、五人にも与え、六人にも与え、七人にも与え、八人にも与え、九人にも与え、十人にも与え、二十人にも与え...