自分の考えを改めるべき場面

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『正法眼蔵随聞記』52、人の鈍根と云うは、志の到らざる時の事なり

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『正法眼蔵随聞記』84、仏法のためには身命をおしむ事なかれ

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『正法眼蔵随聞記』95、泉大道の云く

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『正法眼蔵随聞記』59、世間の女房なんどだにも

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『法句経』ダンマパダ【 第24章 愛執 】

334 ほしいままの振る舞いをする人には愛執が蔓草のようにはびこる。林の中で猿が果実を探し求めるように、この世からかの世へとあちこちにさまよう。335 この世において執著のもとであるこのうずく愛欲のなすがままである人は、諸々の憂いが増大する。雨が降ったあとにはビーラナ草がはびこるように。336 この世において如何ともし難いこのうずく愛欲を断ったならば、憂いはその人から消え失せる。水の滴が蓮華から落ちるように。337 さあ、みなさんに告げます。ここに集まったみなさんに幸あれ。欲望の根を掘れ。香しいウシーラ根を求める人がビーラナ草を掘るように。ヨシが激流に砕かれるように、魔にしばし砕かれてはならな...
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『法句経』ダンマパダ【 第17章 怒り 】

221 怒りを捨てよ。慢心を除き去れ。いかなる束縛をも超越せよ。名称と形態とにこだわらず、無一物となった者は、苦悩に追われることがない。222 走る車をおさえるようにむらむらと起る怒りをおさえる人、彼を我は御者(ぎょしゃ/馬車に乗って馬を操る人)とよぶ。他の人はただ手綱を手にしているだけである。(御者とよぶには相応しくない。)223 怒らないことによって怒りに打ち勝て。善いことによって悪いことに打ち勝て。分かち合うことによって物惜しみに打ち勝て。真実によって虚言の人に打ち勝て。224 真実を語れ。怒るな。請われたならば、乏しい中から与えよ。これらの三つの事によって死後には天の神々のもとに至り得...
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『法句経』ダンマパダ【 第15章 楽しみ 】

197 怨みをいだいている人々の間にあって怨むこと無く、我らは大いに楽しく生きよう。怨みを持っている人々の間にあって怨むこと無く、我らは暮らしていこう。198 悩める人々の間にあって、悩み無く、大いに楽しく生きよう。悩める人々の間にあって、悩み無く暮らそう。199 貪っている人々の間にあって、患い無く、大いに楽しく生きよう。貪っている人々の間にあって、貪らないで暮らそう。200 我々はほんの少しの物をも所有していない。大いに楽しく生きて行こう。光り輝く神々のように、喜びを食む者となろう。201 勝利からは怨みが起る。敗れた人は苦しんで臥す。勝敗を捨てて、安らぎに帰した人は、安らかに臥す。202...
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『法句経』ダンマパダ【 第9章 悪 】

116 善を為すのを急げ。悪から心を退けよ。善を為すのにのろのろしたら、心は悪事を楽しむ。117 人がもしも悪いことをしたならば、それを繰り返すな。悪事を心がけるな。悪がつみ重なるのは苦しみである。118 人がもし善いことをしたならば、それを繰り返せ。善いことを心がけよ。善いことがつみ重なるのは楽しみである。119 まだ悪い報いが熟しない間は、悪人でも幸運に遭うことがある。しかし悪の報いが熟したときは、悪人は災いに遭う。120 まだ善い報いが熟しない間は、善人でも災いに遭うことがある。しかし善の果報が熟したときは、善人は幸福に遭う。121 「その報いは私には来ないであろう」と思って、悪を軽んず...
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スッタニパータ【第1 蛇の章】7、賤しい人

わたしが聞いたところによると、あるとき師(ブッダ)は、サーヴァッティーのジェータ林にある孤独な人々に食を給する長者の園におられた。その時、師は朝の内に内衣を着け、鉢と上衣とをたずさえて、托鉢のためにサーヴァッティーに入った。 その時、火に事えるバラモン・バーラドヴァージャの住居には、聖火がともされ、供物がそなえられていた。さて師はサーヴァッティー市の中を托鉢して、彼の住居に近づいた。火に事えるバラモン・バーラドヴァージャは師が遠くから来るのを見た。 そこで、師に言った、「髪を剃った奴よ、そこにおれ。にせの道の人よ、そこにおれ。賤しい奴よ、そこにおれ」と。 そう言われたので、師は、火に事えるバラ...
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スッタニパータ【第1 蛇の章】10、アーラブァカという神霊

わたしが聞いたところによると、あるとき尊き師(ブッダ)はア-ラヴィー国のアーラヴァカという神霊(夜叉)の住居に住みたもうた。その時アーラヴァカ神霊は師のいるところに近づいて、師に言った、「道の人よ、出てこい」と。「よろしい、友よ」といって師は出てきた。また神霊は言った、「道の人よ、入れ」と。「よろしい、友よ」と言って、師は入った。ふたたびアーラヴァカ神霊は師に言った、「道の人よ、出てこい」と。「よろしい、友よ」といって師は出て行った。また神霊は言った、「道の人よ、入れ」と。「よろしい、友よ」といって師は入った。三たびまたアーラヴァカ神霊は師に言った、「道の人よ、出てこい」と。よろしい、友よ」と...
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スッタニパータ【第2 小なる章】9、いかなる戒めを

324 いかなる戒めを守り、いかなる行いをなし、いかなる行為を増大せしめるならば、人は正しく安立し、また最上の目的を達し得るのであろうか。325 年長を敬い、嫉むな。諸々の師に見えるのに適当な時を知り、法に関する話を聞くのに正しい時機を知れ。みごとに説かれたことを謹んで聞け。326 強情をなくし謙虚な態度で、時に応じて師のもとに行け。物事と真理と自制と清らかな行いとを心に憶い、かつ実行せよ。327 真理を楽しみ、真理を喜び、真理に安住し、真理の定めを知り、真理をそこなう言葉を口にするな。みごとに説かれた真実にもとずいて暮らせ。328 笑い、だじゃれ、悲泣、嫌悪、いつわり、詐欺、貪欲、高慢、激昂...
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スッタニパータ【第3 大いなる章】4、スタンダリカ・バーラドヴァージャ

わたしが聞いたところによると、ある時、尊き師(ブッダ)はコーサラ国のスンダリカー河の岸に滞在しておられた。ちょうどその時に、バラモンであるスンダリカ・バーラドヴァージャは、スンダリカー河の岸辺で聖火をまつり、火の祀りを行なった。さてバラモンであるスンダリカ・バーラドヴァージャは、聖火をまつり、火の祀りを行なった後で、座から立ち、あまねく四方を眺めて言った、「この供物のおさがりを誰に食べさせようか。」 バラモンであるスンダリカ・バーラドヴァージャは、遠からぬところで尊き師(ブッダ)がある樹の根もとで頭まで衣をまとって坐っているのを見た。見終わってから、左手で供物のおさがりをもち、右手で水瓶をもっ...
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スッタニパータ【第3 大いなる章】8、矢

574 この世における人々の命は、定まった相なく、どれだけ生きられるかも解らない。いたましく、短くて、苦悩をともなっている。575 生まれたものは、死を遁れる道がない。老いに達しては、死ぬ。実に生ある者の定めは、この通りである。576 熟した果実は早く落ちる。それと同じく、生まれた人々は、死なねばならない。彼らには常に死の怖れがある。577 たとえば、陶工のつくった土の器が終りには全て破壊されてしまうように、人々の命もまたその通りである。578 若い人も、壮年の人も、愚者も、賢者も、全て死に屈服してしまう。全ての者は必ず死に至る。579 彼らは死に捉えられ、あの世に去って行くが、父もその子を救...
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スッタニパータ【第3 大いなる章】9、ヴァーセッタ

わたくしが聞いたところによると、ある時、尊き師(ブッダ)はコーサラ国にあるイッチャーナンガラ村のイッチャーナンガラ林に住んでおられた。その時、多くの著名な大富豪であるバラモンたちがイッチャーナンガラ村に住んでいた。すなわちチャンキンというバラモン、タールッカというバラモン、ポッカラサーティというバラモン、ジャーヌッソーニというバラモン、トーデーヤというバラモン及びその他の著名な大富豪であるバラモンたちであった。 その時、ヴァーセッタとバーラドヴァージャという二人の青年が久しく坐していたために生じた疲労を除くために膝を伸ばすためにそぞろ歩きをあちこちで行っていた。 彼らはたまたま次のような議論を...
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スッタニパータ【第4 八つの詩句の章】4、清浄についての八つの詩句

788 「最上で無病の、清らかな人をわたくしは見る。人が全く清らかになるのは見解による」と、このように考えることを最上であると知って、清らかなことを観ずる人は、見解を、最上の境地に達し得る智慧であると理解する。789 もしも人が見解によって清らかになり得るのであるならば、あるいはまた人が知識によって苦しみを捨て得るのであるならば、それは煩悩に捕らわれている人が正しい道以外の他の方法によっても清められることになるであろう。このように語る人を「偏見ある人」と呼ぶ。790 真のバラモンは、正しい道のほかには、見解・伝承の学問・戒律・道徳・思想の内のどれによっても清らかになるとは説かない。彼は禍福に汚...
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スッタニパータ【第4 八つの詩句の章】14、迅速

915 問うていわく「太陽の裔である偉大な仙人(ブッダ)、あなたに、遠ざかり離れることと平安の境地とをおたずねします。修行者はどのように観じて、世の中のものを執することなく、安らいに入るのですか?」916 師(ブッダ)は答えた、「我は考えて、有るという迷わせる不当な思惟の根本を全て制止せよ。内に存するいかなる妄執をもよく導くために、常に心して学べ。917 内的にでも外的にでも、いかなる事柄をも知りぬけ。しかしそれによって慢心を起こしてはならない。それが安らいであるとは真理に達した人々は説かないからである。918 これ(慢心)によって「自分は勝れている」と思ってはならない。「自分は劣っている」と...