アンニャーシコンダンニャ Aññāsi-Koṇḍañña(巴) 阿若憍陳如(あにゃきょうちんにょ) アージュニャータカウンディニヤ Ājñāta-Kauṇḍinya(梵)、阿若多憍陳如、阿若多憍陳那、阿若憍隣、阿若拘隣、阿若倶隣などの音写、阿若は了本際、知本際、已知、解了、了教などの意訳で記述される場合もあります。
アンニャーシコンダンニャは、お釈迦様の最初の弟子です。お釈迦様の成道より最初に教えを説いた五比丘の一人であり、またその中心的な人物です。
カピラヴァストゥ城に近いドーナヴァットゥ村(Donavatthu)のバラモンの家庭出身です。お釈迦様の誕生時、スッドーダナ王(浄飯王/お釈迦様の父)によって8人の占師が招かれましたが、アンニャーシコンダンニャはその中で最も年少でした。お釈迦様が必ずブッダになると予言したといいます。
お釈迦様が出家したのを知り五比丘の他の4人を促して同行した、もしくは、出家しネーランジャラー(尼連禅河)の畔の山中で苦行する際、スッドーダナ王(浄飯王)の要請で五比丘の他の4人と共に随行したと伝えられています。
6年間の苦行をしたお釈迦様でしたが、このままでは悟りを得ることが出来ないと知り、苦行林を出てスジャータによる乳粥供養を受けました。アンニャーシコンダンニャたちはそれを見て、苦行に耐えられず修行をやめたと思い込み、サールナート(鹿野苑)に去りました。
一方のお釈迦様は、すぐに菩提樹の下で瞑想に入り悟りを得てブッダ(仏陀)となったので、サールナートに向かいアンニャーシコンダンニャたち5人の修行者にはじめて悟った法を説きました。これを初転法輪といいます。
この時に、アンニャーシコンダンニャは5人の中でブッダ(仏陀)の教えを一番初めに理解したので、ブッダ(仏陀)が「アンニャーシ」(理解した!)と称賛したため、この名で呼ばれるようになりました。
後に、サーリプッタ(舎利子)とモッガラーナ(目犍連)がブッダ(仏陀)に帰依してからは、2人が先輩であるアンニャーシコンダンニャに気兼ねするのを見て隠棲を決意しました。
お釈迦様の許しを得てマンダーキニー(Mandākinī)湖畔の付近にあるチャッダンタ林(Chaddanta/六牙)に移って隠棲し、そこで12年間を過ごしました。その林の中で象による食の供養を受けていたと伝えられます。しかし、自身の余命が少ないと知ると、竹林精舎にいたお釈迦様に別れを告げに行き、再び湖畔へ戻り、間もなく亡くなったといわれます。
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