2025-12

法要日記(供養/祈願/布薩)

大晦日(2025年)

大晦日だろうが、新年だろうが、お盆、お彼岸、誰かが産まれても、誰かが亡くなっても、どんな時でも、いつものように瞑想をして、いつものように供養をして、いつものように祈願をして、いつものようにお釈迦様から伝わって来た仏道を行ずるのが僧侶の務めです。仏道を行ずるというのは、今列挙したような仏事だけではありません。私は大晦日も元日も早朝から福祉施設の厨房で調理師として勤務しています。見た目は一般人かもしれませんが、心も身体も仏道を行じています。包丁を切る動作も、食品を盛り付ける動作も、食器を洗う動作も、同僚との接し方も、施設の方との接し方も、仏道を行じる他ありません。着物を着て、お袈裟を付けて、お寺に...
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恵比寿神(えびすしん)

恵比寿神とは、七福神唯一の日本で産まれた神で、イザナギとイザナミとの間に第三番目の子として生まれ、蛭子尊(ヒルノミコト)と名付けられました。幼少のころ、脚が立たず歩行困難のため、両親が意を決して葦舟(あしぶね)に乗せて海に流し、舟は摂津国西宮の浦に漂着し恵比寿神として祀られるようになりました。  初めは漁民の神でしたが、海産物の売買を通して商売繁盛の神となりました。商家や農家に信仰されるようになり、福徳をもたらす福神として他の地域の寺院にも祀られるようになりました。江戸時代の僧・天海の説によれば、恵比寿神は律儀(道徳と利益を得さしめる)、福徳(幸福)と収穫や良果(良い結果)との、三つの徳をたた...
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釈迦三尊(しゃかさんぞん)

釈迦像を中心に、左右の脇侍(きようじ)として菩薩、天、もしくは羅漢を配した形式を釈迦三尊と呼びます。両脇侍には、向かって右に騎獅の文殊菩薩・向かって左に乗象の普賢菩薩の二菩薩を配する例が多いようですが、薬王菩薩・薬上菩薩の二菩薩、梵天・帝釈天の二天部、迦葉尊者(かしよう)・阿難尊者(あなん)の二尊者を置くこともあります。ちなみに、例にあげた画像の釈迦三尊像の脇侍は向かって右に薬王菩薩・向かって左に薬上菩薩と寺に伝えられているとのことです。(釈迦三尊像 法隆寺金堂)<< 戻る
中島法雄

法要日記(供養/祈願/布薩)をはじめてみます

私にとって供養、祈願、布薩などの仏事は寺院生活を通して日常生活の一部になっているので、呼吸をするように自然なことなのですが、その法要をどのような気持ちでしているのか、どのような儀式的なことが含まれるのか、どのようなタイミングで実施しているのか、そのようなことをアウトプットしていこうと思います。いずれは動画に切り替えることも考えていますが、編集のことを考えると、外にも働きに出ているので時間を取られてしまうのが厳しいです。まだ、このように文字や画像を使って伝える方が現時点では丁度良いかなと思っています。法要と言えば、着物を着てお袈裟を付けたたお坊さんがお経を唱えて、法要の主旨を読み上げて、儀式的な...
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寿老神(じゅろうじん)

寿老神とは、道教の神であり、中国の伝説上の人物です。道教の神・南極老人(南極老人星・カノープス)の化身を現わしていると考えられています。中国の寿星で、唐代、宋代の古画には、群仙の一人として扱われています。また、七福神に加えられています。その姿は老人で白髭を垂れ、身の丈三尺、長頭で鹿をともなっています。鹿は千五百才で、その肉を食べた者は、二千年の長寿が得られ、杖の先に結びついている軸物は、人の寿命の長短を記した帳簿といわれています。七福神の福禄寿と同体異名の神とされることもあり、より長寿の徳を強調しています。 (七福神・寿老人・橘守国画wikipediaより)<< 戻る
法要サポート

布薩法要(満月/新月に実施)

布薩(ふさつ)とは、初期仏教の頃からあった行事で、満月と新月の日に一堂に会して戒律の条項を読み、罪を懺悔する反省の日です。布薩(ウポーサタ)とは、主要な行動を起こすために準備をすることが元々の意味でした。初期仏教の頃からあった行事ですが、現代も伝統仏教に伝えられ、15日、月末等の日を定めて広布薩(こうふさつ)、略布薩(りゃくふさつ)等の名称で行われる寺院もありますが、儀式/形式が重視されて、罪を懺悔する反省の日という一人ひとりにとって有益な部分が抜け落ちていると危惧しています。そこで、一般の方も、僧侶の方も、個人各人が布薩/反省の日に向き合うきっかけになるよう、動画で一人でも、家族でも、それぞ...
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過去七仏(かこしちぶつ)

過去七仏とは、毘婆尸仏(びばしぶつ)、尸棄仏(しきぶつ)、毘舎浮仏(びしゃふぶつ)、拘留孫仏(くるそんぶつ)、拘那含牟尼仏(くなごんむにぶつ)、迦葉仏(かしょうぶつ)、釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)までの7人のブッダを指します。・七仏通誡偈・第七の仙人<< 戻る
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布袋(ほてい)

布袋とは、唐(中国)末期の明州(現在の中国浙江省寧波市)に実在したと言われる仏教の僧侶です。弥勒菩薩の化身ともいわれています。小柄で太ったおおらかな身なりで、一本の杖を持ち、いつも袋(頭陀袋)を背負っていたことから布袋という俗称がつけられました。七福神のなかで唯一実在の人物です。(七福神・布袋像・黄檗山萬福寺)<< 戻る
法要日記(供養/祈願/布薩)

一度ほぼ全てのページを非公開にし、0ベースで必要なものとそうでないものとを整理しました。すっきりしました。

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弁才天(=弁財天・べんざいてん)

弁才天とは、仏教の守護神である天部の一つで、2手で琵琶(びわ)を弾く天女の姿や8手で各種の武具をもつ天女の姿で現わされ、もともとは川が神格化した水の神であったことから、多くの弁財天の像は池や海岸、水に縁のある場所に祀られています。七福神の中で、唯一の女神です。聖河の偉大さが神格化されたヒンドゥのサラスヴァティー女神は、古代インドでは豊かさを象徴する神でしたが、やがて、手に本や数珠、縄、ヴィーナ(琵琶)、水瓶などを持ち、叡智や学問、音楽の神となり、仏教に取り入れられた呼び名が「弁才天」あるいは「辨才天」です。日本では財宝神としての信仰が集まり、「弁財天」や「辨財天」と表記する場合も多くあります。...
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福禄寿(ふくろくじゅ)

福禄寿とは、長寿と福禄をもたらすと言われる宋(中国)の道教の道士・天南星の化身、または、道教の神・南極老人(南極老人星・カノープス)の化身を現わしていると考えられています。また、七福神に加えられています。道教で強く求められる3種の願いがあり、幸福(この場合、血のつながった実の子に恵まれること)、封禄(財産のこと)、長寿(健康を伴う長寿)の三徳を具現化したものとされ、七福神の寿老人と同体異名の神とされることもあります。この短身、長頭、美しい髭を貯えた老人の持つ杖の頭には、経巻が結び付けられ、白鶴をともなっています。この経巻は、人の寿命をしめし、この福、禄、寿の三徳を兼ね備えた人は、人望のある人と...
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年回忌法要早見表(令和8年・西暦2026年)

年回忌法要早見表とは、その年の年回忌(法事)を一覧で表示するものです。一般的に年回忌を実施する年以外も祥月命日法要を実施する場合もあります。和暦没年 西暦没年 年回忌令和8年 2026年 (亡くなられた時が1回目の命日です)令和7年 2025年 1周忌(2回目の命日)令和6年 2024年 3回忌(3回目の命日)令和5年 2023年 4令和4年 2022年 5令和3年 2021年 6令和2年 2020年 7回忌令和元年/平成31年 2019年 8平成30年 2018年 9平成29年 2017年 10▶ 供養依頼(1ヶ月、もしくは、1年間、毎日供養)和暦没年 西暦没年 年回忌平成28年 2016年...
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仏性(ぶっしょう)

仏性とは、生命ある全てのものが持つ仏の性質や仏になり得る原因・可能性のことで、 主に『涅槃経』で説かれる大乗仏教独特の教理です。覚性(かくしょう)とも訳されます。 時代や地域、宗派によって、その考え方は様々に発展され、現在は統一見解と呼べるものはありません。一般的には、誰もが仏性を備えていて、修行することで隠れている仏性が発揮されることで、煩悩が残された状態であっても全ての苦しみに煩わされることなく、また他の衆生の苦しみをも救っていける境涯を開くことが出来るとされます。この仏性が活用されている状態を成仏と呼び、仏法修行の究極の目的とされています。浄土真宗の宗祖とされる親鸞はいくら修行をしても自...
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毘沙門天(びしゃもんてん)/多聞天(たもんてん)

毘沙門天とは、須弥山(しゅみせん)の中腹に住み、帝釈天(たいしゃくてん)に仕え、夜叉(やしゃ)や羅刹(らせつ)といった眷属(けんぞく)を従えて北方を守護しています。妻は吉祥天女(きちじょうてんにょ)です。また、七福神や四天王として知られています。ヒンドゥでは、クベーラという財宝神でしたが、サンスクリット語でヴァイシュラヴァナという呼び名もあることから、音訳されて「毘沙門」となりました。そこに、神や天を表す「天」という字が加えられ、「毘沙門天」という名になったといわれています。ヴァイシュラヴァナ呼び名は、サンスクリット語で「よく聞く」という意味であることから、意訳されて「多聞天」になりました。日...
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大黒天(だいこくてん)

大黒天とは、ヒンドゥーの神であるシヴァ神の化身の一つ、マハーカーラ(偉大な暗黒の神)が仏教に取り入れられたものです。名前のしめす通り真黒で、もともとは怒った姿をしていました。仏教では、仏・法・僧の三宝を護持し、食物・財福を司る護法神(ごほうじん)となり、七福神にも加えられています。  大黒天には六種類あり、その一つにマカラ大黒があります。よく見かけるのがこの大黒天で、日本では「大黒」が「大国」に通ずるところから、大黒天は、大国主神(おおくにぬしのかみ)と同一視され、神話にあるように、大きな袋を背負って歩く姿となりました。頭には頭巾をかぶり、手には小槌、袋をかついで米俵の上に立っています。頭巾を...
寺院

寺院・僧侶を探す

寺院センターが情報収集した寺院情報をまとめています。試しにいくつか寺院ページを見ていただけると分かりますがタグで「市区町村」「宗派」等々が設定されているので探したい情報を絞って行けます。寺院を探す・・・東京都 | 神奈川県 | 埼玉県 | 千葉県 | 茨城県 | 栃木県 | 群馬県 | 北海道 | 青森県 | 秋田県 | 岩手県 | 山形県 | 宮城県 | 福島県 | 新潟県 | 長野県 | 岐阜県 | 山梨県 | 静岡県 | 愛知県 | 富山県 | 石川県 | 福井県 | 滋賀県 | 三重県 | 和歌山県 | 奈良県 | 京都府 | 大阪府 | 兵庫県 | 岡山県 | 鳥取県 | 島根県 |...
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身・口・意の三業(さんごう)

食べる、寝る、座る、立つ、歩く、走る。身体で表すどんな動きも自分以外のものに影響を与えています。また、自分以外のものや環境から影響を受けて自分の身体が動いています。言葉で表すどんなことも正しく伝わっているか、伝えたつもりになっていないか注意します。言葉は何かを仮に表したもので、完全なものではありません。心に表れるどんな想い・考えも偏っていないか、その想い・考えに囚われていないか注意します。心に表れたことに囚われると、言葉になり、身体の動きになります。そのような行為のことを業(ごう)といいます。これらの、身体(身)、言葉(口)、心(意)を三業といいます。例えば、地震や大雨などの災害支援ボランティ...
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ブッダガヤ – ブッダが悟りを開いた地(仏陀伽邪)

ブッダガヤはブッダが悟りを開いた地として仏教の四大聖地および八大聖地の一つに数えられます。この一帯には悟りを開いた場所であるブッダガヤの菩提樹(マハーボディー寺院・大菩提寺境内)、苦行を放棄したあとに沐浴(もくよく)したネーランジャラー川(尼連禅河)、乳粥供養を受ける切っ掛けとなったスジャータ村のガジュマルなどの旧跡があります。また、ウルヴェーラの苦行林(前正覚山)はそこから北東約7kmほどという位置関係です。<< 戻る
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乳粥(ちちがゆ)

乳粥の作り方がインドマイトリの会の会報49号(2002年12月8日発行)に掲載されていましたので、許可を得てこちらでも紹介させていただきます。中道に気づき、苦行を放棄したブッダが、村娘スジャータから供養を受けたのがこの乳粥でした。体力を取り戻したブッダはその後、悟りを得ることになります。【材料】4人分新米のインディカ米(日本米でも可)200㌘牛乳1㍑・ギー(バターでも可)5㌘干しぶどう20㌘・カルダモンホール4粒ベイリーフ(ローリエ)3枚・砂糖200㌘【作り方】①米を洗って、水気を切っておく②鍋にギー(バター)を入れて、米を5分ほど炒める③牛乳、干しぶどう、カルダモン、ベイリーフを入れ、弱火で...
中島法雄

祈願依頼のページをリニューアルしました

祈願依頼の受付も再開しました。依頼して下さる方も、祈願を実施する側としても、本質をついた形での法要実施になることでしょう。1回の法要でお布施をいただいた方が寺院側も楽かもしれませんし、依頼者側も1回の祈願で済んだ方が楽かもしれません。しかし、そんな簡単なものではありません。祈願する方向に毎日想いを進めていけば、行動も変わります。少しずつでも進んでいれば、大きな流れを生むかもしれません。祈願主が願いをこめられない時にも、そこに意識を向けられない時にも、毎日依頼者の祈願を途切れず実施しています。祈願依頼をしたから手放しで必ず叶うというものではなく、自分の想いがどちらに向いているかを定めることです。...
法要サポート

祈願依頼(1ヶ月、もしくは、1年間、毎日祈願)

祈願法要とは、厄除開運、家内安全、身体健全、心願成就、無病息災、交通安全、商売繁盛、合格祈願、就職成就、良縁成就、因縁消滅などを祈願・祈祷することです。祈願(対象者は生きている方)自身や家族、知人の将来に気持ちを向ける時、前向きな気持ちと同時に、不安な気持ちも交差しています。これは当然なことで、誰しも良くなる可能性も、悪くなる可能性も秘めているからです。もしくは、前向きな気持ちだけ、不安な気持ちだけに偏ってしまうこともあります。逆方向への可能性、備えがなければ心が乱れる原因にもなります。心が乱れれば、行動も乱れ、身体も乱れる悪循環となります。心と身体は自然と整えようとする能力もありますが、人は...
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祈る時間(鐘と木魚の音)

寺院センターのYouTubeチャンネル「心と身体を整える」で公開している動画の中では1番多い再生数になっている動画です(2025年12月現在)。動画を利用して供養や祈願の気持ちを整えることが出来ます。気持ちが落ち着いたら10分、15分、30分といったところで止めて良いと思います。他の使い方として、鐘と木魚の音が一定間隔で鳴っているので、お経や真言、念仏、唱題、マントラ、等々を合わせて読むのにも適しています。約55分間の動画なので、どのようなお経にも対応していると思います。鐘と木魚の音を聞いているとどこにいてもお寺にいる環境を再現してくれます。
中島法雄

供養依頼のページをリニューアルしました

供養依頼のページは今回のリニューアルに向けて一時的に停止していましたが、この度、再開いたしました。寺院センターの活動の象徴的なページなので現代に合った内容に出来たと自負しています。祈願や布薩の依頼ページも見直しが終われば再開していければと準備中です。戒名授与や各種オンライン証書のページも見直しが終わり次第、再開していきます。供養依頼、法要依頼の受付をお休みさせてもらい、改めて感じたのは、命日だからお坊さん呼ばないととか、年回忌だから親戚呼ばないととか、仏事って形式的な部分が強いんです。もっと、個人的な気持ちのサポートができないものかと試行錯誤しました。供養する気持ちをサポートすることがテーマな...
法要サポート

供養依頼(1ヶ月、もしくは、1年間、毎日供養)

供養(対象者は故人)亡くなった家族や知人に気持ちを向ける時、人は生きていたその人が今いないことの悲しみから、頭では生きていないと分かっていても、それを認めたくない心との乖離が生まれることがあります。人の脳はそのような仕組みを持っているようです。心が乱れると行動も乱れ、身体も乱れる悪循環となります。心と身体は自然と整えようとする能力もありますが、人は儀礼によって心と身体を整える文化も伝えてきました。亡くなった身近な家族や知人への供養です。自分の心の中で整理する場合もあれば、家の仏壇や墓石、想い出の場所で亡くなった人への想いと向き合って心を整理するのも供養だと思います。日本には伝統的に仏教で命日や...
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仏教三大聖木(無憂樹・菩提樹・沙羅双樹)

仏教三大聖木とは、ブッダ誕生の花である無憂樹(むゆうじゅ)、ブッダ悟りの木である菩提樹(ぼだいじゅ)、ブッダ入滅(にゅうめつ)の木である沙羅双樹(さらそうじゅ)のことをさします。<< 戻る
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七仏通誡偈(しちぶつつうかいげ)

諸悪莫作 (しょあくまくさ)   諸の悪を作すこと莫れ衆善奉行 (しゅぜんぶぎょう) 衆の善を奉行せよ自浄其意 (じじょうごい)    自ら其の意を浄うせよ是諸仏教 (ぜしょぶっきょう) 是れ諸仏の教えなり諸々の悪いことをせずに、善いことを行い、自己の心を浄めること、これが諸々の仏たちの教えである。これは七仏通誡偈と呼ばれるものです。過去七仏が共通して教えてきたことを、この短い詩(韻文)の中につめています。七仏とは毘婆尸仏(びばしぶつ)・尸棄仏(しきぶつ)・毘舎浮仏(びしゃふぶつ)・拘留孫仏(くるそんぶつ)・拘那含牟尼仏(くなごんむにぶつ)・迦葉仏(かしょうぶつ)・釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)...
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無我(むが)

”私”と認識されるものには永遠なる実体がないことを無我と言います。全ての物事に実体がないことを諸法無我と言います。常に変化する世界で、例えば、私の細胞は常に生き死にしています。水分を飲んで、食事して栄養は吸収し排出されます。適度な温度、適度な空気がなければ生きられません。私の実体はどこからどこまででしょうか?それらの周りの環境なしでは”私”は生きることが出来ません。仏教は約2500年前にインドでブッダ(お釈迦様)によりはじまりました。インドで”我”とは「アートマン」のことです。アートマンとは、輪廻の主体と考えられていてます(仏教の教えではありません)。例えば、前世は鳥であったが、今世は人間に生...
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苦(く)

仏教で言うところの「苦」は、思い通りにならないということです。現世では生・老・病・死の四苦と、愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五取蘊苦の四苦を加えた八苦であるという真理を説いたものです。「一切皆苦」「四苦八苦」「苦集滅道」という言葉にも「苦」が入っていますが、同じ意味で使われています。この「苦」は他の仏教経典と同じく中国において「苦」と漢訳されたわけですが、もともとのインドではパーリ語でドゥッカ(dukkha)、サンスクリット語でドゥフカ(duḥkha)という言葉でした。思い通りにならない、空しい、不満、不安定、苦しい、という意味がありました。現代よく使う”苦”は、何かを食べて苦いとか、堪え難い...
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恒河沙(ごうがしゃ)

恒河沙(ごうがしゃ)はサンスクリット語「ガンガー(गंगा、Gaṅgā)」に相当する音写です。恒河沙とはガンジス川にある無数の砂の意味であり、もともと無限の数量の単位、例えとして仏典で用いられていました。日本でも平安時代には非常に大きな数を表す概念として、中国から仏典と共に「恒河沙」という語が伝えられていたようです。平安時代後期に成立した説話集である『今昔物語』に、「数え切れないくらい多くの国」の例えで「無量無辺不可思議那由他恒河沙の国土を過ぎ行きて」といった用例が見られます。<< 戻る
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刹那(せつな)

刹那(せつな)はサンスクリット語「クシャナ(ksana)」に相当する音写で、漢訳では「念」と表されています。刹那は仏教の時間の概念の1つで、きわめて短い時間、瞬間を意味し、最も短い時間の単位です。その長さについては、一弾指(いちだんし、指を1回弾く)する間に65刹那あるという説や、75分の1秒が一刹那に相当するという説などの諸説があります。もともと「刹那という極めて短い時間を大切に生きよ」という意味の教えでした。また、この世の存在物は実体を伴ってあるように見えるけれど、実際には一刹那ごとに生滅を繰り返していて実体がないことを「刹那生滅」あるいは「刹那無常」といいます。また、上記の画像のように、...
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魚鼓(ぎょく)

「魚鼓(ぎょく)」は「ほう(ぎょほう:ほうは「木」へんに「邦」)」とも言われ、仏具の一種、あるいは打楽器の一種として使われています。中国では北宋(960~1127年)の頃に魚形のものが現れていたようです。上の写真の中央部に色が変わっている所がありますが、そこが叩く場所で、「ポッ、ポッ」「ポク、ポク」といった音が鳴ります。形は横に長く、魚の形をそのまま形どった魚鼓と木魚とのルーツは同じと考えられています。現在でも曹洞宗や臨済宗などの寺院などで僧堂や庫院につるし、衆を集めるための鳴物として使われています。<< 戻る
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スジャータの乳粥供養 – ブッダが悟りを得たときの供養

(乳粥供養の場に建つスジャータ寺院がある祠には、スジャータと召使のプンナ、厳しい苦行を終えたばかりのお釈迦様の像が白い牛の像と一緒に祀られています)スジャータとは、ブッダ(お釈迦様)が悟りを得たときの供養者として知られています。後にブッダとなるシッダッタの苦行放棄のきっかけとなり、悟りを得る直前の乳粥供養により身心ともに回復することになります。シッダッタはナイランジャラー川で沐浴を済ませた後、岸に上がり瞑想に適した場所を求め、あるガジュマル(ベンガルボダイジュ)の樹下に座り瞑想を行います。そこにたまたま現れたのが村の長者の娘スジャータです。スジャータは男の子に恵まれるよう村の聖樹(上記)に毎日...