スブーティ(Subhuuti、सुभूति)、須菩提(しゅぼだい)
ブッダの十大弟子の一人で「解空第一」といわれています。コーサラ国のシュラバスティー(舎衛城)の長者、スダッタ(須達多長者)の弟であるシュマナ(須摩那、鳩留と漢訳)の子でバラモンの家系、または商人といわれています。
スブーティは、叔父のスダッタ長者による祇園精舎が完成して寄進した記念の日に、釈迦の説法を聞き深く感銘して出家し、ブッダの弟子となりました。スブーティは解空(げくう)第一と称されましたが、解空 とは、般若心経に出てくる「色即是空空即是色」の「空」、つまり、「物事に捕らわれない、執着しない」というブッダの教えに精通し、金剛般若経などの般若経典では、ブッダの対機説法の相手としてよく登場します。
スブーティはブッダの弟子となる前は粗暴で短気な性格でしたが、後に外道から非難や中傷、迫害を受けても決して言い争うことなく円満柔和を心がけたとわれます。このため弟子中で無諍(むそう)第一といわれました。無諍とは言い争いをしないことです。穏和な性格で、教団内は勿論のこと、在家の人々からも慕われて尊敬され供養を受けたことから、被供養第一ともいわれています。
ある時、スブーティがマガダ国のラージャグリハ(王舎城)に遊行し、国王のビンビサーラ(頻婆娑羅)は彼のために小屋をつくって寄進しました。しかし手違いで小屋には屋根が葺かれてなかったのですが、スブーティは文句も言わずにそこに住みました。
しかし、天がスブーティの有徳を尊敬して長い間、雨を降らせなかった事から、ラージャグリハの農民たちが困り、スブーティの小屋に屋根がないのが原因だと分かるや否や、農民の訴えによりビンビサーラ王がその小屋に屋根を葺くと、すぐに雨が降り始めたといいます。
ある時、ブッダが忉利天(とうりてん)にて亡き母・マーヤー(摩耶)夫人のため説法を終えて、下界へ降りてこられるのを人々は我先にお迎えしようと待ち望んでいた時のことです。スブーティはじっと座ったままでした。そして真っ先にブッダをお迎えしたのは 蓮華色比丘尼だったそうですが、ブッダは比丘尼に向かって「私を最初に迎えてくれたのはあなたではなく、スブーティです。スブーティは空を感じて私の法身を最初に拝謁したのですよ」といわれました。
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