示に云く、学道の人は後日を待って行道せんと思う事なかれ。ただ今日今時をすごさずして、日々時々を勤むべきなり。
ここにある在家人、長病あり。去年の春のころあひちぎりて云く、「当時の病療治して、妻子を捨て、寺の辺に庵室をかまへて、一月両度の布薩に逢い、日々の行道、法門談義を見聞して、随分に戒行を守りて生涯を送らん。」と云いしに、その後種々に療治すれば少しき減気ありしかれども、また増気ありて、日月空しくすごして、今年正月より俄に大事になりて、苦痛次第にせむるほどに、思いきりて日比支度する庵室の具足運びて造るほどの暇もなく、苦痛せむるほどに、先ず人の庵室を借りて移り居て、わづかに一両月に死去しぬ。前夜、菩薩戒を受け、三宝に帰して、臨終よくて終わりたれば、在家にて狂乱して、妻子に愛を発して死なんよりは尋常なれども、去年思いよりたりし時、在家を離れて寺に近づきて、僧になれて行道して終わりたらば、勝れたらましと存ずるにつけても、仏道修行は後日を待つまじきと覚ゆるなり。
身の病者なれば、病を治して後によく修行せんと思わば、無道心のいたす処なり。四大和合の身、誰か病無からん。古人必ずしも金骨にあらず。ただ志の到りなれば、他事を忘れて行ずるなり。大事身の上に来れば小事は覚えぬなり。仏道を大事と思うて、一生に窮めんと思うて、日々時々を虚しくくすごさじと思うべきなり。
古人の云く、「光陰虚しく度る事なかれ」と。もしこの病を治せんと営むほどに除かずして増気して、苦痛いよいよせまる時は、痛みの軽かりし時、行道せでと思うなり。然れば、痛みを受けては重くならざる前にと思い、重くなりては死せざる前にと思うべきなり。病を治するに除るもあり、治するに増ずるもあり。また、治せざるに除くもあり、治せざれば増ずるもあり。これ能々思い入るべきなり。
また行道の居所等を支度し、衣鉢等を調へて後に行ぜんと思う事なかれ。貧窮の人、世をわしらざれ。衣鉢の資具乏しくして死期日々に近づくは、具足を待って、処を待って行動せんと思うほどに、一生空しく過ごすべきをや。ただ衣鉢等なくんば、在家も仏道は行ずるぞかしと思うて行ずべきなり。また衣鉢等はただあるべき僧体の荘なり。実の仏道はそれにもよらず。得来らばあるに任すべし。あながちに求むる事なかれ。ありぬべきを持たじと思うべからず。わざと死せんと思うて治せざるもまた外道の見なり。仏道には「命を惜しむ事なかれ。命を惜しまざる事なかれ。」と云うなり。より来らば灸治一所瀉薬一種なんど用いん事は、行道の礙ともならず。行道をさしおいて、病を先とし、後に修行せんと思うは礙なり。
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『正法眼蔵随聞記』
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