人は影響し合う

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『正法眼蔵随聞記』72、嘉禎二年臘月除夜

嘉禎二年臘月除夜、始めて懐奘を興聖寺の首座に請ず。即ち小参の次、秉払を請ふ。初めて首座に任ず。即ち興聖寺最初の首座なり。小参に云く、宗門の仏法伝来の事、初祖西来して少林に居して機をまち時を期して面壁して坐せしに、その年の窮臘に神光来参しき。初祖、最上乗の器なりと知って接得す。衣法ともに相承伝来して児孫天下に流布し、正法今日に弘通す。初めて首座を請じ、今日初めて秉払をおこなわしむ。衆の少なきにはばかれる事なかれ。身、初心なるを顧みる事なかれ。汾陽はわずかに六七人、薬山は不満十衆なり。然れども仏祖の道を行じて是れを叢林のさかりなると云いき。見ずや、竹の声に道を悟り、桃の花に心を明らめし、竹あに利鈍...
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『正法眼蔵随聞記』106、学人各々知るべし

示して云く、学人各々知るべし、人々一の非あり、憍奢是れ第一の非なり。内外の典籍に同じく是れをいましむ。外典に云く、「貧しくしてへつらわざるはあれども、富みておごらざるはなし。」と云って、なお富を制しておごらざる事を思うなり。この事大事なり。よくよく是れを思うべし。我が身下賤にして人におとらじと思い、人に勝れんと思わば憍慢のはなはだしきものなり。是れはいましめやすし。仮令世間に財宝に豊かに、福力もある人、眷属も囲繞し、人もゆるす、かたわらの人のいやしきが、これを見て卑下する、このかたわらの人の卑下をつつしみて、自躰福力の人、いかようにかかすべき。憍心なけれども、ありのままにふるまえば、傍らの賤し...
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『正法眼蔵随聞記』98、人の心元より善悪なし

一日雑話の次に云く、人の心元より善悪なし。善悪は縁に随っておこる。仮令、人発心して山林に入る時は、林家はよし、人間はわるしと覚ゆ。また退心して山林を出る時は、山林はわるしと覚ゆ。是れ即ち決定して心に定相なくして、縁にひかれて兎も角もなるなり。故に善縁にあえばよくなり、悪縁に近づけばわるくなるなり。我が心本よりわるしと思うことなかれ。ただ善縁に随うべきなり。また云く、人の心は決定人の言に随うと存ず。大論に云く、「喩えば愚人の手に摩尼を以てるが如し。是れを見て、『汝下劣なり、自ら手に物をもてり。』と云うを聞いて思わく、『珠は惜しし、名聞は有り。我れは下劣ならじ。』と思う。思いわずらいて、なお名聞に...
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『正法眼蔵随聞記』71、古人云く、霧の中を行けば覚えざるに衣しめる

一日示して云く、古人云く、「霧の中を行けば覚えざるに衣しめる。」と。よき人に近づけば、覚えざるによき人となるなり。昔、倶胝和尚に使えし一人の童子のごときは、いつ学し、いつ修したりとも見へず、覚えざれども、久参に近づいしに悟道す。坐禅も自然に久しくせば、忽然として大事を発明して坐禅の正門なる事を知る時もあるべし。⇒ 続きを読む ⇒ 目次(はじめに戻る)※このページは学問的な正確性を追求するものではありません。前知識のない一般の方でも「読んでみよう!」と思ってもらえるよう、より分かりやすく読み進めるために編集しています。漢字をひらがなに、旧字体を新字体に、送り仮名を現代表記に、( )にふりがなをつ...
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スッタニパータ【第2 小なる章】1、宝

【 第2 小なる章 】1、宝222 ここに集まった諸々の生きものは、地上のものでも、空中のものでも、全て歓喜せよ。そうして心を留めて我が説くところを聞け。223 それ故に、全ての生きものよ、耳を傾けよ。昼夜に供物をささげる人類に、慈しみを垂れよ。それ故に、なおざりにせず。彼らを守れ。224 この世または来世におけるいかなる富であろうとも、天界における勝れた宝であろうとも、我らの全き人(如来)に等しいものは存在しない。この勝れた宝は、目ざめた人(仏)の内に存する。この真理によって幸せであれ。225 心を統一した釈迦牟尼は、煩悩の消滅・離欲・不死・勝れたものに到達された、その理法と等しいものは何も...