文献 『正法眼蔵随聞記』72、嘉禎二年臘月除夜
嘉禎二年臘月除夜、始めて懐奘を興聖寺の首座に請ず。即ち小参の次、秉払を請ふ。初めて首座に任ず。即ち興聖寺最初の首座なり。小参に云く、宗門の仏法伝来の事、初祖西来して少林に居して機をまち時を期して面壁して坐せしに、その年の窮臘に神光来参しき。初祖、最上乗の器なりと知って接得す。衣法ともに相承伝来して児孫天下に流布し、正法今日に弘通す。初めて首座を請じ、今日初めて秉払をおこなわしむ。衆の少なきにはばかれる事なかれ。身、初心なるを顧みる事なかれ。汾陽はわずかに六七人、薬山は不満十衆なり。然れども仏祖の道を行じて是れを叢林のさかりなると云いき。見ずや、竹の声に道を悟り、桃の花に心を明らめし、竹あに利鈍...