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寿老神(じゅろうじん)

寿老神とは、道教の神であり、中国の伝説上の人物です。道教の神・南極老人(南極老人星・カノープス)の化身を現わしていると考えられています。中国の寿星で、唐代、宋代の古画には、群仙の一人として扱われています。また、七福神に加えられています。その姿は老人で白髭を垂れ、身の丈三尺、長頭で鹿をともなっています。鹿は千五百才で、その肉を食べた者は、二千年の長寿が得られ、杖の先に結びついている軸物は、人の寿命の長短を記した帳簿といわれています。七福神の福禄寿と同体異名の神とされることもあり、より長寿の徳を強調しています。 (七福神・寿老人・橘守国画wikipediaより)<< 戻る
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食堂(じきどう)- 仏教建築

食堂とは、仏教寺院において僧侶が斎食(さいじき:正午や決まった時間にとる食事)をとるための主要な建物で、七堂伽藍の一つに数えられます。斎堂ともいいます。食堂は単に食べる場所ではなく、作法にかなった起居動作を行って食事をいただくところで、インド、中国においても、食堂で僧侶が集まり食事を行うことは大事な修行でした。その起源は、托鉢した食事をいただくことだと考えられます。そのような食堂の持つ意味合いは徐々に薄れ、単に食べる場所は他の建物の機能に移ることもありました。ただし、禅宗においてのみ、食堂は僧堂(そうどう)と呼ばれてその修行と意味を現代に伝えています。また、食堂の本尊には、賓頭盧尊者(びんずる...
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釈迦堂(しゃかどう)

釈迦堂とは、釈迦如来を本尊とする仏堂のことです。また、その全てを釈迦堂というわけではなく、宗派や、伽藍が整備された年代、寺院規模などにより呼び方の違いがあります。釈迦堂であるからこの形で建てられているという見分けは出来ません。比叡山延暦寺の座主円澄が9世紀初め西塔に建立したのが初めとされています。その他、京都の清涼寺の嵯峨釈迦堂や大報恩寺の千本釈迦堂などが有名です。(釈迦堂 比叡山延暦寺)<< 戻る
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七堂伽藍(しちどうがらん)

七堂伽藍とは、寺院の建物群の中でも主要なものを表わす言葉です。伽藍とは、僧侶が集まり修行する場所を意味していたものが、僧侶が集まり住む建物群を意味するようになりました。梵語のサンガラーマの音写である僧伽藍(そうぎゃらん)が略されて伽藍になりました。また、時代や国、地域、宗派によって七堂の構成はまちまちで、実際に7種の建物がなくても「主要な建物が整備されている寺院」を意味する言葉として使われます。一般的に知られる七堂伽藍の構成は、金堂・講堂・鐘楼・経蔵・僧房・食堂・仏塔とされていますが、一定しません。禅宗の場合は、山門・仏殿・法堂・庫院・僧堂・浴司・東司といわれています。<< 戻る
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捷疾鬼(しょうしつき)

捷疾鬼とは、足が速く、顔かたちが恐ろしい上に、性質が猛悪なインドの鬼神です。また、夜叉(やしゃ)の異名で使われることもあり、速疾鬼(そくしつき)ともいいます。仏教に取り入れられてからは、仏法を守護する鬼神となりました。次のような俗説があります。捷疾鬼という足の速いものが猛悪な性質から、お釈迦様の仏舎利(ぶっしゃり)を奪い、須弥山へ逃げてしまいました。足が速いので誰も追いつけなかったのを韋駄天(いだてん)が追いかけると、一瞬の内に仏舎利を取り戻すことができたということです(韋駄天走り)。(捷疾鬼・涅槃図より・岐阜・少林寺蔵)<< 戻る
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須弥山(しゅみせん)

須弥山とは、仏教やヒンドゥーの世界観において、中心にあると考えられる想像上の山です。山頂は神々の世界に達し、周囲は幾重もの山岳や海に囲まれているといわれます。梵語でスメールといい、音訳して須弥山、玄奘三蔵は妙高山と意訳しました。須弥山の高さは8万由旬(1由旬は約7~8km:『倶舎論』の解釈)といわれ、中腹に四天王がおり四方を守ります。さらにその上の山頂の忉利天(とうりてん)には善見城があり、帝釈天が住んでいます。須弥山には甘露(かんろ)の雨が降っており、それによって須弥山に住む天たちは空腹を免れるといわれています。<< 戻る
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十一面観音菩薩(じゅういちめんかんのんぼさつ)

十一面観音菩薩は、十一面観音、十一面観世音などとも呼ばれます。サンスクリット(梵語)では、エーカダシャ・ムカ・アヴァローキテーシュヴァラ・ボーディサットヴァといい、本体の顔以外に10または11の顔を持つ菩薩です。人々の苦悩に応じて大慈悲を行ずるところから千変万化の相となる観世音菩薩の変化身(へんげしん)の1つであり、その他、姿の特徴としては、頭部正面・宝冠の前面に阿弥陀如来の化仏(けぶつ)を表します。右手は垂下し、左手は蓮華を生けた花瓶を持っている姿が多いようです。六観音の1つでも表されています。多くの顔をもつ多面の十一面観音菩薩は、頭上の11面のうち、最上部の仏面は仏果を表し、衆生の無明煩悩...
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四天王(してんのう)

四天王とは、須弥山頂上の忉利天(とうりてん)に住む帝釈天の配下で、八部鬼衆を所属支配し、その中腹で仏教世界を護る四神です。東方を護る持国天(じこくてん)、南方を護る増長天(ぞうちょうてん)、西方を護る広目天(こうもくてん)、北方を護る多聞天(たもんてん)からなります。また、四大王(しだいおう)ともいいます。甲冑(かっちゅう)を着た武将姿で、岩や邪鬼の上に立っている像が多いようです。それぞれ武器を持っていますが、広目天は筆と巻物を持っている作例もあります。像は須弥壇の四隅にそれぞれ配置されるか、向かって左から広目天、増長天、持国天、多聞天の順に置かれるのが通例です。『日本書紀』によれば、仏教をめ...
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須弥壇(しゅみだん)

須弥壇とは、お寺の堂内に仏像を安置するため、床面より高く設けられた壇で、仏教やヒンドゥーの世界観において、中心にあると考えられる須弥山を模した部分があります。ご家庭の仏壇の内部にも、本尊である釈迦如来や阿弥陀如来をおまつりする場所、仏壇のほぼ中央部に須弥壇があります。この仏壇の画像で言えば、手前にロウソク台や香炉を置く机があり、その奥に須弥壇が見えます。須弥壇より上部に本尊や宗派の祖師をおまつりします。<< 戻る
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釈迦三尊(しゃかさんぞん)

釈迦像を中心に、左右の脇侍(きようじ)として菩薩、天、もしくは羅漢を配した形式を釈迦三尊と呼びます。両脇侍には、向かって右に騎獅の文殊菩薩・向かって左に乗象の普賢菩薩の二菩薩を配する例が多いようですが、薬王菩薩・薬上菩薩の二菩薩、梵天・帝釈天の二天部、迦葉尊者(かしよう)・阿難尊者(あなん)の二尊者を置くこともあります。ちなみに、例にあげた画像の釈迦三尊像の脇侍は向かって右に薬王菩薩・向かって左に薬上菩薩と寺に伝えられているとのことです。(釈迦三尊像 法隆寺金堂)<< 戻る
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聖観音菩薩(しょうかんのんぼさつ)

聖観音菩薩は、聖観音、正観音などとも呼ばれます。サンスクリット(梵語)では、アーリア・アヴァローキテーシュヴァラ・ボーディサットヴァといい、世間の出来事を自在に観察して、その苦悩から救済する菩薩です。聖観音菩薩像は、如来像のように出家者の姿ではなく、ブッダが出家をする前のインド貴族(王族)の姿が見本となっています。たくさんの装飾品をつけているのも特徴です。千変万化の相となる観世音菩薩のうち、一面二臂の姿で独尊として祀られる場合に、聖観音菩薩と呼ばれることが多いようです。六観音の一つともされています。姿の特徴としては、宝冠の前面に阿弥陀如来の化仏(けぶつ)を表す場合が多く、それで見分ける人が多い...
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十二天(じゅうにてん)

十二天とは、須弥山(しゅみせん)に住む天部の護法善神諸尊12種の総称です。バラモン教、ヒンドゥーの神が仏教に取り込まれたもので、東・西・南・北の四方と東北・東南・西北・西南を護る八方天に、天・地の二天と日・月の二天を加えて十二天としたものです。・帝釈天(たいしゃくてん)Indra・インドラ 東・火天(かてん)Agni・アグニ 東南・焔摩天(えんまてん)Yama・ヤマ 南・羅刹天(らせつてん)Rākṣasa / Nirṛti・ラークシャサ / ニルリティ 西南・水天(すいてん)Varuṇa・ヴァルナ 西・風天(ふうてん)Vāyu・ヴァーユ 西北・毘沙門天(びしゃもんてん)Vaiśravaṇa・ヴ...
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🔔除夜の鐘(じょやのかね)108 New Year’s bell

除夜の鐘とは、仏教の年中行事の一つで年末年始に行われます。12月31日の除夜(大晦日の夜)の深夜0時を挟む時間帯に、寺院の梵鐘を撞くことが本来の姿ですが、住宅事情に配慮して31日の日中に行う場合もあります。除夜の鐘は基本的には108回撞かれます。ただし、打ち出しの鐘を含まない場合や、108回撞いた後に、参列者(希望者)が途絶えるまで鐘を撞いていい寺院など、その行事の主催者によって作法の違いはあるようです。中国の宋代の禅宗寺院の習慣に由来すると考えられ、日本でも禅寺で鎌倉時代以降より現代までこれに倣って毎日、朝・昼・夕に鐘が撞かれています(主に大規模な寺院)。室町時代には、除夜の鐘を撞くことは大...
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精進料理(しょうじんりょうり)- 菜食主義との違い

精進料理とは、仏教と共に中国から日本に伝わった修行僧のための食事のことですが、現在、一般に精進料理といわれているものは、曹洞宗や臨済宗、黄檗宗などの禅宗で確立されたスタイルのものです。それぞれの時代、それぞれの宗派の戒に基づき、殺生や煩悩への刺激を避けた食材を使い調理された料理のことです。また、斎食(さいじき)のことを指す場合もあります。「精進料理とは、精進する人の食べ物です」このように聞いたことがあります。精進料理とは、一般的には、肉や魚を使わずに、野菜、果物、海草などを使って作る料理です。インドや欧米などで肉や魚を食べない菜食主義(ベジタリアン)があります。では、この精進料理と菜食主義は同...
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邪鬼(じゃき)

邪鬼とは、仁王像や四天王像に踏まれている小型の鬼で、仏法を犯す邪神として懲らしめられ、苦悶の表情をみせています。悪鬼(あっき)、悪魔などとも総称されます。仏教と切り離した分類でも、たたりをする神や、物の怪(け)、怨霊(おんりょう)と表現されます。寺院の諸堂や山門などの瓦葺き建造物の屋根の端などに設置され飾られる瓦を総称して鬼瓦といいますが、悪霊が寄りつくのをさけるために邪鬼の面があしらわれているものが多くあります。<< 戻る
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四摂(ししょう)- 四摂法(ししょうぼう)

四摂、または、四摂法とは、観世音菩薩や地蔵菩薩などが説いた、誰にでもできる人々を救いに導く菩薩の実践行です。四摂事(ししょうじ)、四恩(しおん)ともいいます。菩薩の実践とは、他者を幸せにしないかぎり、自分の幸せは得られないというものです。また、この場合の「摂」という字は、「まとめる」「全てをとる」という意味を表します。次の四つの行為を合わせ行うことで菩薩の道を実践することが出来るといわれています。・布施(ふせ)・・・教えやものを施すことで、独り占めせずに分かち合うこと。・愛語(あいご)・・・あたたかい心のこもった言葉をかけること。・利行(りぎょう)・・・見返りを求めずに、他人のためになることを...
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紅蓮地獄(ぐれんじごく)

紅蓮地獄とは、この地獄の生きものは、寒苦のために肉がさけて血が流れ、その様は紅蓮のようであることからその名がついている。仏教最古のテキスト「スッタニパータ【第3 大いなる章】10、コーカーリヤ」にもその内容が詳しく出てきます。後のアビダルマ教義学の体系では八寒地獄の内の第七とされました。<< 戻る
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借香(しゃっこう)

借香とは、お葬式や法事などの法要の際、すでに会場に備えられた抹香や線香を利用することです。近年では借香が当たり前に思われていますが、本来、抹香や線香は供えるために自分で用意する物でした。また、自分が選んだ香(抹香や線香)を持参する、自分の香のことを自香(じこう)といいます。地域やご家庭によって違いがあると思いますが、法事などの法要の際、焼香のために香盆をまわすことがあります。自分の番に回ってきたらそのお盆の上などに小銭を置いて、焼香します。お賽銭のようなものと思っている方もいるようですが、それはお寺、もしくは、法要を主催する家の香を使わせてもらうことから、そのお礼の意味で出すものだと考えられま...
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自香(じこう)

自香とは、焼香をする際や線香を供える際に、自分が選んだ香(抹香や線香)を持参する、自分の香のことです。本来、抹香や線香は供えるために自分で用意する物でした。ただ、近年ではすでに会場に備えられた抹香や線香を利用する(借香)ことが多くなっています。地域やご家庭によって違いがあると思いますが、法事などの法要の際、焼香のために香盆をまわすことがあります。自分の番に回ってきたらそのお盆の上などに小銭を置いて、焼香します。お賽銭のようなものと思っている方もいるようですが、それはお寺、もしくは、法要を主催する家の香を使わせてもらうことから、そのお礼の意味で出すものだと考えられます。<< 戻る
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浄土(じょうど)

浄土とは、一切の煩悩やけがれを離れ、五濁や地獄・餓鬼・畜生の三悪趣が無く、仏や菩薩が住む清浄な所を清浄国土といい、略して浄土と呼ばれます。大乗仏教の世界観を表現する言葉として使われ、その仏の数だけ浄土があると考えられていますが、平安後期以降に浄土教が広まると、浄土と言えは阿弥陀如来の西方極楽浄土をさすことが多くなったようです。『岩波 仏教辞典』によれば、浄土には3種類あり、死後に行く来世浄土(往く浄土)、現実の世界を清め浄土化する浄仏国土(成る浄土)、現実の世界の中に信仰によって得る常寂光土(在る浄土)に分類する考え方もあります。代表的な浄土・釈迦如来の霊山浄土・阿弥陀如来の西方極楽浄土・阿閦...
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サヘート・マヘート – ブッダ布教の地(祇園精舎・舎衛城)

サヘート・マヘートはブッダ布教の地として仏教の八大聖地の一つに数えられます。隣接した二つの遺跡群をまとめた呼称です。①サヘート遺跡・・・祇園精舎(祇園は「祇樹給孤独園」の略。ジェータ林(祇園)にある孤独な人々に食を給する長者の園。)②マヘート遺跡・・・舎衛城(サーヴァッティーもしくはシュラーヴァスティー)舎衛城はブッダの生きた時代にはバーセナディ王(波斯匿王)が治めるコーサラ国の首都でした。先述のように遺跡としては分けて考えられていますが、当時の感覚では大きな首都である舎衛城の中に祇園精舎があったと認識してもらった方が分かりやすいと思います。なお、祇園精舎は「阿弥陀経」が説かれた場所とされてい...
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鐘楼(しょうろう)

鐘楼とは、仏教寺院において時を告げるために打つ、大型の梵鐘を吊るすために設けられた建物のことをいいます。釣鐘堂、鐘楼堂、鐘撞き堂、撞楼などとも呼ばれます。山門と鐘楼が一体化したものを鐘門、鼓楼(太鼓)と鐘楼が一体化したものを鐘鼓楼といいます。なお、七堂伽藍の一つに数えられます。<< 戻る
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「正法眼蔵」生死(しょうじ)

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「正法眼蔵」受戒(じゅかい)

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持国天(じこくてん)

持国天とは、須弥山(しゅみせん)の中腹に住み、帝釈天(たいしゃくてん)に仕え、乾闥婆(けんだつば)や毘舎闍(びしゃじゃ)といった眷属(けんぞく)を従えて東方を守護する四天王の一尊として知られています。梵語名はドリタラーシュトラといい、提頭頼叱(だいずらた)と音写されます。「国土を支えるもの」との意味を持つことから「持国天」と呼ばれます。宝髻(ほうけい)を結い、天冠台(てんかんだい)を被っています。手には宝珠(ほうじゅ)や三鈷戟(さんこげき)、剣を持っています。革製の甲冑を身に着けた唐(中国)代の武将風の姿で表され、忿怒(ふんぬ)の表情で邪鬼を踏みつけるなど、その姿は様々な表現がされています。(...
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准胝観音菩薩(じゅんていかんのんぼさつ)

准胝観音菩薩は、准胝観音、准胝仏母、准胝観世音菩薩、天人丈夫観音などとも呼ばれます。準胝観音または準提観音とも書かかれまづ。サンスクリット(梵語)では、チュンディー・アヴァローキテーシュヴァラ・ボーディサットヴァといい、チュンディーとは「清浄」「妙なる」の意味で、インドでヒンドゥーの女神ドゥルガーの影響を受けて成立したと考えられています。また、七倶胝仏母(しちくていぶつも)とも呼ばれ、サンスクリット(梵語)では、サプタコーティブッダ・マートリといい、「七千万の仏の母」「過去無量諸仏の母」の意味です。人々の苦悩に応じて大慈悲を行ずるところから千変万化の相となる観世音菩薩の変化身(へんげしん)の1...
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持地菩薩(じじぼさつ)

持地菩薩は、梵語では、Dharaṇidhara(ダラニダラ)といい、大地を支え持つという意味を持った菩薩です。菩薩の姿は、如来のように出家者の姿ではなく、ブッダが出家をする前のインド貴族(王族)の姿が見本となっています。たくさんの装飾品をつけているのも特徴です。(画像は観音菩薩立像)<< 戻る
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釈迦如来像(しゃかにょらいぞう) 

釈迦如来、釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)について、このページでは主に造像さた仏像としての釈迦如来像、釈迦牟尼仏像、釈迦仏像、釈迦像について書きます。如来とは悟りを開いた仏の姿で、釈迦如来像は全ての仏像の基本形といえます。衣服は全身を覆う一枚の衲衣(のうえ)や大衣(だいえ)の布を着て、装飾品は身につけず、持物は何も持っていません。頭部は螺髪(らほつ)と呼ばれる髪型で、中央部は頂髻相(ちょうけいそう)・肉髻(にっけい)を表していて盛り上がっています。眉間には白毫(びゃくごう)があります。その他、原則として仏の三十二相(さんじゅうにそう)に倣っています。釈迦如来の代表的な印相(いんぞう)・印契(いんげ...
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写経(しゃきょう)

写経とは、筆・硯・墨・文鎮などを使って仏教経典を書写することです。また、その書写されてできた経典のことを指します。ただし、状況によっては、写経道具として筆ペンやえんぴつ、ボールペンを可とする場合もあります。写経された経典は寺院や神社に納経されることが多いです。刷技術が発展していなかった時には、経典を広めるために行われました。また、修行・研究・教育する為に行われました。次第に、個人の信仰や祈願、供養のために行われるようになりましたが、現代においては、写経することによって精神の安定を得たいという目的にする人が増えています。『妙法蓮華経如来神力品』には「この経を受持し、読誦し、解説し、書写し、説の如...
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寺院・お寺

寺院・お寺とは、仏教の活動拠点となる建物およびその所在する境内(けいだい)をいいます。精舎(しょうじゃ)、僧伽藍(そうぎゃらん)、伽藍(がらん))、仏刹(ぶっさつ)などとも呼ばれます。インドの初期仏教寺院は、雨季に僧尼が修行のために居住する建物および場所(安居・あんご)が始まりです。仏像や諸尊像、仏舎利が安置され、住職や修行僧などの僧侶が住む場所です。また、イスラム教・キリスト教の礼拝堂にも使われる呼び名です。「寺」の字が使われるようになったのは、後漢(中国)に仏教が伝わり、明帝が初め鴻臚寺(こうろじ)にお経や仏像を置き、のちに白馬寺を建てたのに始まると考えられます。もともと「寺」は、役所また...
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宗門改(しゅうもんあらため)

宗門改とは、江戸時代に幕府が禁教令の発布に伴い、キリシタンの摘発を目的に設けた制度です。家ごと、個人ごとに仏教信者であることを檀那寺に証明させたもので、その檀家の家族全員について、出生地・生年月日をとどけさせ、婚姻・旅行・就職・移住などに際しては、キリシタン信徒ではなく、寺の檀家であるという証明書を出させました。寛永17年(1640)幕府直轄領に宗門改役を置き、宗門人別帳を作り、その後、諸藩にも実施させました。宗門人別改という名称もありますが、これは別の調査制度である人別改が、江戸時代中期以降に宗門改と事実上統合したことから、住民調査的な制度に変移していきました。宗門人別改帳も宗門改帳と人別改...
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十重禁戒(じゅうじゅうきんかい)

・不殺生戒(殺さない)・不偸盗戒(盗まない)・不貪婬戒(犯さない)・不妄語戒(誤ったことをいわない)・不酤酒戒(酒に溺れない)・不説過戒(他人の過ちを説かない)・不自讚毀他戒(自らを褒め他人を謗らない)・不慳法財戒(教えも財産も他人に渡すことを惜しまない)・不瞋恚戒(怒らない)・不謗三宝戒(仏法僧の三宝を謗らない)※『修証義』(しゅしょうぎ)『正法眼蔵』対応版の掲載箇所へ<< 戻る