専修念仏の停止 1207.01.012023.05.30 仏教を本気で学ぶ年表 1207年せてね浄土真宗の出来事親鸞聖人鎌倉時代 法然聖人の主著である『選択集』と真影(しんねい)を写すことを許され、吉水で入門後に綽空(しゃっくう)と名のられていたのを善信(ぜんしん)と改めました。そのころ法然聖人の開かれた浄土教に対して、既存仏教教団から激しい非難が出され、ついに承元元年(1207年)後鳥羽上皇によって専修念仏が停止(ちょうじ)され、法然聖人の門弟4人の死罪、法然聖人と中心的な門弟7人が流罪に処され、親鸞聖人は越後に流罪となりました。これを機に愚禿親鸞(ぐとくしんらん)と名のられ非僧非俗の立場に立ちました。 << 戻る