真言宗の出来事

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根来寺-和歌山県岩出市

・根来寺 新義真言宗 和歌山県岩出市根来2286根來寺(ねごろじ)を開創された覚鑁(かくばん)上人は肥前国藤津荘(現在の佐賀県鹿島市)で生まれました。13歳で京都・仁和寺の寛助僧正に従い出家得度し、奈良と京都を往復しながら仏教を学び、20歳になると高野山に登り、真言密教の復興に努力しました。 やがて鳥羽上皇の庇護を受け、長承元年(1132)に学問探究の場である「伝法院」、修禅の道場である「密厳院」を高野山上に建立します。同時に根来近郊の岡田・山東・弘田・山崎の荘園と本寺豊福寺(のちに根來寺)を院宣により賜り、覚鑁上人を筆頭とする大伝法院は大いに隆盛しました。(リンク先より)<< 戻る
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川崎大師(平間寺)-神奈川県川崎市川崎区

・川崎大師(平間寺) 真言宗智山派 神奈川県川崎市川崎区大師町4-48崇徳天皇の御代、平間兼乗(ひらまかねのり)という武士が、無実の罪により生国尾張を追われ、諸国を流浪したあげく、ようやくこの川崎の地に住みつき、漁猟をなりわいとして、貧しい暮らしを立てていました。(中略)兼乗は海に出て、光り輝いている場所に網を投じますと一躰の木像が引き揚げられました。それは、大師の尊いお像でした。兼乗は随喜してこのお像を浄め、ささやかな草庵をむすんで、朝夕香花を捧げ、供養をおこたりませんでした。その頃、高野山の尊賢上人が諸国遊化の途上たまたま兼乗のもとに立ち寄られ、尊いお像と、これにまつわる霊験奇瑞に感泣し、...
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吉祥院-茨城県石岡市

・吉祥院 真言宗豊山派 茨城県石岡市山崎608本院は、山号を摩尼山、院号を吉祥院、寺号を廣厳寺と称し、平安後期の天治元年(1124年)弘法大師14世法孫宥祥阿闍利により、茨城郡宍戸ノ荘山崎郷真家村(現在の石岡市真家字千本)に開山された真言密教の寺。(リンク先より) << 戻る
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顕密寺-岡山県美作市

・顕密寺 真言宗御室派 岡山県美作市尾谷1111当寺は七十五代崇徳天皇之年1123年御代勝北群小吉野庄に紀州根来寺の覚鑁上人が十一面観音、五大力明王を造り精舎を建立されたことを発祥の地とする。(リンク先より) << 戻る
仏教を本気で学ぶ

覚鑁上人(高野山教学中興の祖)高野山に登る

永久二年(1114年)、覚鑁上人(高野山教学中興の祖)高野山に登り約8年間修行する。大治五年(1130年)、覚鑁上人伝法院を建立。長承元年(1132年)、大伝法院落慶。長承三年(1134年)、覚鑁上人院宣により伝法院と金剛峯寺の座主を兼職。長承四年(1135年)、覚鑁上人、両座主職を自ら辞す。保延六年(1140年)、覚鑁上人、高野山から追われ700余人の僧侶を連れ根来に移る。康治二年(1143年)、覚鑁上人(興教大師)入寂。<< 戻る
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即成院-京都府京都市東山区

・即成院 真言宗泉涌寺派 京都府京都市東山区泉涌寺山内町28寛治8年(1094)に造られたという来迎の阿弥陀如来と二十五の菩薩。寺伝では、恵心僧都作と言われていますが、近年は平安時代の代表的仏師、定朝とその弟子による優品とされています。阿弥陀如来の高さは5.5メートル。居並ぶ二十五菩薩もそれぞれ像高が150センチあります。見上げるほどに大きい阿弥陀座像と二十五の菩薩の姿は、極楽浄土の世界を立体的に描いたもので、国の重要文化財に指定されています。(リンク先より)<< 戻る
年表

大塔再建の宣旨

寛治二年(1088年)、白河上皇登山し、大塔再建の宣旨を下す。康和五年(1103年)、大塔落慶。<< 戻る
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宝仙寺-東京都中野区

・宝仙寺 真言宗豊山派 東京都中野区中央2-33-3『武州多摩郡中野明王山聖無動院宝仙寺縁起』によると、宝仙寺は 平安後期の寛治年間(1087~94)源義家によって創建されました。このとき義家は、奥州・後三年の役を平定して凱旋帰京の途中にあり陣中に護持していた不動明王像を安置するための一寺を建立したのでした。(リンク先より) << 戻る
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城興寺-京都府京都市南区

・瑞寶山 城興寺 真言宗泉涌寺派 京都府京都市南区東九条烏丸町7-1瑞寶山城興寺と号し、真言宗泉涌寺派の寺ですが、もとは四宗(顕・密・禅・律)兼学の道場で比叡山の管理に属していました。平安の昔、藤原道長の孫で九条太政大臣と呼ばれていた藤原信長(1023~1094)は四至を現在の竹田街道・室町通・九条大路・東寺道とする広大な地に彼の邸宅九条殿を構えていました。そして応徳二年(1085)邸内に丈六佛を安置する九条堂を建て、城興院と名づけました。(リンク先より) << 戻る
人物

仁海(にんがい)

平安時代中期の真言宗の僧。父は宮道惟平。和泉国の出身。小野僧正・雨僧正・雨海僧正とも称される。真言宗小野流の祖。7歳から高野山で雅真に師事し、のちに元杲 (げんごう) から伝法灌頂を受けた。小野に曼荼羅寺を開いて修法し、弟子も多く盛んであった。治安3 (1023) 年東寺の二の長者、長元2 (29) 年東大寺別当、長暦2 (38) 年僧正に任命された。生誕 天暦5年(951年)命日 永承元年5月16日(1046年6月22日)<< 戻る
年表

藤原道長により再興する

治安三年(1023年)、山科・曼荼羅寺(後の随心院)を建立した仁海(951~1046)の勧誘により、時の関白・藤原道長高野山にのぼり、藤原氏が空海に帰依するようになり、その保護を受けて寺領も増え、高野山は次第に再興されていきます。その後、貴族から民衆に至るまで広く信仰を集め、高野山は現世の浄土とされました。布教の原動力となったのは、「高野聖」と呼ばれる念仏僧たちです。彼らは諸国を巡り、津々浦々で弘法大師の奇跡を語りました。同時に、高野山への納骨を勧め、伽藍再建のための寄進を求めました(勧進)。高野聖たちが伝えた数々の弘法大師伝説は、今も全国各地に語り継がれています。空海上人を手本とし、彼ら自身...
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寶龍寺-山梨県南巨摩郡

・寶龍寺 真言宗醍醐派 山梨県南巨摩郡早川町黒桂171甲斐国寺記によると、1019年6月、範晃という僧が京で雨乞いの密法修行をしたところ、3日目に雲の中から黄金の玉を持つ大龍が出現。人々が奇異に思っていると大雨が降り出し、これにより干ばつから救われました。範晃はこのときより宝龍和尚と呼ばれるようになり、その後、宝龍和尚は不動明王像を持って甲斐の国へ来たり、山家に寳龍寺を創建したと伝えられています。創建時の寺は1594年に焼失しましたが、1601年に法印良祐によって堂舎が再建され、中興開山としています。(リンク先より) << 戻る
仏教を本気で学ぶ

祈親上人定誉、高野山復興に着手

落雷からの火災で荒廃した高野山を再興したのは、法華経の持経者(聖)だった興福寺の定誉(958-1047)です。長和5年(1016年)、観音像のお告げで高野山に登った定誉は、冬の寒さを防ぐ方法を編み出し、僧侶たちを山内へ呼び戻すなど、金剛峯寺の復興につとめました。 << 戻る
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善住寺-兵庫県美方郡

・善住寺 高野山真言宗 兵庫県美方郡新温泉町熊谷1286善住寺は長保元年(999年)2月、覚増上人が開かれたとされています。覚増上人がこの地方を行脚した時、土地の様子が紀州熊野三山に似ていることから、山号を熊野山、寺号を那智院善住寺と名付けたと謂われています。(リンク先より) << 戻る
年表

落雷による火災で諸堂塔が焼失

正暦5年(994年)、高野山は落雷による火災でほとんどの伽藍を焼失しました。衰退が始まっていた金剛峯寺に再建する力はなく、僧は去り、高野山は荒廃します。 << 戻る
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正暦寺-奈良県奈良市

・正暦寺 菩提山真言宗 奈良県奈良市菩提山町157992(正暦3)年、一条天皇の勅命を受けて兼俊僧正(藤原兼家の子)によって創建されました。山号を「菩提山」、院号を「龍華樹院」と号します。創建当初は、堂塔・伽藍を中心に86坊の塔頭が渓流をはさんで建ち並び、勅願寺としての威容壮麗を誇っていました。(リンク先より) << 戻る
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遍照寺-京都府京都市右京区

・遍照寺 真言宗御室派 京都府京都市右京区嵯峨広沢西裏町14遍照寺は十世紀末(989年)平安時代中期、寛平法皇(宇多天皇)の孫、寛朝僧正が広沢池畔の山荘を改めて寺院にしたものである。嵯峨富士と云われる端麗な遍照寺山を映す広沢池には金色の観世音菩薩を祀る観音島があった。池畔には多宝塔、釣殿等、数々の堂宇が並ぶ広大な寺院であった。(リンク先より) << 戻る
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欣勝寺-兵庫県三田市

・欣勝寺 曹洞宗 兵庫県三田市桑原866天禄年間(970-973)に清和天皇より分かれた源満仲の開基を伝える真言宗の道場で桑原山欣浄寺と称された古刹でした。その後、安貞2年(1228)曹洞宗の開祖道元禅師が28歳のとき留学から戻り、保養のため有馬温泉に入湯した際に、桑原の地に立ち寄りました。この寺の山が宋の不老山に似ていることから太宋山欣勝寺と命名し、曹洞宗に改宗されました。(リンク先より) << 戻る
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六波羅蜜寺-京都府京都市東山区

・六波羅蜜寺 真言宗智山派 京都府京都市東山区松原通大和大路東入二丁目轆轤町・第十六番 ⇒ 西国三十三所 第十七番 補陀洛山 六波羅蜜寺 ⇒ 第十八番六波羅蜜寺は、天暦5年(951)醍醐天皇第二皇子光勝空也上人により開創された西国第17番の札所である。 当時京都に流行した悪疫退散のため、上人自ら十一面観音像を刻み、御仏を車に安置して市中を曵き回り、青竹を八葉の蓮片の如く割り茶を立て、中へ小梅干と結昆布を入れ仏前に献じた茶を病者に授け、歓喜踊躍しつつ念仏を唱えてついに病魔を鎮められたという。(現在も皇服茶として伝わり、正月三日間授与している)現存する空也上人の祈願文によると、応和3年8月(963...
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正暦寺-京都府綾部市

・正暦寺 高野山真言宗 京都府綾部市寺町45天慶5年(942)に空也上人が観音様を彫られお祀りしたのがそもそもの始まりとされ、寺号は正暦2年(991)、雨乞祈願の効験によって一条天皇より当時の年号が賜与されたものです。歴代綾部藩主も当寺を祈願寺として厚く外護したと伝えられています。(リンク先より) << 戻る
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大安楽寺-長野県松本市

・大安楽寺 真言宗智山派 長野県松本市女鳥羽2-5-8大安楽寺は延長2年(924年)一条修理太夫が当地におもむき、庶民の福祉を念じ大護摩祈願を厳修、現在の御徒士町に安原山「安楽寺」と称し行基菩薩により開山されました。 後に永正元年(1504年)島立右近が松本城建築に際し、東北東鬼門の方角に当る松本城鬼門除守護の霊刹とし七堂伽藍を再建しました。(リンク先より)<< 戻る
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法泉寺-愛媛県新居浜市

・法泉寺 高野山真言宗 愛媛県新居浜市垣生4-9-12法泉寺の創立年代と創立者等は不詳なれど延長年間(923~931)宇高古土居(富留土居)城主の菩堤所として開創されたとつたえられている。(リンク先より) << 戻る
仏教を本気で学ぶ

弘法大師の諡号を賜わる

延喜21(921)年、空海上人は醍醐天皇から弘法大師の諡号(しごう)を賜わる。東寺と金剛峯寺座主を兼務する観賢は、朝廷に働きかけて空海上人への弘法大師号宣下を実現させました。ですから、空海上人が「弘法大師」と呼ばれるようになったのはこれ以降です。 観賢は、諡号宣下の勅書と醍醐天皇の賜衣を奉じて高野山に乗り込み、大師号の報告会を行いました。『日本紀略』には、観賢が報告のため奥の院の廟所を開けたところ、空海の顔色は生前のままだったと記されています。この話が伝わり、空海は実は亡くなって荼毘に付されたわけではなく、御廟の中で「入定(にゅうじょう)」していると信じられるようになりました。 入定とは、生死...
仏教を本気で学ぶ

観賢、東寺と金剛峯寺座主を兼務

延喜十九年(919年)、観賢(八五四~九二五年)、東寺と金剛峯寺座主を兼務する。空海上人が入滅後、金剛峯寺(高野山)や東寺、高雄山寺(神護寺)などの真言宗諸寺はそれぞれ独立した寺院としての道を歩み始めました。やがて、金剛峯寺と東寺のどちらを本寺とするかという論争が起きます(本末争い)。 そこで、観賢が東寺と金剛峯寺座主を兼務し、東寺を本寺、金剛峯寺を末寺と決めたことで決着し、金剛峯寺は本末争いに負けた形となりました。 << 戻る
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篠生寺-石川県加賀市

・篠生寺 浄土真宗本願寺派 石川県加賀市動橋町イ-69延喜9年(909) 真言宗生龍山地蔵院建立永延2年(988) 花山法皇が那谷寺建立にあたっての安在所(御座所)とする一条天皇も安在所(御座所)とする(リンク先より) << 戻る
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金剛院-兵庫県伊丹市

延喜4年(904年)宇多法皇の勅願所として山城醍醐寺の聖宝理源大師が薬師如来を本尊に開基、当初善楽寺といい別院を金剛院と称したといわれます。その後、兵乱で廃れました。久安6年(1150年)、源為朝が当寺に宿を取り、牛頭天王の霊夢によって寺社を再興したと言われています。天正7年(1579年)、荒木村重の乱で炎上しましたが、文禄年間(1592年~1596年)、千僧村願成就寺(現安楽院)の地蔵院長照が入寺し中興しました。 文禄3年(1594年)、片桐且元の検地で除地となります。寛文11年(1671年)、京都御室仁和寺の末寺となりました。貞享2年(1685年)、『摂津名所図会』によると近衛基熙が再建し...
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如意輪寺-奈良県吉野郡

・如意輪寺 浄土宗 奈良県吉野郡吉野町大字吉野山1024当山は、延喜年間(901-923)三好善行の弟で醍醐天皇の御帰依を被った日蔵道賢上人により真言宗のお寺として建立されました。そして、後醍醐天皇が吉野に行宮を構えた際に、後醍醐天皇の勅願寺と定められ南朝(吉野朝)勅願寺ともなりました。(リンク先より) << 戻る
年表

宇多法皇、高野山参詣

昌泰三年(900年)、宇多法皇、高野山参詣。<< 戻る
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真照院-山口県山口市

・真照院 真言宗御室派 山口県山口市秋穂二島5106当山は、寛平8年(896年)近江国石山寺観賢僧正の開創と伝えられています。朝日山正観寺千光院と号し、七堂伽藍整った真言秘密伝法灌頂の道場でした。ところが天正14年(1586年)火災に遭い堂宇消失し、天正16年(1588年)真善坊に合併されました。(リンク先より)・真照院
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清荒神清澄寺-兵庫県宝塚市

・清荒神清澄寺 真言三宝宗 兵庫県宝塚市米谷字清シ1番地清荒神清澄寺は平安時代の初め、宇多天皇の創意による理想の鎮護国家、すなわち諸国との善隣友好を深め戦争のない平和社会、万民豊楽の世界を開く勅願寺の一つとして創建されました。天皇は讃岐国の名工、定円法眼に命じて曼陀華の香木で本尊大日如来像を刻ませ、寛平8年(896)に、叡山の高僧静観僧正を迎え、開山の祖としました。(リンク先より) << 戻る
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観福寺-千葉県香取市

・観福寺 真言宗豊山派 千葉県香取市牧野1752妙光山 蓮華院 観福寺 開基 890年(寛平2年)尊海上人により本尊  平将門の守護仏とされる聖観世音菩薩(木像秘仏)(リンク先より)伊能忠敬(いのう ただたか)墓所。 << 戻る
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仁和寺-京都府京都市右京区

・仁和寺 真言宗御室派 京都府京都市右京区御室大内33仁和寺は仁和4年(888)に創建された寺院であり、現在は真言宗御室派の総本山です。 境内には五重塔や二王門など江戸時代に建立された建造物が並びます。 同時期に植えられた御室桜は4月中旬に見頃を迎えますが、建物と同様、 当時と同じ姿を現在に伝えています。平成6年には世界遺産に登録されました。(リンク先より) << 戻る