仏教を本気で学ぶ

幸せな世界を体得する

・「世の中にはこのような破滅のあることを考察して、賢者・すぐれた人は真理を見て、幸せな世界を体得する。」(スッタニパータ 115偈)今、生きているこの場所に幸せな世界が存在すると気付いた境地が「幸せな世界」であるということ。後代に解かれるような「神々の国」「天」という別の場所に死後になって到達するという趣旨のものではありません。<< 戻る
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地獄(じごく)

(1)最初期の仏教の頃より、地獄とはこの世に見られるものだということが示されています。・「凡夫は欲望と貪りとに執著しているが、眼ある人はそれを捨てて道を歩め。この世の地獄を超えよ。」(スッタニパータ 706偈)次の(2)(3)のようにこの世とは切り離された別の世界のこととして示されるのは学問的解釈、文学的解釈の広がりによると思われます。(2)地獄とは、仏教で説く六道世界の1つです。地下の牢獄を意味し、罪をおかした人間が苦しみ、なやむおそろしい世界が表現されています。紅蓮地獄。反対語としてよく使われるのは極楽(ごくらく)です。(3)キリスト教では、天国に対して地獄を亡失の国として、大罪をおかした...
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巡礼(じゅんれい)

巡礼とは、信仰をもつ人が、聖地や寺・霊場を参拝して歩くことです。キリスト教・イスラム教・仏教の信徒の間で行われており、これらの地をおとずれると、多くのご利益があると信しんじられています。日本でも平安時代から行われ、熊野詣(くまのもうで)・四国八十八か所巡りなどが有名です。<< 戻る
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梵語(サンスクリット語・梵字・悉曇)

梵語(ぼんご・サンスクリット語)とは、古代インドの文章語であり、北伝の仏教(説一切有部とその分派、ならびに大乗仏教の諸部派)に使われている言葉です(⇔南伝・巴語)。「サンスクリット」とは「完成された」「洗練された」を意味する言葉です。また、梵字は梵語を書き表すのに使われた一種の表音文字です。いろいろな字体がありますが、日本にはその中の、6世紀から9世紀にかけて中央インドを中心に用いられた流行書体である悉曇文字(しったんもじ)という字体が仏教と共につたえられました。悉曇文字には、「成就・完成」という意味があり、特に密教では、悉曇は大日如来から相承した神聖な文字であると説かれています。また、梵字は...
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呪文に通じたバラモン・ティッサ

呪文に通じたバラモン・ティッサは『スッタニパータ【第2 小なる章】2、なまぐさ』に登場する。上記の章には過去七仏の六番目に数えられる迦葉仏より教えられたことが書かれている。また、最初の3つの詩がティッサの言葉だと考えられている。以下抜粋。239 「稷・ディングラカ・チーナカ豆・野菜・球根・蔓の実を善き人々から正しい仕方で得て食べながら、欲を貪らず、偽りを語らない。240 よく炊かれ、よく調理されて、他人から与えられた純粋で美味な米飯の食物を舌鼓って食べる人は、なまぐさを食うのである。カッサパよ。241 梵天の親族(バラモン)であるあなたは、おいしく料理された鳥肉と共に米飯を味わって食べながら、...
人物

ジャーヌッソーニ・バラモン

ジャーヌッソーニ・バラモンは『スッタニパータ【第3 大いなる章】9、ヴァーセッタ』内でお釈迦様の生きていた時代、コーサラ国のイッチャーナンガラ村に住んでいる著名なバラモンとして紹介されています。<< 戻る
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学生ジャトゥカンニン

学生ジャトゥカンニンは『スッタニパータ【第5 彼岸にいたる道の章】12、学生ジャトゥカンニン』内に登場するバーヴァリ・バラモンの弟子で、お釈迦様に質問します。<< 戻る
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浄光仏(じょうこうぶつ)

浄光仏とは、清らかな光線の光明ある者という意味の西方の現在仏です。梵語では suddharasmiprabha(シュッダ・ラシュミ・プラバ)といいます。また、浄光如来と記述されることもあります。如来とは悟りを開いた仏の姿です。<< 戻る
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網明仏(もうみょうぶつ)

網明仏とは、網の様に広く覆う光明ある者という意味の北方の現在仏です。梵語では jaliniprabha(ジャーリニー・プラバ)といいます。また、網明如来と記述されることもあります。如来とは悟りを開いた仏の姿です。<< 戻る
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師子仏(ししぶつ)

師子仏とは、獅子という意味の下方の現在仏です。梵語では simha(シンハ)といいます。また、師子如来と記述されることもあります。如来とは悟りを開いた仏の姿です。<< 戻る
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持法仏(じほうぶつ)

持法仏とは、法を持つ者という意味の下方の現在仏です。梵語では dharmadhara(ダルマ・ダラ)といいます。また、持法如来と記述されることもあります。如来とは悟りを開いた仏の姿です。<< 戻る
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宿王仏(しゅくおうぶつ)

宿王仏とは、星たちの王という意味の上方の現在仏です。梵語では naksatraraja(ナクシャトラ・ラージャ)といいます。また、宿王如来と記述されることもあります。如来とは悟りを開いた仏の姿です。<< 戻る
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須弥相仏(しゅみそうぶつ)

須弥相仏とは、須弥山の幢幡<はたぼこ>を持つ者という意味の東方の現在仏です。梵語ではメール・ドバージャといいます。また、須弥相如来と記述されることもあります。如来とは悟りを開いた仏の姿です。<< 戻る
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須弥光仏(しゅみこうぶつ)

須弥光仏とは、須弥山の輝きある者という意味の東方の現在仏です。梵語ではメール・プラバーサといいます。また、須弥光如来と記述されることもあります。如来とは悟りを開いた仏の姿です。<< 戻る
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須弥灯仏(しゅみとうぶつ)

須弥灯仏とは、須弥山の如きの灯明ある者という意味の南方の現在仏です。梵語では merupradipa(メール・プラディーパ)といいます。また、須弥灯如来と記述されることもあります。如来とは悟りを開いた仏の姿です。<< 戻る
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無量精進仏(しゅみとうぶつ)

無量精進仏とは、限りなき精進を為す者という意味の南方の現在仏です。梵語では anantavirya(アナンタ・ヴィーリヤ)といいます。また、無量精進如来と記述されることもあります。如来とは悟りを開いた仏の姿です。<< 戻る
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須臾(しゅゆ)

須臾とは、「しばらく」「少しの間」「瞬時」の意味を持ち、時間の単位を表します。『大毘婆沙論』『倶舎論』では、牟呼栗多(むこりった)と表記されています。それによると、1昼夜 = 30牟呼栗多(須臾)1牟呼栗多(須臾) = 30臘縛(ろうばく)『摩訶僧祇律』では、1昼夜 = 30須臾1須臾 = 20羅予(らよ)1昼夜とは24時間で、1440分 = 30須臾よって、1須臾は約48分を表します。ただし、上記は一例で、この単位が表す時間の程度には使われ方によって幅があります。<< 戻る
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四聖句(しせいく)

四聖句(しせいく)とは、インドから中国へ禅宗を伝えた菩提達磨大師がお亡くなりになった後に中国の宋時代に禅宗で「達磨の四聖句」として定められたと伝えられています。禅とは、経典の言句によるのではなく、自身の体験によって経典の心を直に悟るものであると考えられています。それを分かりやすく表現されたものが、菩提達磨大師が残されたと言われる不立文字・教外別伝・直指人心・見性成仏の四聖句です。▶ 菩提達磨大師<< 戻る
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直指人心(じきしにんしん)

直指人心(じきしじんしん)とは、他人の言葉かりを気にせず、自らの心を素直に見つめることによって、自分の可能性を掘り起こすことを意味します。私たちの心の中には、もともと仏心が具わっていることを忘れることなく精進していくことが大切です。▶ 菩提達磨大師
人物

志村けん(しむらけん)

コメディアン。 ザ・ドリフターズ(ドリフ)メンバー。東村山市名誉市民。イザワオフィス所属。本名は志村康徳で、構成作家としては本名名義で活動。代表番組「天才!志村どうぶつ園」「志村でナイト」「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」「ドリフ大爆笑」「8時だョ!全員集合」」「志村けんのバカ殿様」「志村けんのだいじょうぶだぁ」など曲「東村山音頭」など映画「鉄道員」などドラマ「エール」など生誕 1950年2月20日命日 2020年3月29日瑞心院喜山健徳居士<< 戻る
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過去七仏(かこしちぶつ)

過去七仏とは、毘婆尸仏(びばしぶつ)、尸棄仏(しきぶつ)、毘舎浮仏(びしゃふぶつ)、拘留孫仏(くるそんぶつ)、拘那含牟尼仏(くなごんむにぶつ)、迦葉仏(かしょうぶつ)、釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)までの7人のブッダを指します。・七仏通誡偈・第七の仙人<< 戻る
人物

ジャニー喜多川(ジャニーきたがわ)

実業家・芸能プロモーター・音楽プロデューサーで、ジャニーズ事務所、ジェイ・ドリーム、ジャニーズ出版、ヤング・コミュニケーション、つづきスタジオの創業者。愛称は「ジャニーさん」。血液型はAB型。 アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス生まれ。3人姉弟の末子でメリー喜多川は姉。その娘で、ジャニーズ事務所の代表取締役社長(2代目)になった藤島ジュリー景子は姪にあたる。アメリカ・ロサンゼルスに高野山真言宗米国別院の第3代主監(僧侶)で、1946年(昭和21年)2月から1948年(昭和23年)2月まで、プロ野球チーム「ゴールドスター(1947年に「金星スターズ」に改称)」のマネージャーだった喜多川諦...
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地蔵札(じぞうふだ)

地蔵札(じぞうふだ)というお札を街中や寺院にあるお地蔵さんにを貼る習慣があります。亡くなった時、お彼岸など、全国各地にも地蔵菩薩信仰に基づく似たような習慣があり、その由来についても諸説ありますが、六道を自在に行き来できるお地蔵さんの力によって故人の冥福を祈るという想いから行われるようになったようです。例えば、故人が亡くなって初めて迎えるお彼岸中に、故人のご家族が近隣の寺院にあるお地蔵さんにお札を貼って回る習慣があります。半紙を切った紙片に、1枚ずつ地蔵菩薩真言「オンカカカビサンマエイソワカ」を唱えながらお地蔵さまの印影を捺します。お地蔵さまの誓願は「代受苦」。衆生の苦しみ悲しみを代わりに引き受...
人物

チューラパンタカ(周利槃陀伽)

チューラパンタカはお釈迦様の弟子です。音写で周利槃陀伽、周利槃陀迦、周利槃特などがあり、略して、修利、周陀、周梨、槃特、注荼、半託迦などがある。意訳して、小道路、路辺生とも呼ばれます。お釈迦様の弟子になったのは兄・マハーパンタカの勧めからでしたが、4か月を経ても何も記憶できず、見かねた兄は在家に戻そうとしました。お釈迦様はこれを知って、チューラパンタカに1枚の布を与え、「塵を除く、垢を除く」と唱えさせ、拭き掃除を任せました。チューラパンタカはそれにより、落とすべき汚れとは、貪、瞋 、痴という心の汚れだと悟り、すべての煩悩を滅し、阿羅漢果を得たとされます。<< 戻る
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『妙法蓮華経序品』(みょうほうれんげきょうじょぼん)

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『妙法蓮華経信解品』(みょうほうれんげきょうしんげぼん)

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『妙法蓮華経授記品』(みょうほうれんげきょうじゅきぼん)

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『妙法蓮華経授学無学人記品』(みょうほうれんげきょうじゅがくむがくにんきぼん)

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『妙法蓮華経従地湧出品』(みょうほうれんげきょうじゅうじゆじゅつぼん)

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『妙法蓮華経常不軽菩薩品』(みょうほうれんげきょうじょうふきょうぼさつぼん)

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十七回忌法要(じゅうしちかいき)

十七回忌とは、お亡くなりになってから16年後、同じ月、同じ日の祥月命日に行う法要です。様々な都合により、現在では祥月命日に行えないことも多くなっています。17回忌。17回忌無料や有料の法要依頼当ウェブサイトから行える法要依頼の詳細はリンク先へ。関連する宗派曹洞宗、臨済宗、浄土宗、浄土真宗、真言宗、天台宗、日蓮系宗派など。<< 戻る
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二十三回忌法要(にじゅうさんかいき)

二十三回忌とは、お亡くなりになってから22年後、同じ月、同じ日の祥月命日に行う法要です。様々な都合により、現在では祥月命日に行えないことも多くなっています。23回忌。23回忌無料や有料の法要依頼当ウェブサイトから行える法要依頼の詳細はリンク先へ。関連する宗派曹洞宗、臨済宗、浄土宗、浄土真宗、真言宗、天台宗、日蓮系宗派など。<< 戻る