インドの五山、中国の五山と、鎌倉五山や京都五山にどのようにつながってきたかをこれまでも別記してきました。五山制度は時の権力者、幕府が寺を格付け管理するための制度であり、権力者が変われば五山も変わるという具合でしたが、1386(至徳3)年、室町幕府三代将軍足利義満によって、最終的な五山が決定され、南禅寺を別格上位とする京都五山と鎌倉五山が決定しました。
建長寺(けんちょうじ)
鎌倉五山の第一位。鎌倉幕府第五代執権北条時頼が宋僧・蘭渓道隆をむかえ、1253(建長5)年に開かれた寺院で、建物は南宋の径山万寿寺を模した本格的な禅宗様式です。
円覚寺(えんがくじ)
鎌倉五山の第二位。鎌倉幕府第八代執権北条時宗が宋僧・無学祖元をむかえ、1282(弘安5)年に開かれた寺院で、元寇の戦没者追悼のために創建されました。
寿福寺(じゅふくじ)
鎌倉五山の第三位。鎌倉幕府初代征夷代将軍源頼朝の夫人北条政子が栄西禅師をむかえ、1200(正治2)年に開かれた寺院で、その後宋僧・蘭渓道隆・大休正念らが住持になると宋風の禅宗となって発展しました。
浄智寺(じょうちじ)
鎌倉五山の第四位。鎌倉幕府第五代執権北条時頼の三男・北条宗政の菩提を弔うため、夫人と子師時が日本人僧・南洲宏海をむかえ、宋僧・大休正念・兀菴普寧を開山として、1283(弘安6)年に開かれた寺院で、本尊は阿弥陀如来・釈迦如来・弥勒如来の木造三世仏坐像です。
浄妙寺(じょうみょうじ)
鎌倉五山の第五位。鎌倉幕府初代征夷代将軍源頼朝の重臣・足利義兼が日本人僧・退耕行勇をむかえ、1188(文治4)年に開かれた寺院で、密教系の寺であったのを後に臨済宗に改められました。五山のなかでは一番古い寺院です。
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