(仏伝浮彫「四門出遊」ガンダーラ(2~3世紀))
「なぜ、人は苦しみながらも生きるのだろう」
釈迦族の王子であったお釈迦様の名はゴータマ・シッダッタといいましたが、人生に悩むシッダッタを見て、父親のスッドーダナ王(浄飯王)は、気晴らしに外出をすすめました。その時にシッダッタは4つの苦しみについて知ることになります。東西南北のそれぞれの城門から外出するこのエピソードを四門出遊(しもんしゅつゆう)と言います。
シッダッタは最初、城の東門から外出します。するとそこに、老人がいました。従者に尋ねると「あれは老人です。老いると皆あのようになるのです」と言いました。
次は南門から外出します。瘦せ衰えた病人を目にすると従者は「あれは病人です。病気になると皆あのようになるのです」と言いました。
次は西門から外出します。次は死人が横たわっているのを見ると従者は「あれは死人です。生きる者は皆最後はあのようになるのです」
東、南、西の3つの門で老・病・死を目の当たりにしたシッダッタは「生きる者は皆、老・病・死という苦しみを味合わなければならないのか・・・」と深く悩みます。
「私もいつか、あのようになるのだ。この苦しみは忘れることはできても、のがれることはできない」
こうして、シッダッタは、老・病・死に加えて生きること自体が苦しみであることを知り、合わせて4つの苦しみ「四苦」について知ることになりました。
シッダッタは暗い気持ちで最後に北門から外出します。その時出会ったのは出家修行者でした。
シッダッタ「あなたは何をしているのですか?」
修行者「私は出家し、修行をしている者です」
シッダッタ「あなたは何のために修行をしているのですか?」
修行者「この世の苦しみを乗りこえるために修行をしています。正しい修行を行い、人々に慈悲の行いをすべき存在でございます」
シッダッタは「これこそ、私が求めていた道ではないか!」と感銘を受けます。出家修行者の生活こそが、別の3門で知った四苦(生・老・病・死)を克服するための理想の生活であると気づきました。そして、このような出来事が妻子を残し出家を決意する契機になりました。
なお、この「シッダッタの四門出遊」の話自体は現在のところ伝説の域を出ないところがありますが、「四苦」など仏教の言わんとしているところを分かりやすく伝える役目を果たしているのではないでしょうか。
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