洛陽虎牢出身。幼名は神光。中国禅宗の二祖。正宗普覚大師。菩提達磨大師に就いて嗣法。弟子には鑑智僧璨、僧那がいる。
はじめは儒教や老荘思想を学んだが得心せず、洛陽香山(現在の龍門山)の永穆寺で得度した。出家後は問法のため各地を放浪し、さらに香山に戻り8年間修行を続けたものの、疑念を解明することが出来ず、嵩山の少林寺で面壁していた達磨に面会し弟子入りを請うた。達磨は断ったが慧可はあきらめず、自らの腕を切り落として弟子入りの願いが俗情や世知によるものではない事を示し、入門を許されたと伝えられている(雪中断臂)。
・「大師釈尊、霊山会上にして法を迦葉につけ、祖々正伝して、菩提達磨尊者にいたる。尊者、みづから神丹国におもむき、法を慧可大師につけき。これ東地の仏法伝来のはじめなり。」(「正法眼蔵」弁道話)
生誕 太和11年(487年)
命日 開皇13年3月16日(593年4月22日)
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