私が毎日行なっている供養では、すべての方々の生命に繋がる生きとし生けるものに対する行為です。供養依頼があれば、その対象の方を通して生きとし生けるものに対する供養も行なっています。
何に対して供養するのかという興味は誰しも持つものと思われますが、意識もしくは、それに類するものを持って生きていた生命、あるいはそれに限定しない場合もありますが、そういう仮定の下、供養を行なっています。
一般的に私たちは自分の意識を中心にして考え、自分の中に無意識の働きがあると思っています。私はこの世界自体、無意識が広がる空間だと思っています。私たちの身体も無意識の活動が中心で、意識が仕事しているのはその一部だと感じます。
ある生命の意識がなくなった時、意識が戻らなくなった時を死とすると、それは意識のない無意識になることなのかもしれません。自分の中の無意識と自分の外の世界の無意識は同じ無意識です。
実は無意識とは無我のことです。無意識という言葉でここまで説明していて違和感があったかもしれませんが、無我で説明したらそれはそれで敬遠する人もいます。
何が言いたいのかというと、私たちは無意識の活動に生かされていて、その無意識の中で生命は生死を繰り返しています。生命のつながりは無意識レベルでもつながっているのだと思います。そういったことを前提に生きとし生けるものへの供養を行なっています。