曹洞宗の出来事

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林陽寺-岐阜県岐阜市

・林陽寺 曹洞宗 岐阜県岐阜市岩田西3-402弘法大師の草創で大師が全国行脚途中、数年ここに留まったといわれている。 岩田の羽場西遇に村社「八幡神社」(現 伊波乃西神社)がある。大師はその南に、堂宇を建立し、自ら薬師如来の尊像を作って本尊佛としその背後に曼荼羅を添えた。その下に大師23歳の「延暦15年(796)、伊波西乃僧院八幡の境林陽寺僧 空海書」とある。さらに、弘仁5年(814)大師41歳のとき、当寺に再来し、7日間薬師如来の護摩を修し、続いて、芥見大洞願成寺においても大日如来を刻み、灌頂の法を行ったと伝えられている。(リンク先より) << 戻る
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三松寺-奈良県奈良市

・三松寺 曹洞宗 奈良県奈良市七条1-26-10奈良時代、桓武天皇の皇后・藤原乙牟漏が延歴4年(785)富雄の地に、万民富楽の勅願寺として建立。江戸時代、大和郡山藩城代家老松下将監供養の為、寛永16年(1639)現在の七条の高台に士族寺として再建立されました。(リンク先より) << 戻る
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三松寺-奈良県奈良市

・三松寺 曹洞宗 奈良県奈良市七条1-26-10奈良時代、桓武天皇の皇后・藤原乙牟漏が延歴4年(785)富雄の地に、万民富楽の勅願寺として建立。(参考:瑞雲山 三松寺)<< 戻る
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普門寺-広島県広島市中区

・普門寺 曹洞宗 広島県広島市中区大手町3-5-5天平12(740)年、行基(668 〜 749)が、行脚中に藝州吉田に滞在した折、「時おり河底から一筋の神光が発し、山頂の樹上に掛かる」という村人の話を聞き、吉田山山頂の石上で七昼夜修禅念誦した。すると、紫雲と共に釣竿を持った長眉・白髪の老人が現れたので、神光の出所について尋ねると、釣竿を挙げて場所を指した。そこで、漁師に河底へ網を下ろさせると、観音様の像が上がった。行基は、その端厳な妙相に喜び、山頂に大士堂(菩薩堂)を建てさせて尊像を安置した。また、観音経2090文字の書かれた小石を函の中におさめ、蓋に「普門品題号十七字」と記して宝帳の中に納...
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済渡寺-岡山県新見市

・済渡寺 曹洞宗 岡山県新見市法曽661739年(天平11年)僧・行基がこの地に草庵を結び、811年(弘仁2年)の春、空海(弘法大師)がこの草庵を済渡寺(さいどうじ)と命名し、開創されたと伝えられております。(リンク先より) << 戻る
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医王寺-愛知県田原市

・医王寺 曹洞宗 愛知県田原市小中山町南郷38薬樹山医王寺の本尊は、薬師瑠璃光如来。東方浄瑠璃光世界の教主で12の大誓願を発して、衆生の病苦を救い、無明の痼疾(持病)を治すとされるあり難い如来です。脇士として日光菩薩(左)・月光菩薩(右)を配し、これを薬師三尊といいます。僧行基(六六八〜七九四年)が刻んだものとされており、そのまた昔には小松原山東観音寺にまつられていたと言われておりまして、小中山村の帰依あつく、霊徳を感受することしきりで、天平四年(七三二年)にとくに乞うて拝領、一宇を建立して安置したのが始まりでございます。(リンク先より) << 戻る
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放光寺-長野県松本市

・放光寺 曹洞宗 長野県松本市蟻ケ崎1283天平二年 730年 行基菩薩が聖徳太子作の十一面観音をこの地に安置し、日光放光寺と称す延暦年間 790年頃 征夷大将軍、坂上田村麻呂が中房山鬼賊退治の戦勝の報謝として放光寺の本堂等伽藍を建設。又、別の説として延暦年間に中上野国の講師日光二荒山勝道上人が伽藍を建設したとされている(リンク先より) << 戻る
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洞玄寺-山口県山陽小野田市

・洞玄寺 曹洞宗 山口県山陽小野田市郡1896江戸時代の長州藩の公的文書「寺社由来」によると、西暦635年、物部守屋の三男で厚東氏の祖となった辰孤連(たつこのむらじ)が長門守に任ぜられ、この地に推古天皇の持尊仏(一光三尊阿弥陀仏)をまつり新善光寺を創建したと伝えられている。裏山には、4世紀後半の前方後円墳で長門国の初代長官の墓と言われている有名な長光寺山古墳が眠っている。(リンク先より)
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願成寺-山口県美祢市

・願成寺 曹洞宗 山口県美祢市美東町大田5684615年。百済の国の聖明王の第三皇子であった淋聖太子が推古天皇の御世に、聖徳太子に教えを請おうと渡来された折りに、航海の安全守護の為に供奉されたとの伝えがあります。淋聖太子は、西国第一の守護大名であった大内氏の祖先だと言われている方で、佐波郡多々良浜(現在の防府市)に上陸され、同郡高倉の地に瀬戸内の守護神として祀られ、沖を通る船はよくよく礼を尽くすように伝えられました。(リンク先より)
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釈迦尊寺-群馬県前橋市

・釈迦尊寺 曹洞宗 群馬県前橋市元総社町2497-1五八七年 三十一代用明天皇二年蘇我馬子が、物部守屋を滅ぼしたとき物部氏に加担した中臣羽鳥連と妻、玉照姫は上毛野国青海に流罪となる。玉照姫は聖徳太子の乳母にて、太子の守仏、闇浮壇金一寸八分の釈迦尊仏を、太子より授けられる。(リンク先より) 2016年には当寺で三遊亭円楽(6代目)が得度を行っている。<< 戻る
人物

菩提達磨大師(ぼだいだるまたいし)

お釈迦さまから28代目の祖師である菩提達磨大師は、西インドから中国に至り、大乗仏教をもたらしたインド人僧侶です。震旦初祖、円覚大師とも呼ばれ、達摩と表記される場合もあります。般若多羅尊者に就いて嗣法。弟子には慧可、道育、尼総持、道副がいます。達磨大師の伝記に関しては諸説ありますが、禅宗の伝統的な見解では、中国の梁の時代・普通8(527)年に南海より広州(広東省)に上陸し、梁の都・建康(南京)に来て、武帝(蕭衍)と問答を交わし、帝との機縁がかなわず北に渡り、洛陽(河南省)郊外の嵩山少林寺というところで面壁九年の坐禅を修行され、不立文字、教外別伝、直指人心、見性成仏の宗旨を標榜し、禅宗の初祖と仰が...