真言宗の出来事

人物

弘法大師 空海上人(こうぼうだいしくうかいしょうにん)

空海は、宝亀5(774)年6月15日、讃岐国の屏風ガ浦(現在の四国香川県善通寺市)で誕生しました。父は、郡司・佐伯直田公(さえきのあたいたぎみ)、母は、玉依御前(たまよりごぜん)の三男で、幼名を真魚(まお)といいました。延暦7(788)年、平城京(古都。784年、長岡京に遷都)に出て、延暦8(789)年、母方の叔父さんである阿刀大足(あとのおおたり)について論語、孝経、史伝、文章などを学びました。延暦11(792)年、18歳で長岡京の大学寮に入り、明経道、春秋左氏伝、毛詩、尚書などを学んだと伝えられます。大学寮の勉強だけではもの足らず、大学寮を去って仏道修行を始めました。一説には奈良岩渕寺の勤...
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金剛寺-和歌山県海草郡

・金剛寺 高野山真言宗 和歌山県海草郡紀美野町釜滝120天長十二年(835)人皇五十三代淳和天皇の御代、山城国天台山慈覚大師(円仁)がこの地に来り、山下の釜ノ淵の奇瑞に感じ一刀三礼木像を刻みこれを当山に安置した。この像は本尊薬師如来である。 創建当時は現在の寺院の側にある小高い丘に草庵を結び、そこに本尊を安置していたが鎌倉時代の初めごろ、泉州(大阪府)日根野のシナという人が本尊に帰依することを厚く、この人の寄進で伽藍を建立、ここに本尊を移した。脇士二躰は作者不詳であるが、天保二年(1645)仏工を招いて修覆しようとしたが成らず後高野山の良雲密師が補修を加えて開眼した。(リンク先より)<< 戻る
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安楽院-神奈川県小田原市

・安楽院 真言宗東寺派 神奈川県小田原市国府津1762【本尊】 大聖不動明王(ダイショウフドウミョウオウ) 【脇佛】 十一面観世音菩薩・地蔵菩薩・千手千眼観世音菩薩・弘法大師両部曼荼羅図像・八祖大師図像【開創】 天長10年(833年)6月15日(リンク先より) << 戻る
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最初の万燈万華会

天長9(832)年8月22日、高野山において最初の万燈万華会(まんどうまんげえ)を修しました。萬燈萬華会(略して萬燈会)は、多くの灯明と多くの華を仏さまに供養し、人々の望みが叶うよう祈る法要です。例えば、突然の停電で暗くなると不安に襲われますが、懐中電灯をつけるとか、ロウソクに火を灯せば、ホッと安心するはずです。光のもたらすこうした効能から、灯明を物事の真実を見極める仏さまの智恵のシンボルとし、また我がいのちを燃やして周囲に幸せを及ぼす、仏さまの働きの象徴としました。 一方、自然の中に育つ草木は、厳しい気候の変化に耐え抜いて、美しい花を咲かせます。そこで花は、苦難に負けずに耐え抜く力(忍辱=に...
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称名寺-神奈川県川崎市幸区

・平間山 称名寺(しょうみょうじ) 真宗大谷派 神奈川県川崎市幸区下平間183称名寺の源流は、天長9年(831)空海(弘法大師)の弟子弘海が現在地に草庵を建立したことに始まります。以来、寺号を大悲山普門寺と称し真言宗の寺として経過。永仁5年(1297)13代忍峯阿闍梨は本願寺2世如信の弟子となり、法名如海を賜ります。この時、宗旨を浄土真宗に改宗し、以後寺号を平間山称名寺と称しています。(リンク先より) << 戻る
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願興寺-香川県さぬき市

・願興寺 真言宗善通寺派 香川県さぬき市長尾町造田是弘1248創建は、記録によると天長7年(830)に徹円 (てつえん) が建立したとある(「宝蔵院古暦記」)が、旧寺跡出土の古瓦からみると、奈良時代には既に建立されていたことがあきらかであり、それは官寺の性格をもつ古代寺院であったと考えられる。(リンク先より) << 戻る
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本楽寺-徳島県美馬市

・本楽寺 真言宗御室派 徳島県美馬市穴吹町三島小島123仁明天皇の天長5年(828年)3月僧 恵運 が真言の道場として開創。天正年間(1573~92年)に長宗我部氏の兵火にかかって全焼。蜂須賀候が入国して以来、菩提所となり、蜂須賀正勝公御室「大匠院殿」や稲田家累代の霊位を今に祀る。(リンク先より) << 戻る
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神呪寺-兵庫県西宮市

・神呪寺 真言宗御室派 兵庫県西宮市甲山町25-1天長5 828・ 淳和天皇第四后・如意尼、霊山甲山に入る。   8 831・10・18 本堂落慶。承和2 835・3・20 開祖・如意尼、遷化。寿永年間 1182~5 源頼朝が梶原景時を奉行として、諸堂を再建。(リンク先より) << 戻る
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箸蔵寺-徳島県三好市

・箸蔵寺 真言宗御室派 徳島県三好市池田町州津蔵谷1006箸蔵寺は天長五年(828)に、弘法大師が開創されたと伝えられる、徳島県三好市にある、真言宗御室派の古刹です。(リンク先より) << 戻る
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空海上人、綜芸種智院を開設

天長5(828)年、空海上人は東寺の東にあった藤原三守の私邸を譲り受け、一般の人たちが誰でも勉強できるように私立の教育施設「綜芸種智院」を開設しました。<< 戻る
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医王寺-福島県福島市

・医王寺 真言宗豊山派 福島県福島市飯坂町平野字寺前45当寺は、山号を瑠璃光山といい薬師如来の別称「医王」を寺号とし、平安時代の天長三年(826)に開基されました。本堂本尊は大日如来、薬師堂本尊は、弘法大師御作の薬師如来をおまつりし、古くより鯖野薬師と呼ばれ親しまれております。また奥州藤原氏の一門であり飯坂をおさめていた佐藤一族の菩提寺で奥州三十三観音特別霊場にもなっております。(リンク先より) << 戻る
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注連寺-山形県鶴岡市

・注連寺 単立(真言宗) 山形県鶴岡市大網字中台92-1湯殿山注連寺は天長2年(825)弘法大師空海の開基であり、その後、大師が開創した霊場を慕い京都より訪ねてきた弟子の真然大徳が承和2年(835)、湯殿山権現堂を建立し、真然大徳を第一世とするお寺です。(リンク先より) << 戻る
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長岳寺-奈良県天理市

・長岳寺 高野山真言宗 奈良県天理市柳本町508長岳寺は天長元年(824)淳和天皇の勅願により弘法大師が大和神社の神宮寺として創建された古刹であり、盛時には塔中四十八ヶ坊、衆徒三百余名を数えました。(リンク先より) << 戻る
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七宝瀧寺-大阪府泉佐野市

・犬鳴山七宝瀧寺 真言宗犬鳴派 大阪府泉佐野市大木8淳和天皇(824〜834)の時、天下大早魃があり、そこで淳和天皇は諸国の霊山、神社仏閣に祈雨の祈願をさせ、当山でも住侶が本尊不動明王に祈雨の大法を修しました。すると霊験空しからず、泉州一円は慈雨に恵まれることができました。そこで淳和天皇は、犬鳴山中にある著名な七瀑を金銀などの七宝に因んで、 七宝瀧寺と命名しました。(リンク先より) << 戻る
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空海上人、東寺を賜わる

弘仁14(823)年1月、空海上人は太政官符により東寺を賜わり、真言密教の道場としました。<< 戻る
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慈尊院-和歌山県伊都郡

・慈尊院 高野山真言宗 和歌山県伊都郡九度山町慈尊院832始まりは弘仁七年(816)、弘法大師が政所として伽藍を創建したのが縁起。その後、善通寺から訪ねてきた大師の母・玉依御前が滞在し、女人結縁の寺として知られています。(リンク先より) << 戻る
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密厳寺-徳島県三好市

・密厳寺 真言宗御室派 徳島県三好市池田町西山3798当山は弘仁七年、嵯峨天皇の御守、弘法大師により、讃州本山寺、阿讃境中蓮寺、阿波密厳寺は三寺院共、一種一様一我を以って一夜に建立さられたと伝えられています。本尊を聖観音菩薩とし、脇仏不動明王は大師の爪彫りの作にして崇め奉り、家内安全、除災招福の他に、特にご婦人の産妊の安全、子育安全に御利益があり、古来より遠近の信仰の拠り所となっております。(リンク先より)※弘仁七年 816年 << 戻る
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空海上人、高野山を賜わる

弘仁7(816)年、空海上人は嵯峨天皇より高野山を賜わり入住する事になり修法や著述などをして過ごされました。<< 戻る
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泉福寺-栃木県日光市

・泉福寺 真言宗智山派 栃木県日光市猪倉2733815(弘仁6)年 弘法大師空海上人が薬師如来を刻し草庵を結び、東光院と名付けたのを開創としています。その時当地は未曾有の大旱魃に見舞われており大師はこれを憐れみ山頂の大穴に穴を穿ち 仏舎利一粒を沈め、請雨法を修したところ忽ちに雨を呼び旱魃の苦を救われたとの伝えがあります。(リンク先より) << 戻る
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仙龍寺-愛媛県四国中央市

・仙龍寺 真言宗大覚寺派 愛媛県四国中央市新宮町馬立547時は嵯峨天皇の御代に当たる平安時代の初期、弘仁6年(815年)の事でございます。御歳42歳を迎えられました弘法大師様は、不思議なお力に導かれるかの如く当山を訪れられたのでございます。その際、山の神々をお祀りされていた法道仙人様よりこの地を譲り受けられました。お大師様は山の金剛窟に御篭りになられ21日間、護摩修業されたのでございます。(リンク先より) << 戻る
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弘仁寺-奈良県奈良市

・弘仁寺 高野山真言宗 奈良県奈良市虚空蔵町46弘仁寺の創建に関しては二つの物語が伝わっています。一説には、嵯峨天皇の夢に、老人があらわれて 「奈良の南に霊山がある。諸々の仏があらわれて、お経の声がたえない。ここに寺をたてて、衆生を利益されたい。」と 申された。夢から目覚めた嵯峨天皇がその地を 探されたところ、現在の虚空蔵山にあたる場所がわかり、お喜びになった嵯峨天皇が建立された(815年創建)という物語。 他説には、虚空蔵山に流星が落ちるのを見た弘法大師が霊山として開基した(807年創建)という物語。もとより1200年を経た 現在となっては、確かめるすべはありませんが、弘仁寺は平安初期に創建...
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白峯寺-香川県坂出市

・白峯寺 真言宗御室派 香川県坂出市青海町2635・80番札所 ⇒ 四国八十八ヶ所 第81番札所 綾松山 洞林院  白峯寺 ⇒ 82番札所当山は弘法・智証両大師の開基である。弘法大師は、弘仁六年(815)当山に登られ、峯に如意宝珠を埋め閼伽井を掘られた。かの宝珠の地滝壺となり、三方に流れて増減なしと云う。次いで貞観二年十月の頃瀬戸の海上に流木出現し、光明に耀き異香四周に薫じたので、国司の耳に入りこれを当時入唐留学より歸朝して金倉寺に止住せられていた善知識円珍和尚に尋ねられた。和尚かの瑞光に導かれて当山に登り、山中を巡検して居ると白髪の老翁現はれて曰く「吾は此の山の地主神、和尚は正法弘通の聖者な...
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安楽寺-徳島県板野郡

・安楽寺 高野山真言宗 徳島県板野郡上板町引野字寺の西北8・5番札所 ⇒ 四国八十八ヶ所 第6番札所 温泉山 瑠璃光院 安楽寺 ⇒ 7番札所平安の昔(弘仁六年)四国を巡錫中のお大師さま(弘法大師)は、この地にて温泉を発見なさいました。この温泉をご覧になったお大師様は「この地は、病魔から人々をすくう薬師如来様とご縁の深い土地である」とおっしゃられ、万病の治癒に効果があるこの温泉のほとりにお堂を築き、薬師如来を刻んで安置されて、山号を「温泉山」寺号を「安楽寺」と名付けられました。お大師様が我が国に温泉湯治のご利益を伝えた全国でも珍しい旧跡です。(リンク先より)※弘仁六年 815年 << 戻る
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平等寺-徳島県阿南市

・平等寺 高野山真言宗 徳島県阿南市新野町秋山177・21番札所 ⇒ 四国八十八ヶ所 第22番札所 白水山 医王院 平等寺 ⇒ 23番札所弘仁5年(814年)、弘法大師空海によって開創された仏教寺院です。本尊は薬師如来で大師御作(おんさく)。(リンク先より) << 戻る
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金剛界結縁灌頂、胎蔵灌頂の開壇

弘仁3(812)年11月15日、空海上人は高雄山寺にて金剛界結縁灌頂を開壇し、12月14日には胎蔵灌頂を開壇しました。入壇者は最澄やその弟子円澄、光定、泰範のほか190名にのぼりました。<< 戻る
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仲福寺-三重県津市

・仲福寺 真言宗醍醐派 三重県津市大里窪田町2302弘仁三年二月上旬に、弘法大師が天照皇大神宮へご参詣の際、当寺の林の中が金色に光っていることに気付きました。そこへ立ち寄ってみると、大木の元に八枚からなる蓮花の上に十一面の尊像が現れ、弘法大師は大光普照観世音として礼拝し、その大木に十一面観音を彫刻し当寺のご本尊として日天八王子を御勧請なされました。(リンク先より)※弘仁三年 812年 << 戻る
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前山寺-長野県上田市

・前山寺 真言宗智山派 長野県上田市前山300独鈷山麓にある古刹で、本尊は大日如来。間口十間独鈷山麓にある古刹で、本尊は大日如来。間口十間、奥行八間の木造萱葺。弘仁年中(812)空海上人が護摩修行の霊場として開創したと伝えられている。当初古義真言宗として法相、三論両宗を兼ねていたが、元弘年中(1331)讃岐国善通寺より長秀上人が来止し、正法院を現在の地に移し、前山寺を開山したと伝えられる。(リンク先より) << 戻る
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円鏡寺-岐阜県本巣郡

・円鏡寺 高野山真言宗 岐阜県本巣郡北方町北方1345-1当山は弘仁2年(811年)嵯峨天皇の勅願により「弘法大師」が、創建せられた真言宗の古刹である。(リンク先より) << 戻る
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弘仁寺-新潟県佐渡市

・弘仁寺 真言宗智山派 新潟県佐渡市羽茂本郷四四四八乙佐渡国弘仁寺の開基は人皇五十二代嵯峨天皇の御代、弘仁二年(811年)の事である。この年の三月、空海は帝の「夷狄を教化し霊地を開いて欲しい」との御勅願により、北国へ布教の旅に出たのである。(リンク先より) << 戻る
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栄福寺-愛媛県今治市

・栄福寺 高野山真言宗 愛媛県今治市玉川町八幡甲200・56番札所 ⇒ 四国八十八ヶ所 第57番札所 府頭山 無量寿院 栄福寺 ⇒ 58番札所名称は府頭山 無量寿院 栄福寺(ふとうざん・むりょうじゅいん・えいふくじ)。寺伝に嵯峨天皇、勅願寺と伝えられています。弘仁年間(810年〜824年)に弘法大師が、この地に立ち寄った際に、海上の安穏を祈願して、瀬戸内海を望む府頭山山頂で護摩法を修法しました。(リンク先より)<< 戻る
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医王寺-埼玉県秩父郡

・二十三夜寺(医王寺) 真言宗豊山派 埼玉県秩父郡皆野町三沢1960その昔、聖徳太子がこの地を巡訪された際、諏訪明神から夢の中でお告げを受けた。ここは仏法隆盛の地であると奇異な思いを感じた太子は、自ら薬師如来の像を彫刻して草庵に安置、医王善逝の寺とした。これが今の奥の院である。聖武天皇の時代には行基菩薩が巡訪され、勢至菩薩を安置し、師慶山観音院と名付けられた。弘仁元年(810年)に弘法大師が訪れ、この地が往古の霊場との念から坊舎仏閣を建立、大師が自ら馬鳴菩薩を彫刻し、これを安置した。(リンク先より) << 戻る
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東円寺-山梨県南都留郡

・東円寺 天台宗 山梨県南都留郡忍野村忍草38弘仁年間(810年〜824年)、空海上人関東巡錫の砌、富士北麓の地に霊温泉の湧いている所(現在の湯の元の地)を見つけ、一宇を建立。湖畑山南泉寺と号したのが始まりです。 古くは富士山を修験とする真言宗のお寺でした。現存する忍草浅間神社(忍草朝日浅間宮)の国指定重要文化財のご神像の台座には、「正和4年(1315年)、別当東円寺」の墨書があることから、鎌倉期には既に天台宗となり、忍草山大日院東円寺と寺号が改まっていたようです。(リンク先より)<< 戻る