仏教を本気で学ぶ

仏教用語/人物集 索引

このウェブサイトに出てくる仏教用語/人物を五十音順で探すことが出来ます。
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由旬(ゆじゅん)- ヨージャナ

由旬/ヨージャナとは、古代インドにおける長さの単位です。1由旬は、帝王が一日行軍する距離と言われていますが、古くから様々な定義があり、由旬/ヨージャナの単位が使われている時代により違うため、一概には現代の単位と比較出来ません。ただし、仏教の場合、『倶舎論』の解釈である「1由旬は、約7~8km」という基準を採用する場合が多いようです。<< 戻る
人物

夢路いとし(ゆめじいとし)

漫才師、俳優。実弟の喜味こいしと共に漫才コンビ夢路いとし・喜味こいし(いとし・こいし)」のボケとして活躍した。ネタの一つである「お笑い鍋料理」にはいくつかのバリエーションがあるが、鍋の具についてこいしが説明するところで、いとしがボケるくだりがある。「生きてるうちがニワトリ、死んだら戒名がかしわ」「生きてるあいだは、いのしし。死んだら戒名が、ぼたん」「生きている間は牛、死んだら戒名が牛肉」生誕 1925年3月27日命日 2003年9月25日<< 戻る
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『仏遺教経』(ぶつゆいきょうぎょう)

仏垂般涅槃略説教誡経(ぶっしはつねはんりゃくせつきょうかいきょう)を略したのが仏遺教経、さらに略して遺教(ゆいきょう)とも呼ばれる大乗仏教のお経です。お釈迦様が沙羅双樹の間に横たわり、弟子たちを前にして最後の教えを示した内容です。お釈迦様亡き後、弟子たちがどのようにすればよいのかを多くの譬えを使って分かりやすく具体的に説かれています。仏遺教経は涅槃会に読経される寺院が多くあり、特に曹洞宗ではお通夜に読経されることが多いようです。このように訓読を読まれる機会が多いことから、こちらではその訓読本文の全文と読経の発音によるかな読み全文を掲載します。①ルビ(読経の発音による かな読み)②訓読本文(大太...
人物

由利徹(ゆりとおる)

喜劇俳優。南利明・八波むと志と共に『脱線トリオ』を結成。『時間ですよ』(TBS系)や『寺内貫太郎一家』(同)など久世光彦演出・プロデュースによるテレビドラマの常連でもあった。生誕 1921年5月13日命日 1999年5月20日喜導院称名清安信士<< 戻る
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ブッダ最後の旅【 第2章 】8、遊女アンバパーリー

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瑜伽(ゆが)- ヨガ

瑜伽とは、yoga(ヨガ、ヨーガ)の音写で、結びつけるという意味です。心を引きしめること。ある目的のために心を引きしめて力を集中すること。心の統一。意を制御して、精神の統一、心の統一をはかる修行法のこと。その目的は瞑想によって寂静の神秘境に入り、絶対者との合一を実現することにあると言われます。原始仏教の頃より、仏教はyogaを認めていたことが次の仏典でも分かります。・「実に心が統一されたならば、豊かな知慧が生じる。心が統一されないならば、豊かな知慧が滅びる。生じることと滅びることとのこの二種の道を知って、豊かな知慧が生ずるように自己を整えよ。」(ダンマパダ 282偈)<< 戻る
人物

結城昌治(ゆうきしょうじ)

小説家・推理作家。南ベトナムを舞台にしたスパイ小説『ゴメスの名はゴメス』は、直木賞候補となる。スパイ小説、一般ミステリの他、『死者におくる花束はない』『暗い落日』などのハードボイルド、『夜の終る時』などの警察小説、『白昼堂々』などのクライム・コメディなどを執筆する。『白昼堂々』は再度直木賞候補に。日本推理作家協会設立当初は常任理事を務めた。軍部の裏面を描いた『軍旗はためく下に』で直木賞を受賞。生誕 1927年2月5日命日 1996年1月24日<< 戻る
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湯川秀樹(ゆかわひでき)

理論物理学者。京都大学・大阪大学名誉教授。生誕 1907年(明治40年)1月23日命日 1981年(昭和56年)9月8日無礙光院殿照誉慈済秀樹大居士<< 戻る
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由利公正(ゆり きみまさ/こうせい)

武士(福井藩士)、政治家、財政家、実業家。子爵、麝香間祗候。旧姓は三岡。通称を石五郎、八郎。字を義由。生誕 文政12年11月11日(1829年12月6日)命日 明治42年(1909年)4月28日<< 戻る
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祐天(ゆうてん)

祐天とは、浄土宗大本山増上寺36世法主で、江戸時代を代表する呪術師。字は愚心。号は明蓮社顕誉。 密教僧でなかったにもかかわらず、強力な怨霊に襲われていた者達を救済、その怨霊までも念仏の力で成仏させたという伝説がある。祐天の除霊伝説は存命中に書かれた『死霊解脱物語聞集』など、大衆向けに書かれた出版物によって広まった。生誕 寛永14年4月8日(1637年5月31日)命日 享保3年7月15日(1718年8月11日)<< 戻る
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由井正雪(ゆい しょうせつ/まさゆき)

江戸時代前期の日本の軍学者。慶安の変の首謀者である。名字は油井、遊井、湯井、由比、油比と表記される場合もある。慶安4年(1651年)、江戸幕府第3代将軍徳川家光の死の直後に、幕府政策への批判と浪人の救済を掲げ、宝蔵院流の槍術家丸橋忠弥、金井半兵衛、熊谷直義など各地で浪人を集めて挙兵し、幕府転覆を計画した。決起の寸前になり計画の存在を密告され、正雪は駿府の宿において町奉行の捕り方に囲まれ自刃した。首塚は静岡市葵区沓谷の菩提樹院に存在する。大名取り潰しによる浪人の増加が社会不安に結びついていることが事件の背景にあるとして、4代将軍徳川家綱以降の政治が武断政策から文治政策へ転換するきっかけの一つとな...
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結城秀康(ゆうきひでやす)/ 松平秀康(まつだいらひでやす)

安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。越前国北ノ庄藩初代藩主。越前松平家宗家初代。徳川家康の次男として遠江国敷知郡宇布見村で生まれた。天正18年(1590年)、家康が駿遠三甲信から、旧北条氏の領地である関東に国替えになり240万石を得た。豊臣秀吉は、関東平定の功労者である家康へ更なる加増として、秀康を北関東の大名結城氏の婿養子とすることを考えついた。結城氏は下野国の守護に任命されたこともある名家で、秀康は関東に下り黒田孝高の取り成しで結城晴朝の姪と婚姻して結城氏の家督および結城領を継いだ。また、改めて羽柴姓を賜り、官位から羽柴結城少将と呼ばれた。生誕 天正2年2月8日(1574年3...
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「正法眼蔵」唯仏与仏(ゆいぶつよぶつ)

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融通念仏宗の開宗

永久5年(1117)5月15日 午の刻(正午)良忍上人が大原来迎院にて一心に念仏を称えている修行中、阿弥陀仏が速疾往生と言って、後の世を待たずに、現世に誰もが速やかに智恵がかがやき喜び溢れる幸せの世界に至る方法として融通念仏の法門を授与されました。その授与された御文を「弥陀の妙偈」といい、融通念佛宗の教えの要となりました。「一人一切人 一切人一人 一行一切行 一切行一行 是名他力往生 十界一念 融通念仏 億百万遍 功徳円満」告げ終わって更に大光明を放って、白い絹一枚を上人に授与されました。そこには今しがた空中にお姿を現された仏、菩薩の尊像が描かれていました。中央に阿弥陀如来が立ち、その周囲を十...
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『維摩経義疏』(ゆいまきょうぎしょ)

『維摩経義疏』は聖徳太子によって推古天皇21年(613年)に著されたと伝承されています。また、『三経義疏』(さんぎょうぎしょ)の一つです。<< 戻る
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スッタニパータ【第1 蛇の章】9、雪山に住む者

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