ナーランダ大学とは、427年に建てられた世界最古の大学であったと考えられており、インド仏教の最重要拠点であった僧院です。5世紀初頭のインド、グプタ王朝のクマーラグプタ1世(シャークラ・ディティヤ王)が創建しました。ナーランダは「蓮のある場所」「知識の提供者」という意味です。それから12世紀ごろまで栄え、数千人の僧侶が学んでいたと伝えられ、多い時には1万人の学僧が集まったという記述もあります。現在はその一部が発掘、整備され公園になっています。また、ラージギル(王舎城)まで15km、ブッダガヤまで82kmほどという位置関係です。
下の写真は、この地方出身と伝えられるブッダ十大弟子の1人であるサーリプッタ(舎利弗:しゃりほつ)の舎利が収められたストゥーパであると現地のインド人に聞きました。サーリプッタは、智慧第一といわれ、ブッダの実子ラーフラの教育係でもありました。このストゥーパはサーリプッタに因んで築かれたものだということは確かなようです。
サーリプッタはブッダより先に亡くなっていますが、ブッダに帰郷して入滅(にゅうめつ)することを願い、慕う弟子たちと共に生まれ育ったこの地に帰郷されて入滅されました。
その後、サーリプッタの仏塔が建立され、この僧院が創建されることになりました。
ナーランダ大学では唯識(ゆいしき)仏教の研究が盛んに行われ、後に密教(みっきょう)も取り入れられ盛んになりました。9世紀には、ナーランダ大学の学長がチベットに招かれ、中国から伝わる仏教学を論破したことにより、チベットには密教が根付いたとされています。
最先端の仏教が学べるということで、周辺諸国から留学僧が集まりました。7世紀には『西遊記』で知られる玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)も中国西安から4年かけてナーランダ仏教大学に来ました。玄奘は、シーラーバトラ(戒賢法師)の下で唯識・瑜伽(ゆが)を学んだ1人です。玄奘三蔵の残した文献には「学僧の数1万、教師の数千五百」と当時の様子が記されています。
現在の遺跡は当時の6分の1の規模ですが、寺院跡が6カ所、僧院跡が11カ所発掘されています。この遺跡を実際に訪れて多く見られたのは僧侶の生活する部屋です。一人部屋はほとんどなく、どの部屋も3、4人のベッド(石の台が残るのみ)があり、そこで坐禅、勉強をしていた姿が目に浮かぶようでした。
(ナーランダ大学・2005年9月撮影)
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