天平勝宝5年(753年)、鑑真(がんじん・688〜763年)が6度の航海の末に、唐から招来し、東大寺に戒壇を開き、聖武上皇、称徳天皇を初めとする人々に日本で初めて戒律を授けました。後に唐招提寺を本拠として戒律研究に専念し、南都六宗の一つとして今日まで続いています。日本の留学僧の願いで日本への渡航を決意しましたが、5度心みて失敗しました。そのため盲目になりましたが意志をかえず、6度めにようやく目的をはたして来日しました。
鑑真が伝えたのは「四分律」によるものでしたが、平安時代の最澄や空海はこれを支持せず、空海は「十誦律」を重んじました(ただし、最澄は延暦寺に独自の戒壇を設置するが、空海は受戒については南都六宗と同様に東大寺にて行うなど態度に違いがある)。このため、戒律に関する考え方が分散化して律宗は衰微してしまいました。また、受戒そのものは東大寺・延暦寺を中心に盛んに行われたものの、官僧の資格をえるためのものとなり内容は形骸化していきました。
唐招提寺にある鑑真和上像は天平時代の彫刻の最高傑作です。
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