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師子菩提(ししぼだい)

6世紀頃のインドの仏教僧。鶴勒那に就いて嗣法。弟子には婆舎斯多がいる。梵語(サンスクリット語)でĀryasimha(アーリヤシンハ)、意訳して師子、獅子とも表記されます。インド西北部にあった罽賓国(けいひんこく)で布教をしていた時、檀弥羅王(だんみらおう)は仏教を弾圧し、多くの衆僧を殺害しました。王は師子菩提の首を斬りましたが、血が出ずに白乳が涌くように出ると同時に、王の右臂が刀を持ったまま地に落ち、7日後に亡くなったといいます。生誕 命日 << 戻る
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鶴勒那(かくろくな)

月氏国のバラモンの家系に生まれました。摩拏羅に就いて嗣法。弟子には師子菩提がいる。梵語(サンスクリット語)でHaklenayaśa(ハクレーナヤシャ)といい、鶴勒夜奢、鶴勒とも記述されます。生誕 命日 << 戻る
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摩拏羅(まぬら)

世親/婆修盤頭に就いて嗣法。弟子には鶴勒那がいる。伝法の偈 心随万境転  心は万境に随って転ず転処実能幽  転処実に能く幽なり随流認得性  流れに随って性を認得すれば無喜亦無憂  喜びもなくまた憂いもなし生誕 命日 << 戻る
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世親/婆修盤頭(せしん/ばしゅばんず)

インド西北部にあったガンダーラ国(現在のパキスタン、ペシャーワル地方)のバラモンの家系に生まれました。父の名はカウシカ(Kauśika、憍尸迦)、母の名はヴィリンチ(Viriñci、比隣持)。実の兄は無著。鳩摩羅多に就いて嗣法。弟子には摩拏羅がいる。梵語(サンスクリット語)のVasubandhu(ヴァスバンドゥ)の音写で婆修盤頭、婆薮般豆、婆薮般頭と記述されることがありますが、一般的には意訳された世親、天親も知られた名前です。唯識思想を大成し、以降の仏教において大きな潮流となりました。著作には『阿毘達磨倶舎論』『唯識二十論』『唯識三十頌』『浄土論』他多数。生誕 300年頃命日 400年頃<< ...
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闍夜多(しゃやた)

インドの仏教僧。鳩摩羅多に就いて嗣法。弟子には世親/婆修盤頭がいる。生誕 命日 << 戻る
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鳩摩羅多(くもらた)

kumāralabdha。伽耶舎多に就いて嗣法。弟子には闍夜多がいる。生誕 命日 << 戻る
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伽耶舎多(かやしゃた)

4世紀頃、西域の摩提国(まだいこく)出身の仏教僧。僧伽難提に就いて嗣法。弟子には鳩摩羅多がいる。總持寺関連の書物では「迦」の文字を採用して「迦耶舎多」としていますが、正法眼蔵の各巻では「伽耶舎多」表記を採用しているようです。生誕 命日 << 戻る
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僧伽難提(そうぎゃなんだい)

4世紀頃のインドの仏教僧。室羅閥城(しらばつじょう/舎衛城/シュラーヴァスティー)の宝荘厳王(ほうしょうごんおう)の王子。羅睺羅多に就いて嗣法。弟子には伽耶舎多がいる。生誕 命日 << 戻る
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羅睺羅多(らごらた)

インドの仏教僧。迦那提婆に就いて嗣法。弟子には僧伽難提がいる。Rāhulabhadra(ラーフラバドラ)、羅睺羅(らごら)、羅睺羅跋陀羅(らごらばっだら)とも表記されます。生誕 200年頃命日 300年頃<< 戻る
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迦那提婆(かなだいば)

3世紀頃のインドの仏教僧。南インドのバラモンの家庭に生まれました。那伽閼刺樹那(龍樹/ナーガールジュナ)に就いて嗣法。弟子には羅睺羅多がいる。Āryadeva(アーリヤデーヴァ)、提婆、聖提婆とも表記され、伽那提婆という表記もあります(「正法眼蔵」仏祖)。著作に『百論』、『四百論』。南インドで外道に帰依していた王を論破したり、邪道の論師を多数論破したが、その弟子の一人に恨まれて殺されてしまう。しかし、命が終わる前に到っても、その外道の愚かさをあわれみ、自分を殺そうとした者をも救ったといわれます。生誕 170年頃命日 270年頃<< 戻る
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孫権(そんけん)

孫権は、後漢末から三国時代にかけて活躍した武将。三国時代の呉の初代皇帝。字は仲謀。呉の礎を築いた父の孫堅、勇猛で恐れられた兄の孫策を相次いで亡くし、19才で孫氏の当主となる。父や兄から引き継いだ家臣団をまとめ、積極的な人材登用を行い、政権を充実させた。208年、曹操が15万の軍で呉へ攻め込もうとした赤壁の戦いでは、孫権軍の策略にかかり曹操軍の軍船は火攻めに遭い撤退。その後、孫権は荊州の大部分を奪った。荊州の奪取によって劉備と敵対した孫権は、後漢の献帝から禅譲を受けて魏を建国した曹丕の皇帝位を承認し、形だけ臣下の礼をとり呉王になった。北方の安全を確保し、222年、荊州奪還のために進軍してきた劉備...
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曹叡(そうえい)

三国時代の魏の第2代皇帝。生誕 建安9年(204年)もしくは建安11年(206年)命日 景初3年1月1日(239年1月22日)<< 戻る
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諸葛亮孔明(しょかつりょうこうめい)

中国後漢末期から三国時代の蜀漢の武将・政治家。字は孔明。司隷校尉諸葛豊の子孫。泰山郡丞諸葛珪の子。諡は忠武侯。蜀漢の建国者である劉備の創業を助け、その子の劉禅の丞相としてよく補佐した。「伏龍」「臥龍」とも呼ばれる。今も成都や南陽には諸葛亮を祀る武侯祠があり、多くの観光客が訪れている。妻は黄夫人。子は蜀漢に仕え綿竹で戦死した諸葛瞻。孫には同じく蜀漢に仕え父と共に綿竹で戦死した諸葛尚や、西晋の江州刺史になった諸葛京がいる。親族として叔父の豫章太守諸葛玄、同母兄で呉に仕えた諸葛瑾とその息子の諸葛恪、同母弟で同じく蜀漢に仕えた諸葛均などが知られる。一族には、魏に仕えた諸葛誕などがいる。生誕 光和4年(...
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曹丕(そうひ)

三国時代の魏の初代皇帝。父の曹操の勢力を受け継ぎ、後漢の献帝から禅譲を受けて王朝を開いた。著書に『典論』がある。生誕 中平4年(187年) 命日 黄初7年5月17日(226年6月29日)<< 戻る
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劉備(りゅうび)

、 - )は、後漢末期から三国時代の武将、蜀漢の初代皇帝。字は玄徳。黄巾の乱の鎮圧で功績を挙げ、その後は各地を転戦した。諸葛亮の天下三分の計に基づいて益州の地を得て勢力を築き、後漢の滅亡を受けて皇帝に即位して、蜀漢を建国した。その後の、魏・呉・蜀漢による三国鼎立の時代を生じさせた。生誕 延熹4年(161年)命日 章武3年4月24日(223年6月10日)<< 戻る
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曹操(そうそう)

後漢末期の武将・政治家。詩人・兵法家。字は孟徳(もうとく)、幼名は阿瞞、また吉利。豫州沛国譙県(現在の安徽省亳州市譙城区)出身。後漢の丞相・魏王で、三国時代の魏の基礎を作る。廟号は太祖、諡号は武皇帝。後世では魏の武帝、魏武とも呼ばれる。小説『三国志演義』では敵役・悪役として設定される。生誕 永寿元年(155年)命日 建安25年1月23日(220年3月15日)<< 戻る
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董卓(とうたく)

中国後漢末期の武将・政治家。字は仲穎(ちゅうえい)。涼州隴西郡臨洮県の人。 辺境の将軍の1人にすぎなかったが、軍事力を背景に次第に頭角を現すようになった。生誕 命日 初平3年4月23日(192年5月22日)<< 戻る
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迦毘摩羅(かぴもら)

2世紀頃のインドの仏教僧。インド・マガダ国のパータリプトラ(華氏城)に生まれました。馬鳴に就いて嗣法。弟子には那伽閼刺樹那(龍樹/ナーガールジュナ)がいる。バラモンの家系に生まれ、当初は仏教を非難していましたが、馬鳴に論破され、3000人の弟子と共に仏教に帰依しました。生誕 命日 << 戻る
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馬鳴(めみょう)

馬鳴はアシュヴァゴーシャの漢訳名です。インドの仏教僧。富那夜奢に就いて嗣法。弟子には迦毘摩羅がいる。バラモンの家系に生まれ、学僧として活躍し議論を好んだ。当初は仏教を非難していましたが、富那夜奢に論破され、舌を切って謝罪しようとしましたが、諭されて仏教に帰依するようになりました。知恵・弁舌の才にすぐれ、釈迦の生涯を描いた叙事詩『ブッダチャリタ(Buddhacarita/仏所行讚)』や、スンダラ・ナンダ(孫陀羅難陀/お釈迦様の異母兄弟)の回心を描いた詩『端正なる難陀』(サウンダラナンダ)、舎利弗と目連の帰依を描いた9幕の戯曲『シャーリプトラ・プラカラナ』、『大荘厳論経』などを残しています。その他...
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富那夜奢(ふなやしゃ)

インドの仏教僧。婆栗湿縛に就いて嗣法。弟子には馬鳴がいる。生誕 命日 << 戻る
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婆栗湿縛(ばりしば)

インドの仏教僧。伏駄蜜多に就いて嗣法。弟子には富那夜奢がいる。生誕 命日 << 戻る
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仏陀難提(ぶつだなんだい)

インドの仏教僧。婆須蜜多に就いて嗣法。弟子には伏駄蜜多がいる。生誕 命日 << 戻る
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伏駄蜜多(ふだみった)

インドの仏教僧。仏陀難提に就いて嗣法。弟子には婆栗湿縛がいる。生誕 命日 << 戻る
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婆須蜜多(ばしゅみった)

インドの仏教僧。弥遮迦に就いて嗣法。弟子には仏陀難提がいる。生誕 命日 << 戻る
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弥遮迦(みしゃか)

インドの仏教僧。提多迦に就いて嗣法。弟子には婆須蜜多がいる。生誕 命日 << 戻る
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提多迦(だいたか)

インドの仏教僧。優婆毱多に就いて嗣法。弟子には弥遮迦がいる。生誕 命日 << 戻る
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優婆毱多(うばきくた)

インドの仏教僧。マトゥラー(摩突羅国)で毱多長者の子として生まれる。紀元前3世紀頃。商那和修に就いて嗣法。弟子には提多迦がいる。生誕 命日 << 戻る
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商那和修(しょうなわしゅ)

インドの仏教僧。マトゥラー(摩突羅国)で生まれる。阿難陀に就いて嗣法。弟子には優婆毱多がいる。生誕 命日 << 戻る
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カニシカ王 – 仏教を保護

カニシカ王とは、中央アジアからガンジス川流域を支配し、仏教を保護したクシャーナ朝の中で最も名の知られた王です。漢訳仏典では音写して迦膩色迦などと表記されます。在位は144年頃~171年頃と考えられています。この時代にガンダーラ美術がおこりました。カニシカ王が仏教を保護したことは多くの仏典に記録されています。その伝説によれば、カシミール地方にシンハという王がいて、仏教に帰依してスダルシャナと称して出家し、カシミールで法を説いていました。カニシカ王は彼の噂を聞いてその説法を聞きに行き、仏教に帰依するようになったといいます。各地に仏塔を建造したことが知られているほか、仏典の第四回結集(第三回とも)が...
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アトゥラ

アトゥラは、北方インドのサーヴァッティー市の在俗信者です。ある時、500人の信者に囲まれて、レーヴァタ長老のところに行って教えを聞こうとしましたが、この長老は一人静かに瞑想にふけっていたために、何も説いてくれませんでした。そこで彼は憤ってサーリプッタ長老のところへ行ったら、アビダルマに関する議論をやたらに聞かされました。「こんな難解な話を聞いて何の役に立つのか?」と憤ってしまいます。次にアーナンダ長老のところへ行ったところ、ほんの少しばかり教えを説いてくれました。そこでやはり憤って、最後に祇園精舎にいるブッダのところへ行ったところ、ブッダは次の詩を語ったということです。・「アトゥラよ。これは昔...
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マハー・パジャーパティー(摩訶波闍波提)- お釈迦様の養母

マハー・パジャーパティーとは、ブッダ(ゴータマ・シッダッタ)の養母であり叔母です。漢訳仏典では「摩訶波闍波提」(まかはじゃはだい)と訳されます。摩耶夫人(お釈迦様の実母)は姉だと伝えられ、共にスッドーダナ王(浄飯王/お釈迦様の父)の妃となったといわれます。巴語でマハー・パジャーパティーといい、梵語でマハー・プラジャーパティーという表記もあります。史料により名前が違っていたり、家族構成などが違っているようで、正否がはっきりしない事柄も多いです。お釈迦様の異母兄弟に当たるとされるスンダラ・ナンダ(孫陀羅難陀)の母であもあり、お釈迦様が悟りを得て仏となった後に、最初の比丘尼になりました。梵語(サンス...
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スンダラ・ナンダ(孫陀羅難陀)- お釈迦様の異母兄弟

スンダラ・ナンダとは、ブッダ(ゴータマ・シッダッタ)の異母兄弟です。漢訳仏典では「孫陀羅難陀」(そんだらなんだ)や「難陀」と訳されます。父はスッドーダナ王(浄飯王/お釈迦様の父)、母はマハー・パジャーパティー(摩訶波闍波提/お釈迦様の養母)。お釈迦様の弟子になりました。1~2世紀の馬鳴は、スンダラ・ナンダをモデルにその回心を描いた詩『端正なる難陀』(サウンダラナンダ)を著述しています。梵語(サンスクリット語) Sundara-nanda スンダラ・ナンダ巴語(パーリ語) Sundara-nanda スンダラ・ナンダ生誕 命日 << 戻る