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龍興寺-大分県大分市

・龍興寺 臨済宗妙心寺派 大分県大分市徳島1丁目7−27創建は延文3年(1358)7代大友氏泰が大野川を遡った川添の聚楽に建立し、高獄禅師を開山に招いた祈願寺でした、しかし宗麟の代に重臣吉岡宗歓が鶴崎に居城を構え、城下の整備に着手したとき龍興寺を近くの三軒町に移転。(リンク先より) << 戻る
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青岸寺-滋賀県米原市

・青岸寺 曹洞宗 滋賀県米原市米原669南北朝延文年間(1356年~1361年)この地には当時の近江守護職であった佐々木京極道誉によって建てられた米泉寺がありましたが、永正の初め(1504年)の兵火で焼失しました。その時、本尊聖観音像のみが難を逃れ、その後小堂にて長く祀られることとなります。 その後は下って江戸時代、彦根大雲寺三世要津守三和尚が当地を遊行していた折に、朽ちた小堂に祀られた観音像を拝しひどく心を痛め、慶安3年(1650年)に再興を期して当山に入山。その際、敦賀の在人、伊藤五郎助の尽力により殿堂、伽藍はすぐに建立しましたが、程なくして五郎助は亡くなりました。守三和尚はこれを悼み、氏...
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圓應寺-山形県山形市

・圓應寺 真言宗智山派 山形県山形市宮町4-16-33延文元年(1356)、斯波兼頼公が山形城主として山形に入部の際、築城のしばしの間城の鬼門と言われる北東方角に位置した現在地に仮小屋を建て、弘法大師作と伝えられる、自身の兜の前立てとして付けていた聖観世音(五寸の黄金像)を、守護仏として奉安したことに始まる。(リンク先より) << 戻る
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宝蔵寺-秋田県大仙市

・宝蔵寺 曹洞宗 秋田県大仙市神宮寺神宮寺227宝蔵寺は、文和3年(1354)曹洞宗明峰派の高僧宝山宗珍大和尚(ほうざんそうちん)を御開山とし、外護の檀越冨樫左衛門誠白によって開基されました。(リンク先より) << 戻る
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法雲寺-静岡県富士市

・法雲寺 臨済宗妙心寺派 静岡県富士市今泉5-6-48創建は室町時代初期の文和2年(西暦1353年)、鎌倉 建長寺の僧 用堂和尚がこの地を訪れた際、岩石が重畳し清水が湧き希に見る素晴らしい景観であったことに魅せられ、錫を留めて寺を建て、法雲寺と称したとされています。その後、この地を治めていた戦国武将の今川家・徳川家の庇護を受け、寺運は盛んとなりました。(リンク先より) << 戻る
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康徳寺-広島県世羅郡

・康徳寺 臨済宗佛通寺派 広島県世羅郡世羅町寺町1386白鳳時代(672-)と言われています。大田庄の豪族によって建立され、当時の宗旨は、法相宗(奈良・薬師寺)か華厳宗(奈良・東大寺)あるいは天台宗(比叡山延暦寺)とも伝えられていますが定かではありません。記録に現れるのは宗旨を臨済宗に改め、名僧石室善玖和尚を開山として迎えた文和二年(1353年)ごろからです。(リンク先より) << 戻る
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足利直義(あしかがただよし)

鎌倉時代末期から南北朝時代初期にかけての武将。鎌倉幕府の有力御家人足利貞氏の三男。室町幕府初代将軍足利尊氏の同母弟。 室町幕府草創期の実質的な幕政の最高指導者。中先代の乱では後醍醐天皇の子息で前征夷大将軍の護良親王を殺害した。実兄・足利尊氏との権力闘争に敗れ東国に逃れたが、鎌倉に幽閉され毒殺ともされる急死を遂げた(観応の擾乱)。生誕 徳治元年(1306年)命日 正平7年2月26日(1352年3月12日)大休寺古山恵源<< 戻る
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夢窓疎石(むそうそせき)

鎌倉時代末から南北朝時代、室町時代初期にかけての臨済宗の禅僧・作庭家・漢詩人・歌人。別名を木訥叟。尊称は七朝帝師(しちちょうていし)。宇多天皇9世孫を称する。建仁寺の無隠円範らに学んだ後、元(中国)の渡来僧の一山一寧門下の首座となったものの印可に至らず、のち浄智寺の高峰顕日の法を嗣ぐ。夢窓派の祖。後醍醐天皇にその才覚を見い出されて尊崇を受け、「夢窓国師」の国師号を下賜された。以降、入滅後も含めると計7度の国師号を授与され、後世には七朝帝師と称えられる。禅風においては純粋禅ではなく、日本の伝統的仏教である天台宗や真言宗とも親和性の高い折衷主義的な試みを行った。そのため、臨済禅の主流派(応燈関派)...
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高師直(こうのもろなお)

鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて足利尊氏に仕えた武将、官僚、政治家、歌人。正式な名乗りは、高階師直(たかしな の もろなお)。鎌倉幕府有力御家人足利氏執事、建武政権雑訴決断所三番奉行人・武者所および窪所寄人、北朝武蔵守、室町幕府初代および第三代執事(室町幕府管領の前身)・上総国守護・武蔵国守護・引付頭人。生誕 命日 正平6年/観応2年2月26日(1351年3月24日)真如寺殿道常大禅定門<< 戻る
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大成寺-福井県大飯郡

・大成寺 臨済宗建仁寺派 福井県大飯郡高浜町日置31創建は観応2年(1351)足利尊氏の二男・基氏の開基とされています。御詠歌にもあるように高浜町内浦地区の日引にあり瑞泉寺といいましたが、火災により焼失しました。応永元年(1394)小浜領主・大高重成の庇護により、この地に移し再建しその時、領主の徳をたたえ「大成寺」としました。(リンク先より) << 戻る
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吉田兼好(よしだけんこう)

鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての官人・遁世者・歌人・随筆家。治部少輔・卜部兼顕の子。本名は卜部兼好。卜部氏の嫡流は兼好より後の時代に吉田家と称するようになり、江戸時代以降は吉田兼好と通称されるようになった。また、出家したことから兼好法師(けんこうほうし)あるいは単に兼好とも呼ばれ、中学校国語の検定済み教科書では「兼好法師」と表記される。日本三大随筆の一つとされる『徒然草』の作者。私家集に『兼好法師家集』。生誕 弘安6年(1283年)頃?命日 観応元年/正平5年4月8日(1350年5月14日)※諸説あり。<< 戻る
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桂岩寺-愛知県西尾市

・桂岩寺 浄土宗西山深草派 愛知県西尾市上矢田町寺前22当山の開山、照璟光山慧珉大和尚は、大本山円福寺(当時・京都)第五世の法主「善偉堯恵上人」の直弟子で、当地に留錫の時、領主の三州戸ケ崎の城主、戸ケ埼次郎義宗郷が深く上人の高徳を崇めて帰依し、四十四石の荘園を寄付して一宇を創建され、さらに永く上人を当地に留めるべく、後村上天皇の正平五年(1350、北朝、観応元年)三月に本堂庫裡等を新築落成して上人を開山として菩提寺と定め、三河国深草派十二本寺の随一とせられました。(リンク先より) << 戻る
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報恩寺-千葉県佐倉市

・報恩寺だるま寺 臨済宗妙心寺派 千葉県佐倉市下志津841創建は14世紀前半(1350年頃)で、以降この下志津の地と共に歴史を重ねてきております。本堂には4000体以上のだるまさん、本堂の西側には竹林、緑豊かな境内です。(リンク先より) << 戻る
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江畔寺-茨城県常陸大宮市

・江畔寺 臨済宗円覚寺派 茨城県常陸大宮市上小瀬2247観応元年(1350)義春の三男悟真妙頓(幼名孝繁)が、夢想疎石に学び、夢想疎石を招請開山として孝繁が、開山二世になり南内山 孝槃寺と称し、長兄義益の援助で当寺を開いた。(リンク先より) << 戻る
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迎乗寺-奈良県天理市

・迎乗寺 浄土宗 奈良県天理市丹波市町40正しくは、白雲山紫光院迎乗寺と申し、今より約250年から260年前(江戸時代中期)に一度焼失してしまったので、それ以前については明確ではないが、今より凡そ600年程前、室町時代 の貞和年間から康安年間(西暦1350年頃から1360年頃)に建立されたようだが、その頃は小さな庵(イオリ)のようなものではなかったかと想像される。(リンク先より) << 戻る
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宝珠寺-静岡県磐田市

・宝珠寺 臨済宗妙心寺派 静岡県磐田市豊島668創立は観応元年(一三五〇)。初めは鎌倉の円覚寺派に属していましたが、江戸時代初期に妙心寺派となりました。天正十八年十二月二十三日太閤秀吉公より寺領三十二石九斗五升御配分御判物を賜ります。 (リンク先より) << 戻る
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崇禅寺-石川県金沢市

・崇禅寺 曹洞宗 石川県金沢市瓢箪町5-43※再確認時、表示されなかったためリンクを外しました。(旧アドレス:)1349年(貞和五年)御開山は明峰素哲禅師(加賀 大乗寺3世、羽咋永光寺2世)によって建立され2世也凞淳和尚を経て約三百年中絶していましたが、1648年(慶安元年)久外呑良大和尚(永光寺中興)によって現在の地に再興されると同時に、前田家縁の菅原道真公の尊像をお祀りしました。以後瓢箪町の天神様として2月25日(旧暦)春の大祭、9月25日(旧暦)秋の大祭はもちろん毎月25日には多くの参詣があり、金沢の祭りは、瓢箪町の春の天神様から始まり、瓢箪町の秋の天神様で終わると言われていました。(リ...
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正法寺-岩手県奥州市水沢区

・正法寺 曹洞宗 岩手県奥州市水沢区黒石町字正法寺129大梅拈華山圓通正法寺は、南北朝時代の貞和4年(1348)、無底良韶禪師によって開かれました。無底禪師は能登国の出身で、大本山總持寺二祖峨山韶碩禪師の高弟でした。峨山禪師には25人の優れた弟子(峨山禪師二十五哲)がおりましたが、無底禪師はその第一番に列せられています。無底禪師発心前の19歳の時、熊野本宮大社(和歌山県)に参篭したところ、「もし出家修行するならば佛法純熟せん」との夢告があり、霊石一箇を授けられたと伝えられております。(リンク先より) << 戻る
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栖雲寺-山梨県甲州市

・栖雲寺 臨済宗建長寺派 山梨県甲州市大和町木賊122臨済宗建長寺派の寺院で山号を天目山といいます。南北朝時代の貞和4年(1348年)業海本浄を開山として創建されました。開基は甲斐国主の武田信満公で、往時は中部地方における幻住派の拠点として、また戦国の大雄武田家の菩提寺として大いに繁栄しました。(リンク先より) << 戻る
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弘法寺-青森県つがる市

・弘法寺 高野山真言宗 青森県つがる市木造吹原字屏風山1-244開創などは、一時天災により寺が消失しており記録が残されていないため不明である。唯一現存する7代目住職の位牌が、貞和4年(1347年)7月6日の年号があることから開創から900年ほどの歴史があると思われる。(リンク先より) << 戻る
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正定寺-奈良県宇陀市

・正定寺 浄土真宗本願寺派 奈良県宇陀市室生区向渕8531347年(貞和4)存覚上人が、向渕を通られた際、馬場の長者の懇願により逗留され、翌年1月正定寺を開基された。1370年(応安3)には「源空(法然)聖人・親鸞聖人連座像」が下付される。(リンク先より) << 戻る
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善教寺-岐阜県加茂郡

・善教寺 浄土真宗本願寺派 岐阜県加茂郡川辺町比久見344-1住職はまだまだ未熟ですが、温かいご門徒さんたちに支えられながら、心安らぐお寺、人の悩みに応えられるお寺を目指しております。地域に開かれた催しも行っていきますので、お気軽にお参りください。 創建正平2年(1347)、改宗(天台から真宗へ)慶長2年(1597)、現本堂慶應2年(1866)建立 << 戻る
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虎関師錬(こかんしれん)

鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての臨済宗の僧。諱は師錬、字は虎関。父は藤原左金吾校尉で、母は源氏。玄恵の兄弟とする説もある。京都の出身。諡号は本覚国師。漢詩・漢文に優れ、五山文学の代表者の一人である。著作に『元亨釈書』の他、『楞伽経』の注釈『仏語心論』、詩文集『済北集』、語録『十禅支録』、日本最初の韻書『聚分韻略』などがある。生誕 弘安元年4月16日(1278年5月9日)命日 興国7年/貞和2年7月24日(1346年8月11日)<< 戻る
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掲諦寺-大分県速見郡

・掲諦寺 臨済宗妙心寺派 大分県速見郡日出町大字豊岡3460室町時代初頭の1346年に建立され、ご本尊さまは、『オン コロコロ センダリマトウギソワカ』の御真言で有名な薬師瑠璃光如来(お薬師さん)であります。羯諦寺の開山さまは、豊後国太田村出身の南溟殊鵬和尚です。南溟殊鵬和尚は 天皇陛下から諡として佛照大光禅師を頂いております。(リンク先より) << 戻る
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『親鸞伝絵』(康永本)成る

1343(康永二)年11月、『親鸞伝絵』(康永本)成る。<< 戻る
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等持院-京都府京都市北区

・等持院 臨済宗天龍寺派 京都府京都市北区等持院北町63暦応四年(西暦1341年)、足利尊氏が天龍寺の夢窓国師を開山にお迎えして、衣笠山の南麓に創建されたのが、この等持院である。後に、尊氏・義詮将軍当時の幕府の地にあった等持寺もこちらに移されて、足利将軍家歴代の菩提所となった。(リンク先より) << 戻る
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後醍醐天皇(ごだいごてんのう)

第96代天皇および南朝初代天皇。諱は尊治。大覚寺統の天皇。京都で2度の討幕(正中の変、元弘の変)を企てた後醍醐天皇は、正慶元年(1332)鎌倉幕府に隠岐に流されました。しかし、楠木正成や後醍醐天皇の子、護良親王らによる討幕運動が続くと、後醍醐天皇は隠岐を脱出し、討幕を呼びかけます。足利尊氏、新田義貞らが正慶2年(1333)に鎌倉幕府を滅ぼすと、後醍醐天皇は帰京し、幕府・摂関を廃して天皇による親政「建武の新政」を開始します。しかし親政は破綻し、後ろ盾となっていた足利尊氏の離反に遭ったため、後醍醐天皇は比叡山に2度逃れますが、ついに京で幽閉されてしまいます。建武2年(1336)、尊氏は持明院統の光...
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天龍寺-京都府京都市右京区

・天龍寺 臨済宗天龍寺派 京都府京都市右京区嵯峨天竜寺芒ノ馬場町68名勝嵐山や渡月橋、天龍寺の西側に広がる亀山公園などもかつては境内地であった。 この地はその昔、檀林皇后と称された嵯峨天皇の皇后橘嘉智子が開創した禅寺・檀林寺の跡地で、檀林寺が廃絶した後、後嵯峨上皇が仙洞御所を造営し、さらに亀山上皇が仮の御所を営んだ。その地に足利尊氏を開基とし、夢窓疎石を開山として開かれたのが天龍寺で、その目的は後醍醐天皇の菩提を弔うため暦応2年(1339)に創建された。造営に際して尊氏や光厳上皇が荘園を寄進したが、なお造営費用には足りず、直義は夢窓と相談の上、元冦以来途絶えていた元との貿易を再開することとし、...
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頼久寺-岡山県高梁市

・頼久寺 臨済宗永源寺派 岡山県高梁市頼久寺町18草創は不詳であるが、暦応2年(北朝年号1339年)足利尊氏が再興して備中の安国寺と号した。当時、中国から帰朝して備中備後路を巡錫中の寂室元光禅師(正燈国師)を迎請して、開山第一祖とした。(リンク先より) << 戻る
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洞泉寺-岐阜県山県市

・洞泉寺 臨済宗妙心寺派 岐阜県山県市高富688延元四年(一三三九)、南朝の後醍醐天皇朝臣杉山義祐が根尾城にて戦死した。(リンク先より) << 戻る
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福性寺-東京都北区

・福性寺公式ホームページ 真言宗豊山派 東京都北区堀船3-10-16豊嶋八十八ヶ所霊場第五十七番です。福性寺の開基は不明です。しかし、最も古いお墓は暦応2年(西暦1339年)、後醍醐天皇の亡くなった年のお墓です。すでに庶民のお寺として七百年の歴史があります。(リンク先より) << 戻る
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吉祥寺-群馬県利根郡

・吉祥寺 臨済宗建長寺派 群馬県利根郡川場村大字門前860-1吉祥寺創建は南北朝時代の暦応二年(1339)中巌円月禅師を開山和尚とし大友氏時により創建されました。建長寺派四百有余かヶ寺の寺院の中で一番北域に位置することから、建長寺北の門とも呼ばれています。(リンク先より) << 戻る