(羅睺羅尊者像・京都満福寺)
ラーフラ(raahula、राहुल)、羅睺羅(らごら)、羅候羅、羅怙羅、羅云等
ブッダの実子であり、十大弟子の一人で「密行第一」といわれています。厳密にいえば、後にブッダとなった出家する前の釈迦族の王子ゴータマ・シッダッタとヤソーダラ(耶輸陀羅)妃との間に授かった子どもです。意味は日食、月食など食を起こす魔神ラーフ(転じて障害をなすもの)等諸説ありますが、既に出家を決意していたシッダッタ王子にとって、子供の誕生は決意を鈍らせることになったと伝えられます。
シッダッタ王子は29歳のとき国、身分を捨て、妻子をも残し出家します。6年後ブッダとなり、ある時、ブッダは生まれ故郷であるカピラバストゥに弟子たちを伴って帰った際、2日目にスンダラ・ナンダ(孫陀羅難陀/お釈迦様の異母兄弟)を出家させ、多くの釈迦族の青年を出家させましたが、ラーフラは7日目にして出家しました(律蔵・大品第1健度など)。その時、ラーフラは比丘となるまでの年少の見習い修行者である沙彌となりました。
年少の頃はブッダの実子であることから慢心が強く、他のブッダの弟子を見下していたといわれ、ブッダより戒められることもあったようです。ブッダはラーフラをサーリプッタ(舎利弗)とモッガラーナ(目犍連)に指導を委ねます。
周囲はラーフラをブッダの子として特別な目で見るため、その分を弁えてよく戒を守り、多くの比丘にもうやまわれるようになったといいます。それが密行第一と称される所以です。20歳にして具足戒を受け比丘となり、やがて阿羅漢果(悟り)を得ます。
なお、掲載画像は腹部に仏を宿した羅睺羅尊者像です。ブッダの実子でありながらラーフラの顔はブッダと似ていないし整っていないという噂を聞いたラーフラは「顔は整っていなくても私の心は仏である」と言って胸を開けて見せたという中国で作られた逸話から、このようなの形態の羅睺羅尊者像があります。
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