【仏教用語/人物集 索引】

正覺寺-岐阜県安八郡

投稿日:0817年1月1日 更新日:

正覺寺 浄土真宗本願寺派 岐阜県安八郡神戸町北一色

寺伝によれば、弘仁八年(817年)に、天台宗を開かれた伝教大師最澄が、神戸町の日吉神社を創建の折、この地にとどまり、朽ち果てた御堂のなかの聖徳太子の御木像を感得(発見)したことにより、寺院を建てたとあります。


その後は、四百有余年の間、「寂静山 妙行院」として、天台宗の一宇としてありました。承久三年(1221年)、後に法然上人のお弟子となる「東 胤頼」の嫡男、東氏二代「東 重胤」が、承久の乱の際、東海道軍として北条泰時氏に属し、宇治川の戦いで負傷。鎌倉への帰国の最中容態が悪化したため、この寺にて、療養していました。その際、一念発起し、出家。当時の住職覚澄の弟子となり、法名を覚念と称しました。その後、貞永元年(1232年)、覚念は、聖徳太子の夢告を得て、当時の多藝群場田邑に逗留されていた、親鸞聖人に面受し、教えを乞い弟子入りします。この時、聖人より「道専」という法名を賜り、十字名号、ならびに「正覺寺」という寺号をいただきました。(リンク先より)

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