【仏教用語/人物集 索引】

富樫政親(とがしまさちか)- 加賀一向一揆

投稿日:1488年6月9日 更新日:

 
富樫政親とは、室町時代後期の武将・守護大名。富樫氏21代当主。加賀国守護。

長禄2年(1458年)、加賀北半国守護に任じられた赤松政則から加賀北部を取り戻すため、富樫政親は家臣団に擁されて奪回に尽力しました。

応仁元年(1467年)、応仁の乱が勃発すると細川勝元方の東軍につきました。ところが、弟・幸千代が山名宗全方である西軍について敵対したため、政親は家督をめぐって弟と争うことになります。

文明5年(1473年)、真宗高田派門徒や甲斐敏光と結んだ弟・幸千代に富樫政親は敗れて加賀を追われます。しかし、浄土真宗本願寺派門徒などの援助・加賀国内における武士団の支持を得て、弟・幸千代を加賀から追い出し再び当主の座に就くことができました。

ただし、この奪回において本願寺門徒の力を知った富樫政親は、次第に本願寺門徒とそれに繋がる国人を統率しようと企てたため、本願寺門徒と国人が互いに結びつきます。

長享1年(1487年)、9代将軍・足利義尚による鈎の陣(六角高頼討伐)に富樫政親が従軍している隙を突いた本願寺門徒と国人の画策に対応するため急遽帰国します。

しかし、長享2年(1488年)、石川郡高尾城を攻められ、これを抑えられずに富樫政親は自害しました(加賀一向一揆)。

その後、家督は大叔父・泰高が継いだが、加賀の実質的な支配権を握ることはできず、以後、天正8年(1580年)に織田信長に敗れるまでの90年間、加賀は百姓の持ちたる国と呼ばれる状況となりました。

生誕 康正元年(1455年)

命日 長享2年6月9日(1488年7月17日)

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