中国・宋時代の禅僧。隰州隰川県の出身。天童正覚(てんどうしょうがく)とも記述されます。丹霞子淳に就いて嗣法。弟子には自得慧暉がいる。
多くの弟子を輩出したことから宏智派の祖とされています。臨済宗楊岐派のなかに大慧派を形成した大慧宗杲と、禅のあり方を巡り激しく対立しました。宏智正覚の主張は、仏性は本来的に有されていることから、坐禅すること自体が禅の姿で、その事実に気付くことこそが大事なことだと、公案を用いない曹洞宗の禅を擁護しました。しかし、大慧宗杲はこれを「黙照禅」と呼んで批判しました。
対する大慧宗杲は、公案を用いることによって言語による思考を限界に追い詰めつつ坐禅し、言語を超越した悟りへと向かう姿が正しい禅だとしたので、宏智正覚はこれを「看話禅」と呼んで批判しました。
「黙照禅」と「看話禅」の対立は、現代でも互いの宗派の特徴として、公案禅と只管打坐という形で現在も受け継がれています。
生誕 元祐6年(1091年)
命日 紹興27年10月8日(1157年11月11日)
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